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粟鹿神社の空⛩謎の人影あやしい💧絶対🥷忍者だ🥷笑笑ということで無事に歌いました〜🎙🎙やっぱりユーミンはええですなぁ⭐️場所は兵庫県朝来市山東町粟鹿にある古民家ライブハウスムジカノートさん🛖古民家だから玄関開けっ広げ換気バッチリ手の消毒検温シールドカーテンオーナー夫妻の細かな部分まで行き届いた🏆感染防止対策🏆安心の中に居ることができました。セットリストAHAPPYNEWYEAR花紀行ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽCOBALTHOUR
兵庫県北部(豊岡市、養父市、朝来市、美方郡)は但馬(たじま)地方と言われています。かつて地方行政区分だった令制国では、但馬国(たじまのくに)と呼ばれ、山陰道に属していました。但馬国一宮は粟鹿(あわが)神社と出石(いずし)神社の2社です。注:いくつかの資料で一宮の神社が異なっています。今回は粟鹿神社をご紹介します。ご由緒粟鹿神社の創建は2000年以上も前といわれています。、但馬五社のひとつでもある古社。「粟鹿」の名は、昔、鹿が粟を三束くわえて粟鹿山から村に
旧山東町(さんとうちょう)のマンホールです。町の木のモクセイ、町の花キクに鹿を描いたデザイン。左上あたりに町章のマーク。「さんとう」の文字が入っています。山東町はいまは宍粟市となっています。但馬国の一宮、粟鹿神社を参拝した時に撮りました。2020年の9月撮影です。鳥居の前にありますマンホールです。こちらは飲み込まれバージョン。諸国神社一宮・二宮・三宮[渋谷申博]楽天市場1,980円アートなご当地マンホール巡り日本
1月17日粟鹿神社をご存知でしょうか。突然ですが…笑。2000年以上の歴史があるとも言われている神社で、但馬国随一の古社だそうです。他のことを調べていて、「粟鹿」の文字が偶然目に入ってきました。最近頭の中は「鹿」でいっぱいなのと、ここ数年、栗🌰のお菓子のおいしさに目覚め、栗が大好きなので、興味津々。粟鹿は、粟鹿山に住む鹿が粟を三束くわえて村に現れて、人々に農耕を教えたことからつけられた名前だそうで、その鹿が祀られているのが、この粟鹿神社なんだとか。お気づきの方も多
伊弉諾神宮から150km、2時間スタンプはゲットしたけど、豪雨で登れなかった竹田城のすぐ近く朝来市にある粟鹿(あわが)神社に到着いきなりご神木の案内があるので、観にいくとありました。(= ̄▽ ̄=)Vちょっと詫び寂びの世界勅使門古いけどきちんと管理されてます。表の随神も裏の狛犬もかなり年期が入ってますねえ。これもまたシブイ本殿狛犬の風化の仕方も詫び寂びばっちり相撲の奉納があるのかな?土俵です。末社がいくつかありました。ぱっと見、授与所がありませ
北近畿豊岡自動車道和田山春日線山東ランプから南西左折する。但馬一宮の粟鹿神社の前を通り、集落内を進むと粟鹿集落の奥に広い道が交差する角當勝神社以前もブログでご紹介しましたが霧の粟鹿神社を見た後こちらも霧が出て幻想的な風景に出会えるそんな予感で車を走らすと期待通りの霧の光景でした。普段からとても神聖な神社今回は更に畏怖を感じます。當勝神社まさかつじんじゃ兵庫県朝来市山東町粟鹿主祭神正哉吾勝勝速日天之忍穗耳尊創建は奈良時代の720年(天平2年)と伝えられる。現在
