ブログ記事191件
四国めぐりをしています。四万十川とか足摺岬、宇和島、道後にきてます。石槌に行って帰る予定です。
パルムとリアルゴールド飲んだら、酷い胃痛が冷や汗もんです。胃薬と牛乳飲んで横になっていたら治ってました。よかった
お腹に入れてるポートが動くので先生に電話。皮下脂肪が多い人は動くらしい。ああデブだよデブ
元祖しょうゆうどん屋へ。大根入れすぎた。香川県民です。
退院したら余命のことばかり考えてしまう。小腸にはまだがんが残ってるし、腹膜播種だってローグレイドや、粘液のみはとりきれてない。どうせまた手術するんだろ〜なー。余命はどこまでなんだろ?
とめどない下痢。下痢止めだしてくれよ〜
術後です。早期離床してきて、歩いてきて、オムツじゃなく、おしっこもいってウロウロしてたら看護婦さんに顔色悪いから少し休めと言われた
人工肛門閉鎖手術はあしたです。今まで絶飲食でよく頑張った。といっても最近は進んでいて、点滴で3ヶ月。この点滴を打ってれば痩せることもない。相変わらず太ったまんまだけど、点滴すごい。さ、明日がんばろ。
期間限定人工肛門は閉じるらしいです。もう3ヶ月経つし。いろいろあったなー、人工肛門
昨日、たまたま日テレの「逃亡医F」観てたら腹膜偽粘液腫が登場してビックリ!それも出産と腹膜偽粘液腫のオペを同時にやる最難関のケース。これって15年くらい前に米村豊医師が実際にやったやつです。実際にはただのオペではなくHIPEC(温熱化学療法)だってのでもっと大掛かりでした。確か、当時も「天才たけしの〜」で驚異の医術として放映されてました。懐かしかった〜あれ依頼、このオペやった人いないから未だに神業として伝わってるんでしょうね。来月は私も再発の再再診です。また切らねばならないんだろ
これで夫の頑張った記録は終わりです。あとは夫のお通夜と葬儀ですが、泣き崩れて感情が抑え切れなくなり周囲が私の行く末を心配する・・ということもなく、淡々と喪主を務めました。泣いてしまう場面もありましたが、儀式の進行で感傷に浸っている暇はありませんでした。そして今でもまだ戸惑いの中にいます。たま子は夫が亡くなってから四十九日を過ぎるまで、夕散歩の前に必ず2階の夫の部屋へ走り上って行き、部屋の入り口から恐る恐る空になった部屋を覗き込んでいました。もうそれはしなくなったけれど、たまに勢い良く2
2021年8月中旬(入院中)経鼻胃菅をしてから嘔吐は激減。鼻からチューブが出ている煩わしさと、喉の違和感さえ我慢すればあの苦しい嘔吐から解放されました。夫も機嫌良く飲み物や飴、タブレットなどを欲しました。飲んでも1分くらいしたら鼻のチューブから逆流して戻ってくるのですが、〈飲む〉〈味わう〉楽しみが増えて夫は嬉しそうでしたそんな中、年明けに手術をしたお腹の手術痕から便が漏れ出るという事件が起こりました。ちょうどスーパードクターが回診に来た時だったようで夫が訴えると、「あ、腸が破れて手
2021年8月初旬〜中旬サンドスタチンを点滴に入れて吐き気は少しマシになったように思いましたが、すぐに元の木阿弥となりました。食べない、飲まないのに一体何が出てきていたのか?唾液です。普通の人は1日に1〜1.5リッターの唾液が分泌されるそうです。夫の場合、それが全て嘔吐物となって出てくるのです。なので夫の吐いたものは透明な唾液と胃液ばかりでした。だいたい1時間に1回の苦しみの嘔吐です。この嘔吐のせいで夫の体力は毎日ごっそり持っていかれました。そして8月のこの頃には次第に黒い血の
2021年7月下旬スーパードクターの診察と褥瘡ケアの皮膚科で通院。義兄に付き添いをお願いする。夫の今の吐き気が止まらない状態や点滴に入れるステロイドのこと、そのほか色々な質問を書いた私からの手紙を夫に渡し、スーパードクターの意見を聞いてきてもらう。輸血をする。2021年8月初め訪問医さんの薦めでフェントステープという、医療用麻薬を使用。全身の倦怠感緩和などの効果があります。夫は、「ついに麻薬か・・」と。しかしその数時間後、その副作用か?激しい嘔吐が止まらず慌ててテープを剥
2021年7月初旬そこからの夫は、正に坂道を転げ落ちるように体調が悪化していきました。訪問看護を週2回訪問医療を週1回高熱にうなされたり、翌日には回復したり。2021年7月中旬通院治療の日。でも抗がん剤は中止。輸血をする。検査で造影CT。スーパードクターが輸血している夫のところに来てニヤッと笑い、「この前の入院時より血液検査の数値は良くなってるよ」先生、ありがとう。2021年7月中旬もう食べ物は受け付けない。検査の結果、大腸だけではなく、小腸も狭窄をしてきているよう
