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今朝の朝刊の「発言~みんなの声~」です。同年代の女性なのですが>戦国史はもともと好きでしたが・・・>相関図をメモしながら読み進め・・・>一色五郎が登場してからは手に汗を握る場面が増え・・・>続きが待ち遠しい・・・>登場人物の各視点で臨場感たっぷりに・・・>しかも立体的に語られる・・・いやあ、全く同感です。この女性の脳内では、映画のように進んでいるのでしょう。どこのどなたかは知る由もありませんがこの女性となら、よい友人関係
本日発売の週刊大衆。歴史偉人「裏素顔」は、徳川家康の正室築山殿の特集です。原作/跡部蛮イラスト/萩山明日香次回掲載は、5月7日(火)です。歴史偉人「裏素顔」をよろしくお願い致します。
4/7。岡崎市。家康行列。康生町あたり。家康行列の先頭は大村・愛知県知事でした。続くのは、中根・岡崎市長。武将の恰好がお好きですねぇ。続いて姫隊。姫は、お於大の方(家康公の母)から始まり、築山殿(家康公の正室)亀姫(家康公&築山殿の娘)千姫(家康公の孫)と続き、観光大使おかざきの方が続き、さらに龍城神社の巫女隊や朝鮮通信使の隊列、少年隊や少女隊も続きくの一隊かな?少年隊の演武もあり各武将隊に続いて
🌸「三英傑」の知られざる女性観5『要旨』☆秀頼が人前に出なかったのは、淀殿が本当の父親を明かさないため☆徳川家康の最愛の人と言われてる正妻・築山殿?☆築山殿と家康の別居生活=不仲だったのでは☆徳川家康の側室20人以上(家康と築山殿)「大野治長」「家康と築山殿」「家康と女性」(ネットより画像引用)⛳秀頼が人前に出なかったのは、淀殿が本当の父親を明かさないため☆淀殿はひそかに不倫をして出来た子ども秀頼*
※こちらの記事は、令和3年2月28日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は山岡荘八氏の大作『徳川家康』(全26巻)の第5巻「うず潮の巻」のご紹介です。個人的にはこの『徳川家康』は祖母が愛読していたということで、愛着のある作品です。読み始めたのは去る平成24年。今から8年前です。他の本に浮気しつつも全26巻を最初に読み終えたのが、2年後の平成26年ごろだったと思います。直後に2回目を読み始め、それが終わったのがまた2年後の平成28年ごろ。またすぐに3回目を読み始めて今は23巻を
・近所の書店で購入。・大河ドラマ『どうする家康』のおさらいの為に読む。・「戦国大名家の妻妾については、「正室」「側室」の用語が使用されることが多いが、「側室」は江戸時代に展開された一夫一妻制のもと、妾のうち事実妻にあたるものについての呼称として生まれたものになる。戦国時代はまだそのような状況になく、一夫多妻多妾制であった。」本書11㌻11~13行を引用・築山殿の他に子息の信康、信康の妻である五徳の人生にも紙幅を割いている。・築山殿生存時の史料が少なすぎる(ほぼ無いと言っていい)事を知る
[西尾市]西尾市今川町に今川氏発祥の地があります。今川貞世の墓。今川貞世は今川氏の祖・国氏の孫にあたる範国の二男で、南北朝時代の人である。遠江国守護職、九州探題を務めた。歴史で習ったなぁ。その石碑の裏に、今川氏発祥の歴史が書かれていました。承久の乱後、足利義氏が三河国の守護に任ぜられた。義氏の嫡子・長氏が足利へ帰った後、式を継ぎ、吉良荘にちなんで吉良氏を名乗った。吉良家は二代・満氏へと伝えられた。今川荘は長氏が少年時代に義氏から装束
※こちらの記事は、令和3年7月22日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は山岡荘八氏の大作『徳川家康』(全26巻)の第6巻「燃える土の巻」のご紹介です。個人的にはこの『徳川家康』は祖母が愛読していたということで、愛着のある作品です。読み始めたのは去る平成24年。今から9年前です。他の本に浮気しつつも全26巻を最初に読み終えたのが、2年後の平成26年ごろだったと思います。直後に2回目を読み始め、それが終わったのがまた2年後の平成28年ごろ。またすぐに3回目を読み始めて今は23巻