兵庫県朝来市の梁瀬駅から、427号線を南東に2kmそこから南へ約1km粟鹿川の南、粟鹿。その名を持つ粟鹿神社道路の西側に白い鳥居以前にもご紹介しましたが幾度と無く訪れたことがあるお気に入りのこの神社宮司さんにもお会いしましたがお話口調もおっとりと優しい方というお人柄が滲み出ている感じです。この日はこの辺りに霧が立ち込み幻想的な雰囲気を醸していた天空の城として雲間とセットで風景を楽しむ竹田城は観光地として有名でこの辺りも霧に包まれても不思議ではありませんがこの
10月14日、朝窓の外は、霧が立ち込めて真っ白でした。山陰地方のこの辺りは、よく雨が降ります。「弁当忘れても、傘忘れるな」なのです。さて、昨夜に苦しいほど食べた夕食は、温泉に入り熟睡しているうちに、しっかりと消化していました。朝からよく食べること・・・そしてチェックアウトGoToと誕生日クーポンがあったので、お支払いは¥9090円也、更に地域クーポンを3000円分いただいたので、実質6090円の支出になった感覚です。これで一泊二食、お腹一杯食
ここに来てくださりありがとうございます。今回は、但馬国一宮『粟鹿神社』です。8月9日に参拝させていただきました。主祭神は、彦火々出見命日子坐王阿米美佐利命の三柱です。車でのアクセスは良くて、北近畿豊岡自動車道・山東インターから5分程でした。大きな神社ではないですが、境内は苔が美しく、まるで芝生のようでした。苔が綺麗に着いている神社やお寺は、とても良い聖地だと聞いたことがあります。それは本当だと確信した時でした。本殿・拝殿の前に出ると、とても
2020年8月22日兵庫県北部へ行ってきましたなんとびっくり意外や意外!!兵庫県の神社、初めての日記です粟鹿神社(あわがじんじゃ)兵庫県朝来市山東町粟鹿2152主祭神彦火々出見命日子坐王阿米美佐利命御神木は右への案内板。鳥居くぐる前に御神木拝見へ左のが御神木。大きくて根本しか撮って無いです。粟鹿とは、鹿が粟を三束咥えて、山から現れ、人々に農耕を教えたことから付けられたそうです。ほんでか??周りは田園風
アロマリンパケアサロンHeartTherapy[はーとせらぴー]高橋ひろ子です。8月に兵庫県の北部、朝来市にある『粟鹿神社』さんに参拝に伺いました。但馬国一宮。主祭神は、日子坐王さん(ヒコイマスノミコト)『粟鹿』の名前の由来ですが、粟鹿山に住む一頭の鹿が粟三束をくわえて村に現われ、人々に農耕を教えたといういわれが。その鹿を祀ったのがこちらなのだそうです。鳥居の足元に盛り土がされています。鳥居をくぐって随神門に向かいます。随神門ここにも
何かを介して繋がったもの何かを介して届けられたものそれらは今、繋がる必要今、届ける必要があったから届けられたものなのですその昔航海技術もまだ未発達のとき何度となく我々は海の向こうのものを知りたいのと同時にこちらがわのことを知ってほしいという思いで海を越え難所を渡りさまざまなものの交流を深めては何かを届け別の何かを持ち帰りエネルギーのグリッドを広げてきましたしかしその途中には何度も海にのまれ届けられなかったも
粟鹿神社(あわがじんじゃ)の創始はよくわからないが、和銅元年(708年)に粟鹿神社祭主の神部直根麿が上申した「粟鹿大明神元記(あわがだいみょうじんげんき)」によると、第十代崇神天皇の御代に、大国主命の十一代目の孫にあたる太多彦命(おおたひこのみこと)が「但馬國朝来郡粟鹿神部直」とあり、神社に奉仕していたことがうかがわれる。また、約千九百年前の景行天皇の御代に、熊襲を征圧した時、勅して社殿を造営したとされている。御祭神の天美佐利命(大国主命の御子)は、「垂仁天皇の御代、粟鹿の嶺の荒振神を、
