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状態は変化するものだから私だって常に至福感に在るわけじゃない。不安になるし悩むし怒るし憤るし罪悪感なんかも起きる。何でも起きる。マジかよ?!ちゅー出来事も嫌だなぁ、めんどくさいな、やりたくないなぁ~という出来事も、何でも起きる。でもそれが深刻じゃない。(だって私に対して起きてない、全部生命の表現だから。)そう言うと、「そうなりたいんです!」と、言われる。( ̄~ ̄;)う~ん、、、みんなそこを目指して悟りたいのかぁ~?AKANE💫自身、そこを目指して探求してなかったなぁ~
私の人生私のアイデンティティ私の現実私の生い立ち私の家族私の夢私のお金私の思考私の感情『私』はなんでも所有しちゃうけど『私』というものがそもそも存在しなかったと気づいたとき所有の幻想からも抜け出せる。もちろん肉体があるから身体的恐れは消えないけど。シフトが起きてからの一番の副産物はやっぱり全肯定ってとこかな。全ての起こりがフラット(中立・在るがまま)で在るという揺るぎない事実。それだけが在るってだけで本当にそれだけなんだよね。判断ジャッジ(自我の性質)や正
今目の前に広がっている出来事はすでに完全な生命の表現。すでに歓迎されている。歓びそのもの。起こったことはすでに起こってしまったのだから手の施しようがないわけ。どの経験にも良い悪い正しい間違いなんかはない。起こった事への意味付けは『私』の心の動きに過ぎない。出来事を判断してしまうのは何故だろう?他人を気にしている人は誰だろう?どうして比べてしまうのだろう?それによって何を得ているのだろう?その根底には何があるだろう?