池上季実子(いけがみ・きみこ)様1959年1月16日ニューヨーク生まれ。1979年10月6日公開の長谷川和彦監督の名作映画『太陽を盗んだ男』においてヒロインのDJ沢井零子役を勤められました。1988年10月1日公開の深作欣二監督作品『華の乱』では波多野秋子役です。1983年のNHK大河ドラマ『徳川家康』では二十四歳の若さで情念の人・築山殿を熱演されました。1984年のNHK水曜時代劇『宮本武蔵』では、ヒロインの一人朱実を勤められました。
ゆかりの地が!2024年1月・2月のお休み1/1日(月)~4日(木)8日(月)15日(月)・16日(火)22日(月)29日(月)2/5日(月)・5日(火)12日(月)19日(月)・20日(火)26日(月)日(月)に、なりますリーヌ(≧▽≦)※ビューティーチャオで予約が埋まっていてもキャンセル等や施術次第で予約が空いていることもあります。あと、前日や当日の場合はビューティ
総集編の続き、やっと見れた。やっぱりまとめて見ると分かりやすいなぁ。比較もしやすい。瀬名さんの謀石川数正の出奔はまたまた泣いた。殿の海老すくいもいいシーンだったよなぁ。1個残念だったのは、足利義昭のシーンが抜けていた点。多分織田信雄のシーンも割愛されてそうだけど、千姫に私の得意の兵法は和睦って、言ったシーンは良かったよなぁ~もう少し先だけど。お市様の「信長のとうの昔に捨てさせられたものをあなた様は持っている。兄はひとりぼっちで哀れ。」が、晩年の家康が言われた事と大体同じで、こんなと
身内に甘い家康が「実力で重宝した」ある男の凄さ京都所司代を19年にもわたって務めた実力者身内に甘い家康が「実力で重宝した」ある男の凄さ豊臣家の影響力はまだ色濃いものの、関ヶ原の戦いに勝利したことで、実質的に武家のリーダーとなった家康。これから新しい組織をつくろうしたときに、どんな人事を行ったのだろうか。「京都所司代」というポジショ…toyokeizai.net嫌われ者でも「家康の信頼は絶大」ある男の最期「徳川家康の最期」を見送ったある武将とは嫌われ者でも「家康の信頼は絶大」ある
1579年(天正7年)「徳川秀忠」は遠江国の浜松城で誕生しました。幼名は長松、または長丸、竹千代父は江戸幕府の初代将軍「徳川家康」で母は側室「於愛の方」です。徳川秀忠は3男で本来家督継承権を得るのは長男という慣例がある当時出生時点では家督を継ぐことは想定されていませんでした。しかし徳川秀忠が生まれた年徳川家に大きな騒動が巻き起こり彼の生涯は大きく変化します。徳川家康の正室「築山殿」と長男「徳川信康」が「織田信長」によって武田氏通謀の疑いをかけられ処刑さ
12月20日(水)☀☁2→11℃晴れ時々曇り12月17日(日)の放送を持って、NHK大河ドラマ「どうする家康」が終りましたね、全48回、全回楽しく視聴した私は、何やら寂しい気持ちになっております、放送が始まってからは、家康公生誕の地「岡崎城」や、↓「大河ドラマ館岡崎」、…そして、↓「天守」も大いに賑わいました、地元民としては本当に有難いことです、…今朝は徳川家の始まりから、ゆかりの寺社、地元の風景などを、私が訪ねた範囲で順次振り返ってみたく思います、…家康公の歴史は、父「松平広忠公=
こんばんは今回の楽天感謝祭は、楽天SSで購入しすぎちゃってあまり買う物がないのですよね。10店舗にはなりませんが一応狙ってる物はありまして、無事に購入できたらご紹介します。有村架純さんが出演されるので、見始めた大河も日曜日で最終回を迎えました。徳川家康の正室の築山殿の役で、良妻賢母でした。家康との幸せな頃が一番良かったですね。ストーリー的に途中から出演されませんでしたが、最終回にまた出演されて家康はやっとまた会えたのだねとうるり。その翌日に有村架純さん、キンプリの高橋海人く