【ヤシマジヌミノカミ/スサノオの御子神】@art.mochida.daisukeヤシマジヌミノカミ(八島士奴美神)は、『古事記』において、ヤシマジヌミノカミからトオツヤマサキタラシノカミ(遠津山岬多良斯神)まで十五柱を指す十七世神(とおまりななよのかみ)の初代とされる神様で、スサノオとクシナダヒメとの間の御子神です。スサノオとカムオオイチヒメとの間に生まれたとされるオオトシノカミ(大年神)やウカノミタマ(宇迦之御魂神)の異母兄にあたります。イザナギ
但馬国の神社を探訪したログです。まず向かったのは粟鹿(あわが)神社です。但馬国随一の古社であり、2000年以上の歴史があるとも言われる。(日下部氏との関係が深い。)ご祭神は、彦火々出見命日子坐王阿米美佐利命(大国主の子)の三柱です。狛犬です。ご本殿です。後ろにある小さな山は古墳(日子坐王の墳墓)だという伝承があります。鰹木のご神紋に注目。左半分と右半分で異なります。左半分は抱き茗荷。摂社に茗荷神社をお祀りすることによります。茗荷は摩多羅神(またら
61社目粟鹿神社(アワガジンジャ)但馬國一ノ宮兵庫県朝来市主祭神粟鹿大神(アワガノオオカミ)鳥居をくぐって参道へ門をくぐって境内へ拝殿前に到着大祓詞を奏上強い風が吹き始めた。厳島神社御祭神市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)床浦神社御祭神大己貴命(オオナムチノミコト)茗荷神社御祭神草野姫命(クサノヒメノミコト)稲荷神社御祭神保食神(ウケモチノカミ)階段の上にある稲荷神社の社猿田彦神社(庚申社)御祭神猿田彦神天満宮御祭神菅原道真公(スガワラ
九州豪雨災害で被災された方にお見舞い申し上げます。日頃からドラッグストアで微力ながらお釣などを募金していますが、災害が多い昨今、募金先があちこち変動しているのを実感します。どうか、安らかな日々が被災者の方々に戻りますように。14時半。赤い楼門を抜けると、歴史を感じる拝殿。JR豊岡駅より出石行全但バス出石行き「鳥居」下車、徒歩7分。但馬国一ノ宮の出石(いずし)神社です。本殿に祀られる神は、伊豆志八前大神と天日槍命(あめのひぼこ)。いずしやまえ大神とは天日槍命のもたらした8つの新宝のこと(後
兵庫県朝来市山東町にある粟鹿神社に伝わる古文書があります。和銅元年(708年)、粟鹿神社祭主の神部直根マロ(みわのあたひねまろ)が朝廷に上申したとされる祭神、粟鹿大明神の系図で竪系図(たてけいず)と呼ばれる原初的な形式で書かれています。神代からの由来を次々に実録した系図で鎌倉時代の写しですが、現在は、代々皇室に伝わってきた古文書類を所蔵してある宮内庁書陵部の書陵部所蔵資料目録・画像公開システムに粟鹿大明神元記がありました。↓https://shoryobu.kunaicho.go.jp/
兵庫県朝来市山東町粟鹿9920796762465
但馬地域の歴史を学び、体感するために欠かせないのは、但馬五社(たじまごしゃ)です。但馬五社は、古代、但馬を切り開いたとされる御祭神をお祀りしている五つの神社のこと。豊岡市の絹巻(きぬまき)神社と小田井縣(おだいあがた)神社と出石(いずし)神社、養父市の養父(やぶ)神社、朝来市の粟鹿(あわが)神社を指しています。それぞれの神社には刻まれた歴史は、但馬のルーツを知る大きな手掛かりです。今回は、朝来市山東町の粟鹿神社についてご紹介します。●粟鹿(あわが)神社(兵庫県朝来市山東町)式内社但馬
