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娘が「インスタに素敵な絵ですねって外国人が…」と言った瞬間、私の頭には「警鐘」が鳴利響いた。見せてもらうと一見怪しくなく、それどころか「こうしたらもっと見た目よくなる」みたく書かれていて娘はすっかり気分を良くしていた。でも私は信じていなかった。だって悪者は自分で悪者だなんて言わない。あなたの味方と言う顔で近づいてくるんだから。で、次のメッセには「何してますか?私は今XXしてる」と来たので、私にはどうしても生活感を演出しているように思えて「絵を描いてる」って娘に言った。次に来
長尾弘先生のご著書より今私達は天の国に住んでおり、住まわせてもらっています。真に私達の心が安らいで調和されました時、心の曇りが払われた時、世のすべては実相を表わしてきます。ありのままの姿で、ものすごくきれいです。いつも通る道も、そういう心境になりました時は、草木が輝いてきて、道も家もこれはどうしたのかと思う程きれいに見えます。毎日通っている道がこんなにきれいだったかと思うように、光明に満たされております。そういうすばらしい姿の中に生きさせてもらっていながら、私達はその美しさを見ること
長尾弘先生のご著書より生きている時に幸せだったら、死んだ時に必ず成仏できます。幸せな人生を送られなかったら、死んでも苦しみの時間が続くのです。今を救われなくてはなりません。今を救われたら、死んだ後も救われるのです。これは、この世とあの世は生き通しの心の世界だからです。まず今を救われることです。聖書の中にイエス様は我(われ)を通さない者は天国に行けないと言っておられますけれど、あれはイエスを通してとは違うのです。私達の内なる良心、つまり『神我なる己』を通してしか、天の国に入るこ
長尾弘先生のご著書より仏様にお供えをしたあとお下がりをいただきますが、ご先祖様の好物であっても、それが自分の嫌いなものであれば、お供えはしないです。自分の好きな物を買って来て供えています。ほんとうのお供えというのは、たとえ自分が嫌いなものでも、ご先祖様の好まれたものを差し上げることでしょう。もしご先祖様がほんとうに召し上がったらかなわないし、また文句を言うかも知れませんね。供えるというのは、ご先祖様への自分の感謝の心を供えるのです。「ご先祖様、今日もこうしてご飯を炊かせていただきまし
娘が作業所にいる時、突然冷や汗と腹痛と嘔吐が来てもう立てない…と思った時、作業所の人が気づき「顔の色がヤバイよ!帰ろう!」と帰宅してきた。ところが、帰宅後は収まり、以後はまだ起きてない。ああこれは「迷走神経反射」だなあと思い受診の時聞くと同じ病名が帰ってきた。私も20歳の誕生日1週間前にバスの中で突然同じ事が起き家の前のバス停からあちこち摑まり、よろけながら、たまにしゃがんで嘔吐をこらえながら帰ってきた事がある。手も顔も真っ白になって、このまま死ぬのか…とさえ思ったけど、10
長尾弘先生のご著書より目に見て見えず、耳にして聞こえずという言葉があります。見事な満開のサツキの中にいても、別のことに心が集中していたら、花さえも見えないのです。もう何年か前、今持っている軽四輪トラックを購入した時のことです。ちょうどサツキの花が満開の時期で、私は花が好きですから、部屋にも玄関にもいっぱいサツキの鉢を置いていました。そこへ車のセールスマンが来てくれて、書類に書き込んでいるのですけど、こちらは側にある花に服が触って、やれ花が傷まないか、枝が折れないかと、はらはらしているの
長尾弘先生のご著書より僅かのことで、あの人はああいうことを言うとか、つい目の前に現われてくる出来事に翻弄されていきますが、どんなことを言われても心から精一杯尽くした時、また他から尽くしてもらえます。それを「あの人はこうなんですよ、人に言うたらあきませんよ、内緒です」と陰口をたたきますと、もう翌日にはちゃんと向こうに伝わっています。すると又、あの人はいやらしいと悪口を言います。自分が悪口を言われたければ、人の悪口を言えばいいのです。忽ちに言ってくれます。言って欲しくなかったら言わないこ