さて…どうする家康も先週日曜で最終回でした。1年間、楽しませてもらいました!!厚く御礼。最終回ですが…家康が、自分はただの人殺し、、と呟いてたのは、良かったかと、、内省的な家康。自分も含めて戦国の亡霊と言ってる訳で、家康なんて戦国の亡霊のキングですもんね。この辺の流れは、お見事かと。かえすがえすも…築山殿のユートピア宣言だけが惜しまれます、、あれは無いようなぁぁ、、せめて信長嫌い&憎しで、もっと皆が活躍する分権的な国を…とか位にしときやぁ良いのに。。江戸時代が果たして分
松本若菜が演じた男装の麗人・阿茶局。家康の妻というよりもパートナーといえる存在で、女性でありながらも武芸に長けており、ドラマでは帯刀姿が多かったです登場から「阿茶局は松本若菜しかいない!」と思ったんですけど、本当に男装した側室が家康にいたのでしょうか?阿茶局は甲斐武田家・武田信玄の家臣だった飯田直政の娘となっている。信玄の異母弟・一条信龍と結婚し、一男一女をもうけた。信龍は信長・家康連合軍に包囲され討ち死にしたらしいということは阿茶局にとって家康は「夫の仇」になるんだね家
【どうする家康・最終回】驚きの展開!亡くなったはずの美女登場にネット号泣「涙腺崩壊」「お迎えに…」:スポーツ報知嵐の松本潤が江戸幕府初代将軍・徳川家康を演じるNHK大河ドラマ「どうする家康」(日曜・後8時)の第48回・最終回「神の君へ」が17日、15分延長して放送された。終盤ではあの人物が登場し、ネットを沸かhochi.news「どうする家康」最終回最終シーンで瀬名の登場は予想通りでした。絶対瀬名と家康のシーンで〆ると思っていました。まあ瀬名(築山殿)に有村架純を抜擢した以
とうとう、最終回これまでとは一味違った徳川家康あの有名な歴史上の人物徳川家康でさえ新事実新資料が現れ新たな歴史上の解釈が成されている他は推して然るべき様々な歴史解釈が有り得るわけでロマン⁉️が尽きない学校教育では戦国時代を経て江戸幕府が長く続いた、と素っ気なく教えられたような印象である少年時代から合戦物自伝的な物を自主的に読み面白がっていた歴史上の人物の評価は難しい通説公称が確定されていない時は歯切れの悪い「諸説あり」の表記四国をほぼ平定した長曽我部元親もいま
ついに、終わりました、大河ドラマ。最後の戦い「大坂の陣」を終え、病の家康がみる不思議な光景……亡くなった瀬名と信康が現れ…二人は乱世を終わらせた家康を称えた。(48)神の君へ(最終回)Amazon(アマゾン)ところがじゃ…😡😡💢なんじゃ、これ‼️たとえ、“似”でも、ここで名前を使うな!無礼者ぉ~💢💢『『はるかに遠い夢』~大河ドラマ“どうする家康”』『“長篠の戦い”の視点⁈何があったのか?』昔々…の通説。「織田信長が3000挺の鉄砲を使った『3段撃ちの新戦法』
大河ドラマ「どうする家康」もいよいよ明日で終わりを迎えます。今年中に「”家康”のでき事と所縁ある”お城”を振り返ろう」というテーマでブログをお届けしようと思っていましたが、つい「お城巡り」に足が向いてしまい「お城紀行」のブログを優先してしまうので、このシリーズは度々中断してしまい、「今年中」どころか「今年度中(2023年度)」に延長しそうです。しかし、暫くの間お付き合いくださいませ。「家康」の歴史を8期間に分けて、「家康」のでき事と併せて所縁ある「お城」を紹介しています。8期間
