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皆様、すでに三が日を過ぎてしまいましたが、あけましておめでとうございます。2020年が皆様にとって、とてもよい年になりますように。さて、下灘駅の風景を「小学生が1か月のおこづかいでつくることができる」方法で再現させるプロジェクトSHIMONADAですが、作業がシーナリーに入ったところで、パタリと手が止まってしまいました。小生、シーナリー工作はブランクが10年以上あるので、ウエブや雑誌で、諸兄が近年どんな技法を使っているか、かなり気合をいれて研究したのですが、簡単かつ実感的、となるとかなりハ
以前にも書いたのですが、そもそも小生がこのブログを始めたのは、どうしても読みたいブログがあって、その方が「ヤフーブログを開設した上で、友達申請をして、どういう人が知った上でないと読ませない」という確固たるポリシーをお持ちだったからです。SNSなんぞにはとんと縁のなかった小生、おっかなびっくり、何とかブログを開きました。その結果、その方の素晴らしいブログを拝読できるようになって、労苦は報われたのですが、一方で、自分のブログというのは思った以上に楽しいものですね。小生、なぜかこれまでまわりに鉄道模型
1978年、パシフィック・ファースト・メール社は創立25周年を迎えます。華やかな25周年ロゴがつくられ「PacificFastMail…25YearsofFineModels」という本(貴兄の書棚にも必ずありますよね)が出版されます。翌年には多彩な製品がオールカラーで掲載された豪華な第14版カタログが発売されます。ページ数は過去最大の60ページに及びます。ところが皮肉なことに、この時期は、70年代初頭から加速した日本の人件費高騰と空前の円高により「多彩な日本製高品質モデルをファ
(その5の続きです)三成善次郎は1978年に亡くなりました。1980年には、ユナイテッドの工場は、周囲を高い工場に取り囲まれ、さらに高いアパートもできました。このエリア全体が、日本の自動車産業のための大手関連会社の主要拠点となっていたのです。ユナイテッドの土地は非常に価値のあるものになっていました。1982年に、ユナイテッドのオーナーはその土地を売却し、ユナイテッドの工場は終焉を迎えます。過去20年間に、日本の賃金がとてつもない率で上昇してしまったことが、この意思決定の理由の1つです
(その4の続きです)残念ながら、値上げのプレッシャーは続きます。毎年5月、日本の労働者は全国的なストライキを行ない、それは通常1週間続きました。国全体が文字通りシャットダウンされた状態になるのです。驚くべきことに、1973年には、年間賃金の上昇が20%にも達しました。同じ年、カナダのVHモデルズのオーナーであるフィル・クローレイが、いっしょに韓国にいってブラスモデルを作れる可能性があるかどうか調べてみないか、と言ってきました。韓国政府の貿易協会は、韓国製品を扱う海外のバイヤーを探していたの
(その3の続きです)流通に関するPFMのポリシーは、決してモデルの前受金を受け取らないことでした。ディーラーは「義務のない」予約を行ないます。モデルが準備できると、われわれは彼らに予約カードを返送し、この時点でディーラーはそのモデルを買うか買わないかを決定できました。ユナイテッドの工場の製造プランは、常に、月に2台のロコを製造するもので、生産数量はそれぞれ300~500台でした。ビル・ライアンはジョン・アンダーソンに、PFMモデルのロストワックスパーツを提供するため、カリフォルニア州
(その2の続きです)同じ旅で、ビル・ライアンは天賞堂オーナーの子息の1人である新本秀雄と出会います。新本さんは1930年代に米国を旅行し、米国型鉄道と鉄道模型に興味を持っていました。1949年、新本秀雄は父親の反対にあいながらも、天賞堂の工場の中に、米国型の鉄道模型をつくる小さな部門を設立します。彼らの最初の製品は、占領下の日本や、韓国に駐留していた米国軍人に向けたものでした。しかしながら新本秀雄は模型製造ビジネスの拡張を望んでおり、ビル・ライアンとのミーティングはまさにこの機会を与えるも
