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これ永六輔さんがよく言っていた米穀通帳じゃないですかあ!!時代にそぐわなくなっても古い法律がそのまま残っていることを揶揄してあなた米穀通帳持ってる?持ってないとお米買えないですよってよく言ってましたよね昭和32年ったら、終戦から12年私はまだ生まれてないけど、姉はもう生まれてるから3人1人365gって我が家1日に2人で1合なんでというか、私は食べないからダンナが朝と夕で1合何が?米?って思っちゃいます1日にひとり2合半?姉1歳だけど1人前?でもそうかほぼ米(おかずは米を
なんか物忘れの癖に変な事思い出した今日は晴れのち曇りで14度でした。猫砂を買ったら、紙製の米袋に入って届きました。中身を使ったあと資源ゴミに出そうと台所に置いてたら暖かいニャ落ち着くニャ大人気当分このままにしとくかな。で、変な事思い出しちゃった。そうだ、昔はお米を買うのに、お米屋さんに通帳を出して買ってたなって調べたら、昭和57年までそう言う制度があった。なんか、新しい事は忘れるのに、古い事は覚えてるってなんなんだろ。年末にも、散歩してたら
敗戦の色が濃くなった日本ではいろんなものが統制され毎日の食事や服や、靴までも配給により庶民の手に渡り瑞穂の国でありながらあ米さえも配給以外は個人的な売買さえ禁止されそれを管理するために一般用米穀類購入通帳というものが発行されたそうです。その中には、旅先で米を買うためのキップの付いた旅行者用穀類購入通帳や職場加配用米穀類購入通帳、労務者加配用米穀類購入通帳などがあり、それを持ってお米を買ったり食堂でご飯を食べたりしたそうです。地方自治体で発行される米穀通帳はまた身分証明に
夜の女たち溝口健二監督田中絹代高杉早苗角田富江永田光男村田宏寿1948年製作夜の女たち1948年製作監督溝口健二出演者田中絹代高杉早苗角田富江永田光男村田宏寿☆チャンネル登録はこちらhttps://www.youtube.com/c/古典邦画集PD戦争で夫を失った女たちが戦後を生き抜く姿を描いた。主人公の戦争未亡人を田中絹代が熱演。敗戦後の大阪の街は、未帰還の夫を待つ大和田...youtu.be敗戦後の大阪。結核で息子を失った大和田房子(田中絹代)のも
「食の昭和史」五首七輪に煙る今宵の幸せをフッと呟く秋刀魚の開き通帳を持って買いに行く配給米廃止は昭和五十六年小便のようだと聞いては味わいもなくなる温き麦酒というもの暑き日の塩吹く梅に箸を当て崩せば笑う梅干しのツラ豆腐屋はラッパを吹いてやって来る鍋を片手にいざ出陣だ☆*:;;☆*:;;;:☆*:;☆:;;;:☆*:;;;:☆*:;☆;;:*☆♡今宵も素敵な夢を♡☆*:;☆JohnPotages☆*:;;;:*☆
価格が上がって最もつらい食品は?食品は別に無いでも買い替えようかな~と思っていたiPhoneがとんでもなく高くなっていたのはショックだったあなたもスタンプをGETしよう今日が米騒動の日って大塩平八郎がクーデターを起こした日なのかな?まぁ~そんな事はどうでもいいけれど先日次女と道の駅に行った時お米を売っていた日本三大酒処の一つ西条だからお米も有名なのかな~と道の駅でお米を売っている事に対して興味があった帰宅して道の駅でお米を販売している事を妻に告げたら
米穀通帳昔はこれが無いとお米の配給が受けられなかった(配給が無ければ闇米を買うしかない)男子一城の主になったらこれを貰うのが望み??貴方は持って居ましたか(昭和17年4月1日から昭和56年6月11日迄)(身分証明書としても使用できた)