さて…どうする家康ですけど、ラストに向かって盛り上がりです。昨晩の家康が戦のない国なんてムリじゃと絶望するあたりはかなり良いというか、、ツボ🍯ですね。結局、三成の言ったことに引き寄せられてるというか…。やっぱり、この売れっ子の作者の作劇というか筋立て・運びは上手いす。。関ヶ原~大阪の陣まで、十五年でしてこの十五年間は間延びしそうすが、この間の話の運びとか超ウマいかと。。かえすがえすも、あの築山殿のユートピア宣言だけが…ありえんかった、せめて、アレをああいう要素もいれ
11史実「年は、わたしより2つほど上らしい。わたしは、十(とお)の時に御屋形様の取り持ちで姫と婚約した。」そうだ。義元の勧めで、関口刑部少輔の娘と・・・。海(まりん)はその知識を手繰り寄せる。え?婚約?竹千代は、そんな早くから「婚約」してたんだ?4年も前に・・・。いや、違う。この当時の年齢の数え方は「数え」だから、満年齢なら8歳?駿府に来てから間も無くじゃん?「そのおかげで、私は今川の親類筋の扱いを受けてもいる。御屋形様にも良くしていただいている
🍀11月6日🍀浜松ドラマ館に行った時の続きです。犀ヶ崖の後は、佐鳴湖へ🚙松潤の訪れた大河たびの聖地巡礼です😍💜佐鳴湖💜🦀かに🦀発見👀たくさんの🦀がいました。蟹つながりですね~💜これで、今回の浜松旅は、終了です。おつきあいいただき、ありがとうございました🙇でもこの後も再度、浜松を訪れました😋また、その話は、後日書きます。
🍀11月6日🍀浜松ドラマ館に行った時の続きです✨西来院へお参り🙏西来院は、謀反の疑いから佐鳴湖畔で38年の生涯を閉じた家康公の正室、築山御前の霊廟(月窟廟)が、おかれています。いろいろな想いを胸に秘めつつ、そっと手を合わせてきました🙏訪問時に、たまたま外出されるご住職とすれ違って、声をかけていただきお話しをさせていただきました🪷本堂にもお参りして行ってねと言われてしっかりお参りさせていただきました🙏住宅街にありますが、敷地内に足を入れると静かな雰囲気漂う空間でした。
6月30日(金)、梅雨のさ中、せっかく静岡に来る機会があったので、「どうする家康」大河ドラマ館を制覇すべく、静岡浅間神社を訪れたことを記事にします。なお、岡崎および浜松での「どうする家康」大河ドラマ館についての記事は、右記のリンクをご参照ください→「さわやかウォーキング@岡崎(2023/02/11)②」「どうする家康浜松大河ドラマ館を訪れる(2023/03/28)」。もといはJR静岡駅付近…日出町にある企業を訪れるのがメインの静岡訪問でした。雨降りでしたが、静岡駅→日出町→水落交差点→長谷
やっと来た!念願の岡崎城!https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/feature/okazakijo/top/岡崎城トップページ~お知らせ~【歴まちカード】※2023年2月16日(木)更新・岡崎市役所まちづくり推進課(西庁舎1階)窓口で配布中___________________________岡崎城は、徳川家康公が生まれた、神君出生の城です。龍にまつわる伝説も多く、別名龍ヶ城とも呼ばれ、竹千代(のちの家康公)が誕生した折には、城の上に黒雲が渦巻き、黄
いよいよ近づいて来ました石田三成の政治に対する思い豊臣政権を思っている事わからなくは無いですが時代は徳川政権へ向かいます松本潤主演で今まで物足りないなんだかふわふわしてる家康でした築山殿はもう出なくていいしっかり天下を掴みに行く野心を全面で押してください関ヶ原の合戦を堪能したいです
どうする家康では、有村架純さんが演じておりました。月窟廟碑月窟廟築山御前とは1557(弘治3)年に今川家の人質だった松平元信(後の家康)と結婚し、1559(永禄2)年に信康、翌年に亀姫を生んだ。1562(永禄5)年、築山御前の両親は、家康(元信より改名)が信長側についたことで今川の怒りをかい、自害させられた。1567(永禄10)年、長男信康が織田信長の長女、徳姫と結婚。徳姫になかなか男の子が誕生しないため、築山御前は徳川の家臣である浅原昌時の娘を信康の側室に迎えさせた。