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呉海軍工廠が空襲で壊滅して「回天」の組み立てが不可能となれば、三菱重工広島造船所でいくら部品をがんばって造っても無意味だったことになる。結局、原爆が投下された時に広島造船所でちゃんと造っていたのは輸送船が1隻。この船だって、完成したらどこへ何を運ぶつもりだったのだろうか。日本各地にあった三菱重工の造船所で1941年から45年まで貨物船やタンカーがどれだけ建造されたかの資料がある。これを見ると、長崎造船所が群を抜いていて43隻約39万総トン。これに続いて神戸造船所が31隻約19万総トン、横浜
『神戸大空襲』77年前の今日の出来事・。神戸とその周辺地区は1945年(昭和20年)1月3日から終戦までに128回の空襲を受ける。特に2月4日のそれは無差別焼夷弾爆撃。これは東京大空襲への試験的爆撃・。それまでの空襲は軍事施設などへの精密爆撃が主だったが、この日を境に市街地焼夷弾絨毯爆撃へと方針を転換して行く。3月10日の東京大空襲から本格化する市街地焼夷弾絨毯爆撃・。神戸は3月17日、5月11日、6月5日の大規模空襲により壊滅した・。神戸の空襲による被害は戦災家
グローブスは「広島はきわめて重要な軍事目標であった」と言う。確かに広島城本丸跡に置かれた中国軍管区司令部の周辺は「本土決戦」のために集められた兵士であふれ、日本側の記録では4万人近くいたとされる(『広島原爆戦災誌』)。当時広島第一陸軍病院の軍医で広島市近郊の戸坂(へさか)で被爆した肥田舜太郎は、次の日、城跡の司令部に向かった。全身を包帯に包んだ松村秀逸参謀長に各部隊の生き残りが現状報告をするのだ。「西部第○○部隊、総員一千何百何十……、現在員四名、死者多数なるも詳細不明」。続いてそ
精密爆撃で見事、標的に命中で敵は大混乱なのだ!
前回の設問への解答である。DebateovertheAreaBombingPolicyの見出しを如何に訳すかという問を発し、まず「問題となる語はareaである」とのヒントを出した。実は、ここで小生と監訳者の訳は以下のように異なっていた:小生:広域爆撃方針をめぐる論争監訳者:地域爆撃方針をめぐる論争次に、「areabombingの反対を意味する語句を見極めること」が肝要であるとして、幾つかキーとなる文章を提示しておいた。以下、その文と小生の訳を付す:
前回、設問と共に提示した二つの訳文は以下の通り。なお、文脈については前回の記事を参考にしていただきたい。<訳文A>十月六日にチャーチルは広域爆撃に重点と置こうとする空軍の姿勢に賛意を示し、更に、十一月七日から八日にかけてのベルリンに対する空襲で英空軍がとてつもなく大きな犠牲を払ったにもかかわらず、爆撃を全面的にドイツの戦意崩壊に向けた作戦としていくプロセスを最終段階に進めていく。<訳文B>十月六日にチャーチルは広域爆撃に重点と置こうとする空軍の姿勢に賛意を示し、更に、十一月七日から八
前回と同様に、まず、原文を提示することなく二つの訳文を提示して、歴史の知識のみならず常識感覚を働かせて、どちらが妥当な訳文かを問うこととする。文脈としては、第二次大戦中の連合国側の対独戦略爆撃をめぐる一九四一年当時のイギリス内部での論争についてである。当初、英国空軍はドイツ国内の工場などの産業の中枢部に対する精密爆撃に重点を置いていたが、それを都市部に爆弾をばら撒いて人口全体の戦意喪失を狙う広域爆撃に移行していくことになる。以下は、その際の出来事の一部を記した箇所の一部の訳である: