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本日は書籍紹介をいたします。今回取り上げるのはこちら、多田孝正『お位牌はどこから来たのか――日本仏教儀礼の解明』興山舎、2008年本書は仏教に関係するさまざまな儀礼について、比較的自由なコラム的な雰囲気で解説された本です。タイトルでは位牌が前面に押し出されていますが、それだけにとどまらず、そもそも供養とは何なのか、戒名(法名)にはどんな意味があるのか、焼香や数珠は何のために必要か、といったことが専門家の立場から説かれています。コラム的と言いましたが、実際、本書の元に
◆追記です◆先日須磨寺にお参りに行ってきたのですが、完成した糞掃衣のお披露目式が2024年5月25日(土)に開催される、と境内の掲示板に貼り出されていましたのでお知らせします(^-^)↓ポスターの画像です(笑)↓そして当日は色々なイベントもあるようですよ♪これはぜひ観に行きたいな〜!という事で、途中参加になるとは思いますが行ってこようと思います(^-^)←どんな風になっているのか想像がつかないので今からめちゃ楽しみです♪◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇先月の9/23
戻り梅雨、かな。気温も落ち着いて。朝ごはんも前回、書いたように『スープとドレッシング』今日もお鍋にベジブロスがある。明日の朝には食べよう。1月24日朝おおよその材料はベジです。おとよそ、は。…ameblo.jp13日はサンドウィッチ。14日はベジブロスでスープ。今週、とても良い感じで食べました。(バナナに豆乳ヨーグルトかけててんさい糖とアーモンド、は毎朝。)
(文渓堂、2019年1月)SDGsの17項目について、データを多用しながら順番に解説してある本。写真・グラフ・表・イラストがふんだんに使われている。カラー版。子供向きに作ったのだろうが、大人が読んでも十分読み応えのある内容。ここではSDGsの1項目目と2項目目について書きます。1)貧困をなくそう2)飢餓をゼロにです。SDGsで言う「貧困」が精神的意味を含めての貧困であることは承知していますが、我々は生き物ですから、先ずは衣食住の確保が喫飯の課題だと思います。
上野東照宮様の事を書く前に、まだ書きたい事があり書いてしまいます。この方のブログを拝見してどうして法隆寺の寺宝が東京国立博物館や宮内庁で保管されているのかよく分かりました。本当にありがとうございます。https://artexhibition.jp/topics/features/20210611-AEJ438580/上の美術館ナビの記事も興味深く拝読しました。今回私は美術館ナビのアプリで今回の日時指定予約をしたのです。廃仏毀釈の嵐から法隆寺寺宝を救う為に聖
野中耕一氏の訳でタイの燦々社から発行されたポー・オー・パユットー師の「自己開発…上座部佛教の心髄」という本が、後に日本でサンガという出版社から「テーラワーダ仏教の実践」というタイトルで出版されたという話を前回書かせて頂いた(現在はサンガ文庫に編入)。ところで、「自己開発…上座部佛教の心髄」の中にパユットー師の自称として、「私(拙僧)」という訳語が出て来るのだが、原語はタイのお坊さんの自称である「アータマー」だろうと思う。ちなみにこれは「我」や「自我」を指すサンスクリットやパーリ語の「アート
頭陀袋(ずだぶくろ)といえばよくお坊さんが持ち物を入れている袋ですが辞書に依れば曹洞宗では茶色で臨済宗では黒色が一般的らしいです。厳格な決まりはないのでしょうが真言宗豊山派では何色が一般的かということもありません。ところで、頭陀袋の頭陀はインド語のdhuta(ドゥダorドゥーダ)で煩悩を取り払い、衣食住に貪らず心身を鍛える生活規律の事です。細かく分けると、12種や13種あり糞掃衣(ボロボロの服)を着ることや横にならない(寝転がらない)こと
教えを乞(こ)う人を拒まず、誰でも仏になれるという考えを示したお釈迦様の弟子には、さまざまなタイプの者がいる。経典に残るそれらの弟子の姿を見るとき、お釈迦様の柔軟な教えや深い洞察力が浮かびあがってくることでしょう。有名な十大弟子とは別のお弟子さんたちをご紹介します。(写真はイメージ)「悟りを得た者は静かに黙せ」という教えを守り、その境地を楽しんでいるのです」........バックラ。◎バックラ(薄拘羅{ばくくら})無病第一といわれ、最も長生きをした弟子は、バックラである
知り合いのお坊さんが、普通のクリーニング屋さんに法衣のクリーニングを頼んだら、間違えた畳み方で返されて来たと仰ったので、分かります、分かります、私も昔、一般のお店に出してそんなことがありました、今は法衣専門クリーニング店に出していますと、お答えしておきました。私の師匠はもう亡くなってしまわれましたが、法衣の洗濯はどうしていますかと得度したての頃にお聞きしたら、僕らの衣なんて化繊やから、洗濯機で丸洗いやでと仰って、さすがは飾らぬ師匠に就いて私は幸いだと思った覚えがあるのですが、やはり自分で洗
