ブログ記事316件
期間:2024/04/30〜05/08天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額覇)立花宗茂:九州の逸物射)伊達政宗:懇切の馳走薬)細川藤孝:百挙百捷の才戦)今川氏真:優美平明の調武)山内一豊:古来最大功名※倍率不明の為、判明次第反映星3射)榊原康勝:会心撃・弐薬)黒田直之:心眼・参©コーエーテクモゲームス
ブログテーマ『城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」』にスポットを当てて、具体的なお城の写真をお届けしています。「平櫓(一重櫓)」については、「はじめに」をブログで掲載していますのでどうぞご覧ください。「平櫓(一重櫓)」の「はじめに」↓『城郭建造物『全国「平(一重)櫓」を巡る”はじめに”』』今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三…ameblo.jp※全国の「
さてさて………………【勝龍寺(しょうりゅうじ)】を出発し、ココロは次の目的地に到着した…………………「乙訓景観十景」にも選ばれている場所。【勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)跡】京都府長岡京市勝龍寺13−1その城の特徴は…………………■「山崎の戦い」に敗れた明智光秀が"最後の夜"を過ごした場所■明智光秀の娘・玉(ガラシャ)が幸せな新婚生活を過ごした場所【勝龍寺城】は、南北朝時代から江戸時代初期にかけての日本の城。城名は付近の同名古刹【勝龍寺】に由来する。【安土城】に先行する「瓦・
--------------------------------------------2024年発奮しすぎて、今日は疲れました。ゆっくり休みます。--------------------------------------------2023年発奮・・・何かに刺激されたことによって精神を奮い起こすこと。仕打ち・・・他人に対する振る舞い。人の取り扱い方。多く悪い意味に使う。確かに発奮しなければならない状況に追い込まれたほうがよいのかもしれません。なんでも揃っているという
※勝龍寺城公園主郭跡内にある細川忠興・ガラシャ銅像…勝龍寺城は明智玉(ガラシャ)が輿入れした「細川ガラシャゆかりの地」です毎年11月には「細川ガラシャまつり」が開催され、武者行列、ガラシャ輿入れ行列が練り歩き、多くのひとでにぎわいます山崎古戦場7️⃣勝龍寺城②山崎古戦場には、今回初めて行きました。山崎古戦場跡は、現在「天王山夢ほたる公園」という京都縦貫道の高架の下にグランドがあり、古戦場の面影は全くと言っていいくらいありません。行ったときは「
※勝龍寺城模擬天守風資料館、模擬塀、模擬隅櫓、南水堀…かつて、勝龍寺城には天守(殿主、守)が存在し、南西隅に巨大な三重の望楼型の櫓(殿主)が建っていました水堀は、かつては東西南北にありましたが、市街地化により、消滅、現在は南、東水堀が残っています水堀幅は、現在でも10m以上あり、昭和初期ごろまでは倍以上あったようです城址は、平成4年(1992)に「勝龍寺城公園」として整備され、模擬建物が建てられ、市民の憩いの場となっています山崎古戦場6️⃣勝龍寺城①
2024.3.5.ずっと!行きそびれていた細川藤孝のお墓参りへやっと、行ってきました南禅寺の塔頭の天授庵。細川藤孝が再興し、菩提寺としました(細川家の墓)細川藤孝の墓(廟)へ廟の中に五輪塔があり、妻と一緒の夫婦墓となっている様です。有名な武将なので、説明書きは割愛します隣には、細川忠利の遺髪墓も(忠興の息子で、藤孝の孫になります。)
2024.3.5.今年、3月のお出かけ予定が雨の為変更を余儀なくされ!どうしようかなと、思っていたところ!京都にて行きたい所を思い出し!急遽、京都へGO!先ずは、西本願寺へ何度も訪れている西本願寺ですが、やっぱり!お気に入りの龍の手水から、とっても可愛いやつですそして、早速目当ての『飛雲閣』今回、「京の冬の旅」で公開されました。近年まで修復工事をしていたので、久しぶりに見に訪れましたてか、見に来るの20年以上ぶりだな今回の特別公開では、週末予約制で、中に入れたそうです!いつか
期間:2024/03/08〜03/15天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額呪)蒲生氏郷:寛厳の妙呪)真田幸隆:世渡りの深謀射)内藤昌豊:不争之徳覇)赤井輝子:金剛烈女覇)伊達政宗:龍吟の金声射)徳姫:神君の血縁薬)細川藤孝:百挙百捷の才射)北条高広:進退去就の拓星3覇)本多忠朝:早撃ち星2射)赤座吉家:技巧家©コーエーテクモゲームス
※こちらの記事は、令和2年9月21日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は今年の大河ドラマ『麒麟がくる』第22回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【『麒麟がくる』の楽しみ方】・第1~2回―当時の三傑と明智家/リアルな戦の描写・第3~4回―美濃の情勢/織
