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2度目の入院から退院してきました。入院中は、足に負担が掛かる動作が無く、痛みを最小限に抑えられた事や、薬の処方、食事の心配などをしなくて良かった事はとても有り難かったのですが、良い事ばかりではありませんでした。病院では、色々な人と関わらなければならないので、毎日心穏やかに過ごせるともいえません。急性期病棟にいた時には、ある女性の患者さんが私に話しかけてはくるものの、面倒くせー!やら、ちょっとした事を聞けば、看護師に聞けよ!などと暴言を吐かれたりしました。ある患者さんは、ホテルの一室で銃を
長嶋茂雄さんのお別れの会をたまたまたテレビで目にしました。比べるとことではないと、わかってはいるけれど辛くて涙が出てきた。著名人でも死因が自殺だとお別れの会が開かれることはまずない。自殺という圧倒的な出来事を目の前にしてあたたかく見送るという感情からは程遠く絶望、衝撃、自責、混乱、理解不能様々な感情が入り乱れ呑み込まれてしまう。自分自身が父と母の死因に蓋をしているからか虚しく悲し気持ちになった。自分の記憶からサヨウナラしたから今の私がある。囚われていると
母が入居したホームは、一週間の体験入居が必須…ということで、11月のはじめに体験入居をさせました。薬の効果で幻聴がなくなったとはいえ、環境が変われば、どうなるかわかりません。病院とホームの計らいで、「外泊扱い」で病院を出て、4〜5日様子を見て何か問題があれば病院へ戻り、問題がなければ病院に戻らず本入居という流れにしてもらえました。結果、大きな混乱はありませんでした。実際「ここどこ?」みたいなこともあり、不安を訴えたりもしたようですが、ヘルパーさんたちが
2025年9月上旬脚のストレッチや運動をした翌日、強い痛みを感じしばらく我慢しましたが、一向に良くならないため一時的に入院をしました。以下はその入院中の出来事や体験を通して感じたことなどをまとめたレポートです。精神科に初めて入院しました。初日は急性期病棟へ運ばれました。案内された部屋は、窓が開けられず、トイレのドアはなく、狭い部屋にベットが置いてあるだけの、とても味気ない質素な所で、刑務所の独房の様でした。怖さとショックで落ち込みました。無表情で、目もうつろで、幽霊のように、目的も
2008年9月、夏休みの終わりを待って一回目入院前夜、息子の言葉。「お泊まり保育」入院中は飛ばす2錠黄色いでっかい薬なぜ処方されたか🚫🚫退院の日外泊から病院へ向かう電車で「良貨と悪貨」を思い出して誰か、その両方を持ってるとも言うの😂😂それはずっと後になって気づいた主治医の引地先生が「塞翁が馬」と言ってくれたのを覚えてる当時はすんなり受け取ったが、オカシイと思ったのは今年2025年5月だった後日玉のような警察が自宅に来て、安全の宣伝かなにかのご用で二回目の入院一回目
family-1108さんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/me楽天マラソンポイント4倍お得にお買い物~~こんにちはさて…重い話の続きです。今から20年前~現在までの母のことです母が乳ガンになりうつ病からの舌痛症になり、腎盂腎炎で入院からの尿管カテーテルを装着したまま退院までをシリーズ化して書いてきました。今書いてるのは8年ほど前の母のことになります。とにかく尿管カテーテル装着しておりますので、今まで以上に介護が大変になりました。母の精
4月から特別支援学校6年生のタク▶とても繊細な性格で人混みが苦手過敏が強く何事にも慎重▶小3に逆流性食道炎小4に精神を病み不登校小5から現在、ヒステリー球(喉の詰まり)ストレスを溜めやすく発散が出来ない▶スマホ命、その甲斐あって文字が読めてスマホに文字入力も出来ます発語は要求のみあり先週、タクを精神病院入院させる気持ちが固まりパパにその旨を伝えると…まさかの反対をされました何度も話し合いをして私が無理になったら入院させようと決めたのにここにきて『あの年齢で
今、覚悟がつきましたタクを精神病院へ入院させます21時過ぎ大人しく動画を観てまったりしていたのにしゃっくりが始まってしまいそれが嫌で激しい咳払いその後、自傷行為が始まりました背中や脛あたりを爪で押し付けて咳払いをするの繰り返しもう止めよう!とタクの両手を掴んで止めますが足で私の身体を押してきて、耐えられず手を離すとすかさず自傷、また両手を掴んで止める…自傷と咳払いがセットになっていてしかも1回自傷すれば終わりではなく何回も繰り返し1時間、2時間ずっと続く時もあります自