実質的な釈尊の後継者として活躍した大迦葉....。◎釈尊の十大弟子........釈尊の率いる仏教教団には、聖者の最高の境地である阿羅漢果(あらかんが)の悟りを開いた弟子が500人いた。その弟子を中心に、多くの信者が集まり、仏教教団を構成委していったのである。「十大弟子」と呼ばれる人々は、その中核となって教団を支えた弟子たちのことを指す☆頭陀(ずだ)第一マハーカーシャパ、別名を大迦葉(だいかしょう)、摩訶迦葉(まかかしょう)※清らかな精神を追い求めた釈尊の後継者マハーカーシャパ
日本の近代仏教学の祖に、宇井伯寿という大先生がいらっしゃる。大正・昭和に活躍された先生で、中村元先生も門下にあるから、宇井先生の学説に反する論説はアカデミズムで禁忌とされ、それが未だにそれが呪縛となっている。問題なのは、宇井先生が「ブッダは輪廻を説かなかった」とする点である。そもそも仏教の最大の論点であり、アカデミズムに留まらず、僧侶の世界においても、この説が近代仏教学の定説とされている。これは、オカシイ。仏教のそもそもの前提として、輪廻転生は受け入れられ、説かれ、現在でも六道輪廻の
元々宗教的な悟りへの道は、男性だけに許されていたもので、かつては女人禁制でした。しかし、女性の出家希望者の意向を受け入れて、釈尊が女性の出家を許したことから女性にも悟りへの道が開かれることとなりましたが、当時の女性の悟りへの道は男性と同じものでした。糞掃衣(ふんぞうえ)と言われる死体の服をはぎ取ったものを柿色に染めた粗末なものを纏って、修行をしていました。こんな影響からか、スピリチュアルな女性は自分を綺麗に魅力的に演出することに罪悪感があるようです。でも、男性には男性の悟
潜在意識や魂の中には、色々なマインドブロックがあります。お金に関するブロックがあれば、お金に苦労するようになります。恋愛に関するブロックがあれば、なかなかパートナーが得られないと嘆くことになります。これと同じで、美容やアンチエイジングに関しても同じように、こんなにお金をかけて努力しているのに、痩せない、綺麗になれないということが起こってきます。例えば、過去世に僧侶や尼僧だったとします。原始仏教では、死体の服をはぎ取って、それをオレンジ色に染めたもの、糞掃衣(ふんぞうえ)
スリランカは22時を過ぎましたが、ウェサックの本門佛立宗ブースには人がたくさん集まっていました。昨夜はハシャーンたちがそのままブースに泊まってくれました。あの暑さの中でどうやって寝るのか、本当に頭が下がります。ありがとうございます。センターで夕方のお看経を終え、短く法話をさせていただいて、シャカ・キングダムの会場に作られた本門佛立宗ブースに向かいました。まだ夕食も食べていませんが、昨年に引き続き別の会場にも行きます。今日、世界中の僧侶が集まる会場を見渡して、実に様々な法衣があるものだと
こんにちは^^先日、沖縄の神人(ユタ)ついての本を読み終え自分と霊的な感覚が似ていたので’’同じような人達がこの世に存在する’’という安堵の気持ちと’’いやいや、大変だよ’’という気持ちに揺れているサンドーラのりつ子です何が大変かって?霊的感受性の鋭さはもう慣れていますがユタさんも話していた通り’’体力の消耗が激しい’’というところ・・・今年四十路を迎える私は・・・霊的能力の行使は体力とか関係ないのでは??と思う人が多いと思いますがいやいや、そんなことないんですよ例
お立ち寄りいただき、ありがとうございます。布作家にゅっとですお坊さん、と言われてまず、思い浮かぶのはなぜか墨色の袈裟ではなく、黄色いやつです。袈裟というより、糞掃衣(ふんぞうえ)?画像お借りしましたステキ(ひとりやたらモードな方がいますけど)あたくし糞掃衣フェチかもしれませぬ(言葉のインパクトが強烈すぎますが…)性的フェティシズムぢゃないよ。宗教的な物質崇拝の意味ですYO心の故郷的な前世の記憶?糞掃衣
これは、何でしょうか?「糞掃衣ーふんぞうえー」ごみの中に捨てられたぼろ切れの布を洗い縫い合わせてつくった僧衣。衲衣(のうえ)。十二頭陀行の一つで、初期仏教の修行僧は執着を離れるためにこれを身に着けていた。そう。昨年末、この糞掃衣の存在を知ってこちらは実際に知り合いの和尚さんが信者様に作っていただいたというものを見せていただきました。『これは細いわ…』布を縫い合わせるのは簡単ですが、刺し子を施すのが、実に大変ですそうです💦最近は、パッチワークの作品作りに励み、若い時は、洋服
”糞掃衣(ふんぞうえ)”僧侶が持てるのは「鉢(托鉢用)」と「糞掃衣」のみとされています。欲望を断ち、質素に過ごすためです。さて、糞掃衣とは、文字の如く、もうこれ以上使えない糞塵(ゴミ)を掃き集めて、布を拾い、つなぎ合わせた衣です。お坊さんの袈裟でパッチワーク状が多いのはそれでなんですね。袈裟はサンスクリット語の「カシャーヤ(汚濁色)」から来ています。それを草木やサビで染め、黄色っぽい格の低い色に仕上げます。今で言う、リサイクルでしょうか。物を大切にしたいですね。