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手づくりの蝋燭たてやクリスマス篠原鳳作最近お店にクリスマス商品が増えてきました。そこで上の句を思い出しました。この俳句の意味は、これは手作りの蝋燭立てだなぁ。今日はクリスマスだ。という意味で作者がクリスマスの日の事ついて詠んだ一句です。まだクリスマスまで遠いですが飾り付けのものを見ているだけでクリスマスの楽しさを思い出します。そんな楽しい記憶を思い起こしてくれる伝わってくるいい一句です。
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いつ降ってもおかしくない。そんな曇天の下で早くもつつじが満開。鮮やかな色がはみ出しそうである。今年は早い。まだ春の日射しも十分に浴びてないのに。白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ牧水牧水の歌を読んでいる。これは牧水の代表的な歌の一首で最もポピュラーな一首であろう。この短歌を読むと次のような俳句を私は想い出す。しんしんと肺碧きまで海のたび篠原鳳作ちるさくら海あをければ海へちる高屋窓秋なぜいま短歌?と問われそうだが特別
夜々白く厠の月のありにけり鳳作昭和3年2月の「ホトトギス」雑詠欄に載った句。『篠原鳳作全句文集』の巻頭に出ている。この年、鳳作は東京帝国大学の学生だった。この句には「病中」と前書きがあり、作者は「鹿児島篠原鳳作」。彼は未踏、鳳作という雅号を用いていた。鳳作の雅号となるのは昭和9年9月、宮古中学校から母校の鹿児島県立第二中学校教諭に転任してから。以上のような事情があったので、筑摩書房の日本文学全集の俳句集では「雲彦時代」と「鳳作時代」に分けて作品を収録している。この区分に従うとここまでで話
月光のおもたからずや長き髪鳳作月光の中の長い髪の人(女性)を詠んでいる。この句の主人公(その女性を見ている人)にとっては、彼女は恋人なのかもしれない。「月光のおもたからずや」という言い方にあこがれに似た視線を感じる。月光が重いほどにその人の髪は繊細で美しい。もちろん、長い髪の人は男性であってもよい。美青年を想像する人があっていいのである。ところで、私が鳳作の句をまとめて読んだのは筑摩書房の現代日本文学全集91巻「現代俳句集」においてであった。昭和32年に出たこの本には鳳作、赤黄男、三鬼
龍宮神社浦島太郎の伝説は、日本国内十数カ所にあるそうです。香川県の三豊市にあることは知っていました(…さる推理小説で読んだ^^)。ここ長崎鼻には竜宮城のような神社が建っています浦島太郎浦島太郎の周りを2回廻って亀を撫でたら願いが叶う。男性は左側から、女性は右側から廻る。(…廻り方まで書いてありました^^)特別天然記念物ソテツが自生しています。日本における「自生の北限地」だそうです鹿児島県が生んだ無季派の俳人篠原鳳作の句碑「満天の星に旅ゆくマストあり」
大阪市立美術館前の広場でちょこっとランチと思って出かけた。とんでもない!まったくの夏の陽で、お茶もしてられなく退散。いま、「モジリアーニ展」だが人出はそれほどでもない。幾日はも青うなばらの円心に篠原鳳作もう何日も青海原の中心にいることか!直接的に解説するとこうなるかな。「はも」は詠嘆を表現している。有名な次の句の流れの句であろう。しんしんと肺蒼きまで海のたび海の旅をしている鳳作の気分が伝わってくる。いずれも無季。あまり気にならない。篠原
コミノネズミモチ。生け垣に使われているからいまこの花をよく見かける。ぶわぶわっとしているからそんなに美しいと思わないのだが近づいて見ると意外に綺麗な色の花である。青空に飽きて向日葵垂れにけり篠原鳳作向日葵の日を奪はんと雲走る向日葵の黄に堪へがたく雞つるむ今回は向日葵三句である。向日葵の黄色を真ん中に周辺の情景、関わりが描かれている。作者の興味が向日葵の色にあったことが判る。3句目の「雞(けい)」は鶏。篠原鳳作の個性とは何か?それを考え
オオキンケイギク。雑草の広がる原っぱにポツンと咲いていた。この花、実は繁殖力が強く、他の花に影響を与えるということで特定外来生物に指定されている。そのため移動や栽培は原則禁止である。以前はドライフラワーなどに使われたらしい。我の強そうな顔している・・・。あぢさゐの毬より侏儒よ駆けて出よ篠原鳳作あぢさゐの花より懈(たゆ)くみごもりぬ「毬」は「まり」?「かさ」?紫陽花の花のカタチをそう表現したのだ。朱儒はこびと、一寸法師。一見難しそうだが、「可愛い」。
