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今朝の東京新聞21面にのった記事。見出しは知られざる「産業『慰安所』」に光記事は、今年の「女性文化章」(文化を発信する女性たちを励まし、その仕事をたたえる賞)を高麗博物館(東京都新宿区)の朝鮮女性史研究会が選ばれたという内容。同研究会が知られざる歴史に光をあて2021年に「朝鮮料理店・産業『慰安所』と朝鮮の女性たち」(社会評論社)を刊行したことが表彰理由である。詩人の高良留美子さんが個人で創設した「女性文化賞」を引き継ぎ、今回の選考にあたった米田佐代子さん(女性史研
平塚らいてうの言葉「元始女性は太陽であった」平塚らいてうの句凍る夜の風にけされる猫の恋」本日、女性解放運動家平塚らいてうの命日です。没後丸50周年だそうです。先日、記念館である平塚らいてうの家に俳句4首書作品を寄贈させていただきました。米田佐代子先生から貴重な資料を頂いたのは2019年でしたがなかなか書く機会が無く本年没後半世紀と言う節目の年にあたり揮毫いたしました。米田先生には折に触れて応援して頂き数々の貴重なお
今日は、作業場の整理や掃除を。この1年ちょっとは制作と言っても試作することが多いです。毎日展は入賞確率0%なので諦めてます。さて、今日の夕飯は過日兄がブレックスの応援で秋田へ行ったので、きりたんぽで鍋を。半分は付属の味噌で後日。嬉しいお返し。過日、平塚らいてうの家に書作品4作を寄贈させて頂きそのお礼からか米田佐代子先生かららいてうの御令孫であり臨床心理士である奥村直史先生の著書を拝受いたしました。孫から見たらいてうとの事で家のバ
この度、長野県上田市にあります平塚らいてうの功績を称えた記念館である「らいてうの家」に僭越ながら、らいてうの句4首書作品を寄贈させて頂きました。実は、2019年7月に日本近現代女性史研究のパイオニアでありNPO法人平塚らいてうの会々長兼らいてうの家館長である米田佐代子先生より、らいてうの句数首を先生の解説付きで御提供頂きました。しかしながら当時、公で発表する機会が無くお約束が延び延びになってしまい悶々としていたところ、米田先生のブログで本年没後半世紀、雑誌「青鞜」創刊1
WEB個展第19弾平塚らいてう造語「無限創生」かつて、大学時代の今は亡き恩師の塚本澄子先生がご自身の学生時代に同級生達と同人誌を作るために創刊巻頭言を無謀にもらいてうにお願いし巻頭言と共に書が同封されていたそうです。大学卒業前に研究室に呼ばれ経緯を知りかつてお世話になった書道用品業者の社長が自ら染み抜き及び額装をしてくれらいてうの会に寄贈。程なくして、塚本先生は黄泉へ。2017年の銀座個展の折にその間、メールでやり取りをしていた日本近現代史研究の生
急に書きたくなり数枚。題材は、米田佐代子先生よりデータで拝受した平塚らいてうの句を。墨は先日拝受した鈴鹿1分墨を澄泥で濃く、紙は紅星牌です。かなりの濃墨で書いてみて途中、少しだけ薄めましたが予想以上に書きやすく紅星牌との相性も良いようです。かなり使い古しの羊毛を久々に使いましたが案外いい仕事をしてくれました。ふらここや幼き者をひさにのせ鞦韆と大きな月を置き忘れ牡丹花に乏しき日々を忘れおり恋猫のひそめる薮の月夜かな
新宿へ。2年ぶりに米田佐代子先生と再会となりました。米田先生は日本近現代女性史がご専門で、中でも女性解放運動家だった平塚らいてう研究の第一人者です。新宿駅南口で待ち合わせて先生と合流。行先はなんとバスタ新宿の隣にある「小田急ホテルセンチュリーサザン」と言う超高級ホテルのラウンジでした。(;^_^A実は、過日、鈴鹿墨展のご案内を出してメールを頂き、米田先生から筆耕相談があって誰か適任者はいないか相談されたので私が手を挙げたのです。内容は、正式なものが出来上がらないと明
明日、上京の折に米田先生と2年ぶりに再会することになりました。メールのやり取りのあと確認をしたら誤字が一文字あって結局、全部書き直して、今し方終わりました。細字は大字以上に神経をすり減らすけど米田先生の依頼じゃ余計に手は抜けないですしね。十分乾燥させて薄い下書きを消せば一安心ですがが、まだ気が抜けないです。
米田先生に会いたくなったなぁ。依頼物早く仕上げなきゃと思いつつも1日講座のお手本も書かなきゃ。来週は、振替含めて講座が3コマ。でも、有難く仕事しなきゃね。筆耕依頼が増えると気持ち的にも楽になるんだけどね。(;^_^A写真は2年前の銀座個展時に展示した「無限創生」平塚らいてうの絶筆4文字です。中間墨にして顔真卿調を少し意識したんだよなぁ。
ここ数日、平塚らいてうの会の会長である米田佐代子先生とメールのやり取りを。実は、米田先生からとある依頼を承け人材を紹介してほしいとのことであったが内容からしてお引き受けいたしますと返信。で、久々に大仕事となりました。他人からすれば大した仕事ではないのですが私からすれば大仕事。米田先生と少しだけ親交のあった今は亡き大学時代の恩師塚本澄子先生の出来底なさすぎな教え子ですしね。塚本先生かららいてうの絶筆を預からなければ米田先生が個展に来て下さることもな
母と久々に上京。母がナギちゃんの個展が観たいというので西武渋谷へ。いやぁ、相変わらず凄いねぇ。母も終始見入ってました。意外や意外アイヌ民族まで撮影してたのね。ここ1,2年?会ってないけど元気で何より。むしろ、もう忘れてるかもね.。お昼は渋谷駅内の本家しぶそばさんで。母は冷やしピリ辛ネギそば私はかき揚げそばとめんたいおにぎり。以前、マツコの知らない世界で紹介もされました。久々に食べましたが美味しかったですねぇ。今や立ち食いそば屋もコスパ
米田佐代子さんNHKラジオの「明日へのことば」の番組を、若い人の目に留まるかと思われ投稿を続けていられる方の<明日へのことば>というブログを元に編集しています。2018年7月13日金曜日米田佐代子(らいてうの家館長)・平塚らいてうの思いを受けついで1934年(昭和9年)東京生まれ。1950年戦後の男女共学の一期生として米田さんは長野北高校に入学します。その後東京の都立大学で学び、1958年、東京都立大学人文学部(史学専攻)卒業後、山梨県立女子短期大学教授として日本