2021年6月下旬退院した夫は栄養を摂るすべが無く、訪問看護と訪問医のお世話になることをスーパードクターの病院のケアマネさんから提案されました。少しは口からも摂取出来てはいたのですが、生命の維持には程遠い。自宅からスーパードクターの病院までは片道一時間ほど。高カロリー点滴を毎日してもらうのに通うには遠すぎて、体調の急変にも自宅からだと遠い。地元の看護ステーションと訪問医をケアマネさんが探してくれました。2021年7月初めコロナの影響で関係者全員での顔合わせ、打ち合わせ等は叶わず。
2021年1月末入院中に新たに右胸にポートを増設することになりました。どうやら今度は胸から抗がん剤を投与するようです。しかしそのポート手術後に高熱が出てしまい、抗生剤投与で様子を見るも熱は下がらず、一週間も経たずにポートを外すことになりました。痛い思いをしただけだったねそして本当なら1月末で退院する予定でしたが、そんな高熱が続いたせいで退院が2月中旬まで延びてしまいました。2021年2月初旬この頃まで私は知りませんでした。ストーマ装具が保険適用ではなく10割負担だということに・・。
久しぶりの更新です。今年もよろしくお願いします。2021年1月初旬いつもなら夫は意識が戻って集中治療室から普通病棟に移るとすぐにLINEをくれるのに、今回は5日間、連絡がありませんでした。ようやく来た返事には「自分に余裕がなかった」と。それからは朝晩LINEで交流でした。朝はたま子の“お手”写真を毎日送っていました。スーパードクターから夫本人にどんな説明があったのかを聞くと、「みぞおち付近に腫瘍があるから、抗がん剤ではなく放射線治療をする」え?それだけー?そして聞いてた話と違
2021年1月初旬手術室まで見送り、行ってらっしゃいと手を振りました。もう何回ここから見送ったんだろう。そして夫も、何回自動扉の向こう側に立っている私に手を振ったことだろう。今回の手術には義両親も同行していました。待っている間、お互い気疲れするだろうなぁと思ったので私は車で待っていました。手術が終わったと看護師さんから連絡が入り、スーパードクターが手術着のまま来て説明をしてくれました。◯大腸バイパスは出来なかった。◯すい臓の腫瘍が相当大きくなっていて、大腸から引き剥がす(切除)こ
2021年1月初旬手術当日、手術の前に簡単な説明がありました。大腸のバイパス手術をする予定ではあるが、開けてみて、大腸に巻き付いてしまっている癌の状態によってはバイパスが不可になる可能性もある。不可だった場合はストーマ(人工肛門)になるだろう。でも結果は同じで、食べられるようにはなる。スーパードクターはすい臓の癌のことを一言も言わず、「みぞおち付近にある腫瘍」と表現しました。そしてスーパードクターは夫の前では生きている内は最後まですい臓の癌のことは言いませんでした(私が知っている限り
2021年1月初旬翌日、夫はたま子にバイバイして二人でスーパードクターの病院へ行きました。久しぶりにスーパードクターと夫が対面。「あんまり良くない状態だよねぇ」「大腸が閉塞してるからなぁ」「バイパス手術をしたいんだけど、日にちがなぁ」人気の先生なので手術のスケジュールはだいぶ先までぱんぱんなのです。その時、看護師さんがドクターに何事かを告げました。「◯◯(夫)くん、明日の手術が一件キャンセルになったんだって!」「明日手術しよう」「検査するから今から入院ね」そしてニヤリと笑い
翌日、昼前にスーパードクターの病院ロビーで義兄と待ち合わせをしました。T病院の先生が書いてくれた夫の所見のお手紙と、T病院で受けた検査結果の画像CDを持参しての診察です。スーパードクターは義兄と私だけが診察室に入ってきて驚いたようでした。「あれ?◯◯くん(夫)はどうしたの?」「今日はT病院から外出出来ないので義兄とお話を伺いに参りました」T病院からのお手紙とCDを起動させてフムフムと診るスーパードクター。「ガンが多臓器に転移してるね」「腹膜播種にもなっているだろうね」「あ〜、小腸