長尾弘先生のご著書より種子を播けば芽が出て来ます。芽が出れば必ず生長し、時期が来れば花が咲き、そのあとには必ず実りがあります。同じように、自分の心の中に苦しみの原因となる種子を播いてしまったら、苦しみが芽生えて生長してきます。時間はかかります。今、種子を播いたからすぐ明日収穫するというわけにはいきません。自然界と同じように或る時間を要します。自然界では桃栗三年、柿八年、二十日大根は二十日経てば収穫できます。早く現われる場合と、時間がかかって現われる場合とがあります。しかし、自然
●動画「毒親と精神疾患と職業お悩み相談Part15」を配信しました!こんにちは、高橋リエです。こんな動画をアップしました〜!サラダさんからのご相談で、毒親さんが大好きな職業とは?きょうだいでは第一子が精神疾患になりやすい?などなどについてお話ししています。次回は、マスカットさんからのご相談で、「親と仲良くしなくても大丈夫?」というテーマです。どうぞお楽しみに!***毒親の問題を中心に、アダルトチルドレンが
長尾弘先生のご著書より世間には、神様を信じない無神論者がおられます。これは、現実に神様の慈悲をいただいていながら、それを自覚できないでいる方です。自ら神様をお断りしているのですから、余り幸せとは言えません。感謝することを知りませんからね。一方、私ほど幸せな者はおりませんという方も、こういう話には耳を傾けませんが、手を合わせることを知らずに苦しむことなしには、なかなか一生は続きません。無神論者も、五十、六十と年を取って、突然の苦しみに襲われて、初めて苦しみから救われたい為に道を求めて来
長尾弘先生のご著書よりイエス様は地方を歩いて野原で、又は家を借りたり、馬小屋を借りたりして方々で話をされました。偉大な方なので霊視がききますから、妙なものに憑依されている人が話を聞きに入ってくるなり「サタンよ去れ」と厳しく言われるので、その取りついているものが驚いて逃げる際に、取りつかれていた人が吹き飛ばされて倒れたりしました。そこで、取りつかれていた人は、自分が入って来るなり、自分に向かって「サタン(悪魔)」と言われたのかと思い違いをした為に、イエスは人々から反発を買うことがよくあったの
長尾弘先生のご著書より今から七、八年前、泉大津でお話させてもらいました時、或るおじいさんが合掌して迎えて下さるのです。それに応えて私も「ご苦労様です」と言って中に入らせてもらったのですが、「先生から出ている黄色い光(オーラ)が見える」と言われるのです。「私にはそんな光が出るわけがありません。そんなことは言わないで下さい」と言ったのです。他の或る方が「痛くてたまりません。先生のその光をいただけませんか」と言われましたから、「どうぞいただいて下さい」と言って、その方に光を入れました。すると
長尾弘先生のご著書よりこれを話すと、私は損をするのですけれど、皆さんの為ですから損をして言わせてもらいます。私はこの三十年間、毛布の生産をしていた間、二十歳代からずっと私よりも恵まれない不幸な方の為に、毎月、または溜めておいて年に一回、喜捨をさせてもらってきました。毛布をトラックに一杯積んで、施設に配らせてもらい、これはずっと続けてきました。現在も年末の助け合い運動とか、何かの折には気持ちだけ喜捨をさせてもらっています。ただ残念なことに、こういうことを自分で話しますと自慢たらしく聞こえ
2025年12月22日月曜日19:00~20:30★初めて参加の方は、説明を行いますので、18時30分に参加していただきます。テーマは、「安全な場所はどこですか?」テーマに沿ってお話をしますが、テーマ以外のお話も可能です。ZOOMで開催。札家連にお伝えいただいた連絡先にリンク先を送らせていただきます。新規参加者は先着1人のみとさせていただきます。精神疾患の親をもつ子どもの立場。20歳までの間で親が精神疾患に発症。精神疾患の親と同居された経験のある方が参加できます。テー
長尾弘先生のご著書より私達は自然の法則の中に生きさせてもらえば苦しみはないのです。ところが人は自然の決まりについ背くのですね。この自然の法則の中には『循環の法則』、つまり回って止まない法則があります。仏教では「転生輪廻」とか「霊魂不滅」とかいうふうに説きます。また、作用を起こせば必ず反作用する『原因と結果の法則』があって、この法則から何ものも逃れることはできません。自分が幸せになりたかったら、周りを幸せにしたらよいのです。人を幸せにしたら、必ず自分が幸せになれます。与えられるので
