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高室信一の「昭和ロマン物語粟崎遊園」には戦時中に陸軍施設となった粟崎遊園についても書かれています。「閉鎖された粟崎遊園の施設は、多目的に利用された。いくら名が元遊園であっても、ただ遊ばせておく手はない。軍が遊休の施設をうまく利用した。仮兵舎である。赤紙で、どんどん予備役を収集するが、それを収容するところがない。遊園の施設は、おあつらえむきであった。立派な大浴場もあったし、運動場もある。それに広大な砂浜は、うってつけの演習場になった。〜中略〜意外にも演習用として役立ったのは大山
粟ヶ崎地域の線路脇にあるケーキ屋さん「リッチモンド」のロールケーキをいただきました🎵前よりサイズが小さい気がします(^-^;色々値上げしてるから仕方ないね(^-^;早速カットしてアイスティーといただく🎵サイズは小さくなっても生クリームがたっぷりで美味しさは同じでしたよ😃ありがとうございましたm(__)m
しばらく間があいてしまいましたが、今回はコーヒーのお話をお休みにして、粟崎遊園の閉園について北國新聞を元にまとめていきたいと思います。高室信一の「粟崎遊園物語」では「オリンピック観光博覧会を最後のエベントとして、その年の秋、旧粟崎遊園の建造物は、処分のため売りに出された。」とあります。また「粟ヶ崎遊園資料集砂丘に咲いた夢と浪漫」に掲載されている年表によると”1943年(昭和18年)8月31日に最後の公演が行われる。1944年(昭和19年)粟ヶ崎遊園の施設が陸軍の仮兵舎など多目的に使
このブログでは度々とりあげている、じょんから(じょんがら)。金沢および加賀の人たち以外には(あるいは地元民にとっても)意外とおもわれるかも。もとより素人なので解説というわけにはいきませんが、簡潔に言うと金沢及びその周辺に伝わる盆踊り唄です。ただ野々市じょんからなどの一部の例外を除いていったん絶えたものが多く、その後復活、いまに伝わるといったながれでしょうか粟崎じょんがらも昭和に途絶えていたものを平成にはいって復活させたとのこと。(なおじ
昨年復活した粟崎伝承踊りの夕べ。今年は神社開催とおもいきや雨・・・あの風情がまた一年お預けこればかりはいかんともしがたい。会場には子供たちも大集合。にぎやかに始まり始まり。後半は大人の時間二人の踊り手さんの間で浴衣といい、帯といい、見事な対比。こ
先日行われた粟崎伝承踊りの夕べ。じつに3年ぶり。長かった・・・金沢および近郊の夏祭りの先陣を切って行われる、夏の訪れを感じさせる催し物。今年は梅雨が早く開けたので神社開催確実と思いきや当日になって夕方から雨・・・気を取り直してお出かけ。実は体育館開催をみるのは初めて。最初は子供たちとお姐さんたちの競演ひとしきり踊った後は休憩(アイスの時間も復
梅雨も明けて夏の暑さも本番を迎えますね。今回はちょっと趣向を変えて、北国新聞の記事から過去の粟崎遊園や金沢の様子を振り返ってみたいと思います。今からちょうど90年前、1931年(昭和6年)の8月1日の朝刊には大きく粟崎海岸、金石海岸の海水浴場の写真が掲載されています。↑北国新聞昭和6年8月1日朝刊1面より/国会図書館所蔵(転載厳禁)「アブノーマルな天候が、レンジの如くおつかぶさつて、誰も彼もが、大こぼしのところへ、いよいよ爽快な夏風景‥‥待ちかまへてゐた河童連は、爆發的
皆さん、おはようございます昨日は粟崎八幡神社で地元粟崎地区の左義長がありました。11時20分頃に行きましたが、立て看板には11時迄となっていて・・・焦りましたが、まだ大丈夫でした(^^;)燃やした後は、境内で参拝もさせて頂きました。地区の皆さんに感謝ですm(__)m参拝した後は普段あまり歩かない町内をぐるりと廻ってみました。就労継続支援B型事業所ねむねむの輪金沢市粟崎町3丁目3-2TEL076-255-2300FAX076-255-2342090-4684-98
先週末より金沢(および近郊)の盆踊りシーズン開幕7月15日は粟崎の伝承踊りの夕べが開催されましたお目当ては粟崎じょんがらですがほかにもいろいろ見どころいっぱい何とか天気は持ちましたここは金沢でも希少になってきた神社での開催まずは粟崎じょんがら色とりどりの浴衣うちわも重要これは炭坑節の最初の掘って~掘って~のところここは男が踊ってもまったくさまになりませんが女の踊り手さんだと実に画になります
仕事の休みが取れたので、内灘まで行ってきました。遊園についてわからないこと、調べたい事が、まだまだあるので。風と砂の資料館の竹田さんにお会いして色々お話を伺いました。個人的に集めた貴重な資料を見せて頂いて、大変ありがたかったです。その上その資料を貸して頂き、さらに内灘のピーナッツ饅頭と言うお土産まで頂きました。感謝しかありません。石川県立図書館、金沢市立玉川図書館の閉架図書に遊園や浅野川線(北陸鉄道)に関する資料があるので、見てきました。石川県立図書館には濤々園や平沢製材所のパンフレット
粟崎遊園の話題からはそれてしまうのですが、今週は東京・築地市場が豊洲に移転しました。近くに用事かあったので寄ってみたのですが、そういえば昔、築地には新劇の発祥の地とも言える築地小劇場があったのを思い出し、その跡地にある記念碑に何年かぶりに行って見ました。独特な形をした築地本願寺近くのビルの谷間の路地の壁にひっそりとあって、気にしないと見つからないようなところにあります。築地小劇場ではプロレタリア演劇なども行われ、粟崎や金沢の舞台人にも大きな影響を与えていたはずです。今でも築地周りには市場関
粟崎遊園と張り合うようにして造られた涛々園は金石電気鉄道の経営で、戦争の影響で閉園し、そのまま戦後も粟崎遊園と同じく再開されなかったと言われていますが、昭和22年6月発行の「石川観光第二号」には涛々園の広告が掲載されています。広告には新日本産業株式会社特殊事業部と書かれているので、金石電気鉄道が北陸鉄道に合併された後、売却されて引き継ぎ再開したのでしょうか。まさか涛々園が再開していたとは知らなかったのですが、果たしていつまで営業していたのでしょうか?謎が深まります。
前回の続きで、昭和十二年上期、浅野川電気鉄道の営業報告書も手元にあります。ホチキスの部分が錆びて無くなっており、バラバラになりそうなので、そっと開いてみます。事業収入の表の中で遊園業に関する収支は収入が3万7736円、支出は4万2308円。支出の方が超過、赤字です。前期も前々期も1万円程度は赤字となっています。それから遊園業負担諸利子もあります。こちらはどのような利子なのかよくわかりません。本業の鉄道業で稼いでいるので、全体としては黒字となっています。昭和12年前半は遊園の劇
昭和7年に金沢で開催の「産業と観光の大博覧会」の冊子を手に入れました。博覧会の公式パンフレットで内容は、会場案内、各館の紹介、日本各地の観光案内(戦前なので台湾や朝鮮半島も含まれる)がとなっています。各ページの隅には当時の金沢の企業やお店の広告が掲載されていて、もちろん粟崎遊園の広告、涛々園の広告もあります。気になるのは涛々園(涛々園遊園地となっている)の方で、施設案内に「劇場‥専属俳優銭屋五兵衛劇開演」とあって、やはり涛々園も粟崎遊園に対抗して舞台上演も積極的に行っていたようです。文字情