56才のりんです。DV気質の実父と、モラハラの夫、障害者の息子、メンヘラの娘がいます。3年前から更年期障害と思われる諸症状に悩み、どんどん老化と体調不良が続いています。更年期障害と一言で言っても、誰にも伝わらないし、説明ができないつらさを抱えています。動機、ホットフラッシュ、下痢、将来の不安、様々な事を悩んでます。3年前からプラセンタ注射を継続しています。同じ悩みを持つ方とお友達になりたいと思います現在精神病院に入院している父の面会に母を連れて行った。老人ホームで暴言、物を投
自分で選んだ仕事だったんですかね?ランクル小学生の事件子供が自ら興味を持ち仕事にする事の重要さ大事ですよ?不登校なんてぜんぜん問題ではない好きな仕事で生きる道への選択学校なんて何やったか忘れるんだからwしかし教師にも言える事精神病んでる教師選んだ仕事のくせ嫌々やってるならまじで辞めてくれないか
マスク人間の本名はシズカで、今年で41歳のれっきとした女性。上には兄が居た。しずかは共産党病院の千鳥橋病院で生まれ、共産党員の叔父を持ち、母親も千鳥橋病院で看護助手をした経験もある赤の一族だった。しずかの親父は、しずかが小学生の頃に亡くなるが、バブル期は子供の為に毎日バーベキューを開いたりするくらい経済的に豊かだったようで、しずかの母もまた、福岡県八女市のお茶農家の令嬢として何不自由ない生活を送っていた。そしてしずかの親父は大工で、自分の腕一本で子供達を育てて来たらしい。そんなこともあって、
マスク女が来てくれないことに、寂しさと怒りを覚えた。いつも来てくれた人から急に距離を取られると人は混乱するらしい。これは恋愛のテクニックの一つで好き避けと言うそうだ。俺は駆け引きの無い恋愛しかしてこなかったから簡単に罠にハマったらしい。暫くして、マスク女が、大事な話があるから喫煙所に来て欲しいと言いだした。そして、私の胸を触って欲しいと言いだした。高鳴る感情を抑えて俺は胸を触った。すると、あることに気が付いた。どうも俺が知ってる、柔らかい女性の乳ではない。なんだか人工的な感触がする
マスク女にタバコを与えてから、その日から毎日マスク女は俺の横に来るようになった。マスク女はいつも気持ち良いくらい傾聴してくれて、的確なアドバイスをしてくれる。俺はすっかりマスク女の虜になった。ある日、レクリエーションでオイルマッサージをすることがあった時、マスク女は俺の手を掴んでオイルを塗りたくって来た。この世に生まれて二十数年、こんな気持ち良いことがあるだろうか?俺はもっともっとマスク女にのめり込んだ。しかし、そんなある日に事件が起きた。いつも来てくれるはずのマスク女が来てくれないの
2019年2月。俺は人生初の精神病院に入院した。メンタルが原因で入院する前から周到な準備をしていた。まず一つ目。俺は、精神病院に入院したら簡単に彼女が作れることを知っていたため、福岡市内の複数の精神病院を視察した上で、患者が20代ばかりの雁の巣病院を計画的に狙っていた。二つ目。入院前から、精神病で自殺した漫画家・山田花子や、精神病院に入院した太宰治の存在を知っていた。そして九州大学病院の精神科が夢野久作のドグラマグラの舞台だと知っていて、当初は九代病院を狙っていた。三つ目、自費で入院代
精神病院入院日記目が覚めると、窓も無い、剥き出しのトイレ、二重にロックされたドアが広がってる、六畳一間くらいの殺風景な部屋の中に居る。十時間以上は睡眠していただろうか?そんな調子で二日、三日は起きては寝て、起きては寝てを繰り返した。そんなある日、二重扉の向こうが開いた。市の保健指定医、職員、看護師たちを連れて、普段から見慣れていた精神科のドクターが入って来る。あなたは自傷他害の恐れがあり、市が定めた期間はここに措置入院になりますと言う。待遇に不服があればこちらの電話番号に相談をと書
ご訪問ありがとうございます!シングルマザーのすばるです2人の子どもと3人暮らし6万人に1人というレアな障がいをもった次男タンタン不登校サッカー少年ダイちゃん重度アルコール依存症の元ダンナから逃げてどん底生活から復活中★私たち家族の詳しい紹介はこちらから★そのものずばり書いてあるけどおかげ様で毎日快調です↓ドリンクホルダーやカバンかけフックつき!めちゃ便利でオシャレ!↓アメブロ限定クーポン使ってください!
先週14日の土曜日およそ1ヶ月ぶりに木村病院精神科の入院病棟へ行き、またまた窓越しに面会しました。すると、足がはだしで汚れてさらに、表側の足もかなり腫れて裏は大きな絆創膏を足に貼ってたので心配してあらたに尋ねたら、怪我した、との返事が。怪我した原因がわからない。そこで、病棟の担当看護師のタムラさんに尋ねたら、夜勤なので、伝えられなかったとの事。さらに、裸足で長く徘徊していたためか、気がつけば怪我してしまったらしく、その原因はサンダルが切れちゃった事で?