ちょっと遅くなった感はあるが久秀さんガチャをようやく吟味。先ずは星5射撃手松永久秀さん自身弱体化治癒敵全体物ダメ1.05前列味方最大生命力50%ダメ敵ラ2体追撃0.95×味方数(0〜3)最近では研究が進み、『別に悪人でも何でもなく、三好長慶の忠臣』『大仏殿焼いたのは偶然か、三好三人衆の方』『義輝公襲撃は息子の仕業、関与自体は薄め』と、再評価(?)されてきているが、コエテクさんはやっぱりギリワンの雰囲気で来るのね。正直、太閤立志伝Ⅱのこの顔か、精々Ⅲのくらいの顔が実態
今年も、もう2月か……早いなぁ。先ずは星5呪術師足利義昭さん吟味済み『【信長の野望20XX噺】栄耀の煌』なんか信長さんのスキル鍛錬が来ているな。お知らせに無いよな?イベントダンジョンのNPC援軍の信長さんのスキルに▲が付いていて、おや?と思ってストーリー無しのス…ameblo.jp〈一言二言〉優秀な防バッファー。位置によって攻バフも出来る……が、ハッキリ申して蛇足。スキルマスが前列に無い場合、したくなくても攻バフ(それもショボい)になるなんて余計なこと過ぎる……防バフ一本で良い
期間:2024/01/30〜02/15天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額射)松永久秀:忠奸無道の乱戦)織田信忠:天下の後継戦)細川藤孝:文武の天稟覇)三好之長:発憤忘食戦)明智光秀:神智明晰©コーエーテクモゲームス
2024年1月28日--------------------------------------------親と子。絆があるからこそ、大変ですよね。2023年1月28日--------------------------------------------親と子。同じ土俵に立つと、比べられるから大変ですよね。でも遺伝子には逆らえないものですよね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
期間:2024/01/23〜02/07天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額呪)足利義昭:不撓の鞆公方武)足利義輝:剣影無極薬)足利義栄:望京の奄賢呪)朝倉義景:四大本空薬)細川藤孝:百挙百捷の才星3薬)松井友閑:心眼・参星2呪)足利頼氏:妖特効・弐戦)大館義実:練磨©コーエーテクモゲームス
※こちらの記事は、令和3年8月19日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第48弾として、「田辺(たなべ)城の戦い」について、実用的視点で学んでいこうと思います。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【合戦シリーズの過去記事(抜粋)】江古田原沼袋合戦権現山の戦い第一次国府台の合戦川越城の合戦志賀城の合戦郡山城の合戦厳島の合戦四万十川の合戦今山の合戦耳川の合戦金ヶ崎城の合戦一言坂の合戦三方ヶ原の合戦叡山焼き討
2023年12月25日--------------------------------------------部下と上司。永遠の関係ですよね。2022年12月25日--------------------------------------------部下に対する態度。戒めとして覚えておきます。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
※こちらの記事は、令和3年1月31日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は令和2年の大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』第35回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名をのせています。【『麒麟がくる』の楽しみ方】・第1~2回―当時の三傑と明智家/リアルな戦の描写・第3~4回―
今日、ブログの背景を変更しました。デフォルトだと白いだけで無機質な感じがしましたので・・・では今日も信長の野望武将風雲録をプレイしていきます。1572年12月薩摩の島津征伐へ向かいます。九州最後の戦いとのことで大軍を引き連れたのですが失敗だったのかもしれません。籠城されてしまいました。このゲームでは鉄砲は防御兵器としては超優秀で迂闊に射程距離に近づこうものならゴルゴ13クラスのスナイパーに狙われているみたいに部隊が溶ける、溶ける。ここで細川藤孝が銃弾を受けて戦死。幹部級初の戦死