(訳者注:ここからが、ダン・グレーシャー氏の記事の翻訳です)王に相応しきものパシフィック・ファースト・メール創業者ドン・ドリュー氏インタビュー数十年に渡って、パシフィック・ファースト・メールの名は、本物のクオリティを輸入することのスタンダードを設定してきました。創造と卓越へのこだわりによって、PFMは今日のブラスモデルを形作ってきました。PFMはまた、さまざまなハンドクラフトによる数量限定の芸術品、まさに「王様に相応しいようなもの」を輸入しました。(いくつかは今でも「
われわれ日本の鉄道模型ファン、とりわけ米国型ファンにとって、有名だけど実態が謎に包まれたメーカーといえば、何といってもユナイテッドでしょう。PFMの天賞堂、フジヤマと並んで、PFMの3大ビルダーの1つで、埼玉県川口市に工場を構えていたはずなのですが、輸出専業で日本国内向けにほとんど製品を供給しなかった上に、純粋な日本型は一台も生産していません。そのせいか、ネットで検索しても日本語の記事はほとんど出てきませんし、「鉄道模型趣味」や「とれいん」でも、ユナイテッドに関するまとまった記事を読んだ記
前回の続きです。何のことはない小さな建物のことを大仰に書いています。雑誌だったら間違いなくボツです。お時間のある方だけ、しばしおつきあいください。こちらは本屋の隣にある付属建物です。車庫兼倉庫、という感じでしょうか。設計(というほど大層なものではありませんが)にあたっては、クラフトマン1988年2月号にでていた、砂利会社の付属建物の図面を参考にしました。ごく普通の倉庫ですが、じゃあ、「想像で米国型の倉庫をつくれ」といわれると、畳のサイズを倍にしていけば何とかなる日本型と違って、途方に
前々回のブログにファインスケール・ミニチュア社のジョージ・セリオスの悪口を書きましたが、では彼のレイアウトがどうなのか、というと、これはもう異次元の素晴らしさで、これまで何度も、掲載号のモデルローダー誌を、嫉妬に熱くなりながら眺めたものです。モデルローダー誌への初出は86年4月号のIntroducingtheFranklin&SouthManchesterで、これは掲載時にリアルタイムで見た訳ではないのですが、デイブ・フレーリーの彩度を抑えた写真が、これまたのけぞるほど凄いです。
米国の鉄道模型ファンの間で、一番有名な蒸気機関車は何でしょう。ビッグボーイもキャブフォワードも、デイライトもクレッセンドもたじたじとなるその機関車は、ボルティモア&オハイオ鉄道のC-16サドルタンク、通称「ドックサイド」です。実物は1912年にボールドウィンでたった4台つくられただけにもかかわらず、模型のほうは1941年のバーニー社による発売以来、HOスケールに限定し、さらに後年テンダー機に改造されたバージョンを除いても、小生が知るだけで合計8社が販売しており、その生産数量は天文学的数字にのぼ
何度も書いて恐縮ですが、ここで紹介している模型は、20年ほど前にせっせと作ったもので、その後は模型製作を中断しちゃっているため、あまりハイペースで掲載してしまうと、あっという間にネタ切れを起してしまいます。という訳で、今回は小ネタを挟ませていただきます。今のアメリカのレイアウトで一番よく出来ているのはどれか、というと難しい質問で、数人がかりで行なうオペレーションのリアリティとか、いかに鉄道の実景をそのまま再現したか(何せ、彼の地では部屋の空間を背景の間仕切りで区切ってしまうのが流行りで、全体が
以前サドルタンクやUSRAスイッチャーをご紹介したところ「背景に映っている奇妙なストラクチャーをぜひ紹介して欲しい」というリクエストを多数いただきましたので(嘘です。誰からもお願いされていません)、今回はフルスクラッチの砕石場をご紹介しましょう。元ネタはファインスケールミニチュア社のNo.165、TheRockBunkerです。クラフトマン誌1980年3月号に製品紹介が出ていますが、まだFSM社がまっとうな商売をしていたころの製品で、希望小売価格は38.95ドルとお手頃です。このFSM社のキ