長尾弘先生のご著書より私達はこの環境の中に、肉体をもって生きていると思うのですけれど、ほんとうは、私達の「思い」の中に生きているのです。環境や肉体はどうであっても、その人の心の持ち方さえ感謝、喜びのほうへ向けておれば、その方は幸せです。心というものは目に見ることができないし、掴むこともできないし、どこにあるのかも分かりません。ところが私達は心の動きによって生活していますね。"牛の糞に銀蝿が寄る、花に蝶蝶が寄る"牛の糞がいくら奇麗な蝶蝶に寄って来て欲しいと思っても、寄って来るのは銀
長尾弘先生のご著書より太陽の熱、光について考えてみますと、今よりも更に何十度か太陽の熱が高かったり、光が強かったり、光が少なかったり、温度が低かったりしたら、私達は生きていけないのです。ちょうど二十度、三十度の、私達が生きさせていただくのにぴったりの温度を与えられています。もう五十度も低かったら、人間は寒くてとても生きられませんし、逆に五十度高かったら、熱くて人間の丸焼きができます。このこと一つ見ましても、何と有難いことだなあと思いますね。しかも一銭もお金を出さずに毎日毎日熱と光を与え
長尾弘先生のご著書より余りにも私達は感謝することを知りませんでした。あの太陽の熱・光に対して心から感謝できるその思いですね。また何とも思わずに吸わせてもらっている空気、その中の酸素。もし太陽の熱・光をいただけなかったら、この地球上に何者も存在はできないし、この空気が無かったら、いくら息の長い人でも、三分間も生きられません。そのように、総てをいただいていることに対して感謝を知らないでいます。「有難いなあ」と心から掌を合わせてお日様の熱・光、空気に対して感謝をされた方があるでしょうか。
長尾弘先生のご著書より以前の私は口を開けば相手を傷つけ、「何を言うか、この馬鹿たれ」と言うような私でした。それを、口を開けば人様に喜んでもらえる言葉、希望や安らぎを与える言葉、それ以外は使わないことにしようと決めて、少しずつ実践させてもらいましたら、以前とは全く違う嬉しい顔の自分になりました。以前の私を知る人は「よくこうも変わったなあ」と言われます。誤った生活をしていますと、目が曇ります。自分の目は自分では見えないけれども、以前の険しい目付きではなく、優しい目付きに変わってきました。
今日は子どもの会でした。既存参加者5名と澤田先生で開催しました。テーマはどうやって生きのびてきたかです。今回も代表の私はグリーフケアの為、私の体験ではなく、祖母と母がどうやって生きのびてきたかをお話しました。10年前までは興味もなくて、知りませんでした。戸籍謄本を集めたり、祖母にインタビューをして、情報を集めていきました。母はあまり実家の事を語る事が少なく、祖母、叔母からの話で知っていきました。今回はプレゼントの話題が出ました。それぞれの体験がありました。皆さまご参加あり
長尾弘先生のご著書よりこの間、大阪の資産家で財産が何兆円というお宅の若い奥さんとご縁がありました。ここのおばあちゃんが先日亡くなられたのですが、半身不随となって以来九年間寝たきりだったそうです。この若い奥さんが九年間お世話されたのですね。いい加減くたびれます。しかもこのおばあちゃんは喜びが少なく、一言も感謝の言葉を言われない。それで「私は何の為におばあちゃんの世話をしなければいけないのか、とてもつらいです」と言って、相談に来ておられたのです。「おばあちゃんが喜んでくれてもくれなくて
長尾弘先生のご著書より日々の生活を正しく行じるとは、最も簡単に言いますと過ちをできるだけ犯さないように、自分の良心に恥じることをしないことですね。そして良き行いを少しでも多く積み重ねること、たったそれだけでいいのです。それで極楽へ行けるのです。悪しき行いをとどめ、良き行いを積み重ねる『作善止悪』簡単なことです。"三世の諸仏はすべてこれを説き給う"過去の仏も現世の仏も来世の仏もすべてこの法を説かれるそうです。悪をとどめるというのは先程言いました砂袋の中に砂を詰めないことですね。
長尾弘先生のご著書よりあの世の世界とは、先程も言いましたように、光の量の区域で、一方にはすごく明るく光り輝く世界があり、それは仏教で言っております極楽です。また、苦しく、暗く、つらくて悲しい、恐ろしい闇の世界があり、それが地獄です。その極楽と地獄の間に物質と化して現われている世界がこの世であって、物質化した現象世界であるこの世界へ、私達は魂の修行に出ているのです。いわば、かげろうのようなものです。そんなおかしなことはない、かげろうではない、この現実は確かに在るというように思いますね。