2023年11月23日--------------------------------------------神様はみているのですね。2022年11月23日--------------------------------------------知識人・教養人ならではな答えなのですね。さすが、細川幽斎。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
”卜伝飄々”風野真知雄著文芸春秋剣聖塚原卜伝の晩年を描いた8編。功名心は影を潜めたが、技を追い求める気力はあり、そんな中での悩みは女にもてないこと?一応ハニートラップの話もあったが・・・上策は、勝負を受けないことだが剣聖ともなるとそうもいかない。避けられなければ、あらゆる道具・手段を講じて勝つ。剣豪将軍義輝や細川藤孝、松永久秀なども出てきて面白かった。卜伝自身の地元鹿島での評判は散々なようだ。
[関口宏の一番新しい中世史]を観ました。その中でちょっと驚いたのは、明智光秀が本能寺の変を起こしたのは、その後の政策を考えずに、衝動的にやったのだ、という説でした。天下を取ろうなんて気はなかったのですね。やったあとで、一番の味方になるはずだった細川藤孝に応援を求めています。本来なら事前にするべきだった細川藤孝に対する応援要請が後手になっている。これが受け入れられずに光秀は孤立する。最後の秀吉との山崎の戦いも、仕方なく体勢が揃わないうちに負けてしまう。これが歴史の真相のようです。私は光秀は悲劇の
懺悔第2弾です。細川ガラシャが過去世にいるというアタオカな話になりますが、数年かけて色々調べた上で否定するのが困難に感じられるようになったのでブログで謝罪の気持ちを込めてお伝えしようと思います。細川忠興公の名誉と亡くなった家臣らの供養の為にも一読していただけると幸いです。おそらく見えない世界の影響も受少なくなってきたので、書こうにも過去世の色々な影響が怖くて書けなかった事件を。物騒な話になりますがご容赦ください🙇🏻♂️💦細川忠興・ガラシャ夫妻と言えば・ガラシャが庇った料理人を嫉妬か
「天橋立」をあとにして、「宮津城」へ進軍します。「天橋立」から海沿いに東へ進むと「宮津城」へ到着します。「織田信長」から丹後を拝領した「細川藤孝」は宮津に居城を築きます。このことで古代以来丹後の中心地が、府中から宮津に移動したこととなりました。これは丹後にとって大きな転換期となり、近世都市宮津へと通じる出発点が細川時代の「宮津城」でした。「宮津城」は、当時最先端の技術を駆使して造られおり、築城には「細川忠興」の妻・玉子(「細川ガラシャ」)の父であり城作りの名人と言われた「明
「伊根の舟屋」から「天橋立」へ進軍します。「天橋立」が見えてきました「天橋立」は東南西北どこからでもその全景を望むことが出来ますが、進路の都合上南側へ回り込みます。「天橋立」南側から攻めます(国土地理院ウェブサイト)「天橋立」南側のロープウェイで「飛竜観」へ息子は初ロープウェイです「飛竜観」がある「天橋立ビューランド」、遊具もあるって聞いていませんけど・・・「飛竜観」右側の湾「阿蘇湾」の色がヤバい龍に会えたかい?股のぞき効果とは前かがみ
京都府舞鶴市を訪れた続きです舞鶴市(B001)のマンホールカードを配布している田辺城資料館、館内は、歴代の城主細川氏、京極氏、牧野氏に関する展示や田辺城290年の歴史、城下暮らしを紹介しています手前の人物が、細川幽斎、明智光秀の盟友細川藤孝の晩年の姿です現在は、ゆうさいくんというキャラクターになっていました田辺城は、別名、舞鶴城(ぶかくじょう)と呼ばれ、舞鶴(まいづる)の地名の由来となっていますこの二層櫓は、昭和15年(19
お盆の時期は台風で城攻めがままなりません。去年は台風で京都方面の城攻めを一日順延しました。今年も台風7号で一日ずらしました。台風一過後は暑くなるんですよねぇ。去年の山崎城攻めは大変でした。今年も京都方面へ出陣です。京都は京都でも奥丹後方面です。この時攻めた城と寺社(毎回お世話になっています、国土地理院ウェブサイトにあるGSIを使ってマッピング)ここの行きたかったところ「細川ガラシャ隠棲の地、味土野」へ進軍します。「味土野」への道、細すぎて分
2023年9月21日--------------------------------------------古くから伝わっているものは本当のことがつまっているのでしょうね、やはり。2022年9月21日--------------------------------------------古歌、、、昔から残っている歌には真実が含まれているのでしょうね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
負けた。まさか、こうもあっさりと負けるとは。予定しいていた武将が集まらなかった。筒井順慶は動かなかったし、頼みにしていた細川藤孝も剃髪して喪に服すと称して中立の姿勢を取った。なにより予想外なのは、秀吉がこんなに早く引き返してきたことだ。あの密約はなんだったのか。信長を討ってくれたら天下は譲ると言った、あの密約は。しかし、それを天下に晒そうとしても証拠がない。中国から使者を寄越して、口頭で伝えただけなのだ。秀吉は、最初から絵図を描いていたに違いない。まんま