昔の小生が何故、あえてブラスロコではなく、せっせと中古のプラスティックロコを購入して改造していたかというと、何といっても工作が大好きだったのと、世界で唯一、自分だけのロコが保有できる喜びがあったからです。というのは真っ赤な嘘で、単に嫁からの厳しいブラス購入制限があったからです。1990年、トレーニーとしてマイアミの業務提携先に赴任した小生は、当地の老舗ホビーショップ「オレンジブロッサムホビー」で、米国滞在の記念にと、日本型中古ブラスを1台だけ求めます。当時は何もわかっていませんでしたが、それは
小生がアメリカの駐在したのは1990年代前半なのですが、赴任時の日本はバブルの絶頂期でした。バブルが何故起こったかの解説は専門家に任せておくとして、じゃあ、当時の日本の製造業がマネーゲームに興じてものづくりをおろそかにしていたか、というとそんなことは決してなく、むしろ今よりも、MadeinJapanが世界をリードしていたように思います。米国と日本の製造業の実力差がピークだったのは、あのころではないかなあ、と思うのです。米国で最初に乗った車はクライスラー、しかも提携先の社長に「俺は飽きたから
前回のブログで機関庫の中に停まっていた、謎のサドルタンクをご紹介しましょう。もったいぶって先延ばしして登場させるほどの作品ではないので。モトネタはリバロッシが73年から80年にかけて販売したプラロコで、アメリカのどこかのトレインショーで、中古を15ドルで買ったもの。クラフトマン誌73年2月号の新製品紹介によると、特定のプロトタイプはない、ということのようですが、ネットでAlco,Saddletankで画像検索すると、実物で、似たような形のロコがでてきます。だから、このロコ、全く想像の産物、とい
つい3週間前、ブログを始めたころに掲載したロコの写真の端に、機関庫がちょろっと写っていたのですが「機関庫をちゃんと紹介してくれないか」というリクエストを多数いただきましたので(嘘です。だれからもお願いされてません)、今回は、英語でいうTwo-StallEngineHouse、複線機関庫の写真をご覧にいれましょう。元ネタは、確か90年代にMRに出ていた、ロギング用の木造機関庫を長くしたものです。すみません、今回、何とか見つけ出そうとMRのページをめくってみたのですが、何年何月号だかわかりませ
定期購読しているモデルレイルローダーの最新号が船便で届きました。2018年4月号です。最近のMRはずいぶん薄くなっちゃったなあ、紙質のせいかなあ、と思ってページ数を確認したら、1991年11月号の218ページに対して、最新号はわずか82ページ。定価は倍以上になってますから、おお、えらくコスパが悪くなっています。中身をみると、大きな違いとして、広告ページが随分少なくなっています。1991年はまだネットがありませんから、宣伝広告費は雑誌が独り占めだったのでしょうねえ。ちなみに、小生の手元にある一番
小生、いつもジョージ・セリオのキットの設計と意匠を盗用、もといっ、参考にしているわけではありません。雑誌にいい記事がでていれば、当然使わせていただきます。これはレイルロード・モデル・クラフトマンの1993年9月号に掲載された実物記事を参考にした雑貨屋さんです。ただし、実物はボロボロの廃屋なので、商売が繁盛していた頃を想像してつくりました。大作をウンウン唸りながら作るのも「ザ・模型道」なのですが、これは鼻歌まじりに一週間くらいで楽しく仕上げた記憶があります。もう20年以上前の作品ですが。壁はノー
小生、この12年間模型をつくっておらず、このブログで紹介する模型は、すべてそれ以前に製作、撮影したものです。一度に作品を紹介してしまうと、3か月でブログのネタが尽きてしまうので、本や雑誌の小ネタを挟んでいるのですが「雑誌のことなら、お前に教えてもらわなくても、雑誌そのものを読むわい」という声がきこえてきそうなので、今回は模型を紹介しましょう。これは2001年12月にファインスケールミニチュアから発売された「フランクリン・ウォッチワークス」のコピーです。このキット、たしか200ドルくらいの定価で