世の中の人に但馬の素晴らしさを知ってもらい但馬で感動を体験してほしい全ての人の心のふるさとになりますようにAskpeopleintheworldtoknowthewonderfulnessofTajima.IwantyoutobeimpressedbyTajima。Iwishyouallbethehometownofeveryone'sheart.但馬人々と自然が共生する郷日本が誇る伝統と豊かさの郷忘れていた古き良き日本がここ
【大物主神との血縁】崇神天皇には3人の后がありました。豊鋤入姫(とよすきいりひめ)の母は、紀国造の荒河刀辨(あらはかとべ)の娘、遠津年魚目目微比賣(とほつあゆめまくはしひめ)。淳名城入姫命(ぬなきいりひめ)の母は、尾張氏祖先の意富阿麻比賣(おおあまひめ)。第11代垂仁天皇の母は、8代孝元天皇の第1皇子大毘古(おおびこ)の娘、御眞津比賣(みまつひめ)。この母系を継ぐ方が、後の祭祀で荒魂を鎮めることが出来るかどうかの命運を辿ります。神主となる条件として血縁関係が重要とされたことを物語って
八種の神宝を携えて日本にやって来た新羅の王子は、永住の地に但馬を選んだ
「但馬国一之宮・出石神社」と「但馬国一之宮・粟鹿神社」の御朱印です。..管理サイト⇓⇓⇓「御朱印を求めて日本の旅」http://www1.u-netsurf.ne.jp/~kawase/
兵庫県朝来市山東町粟鹿21520796762465
朝は燃える朝日でした今日は雨やね〜…関西は温かいが、関東は雪?今年は特に気候がおかしい皆さん気をつけてください仕事現場横で…花?名前もさっぱりわかりません今日の現場は…兵庫県朝来市の「當勝神社」の隣でした仕事終わったら迷う事なく詣でます(笑)ここは好きやわ〜勝!勝!勝!の正哉吾勝勝速日天之忍穂耳命兵庫県神社庁の記載では↑正勝では無く正哉でしたややこしいので俺はオシホミミ命とだけ呼んでます社号は正勝でも正哉でも無く當勝(まさかつ)なんですが…最初「まさ」と読めんかった
ご訪問ありがとうございます🍀今日は早上がりだったので、気合いを入れて掃除をしてお家のエネルギーアップ⤴️だってー❣️セルフリーディングをしたかったからさて、我が家も本格的に冬支度⛄️ファンヒーターを出しました毎朝頑張ってもらおう🔥さて先日、母とお出かけした時に朝来市にある粟鹿神社様にお詣りしてきました!但馬国一ノ宮粟鹿神社御祭神天美佐利命、日子坐王命、日子穂穂手見尊上記の御祭神とともに阿波奈岐尊、伊邪奈岐尊、天照大日るめ尊籠神、鵜草葺不合尊、月讀尊、素戔嗚尊豊玉姫
カニ旅行2日目のお昼は出石そば今年は久しぶりに永楽そば(金曜定休日)さんに行きましたお食事するテーブル一人前5皿ですが全部で20皿注文そば湯皿そば堪能しました但馬國一ノ宮粟鹿神社さんへ参拝手水狛犬さん土俵もありました御朱印は社務所に誰もいらっしゃらなくて用事がある方はお向かいの○○さんへって書いてたのですが行かず~Twitterでフォロワーさんが行かれていたので来年は頂きに行こうかなミニストップで恒例のソフトクリーム(自腹)を買って帰りました今年のカニ旅
ドライブがてら、どこか素敵な神社に参拝出来ないものか…と悩むも、私の運転技術では交通量の多い地域は無理です(´・ω・`)ショボーン1時間くらいで行ける、良さ気な神社を探しまして…HPhttp://www.hyogo-jinjacho.com/data/6325071.html住所兵庫県朝来市山東町粟鹿2152一般道で56km、所要時間は1時間15分位でした。法定速度が60kmの道路を長い距離走るので、とっても軽快なドライブでした。但馬国最古の神社とのことで、口コミの件数は少ない