京都駅の近くの路地で見つけた。もうそんな季節なのだ!京都の賑わいの路地にこんな!そんな2つのびっくりだった。たいしたことではありませんけどね(笑)。炎帝につかへてメロン作りかな篠原鳳作昨日は炎帝だったけれど、今日は五月晴れ。自然には逆らわれない。で、「つかへる」=仕える。向こうに、暑さの中で働く人の姿が見える。ところで、この句は昭和8年に発表されている。そんな時代のメロン。とんでもなく貴重だったのではないだろうか。とすると、この「仕える」にはも
毎年、散歩道の家でこのテッセンが咲いている。テッセンの咲く家と呼んでいる。蟻よバラを登りつめても陽が遠い篠原鳳作この句を読むと、とても理屈っぽい句だなと思ってしまう。いろんな思いに囚われるのだ。「登りつめ」と「陽が遠い」の対比が象徴的なのだろうな。大袈裟に人生までも想起する。何度読んでも重いなあ。
雑草の中にポツンと咲いているので雑草の一種かと思ったがヒメヒオウギという花らしい。フリージアに似てるところから「にせフリージア」と英語ではいわれているそうだ。赤ん坊の蹠(あうら)まっかに泣きじゃくる篠原鳳作太陽に襁褓かかげて我が家とす私の中にある篠原鳳作ではなかった。篠原鳳作、亡くなった年の作でこの赤ん坊は自分の子のことである。赤ん坊の生命力を讃え、子供のいる家こそ我が家と納得している。無季である。生命力に季語に代わるパワーを感じたのではな
コデマリが普通に咲いている。連休初日、雨が降りだした。その直前に撮った写真。今年も何の予定もない。晴れたら美術館でも行こうと考えていたがこの雨で意気消沈。静かに珈琲を楽しんで過ごすことにした。一塊の光線(ひかり)となりて働けり篠原鳳作無季俳句の先頭に立って活躍していた鳳作は30歳で夭折してしまった。この句は肉体労働者を描いた句と解釈されている。果たしてそうだろうか。光の中で働く姿がとても美しいと私は感じるのだが。しんしんと肺碧きまで海のたびこ
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今日は雪が舞っている。風花なのだが、時折、降ってくる。道ばたで見つけたヒメコギク。小さいけれど、周りを彩りで包んでくれる。一塊の光線となりて働けり篠原鳳作太陽に襁褓かかげて我が家とす篠原鳳作といえばしんしんと肺碧きまで海の旅しかし、掲句のような生活感のある作品も見逃せない。1句目は労働句(?)2句目は家庭句(?)無季なのも注目である。篠原は30歳で夭折した。富沢赤黄男や渡辺白泉などと交流があったらしいので無季句がどう発展したかみたかった
旅ゆくと白き塑像の荷をつくり篠原鳳作あきかぜはたとへば喬く鋭き裸木小沢青柚子鶏たちにカンナは見えぬかも知れぬ渡辺白泉鶴昏れて煙のごとく翼ひけり富沢赤黄男水枕ガバリと寒い海がある西東三鬼『高屋窓秋全句集』(ぬ書房)に収録の「百句自註」(これは100~227頁にわたっており、この全句集の半分以上の頁を占める)において、「この頃の仲間たちの句」として窓秋が挙げたのが鳳作句以下の5句であった。昭和10年前後の若い俳句がこれらだ、と言っても
(神奈川県横須賀市長沢)浜木綿に流人の墓の小ささよ篠原鳳作仕事の合間、海辺を散策する。ふと思ったのだが、マスクをしない人が増えている。特に高齢者の男性に多い。二回目のワクチンが終わったのだろう。私のところには接種券も来ていないが…。「浜木綿」(はまゆう)が咲き始めている。浜木綿は横須賀市の花であり、三浦市の花である。「浜万年青」(はまおもと)とも言う。この浜木綿の自生北限地はわが横須賀である。いうなれば、ここは自生の北限ギリギリのところである
2021年6月2日(水)【季語】紫陽花/夏あぢさゐの花より懈くみごもりぬ*懈(たゆ)し・・疲れて元気なくだるいさま。篠原鳳作(しのはら・ほうさく)1906〜1936年。俳人。2020年6月2日の句→こんこんと『こんこんと〜臼田亜浪』こんこんと水は流れて花菖蒲臼田亜浪ameblo.jp🍃岡崎弥保HP「言の葉」🍃ブログ「言の葉つむぎ」
しんしんと肺碧きまで海の旅鳳作
からっぽの葬儀会館緑さすわたなべじゅんこ「からっぽ」がしーんとして寂しい。緑がさして清潔な寂しさだ。わたなべじゅんこ、川嶋健佑さんの2人同人誌「サバ!」3号から。この雑誌ではわたなべさんが篠原鳳作、川嶋さんが芝不器男論を連載していて、いずれも長編になりそうな気配だ。新しい俳人像をくきやかにできたとき、彼ら自身も俳人としてすっくと立つだろう。明日(10日)は初の貞徳忌俳句大会。13時が投句締め切り、1人1句投じて句会をする。会場は京都市岩倉(洛北)の妙満寺。当日句会、事前投句の表彰