ちょっと古い話ですみません。昨年、2017年4月号で、米国の鉄道模型誌であるモデルレイルローダーは1,000号を迎えました。1934年1月の創刊から83年、これはなかなかの偉業ですよねえ。ついでにいえば、われらが鉄道模型趣味は1946年の旧号創刊で、2018年3月号で914号。これもなかなかのものです。1,000号まで元気でいたいなあ。ちなみに、日本最長寿の雑誌は、1887年創刊の「中央公論」で、次に古いのは、1895年創刊の「週刊東洋経済」だそうです。あ、このあたりは模型と関係ないですね。
わざわざ小生のつまらぬ機関車の写真をみてくださるような貴兄なら、ジョン・アレンと、彼が生涯をかけて作り続けたゴーリィ&ディフィーテッド鉄道のことは、とっくにご存知ですよね。写真家でもあった氏のレイアウト写真は、50年代~70年代初めのモデルレイルローダー誌、モデル・レイルロード・クラフトマン誌を飾り、常に全米のモデラーにタメ息をつかせてきました。ジョン・アレンは機芸出版社の山崎主筆の知己でもあり、60年代~70年代初めの「鉄道模型趣味」には、ときおりジョンによる未発表写真が発表され、晩期にはゴー
アメリカ型のストラクチャーといえば、やはり木製のウォータータンクですよね。かなり前から、キャンベルが秀逸なキットを発売していますが、「エコノミークラス・モデラー」の小生としては、そんな高価なキットを買うわけにはいきません。コスパ追求の道は厳しいのです。今回ご紹介するウォータータンクは、これまた20年以上前の作品で、製作法も忘却の彼方だったのですが、石灰化しつつある大脳皮質から記憶を絞りだすと、ネタはずいぶん昔からあるアトラスのプラキットです。お値段は1,000円を切るくらいじゃなかったかなあ。
あのフジヤマの名機(フジヤマは何でも名機なのです!)、サザンパシフィックのM-4は買えなかったので、IHC(インターナショナル・ホビー・コープ)の安価プラ機関車をいじった模型をご紹介します。これも20年近く前の旧作です。この機関車、ずいぶん前から同じ金型がいろんなメーカーに引き継がれているのですが、小生が持っているのは、1990年前後の、裏にメイド・イン・スロベニアとあるものです。何せ古い模型なので、ディーティル表現は褒められたものではありせんが、走行系が改良されていて、シャカシャカと快調に走り
全国100万人の鉄道模型ファンのうち、小生のハンダ付の技術は、下から3番目くらいですが、米国型のストラクチャーをつくらせたら、きっとトップ50には入ります。米国型のストラクチャーをつくる人は、全国に53人くらいしかいないでしょうから。さて、ここにご紹介するのは、2002年頃につくった、フルスクラッチの製材所です。「ウソいえ、ここに映っている建物は、ファインスケールミニチュア社のキットじゃないか」という貴方、お目が高い。実は当時の小生、200ドルもするファインスケール社のキットはとても買えないの
小生はGemModelsのレディングのコンソリを2台保有しています。というのは真っ赤な嘘で、2台ともバックマンのプラ機を改造したものです。写真の撮影が2000年ですから、これもつくったのは20年くらい前でしょうか。家内による厳しいブラス購入規制があって、模型を買わせてもらえなかったのです。1台はバックマンプラスという、確か90年代の頭にリリースされた、走行系が改良されたもので、けっこう静かに走るのですが、もう1台はオリジナルで、ウィーンと悲惨かつ不快な音を出して走ります。昔のバックマンの足まわ
2002年にエバーグリーンで買った模型です。ムラだらけの筆塗りの塗装でずいぶん安かったのですが、帰宅してブラウンブックで調べたらフジヤマでした。塗装を剥がして塗り直し、ディカールは米国チャンプより直接とりよせました。「プロジェクトの成功を祈る」というメモをつけてくれてたのが、嬉しかったです。その後、米国チャンプはなくなっちゃいましたが、今後、未塗装のブラスを塗るとき、ディカールはどうしたらいいのでしょうね。塗料はフロッキルのエンジンブラックとリーファーホワイトを4:1で混ぜたもの。フロッキルは危