2020年1月初旬みぞおち辺りに出来た腫瘍の除去手術が始まりました。今回は全身麻酔ではなく局所麻酔となります。歩いて手術室へ向かい、車椅子で戻ってきました。手術室へ入って戻ってくるまでちょうど一時間。「日帰りでいけるんちゃう笑?」と、スーパードクター。「頼むから一泊させてください!」と、夫。青い手術着の方がスーパードクターです👨⚕️背の高い夫と同じ身長くらいです。腫瘍は除去完了だそうです10センチくらいの手術痕です。発覚前は恰幅良かった夫のお腹も、痩せてシワシワになっ
2019年12月「ずっと気になってるんやけど、みぞおちの辺りになんかコリコリした硬いやつが出来てるねん」そう言われて触ってみたけれど、私には分からない・・というか、肋骨の骨があってどれがコリコリなのか分からない。「ほらなんか硬いのが膨らんでるやん?」何度も触ってみるけど分からない。「今度の病院の日にスーパードクターに聞いてみたら?」その頃にはもう私は通院に同行はしていませんでした。そして検査の結果、腹壁腫瘍であろうという診断が下されました。胃ではないから再発・・ではないのか転
2017年9月〜入院食もあっという間に重湯から普通食に変わりました。多分、普通病棟に移って一週間も経たないうちに普通の白米が出ていたと思います🍚手術でほとんど胃を切ったのにスパルタやなーと言い合いました。スーパードクターはだいたい午前中の早い時間に突然病室に現れカーテンをシャッと開けて、「どや、調子は!?」「うん、いけるな!」と言って猛スピードで去っていくようでした。なので、スーパードクターの側近の先生に痛みなどの相談はよくしていたようです。夫は私がどんなに「手術は成功したって
手術は終わったといってもメインが終わっただけで、後処理や縫合は他の先生に任せて終了ではなかったのでしょうね。スーパードクターの仕事はこれにて終了ですが、本人が手術室から出てくるまでにはもう少し時間がかかりました。一時間くらい後にストレッチャーに乗せられて無事に生還です全身麻酔というのは相当朦朧となるらしく、手術後1〜2日は記憶に残らないそうです。それでも、「夫くん!手術成功だってよ!」「胃も残ったよ!」「悪いところは全部取ったって言ってたよ!」と、手術室から集中治療室までの道のり
2017年8月下旬ついに手術の日がやってきました。長らくお世話になった胃袋とサヨナラする日がやってきました。事前の検査では腹膜播種にはなっていなさそう。でも一部分の検査ですもの、油断は禁物です。スーパードクターからの当日の術前の説明では、「胃は全摘だね」「胃と隣接している膵臓にも転移していたら膵臓も部分切除」「腹膜播種になっていたら薬でじゃぶじゃぶ洗うからね」「他は、見て悪いところがあったら切っちゃうよ」でした。そしてスーパードクターは、「お腹は開けて見てみないと分からな
2017年7月中旬ついに手術の日程が決まりました。抗がん剤が効いて手術が出来るまでになったようでした。手術前の一ヶ月間は体調を元に戻す為に、抗がん剤治療は一旦終了です。嫌だった抗がん剤だったはずなのに、いきなり休止するとなると不安に襲われてしまいました。「また癌の勢力が強まるんじゃないか?」「せっかく憎き癌細胞を叩いたのに元の木阿弥になるんじゃないか?」スーパードクターに不安だと伝えるとニヤリと笑い、「大丈夫だよ」これから何度でも聞く、「大丈夫だよ」のセリフ。同情も何も無く、
2017年5月初旬〜中旬まずは飲み薬の抗がん剤から始まりました。胃がんの治療薬ではメジャーなTS-1からです。それと並行して、腹部にポートと呼ばれる直接抗がん剤を腹膜内に注入出来る器具を埋め込む手術をすることになりました。本当にあれよあれよという間に方針が決まっていき、悲しんでいる暇は無くなりました。前向きにガンガン日程を決めていくスーパードクター。あっという間にポート手術当日です。手術は日帰りでした。行きは手術室まで歩いて行きましたが、手術後は車椅子で無事にご帰還大きな身体が
2017年5月初旬〜P総合病院では、完治はしない。余命は半年〜一年。介護保険の確認をされて、終末期医療のことやホスピスのことを話された。・・終わりのことばかり話された。でもスーパードクターは、「大丈夫、治るよ」と一言。「治りますか?」「うん。抗がん剤と手術したら治るよ」スーパードクターは治すことしか考えていない。でもこのスーパードクターに診てもらった方の中には「治るよ、しか言わない。ポジティブなことしか言ってくれない」と言う方もいる。でも私たちにはどれだけこの言葉が力に