先日、BSテレ東の「あの年この歌」を見ていたら、うちの親父(昭和13年生まれ)が昔の話を始めまして。オイルショックとか、リアルタイムで経験しているので、ああいう昔の世相も紹介する番組を見ると、色々と触発されて語り出すのです。で、オイルショックの頃の話から戦争直後の物質不足の頃の話に飛んで「ベイコクツウチョウが云々」とか言い出しましてな。この際だから、詳しく聞いてやろう、テレビは録画してるし、と思って、根掘り葉掘りしました。ベイコクツウチョウ、漢字で書くと「米穀通帳」。何しろ、戦争で生産
こんにちはえつこですぷろふぃーるですいかがお過ごしですか?最近子供の頃のことをなぜか?思い出します歳を重ねるってこういうことを言うんですね子供の頃の楽しかったことを思い出すとなんだかほのぼのしてきますところで米穀通帳って聞いたことありますか?これがないとお米が買えなかったんです母と買い物に行くのが大好きだったのでよく覚えています今はいい時代になりましたね米穀通帳がなくてもお米が買えるんですもの今日のメッセージです
私が子どもの頃には、米を配給してもらうための「米穀通帳(米穀配給通帳)」というものがありました。この通帳、当時としては数少ない身分証明書としての機能も持っていましたのでご存知の方もおられるのではないかと思います。今では信じられませんが、戦前の食糧不足に対応するために、1942年(昭和17年)に「食糧管理法」が公布され、米は全て政府の管理になりましたので購入する際にこの通帳が必要だったのです。しかし、その後の自主流通米制度の発足等に伴い通帳の必要性がなくなり、1981年(昭和56
オープンハートの海景。(みかげ)です☆先日、実家でこんなボロボロになった一枚の紙きれを見つけました。『一般用米穀購入通帳』と書いてあります。なにこれ?母に尋ねると、昔はこれがないとお米が買えなかったとか。そんな時代があったなんて、びっくりです。それも、そんなに昔のことではないのです。昭和45年(1970年)10月5人75キロ昭和45年(1970年)12月5人75キロ昭和46年8月(1971年)6人90キロ確かに昭和46年8月に弟が生まれています。そもそも
昔は米穀通帳が無いとお米は買えなかったのだけど。今は米国通販サイトでポチッと。家に居ながらお米が届きました。つづく。
名鉄百貨店ナナちゃんです。火曜日のお着替えの翌日、寄ってみました。先週こそは電子納税申告の啓発たすきがあったものの、ここ暫くは外のスポンサーが無い、信号機ファッションが続きました。近鉄ビルを出ると、あららやっぱり信号機ファッション。今日のナナちゃんです。ナナちゃんは、人気。記念撮影される方、いらっしゃいます。この2枚だけを写して、横の名鉄バスセンターから名鉄バスで、栄地区へ。地下鉄矢場町駅に続く、松坂屋連絡通路脇の信楽焼たぬきさんにも寄ってみました、普段の姿です。
白く凍った残雪の庭から、冬タイヤも着けず、ひとっ走り。目指す帝都は、文京区と新宿区に用事でした。文京区の税務署で、いつになく手間取ったのは、窓口業務のお方が、仕事熱心というか思い込みであれこれ動いてしまうため。手続きの本質を理解してもらうのに一苦労。本来は受領印ひとつで終了の儀式に、30分も費やすという、給料貰っている職員さんはともかく、こちらには時間の浪費でした。つづいて急ぎ新宿区の出張所へ。外国人だらけで大混雑という事態を危惧していたものの、今日はガラガラで、少々気抜けした感あ
本日は生活用品その他です。先ずは五右衛門風呂。奥の下の方に微かに見えるのは底に敷く簀子。これ無しでお風呂に入れば、、、足の裏を火傷します。当然ながら湯船に寄りかかってのんびり等できません先頭の番台には実際に座ってみる事ができます。此処に座ると男湯・女湯がどの様に見えるのか体感できるのだそうですが、上がるのに結構苦労していましたね(笑)欠けてしまったけれど体重秤と踏み台、踏み台の右隣にあるのは服を入れておく籠。みんな昔のままですね。ウールの水着と帽子遊び道具の数々。手