学校に行きたくない自分を無理矢理行かせました、ごめんなさい自分がしたいことをさせず、周りと調和するように周りから外れないように自分を無理矢理にいい子にさせて、自分を殺しました、ごめんなさい本当はわがままなのに、そう思われたくなかったから、わがままな自分を殺しました、ごめんなさいストレスが溜まった私は、自分の身体を傷つけるようになりました、ごめんなさいそして、社会人生活の前に自分の命が壊れました、ごめんなさい今まで自分を傷つけたことが全て自分に返ってきました傷つけ、殺したのに、逮捕され
比べる必要はないって分かってるけど、どうしても比べてしまってた周りは前に進みたくて生きてるでも私は今日を生きるのに精一杯で、日に日に苦しくなっていつの間にか死に向かって生きてたすごく不器用だから、どうやって前に向かって生きていけばいいのか分からなかったんだ
精神科病院に入院しだすと学校時代の友達とはうまくいかなくなったみんな職場の悩みや愚痴、そして時々恋もあってそんな当たり前の話がすごく羨ましかった分かってる、みんなそれぞれの悩みがあって苦しんでることも精一杯生きてることも分かってるでも私の愚痴はまた違う精神科で寝る時に、もっと状態の悪い人の呻き声が聞こえて、怖くて夜震えてたとか本当はせめてバイトとか色んなことにチャレンジしたくて、でもそんな精神状態ではないから医者に止められたり何かしたいのに何かできない状態だった自分のことですら
母が生きていたらと考えることがあります。さらに妄想が進んで収拾がつかなくなっていたのだろうか。それともグループホームで生活ができるくらいには回復していただろうか。どうして入院中の病院では母に対して希死念慮の有無を尋ねてくれなかったのか。精神科医なら精神疾患で入院している患者に自殺について診察時に話すべきだったと思う。私のような素人ではなく職業=精神科医なのだから。どうして聞いてくれなかったのか。しかも、身の危険を感じて大部屋では狙われるから鍵付きの保護
生死の真理絶望とは死ではない絶望は生にのみ存在する絶望とは生の魔の手から逃れられなくなること考えたことあるか?ホロコーストの苦しみを囚人の悲しみを精神病院入院患者の虚しさを生きたくても生きれない人がいるから自殺はいけないんじゃない死にたくても死ねない人がいるから自殺はしちゃならないんだ本当に苦しんでいる人は天国にも地獄にもいけずこの世で蛇の生殺しのように扱われている人のことなんだ絶望者にとって一番恐ろしいのは生きることだ
両親の実家に戻る案却下致します!!ヘルパーさんあざすしっかりお風呂🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀入りながら考えたのですが本来家庭を全く省みなかったおやぢ精神病院入院しても御見舞すら来なかった!まあ怨み節ではありませんがある程度のペナルティは後俺のマンションの生活の質の方が遥かに優れているわざわざおやぢの崩れた家庭に戻る必要はあるまい長いからまとめるまず両親の望みは同居ではなく俺の自立そしておやぢは性格がおれとあわん喧嘩にしかならんそしておやぢにはペ
俺の入院の診断名は緊張考え過ぎ一人ずもうこれで精神病院入院(保護です兄貴wwwwwwww)まあひとつ選ぶなら‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥考え過ぎやね♪~(´ε`)考え過ぎは疲れます_(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´ω`)__(_´
まともに成ろうって努力すればする程私たちは狂っていく何故なら元々が狂っているから狂った頭でまともとは何か?を考えて実践するから狂っていくじゃあどうすんのさー?ってなるけど一番は狂っている自分を受け入れる依存症は否認の病気だから心の何処かで飲まなきゃまともって思っている。精神病院入院→施設行き→自助会行きのフルコース歩んだ癖にまだ、自分は正しいって思っている・・・お気は確か
認知症で昨年12月に医療保護入院した母母の日も近いので姉と二人で面会に行ってきました母は入院初日から大暴れで即隔離部屋でした鍵のかかった病棟の外から鍵のかかった部屋その隔離室から鍵のないフロアーの方へ移動になったのでお部屋で面会できるとのことこの前面会に行った時も近頃落ち着いてきたよと言われていたし変わるものなのねと思いながら病棟内へ隔離病棟ではないとはいえ廊下に座り込んでいる人がいたり時々奇声も聞こえてきたりちょっと緊張しながら歩いていると車椅子にの
そやなあ午後5時の訪問看護さんヘルパーさん支援は心の底から助かっていますただ‥‥‥‥‥‥‥‥‥5時から7時までの週3固定はだいたい計算してさんじ半までには帰宅義務がでます洗濯掃除だいたいさんじまでには帰宅時間になりまあこれから週55カ年計画ガチで立てるぶんにはいいのですがなんか鉄砲玉にはなりませんが精神病院にいた時の夕方点呼に近い気がしますwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww確かに安全性考えたら週3の5時訪問看護