長尾弘先生のご著書より皆さんは「あの世」を信じられますか?見たことがないから信じられませんね。しかし、あの世というのは確実に間違いなくあります。私は今迄あの世の方と数えきれないぐらいお話をしております。あの世も見て来ております。もしあの世があると仮定しましたら、あの世とはどんなものか...これを分かり易く言いますと、例えば、浴槽の中にお湯が一杯入っていると思って下さい。その中にスポンジボールを沈めたら、そのスポンジの中に水が浸透します。では、これはスポンジかと言いましたら、スポ
長尾弘先生のご著書より先日、丹後のほうに招かれて行ってきました。その時寄せていただいたお宅では、ご主人が信仰を持っておられて、こういう話は余りお好きではなかったのですが、四回目になるその時、初めてご主人も聞いてくださったのですね。話が終わりまして夜、「先生、ほんとうにいい話を聞かせていただいて、私はもう涙が止まりませんでした」と感激していただきました。そのいい話といいますのは、実は丹後に行きました前夜のこと、私の家に泥棒さんが入ってくれました。ウイスキーの大瓶三つ程に「私達よりもまだ不
長尾弘先生のご著書よりオギャーと生まれたその時までは、心が開いておりますけれど、一旦肉体の中に心が宿りますと、ちょうど氷を水の中にポトンと落とした時に、一度水に沈んだ氷が、時間とともに浮き上がり、その時は全体のごく一部しか浮き上がりませんように、この世に生まれ出ると、意識が潜在するという現象が起こります。お腹の中にいる赤ちゃんは、この世に生まれ出るまで、お腹の中でちゃんとした意識で話をいたします。八か月、九か月のお腹の赤ちゃんに「この世に生命をいただかれたら、この地上は真暗で厳しいですよ」
長尾弘先生のご著書よりなぜ人間が幸せを望み求めているかと言いますと、私達はこの世に生まれ出る以前の世界...これは信じる信じないは自由ですが、お母さんのお腹に住まわせてもらう以前の心の世界は、それはすばらしい幸せな安らぎと調和に満たされた、私達の「魂のふるさと」なのです。その世界から、この厳しい地球上の、いっときの「現われの世界」へ、自らの魂の修行に生まれ出ているのです。心の奥底に、その幸せな心のふるさとがあるから、人は皆、幸せを求めるのだそうです。「私は不幸でいいのだ」と言う人は、負け
長尾弘先生のご著書より最たる悪は自分の心を苦しめることです。自分の心を苦しめますと、絶対に幸せになれません。自分の心をまず大事にすることです。心を大事に、苦しめないようにするには、どうすればいいでしょう。腹を立てない、怒り、妬み、謗り、愚痴、恨み、憎しみ、それに取越苦労、不安、恐怖、嘘、盗み、更に貪欲。こういう想念行為を持ちますと、人は必ず苦しみます。そうして自分の心を苦しめますと楽しい筈はありません。やがて環境も肉体も、自分の身の回りも苦しみとなって現われてきます。そうして、
長尾弘先生のご著書より己が偉いと思い込み、増上慢にとらわれて他を誹謗中傷して止むことを知らない心、又、人の過ちを絶対に許さないで何十年間を過ぎてもなお責め続ける心こそ、悪魔の正体であると見るべきです。ブッダはこのような人を真の愚者ときめつけておられます。又別の悪魔もあります。それは私達のこの肉体の五官の感覚、自己保存と自我我欲、私達がこの世でどうしても乗り越えなければならない偽我こそ、私達の心の隙を常に狙っている悪魔の正体です。空腹でたまらない時、誰もいない所にご馳走がおいてあると、無
長尾弘先生のご著書よりお釈迦様は「人の心から、怒り、愚痴、貪欲が壊滅した時、その心の状態をニルバーナーという」と言われました。ニルバーナーとは、中国に伝わって『涅槃(ねはん)』と訳されましたが、その涅槃が悟りの心境です。そこで問題なのは、悟りの心境をいかに持続していくかということです。悟ったらもう怒りも愚痴も貪欲も出ない、と思ったらとんでもない間違いで、お釈迦様もイエス様も生きている限り、その思いは湧いてきたのです。その湧いてきた思いをいかに早く捨てられたかが問題であって、それによって