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邪馬台国畿内説がほぼ確定な理由なぜなら言葉の発音的に邪馬台国=ヤマト国卑弥呼=日の巫女=天照大神となるからである。また魏志倭人伝に邪馬台国や卑弥呼が記述されたとする3世紀の中頃には奈良県の纒向という場所に大規模な集落が作られた跡があるからである。また同じく3世紀中頃に築かれた纒向にある日本最初の前方後円墳である箸墓古墳には、天皇ではない皇族の女性である倭迹迹日百襲姫命が埋葬されている。さらに卑弥呼がいたとされる3世紀中頃には日食が起こってたコトが分かってるらしく、それが天照大神の天
ここ数日、↓のブログのアクセスが増えているのでリブログしてみました。13年半前の私は歴史に関してこんな風にちょけてたんですね(;^ω^)今の私はキトラや高松塚などの古墳に興味を持ってまして、また違う感じで邪馬台国は奈良県にあったのではないかと思っています。私的に有力に思っているのは、奈良県桜井市箸中にある箸墓古墳の近くにあったのではないかと思っています。(個人の考えです)箸墓古墳が卑弥呼さまの墓だったらロマンだなって考えています。(あくまで個人の考えです^^;;)地図でみる限り、明
秋なんだか冬なんだか、よくわからない気温が続きますけど、しばらく前の話。仕事で細かい作業ばかりしていたのでかけてなかったけど、ふらりと長谷寺を目標に、奈良方面へ行きました。淀川を渡り、磐船神社の横を抜けて、郡山城の横ちょもぬけて、何も考えずに山の辺の道方面へ。偶然帯解に来たので帯解寺へ行きました。今更安産でもないのにね。ここ。安産帯解寺日本最古の安産・求子(子授け)祈願所皇室安産腹帯献納-日本最古の安産・求子子授け祈願所天皇家安産腹帯献納の奈良の安産帯解
日本最古の寺安倍文殊院の後、さらに歴史をさかのぼり、邪馬台国の候補地のひとつである纏向遺跡で古墳ハイキング。無人駅のJR巻向駅の無料駐車場に車を停めてスタート。この辺りは古墳時代初期なので埴輪などはありませんが最初の都市とも言われています。何事も時代を下ると派手になっていくのですね。畑の中にぽつんと竹林。東田大塚古墳3世紀ころに築造された前方後円墳です。矢塚古墳この二つは私有地なので立入禁止とありました。池が干上がっていた勝山古墳ただの広い芝生公園に見える纏
山の辺の道を歩きました。JR巻向駅周辺にひろがる、纏向遺跡。初期ヤマト政権発祥の地、邪馬台国の候補地、その女王卑弥呼の存在と、考古学上、諸説入り乱れている地。纏向石塚古墳、矢塚古墳、勝山古墳などなど、多くの古墳があり。その代表が、箸墓古墳。約278メートル。高さが、約30メートル。この古墳は、『百襲姫命大市墓』として、陵墓指定されています。なぜ、『箸墓』と言うのか?それは、『日本書紀』に記された、『三輪山伝説』によるもの。大物主神の妻となったものの、大物主は、昼間は姿を見せず、
纒向遺跡まきむくいせき桜井市域の北部、JR巻向駅周辺にひろがる纒向遺跡は、初期ヤマト政権発祥の地として、あるいは西の九州の諸遺跡群に対する邪馬台国やまたいこく東の候補地として全国的にも著名な遺跡です。この遺跡は広大な面積を有する事や、他地域からの搬入土器の出土比率が全体の15%前後を占め、かつその範囲が九州から関東にいたる広範囲な地域からである事、箸墓古墳はしはかこふんを代表として、纒向石塚古墳まきむくいしづかこふん・矢塚古墳やづかこふん・勝山古墳かつやまこふん・東田大塚古墳ひがいだおお
こんにちは。卑弥呼論争。あなたはどこの卑弥呼が推し卑弥呼❓箸墓の人❓(倭迹迹日百襲姫)吉野ヶ里遺跡の赤い石棺墓の人❓宇佐神宮の人❓今まで大神神社には何度も来ているのですが初めて箸墓古墳へ行きました。こんなに近いとは‼️ネーミングがかわいい。ひみこの庭。お水が少ないですがよく見るお写真の構図ですね。ここから撮ってたんですね。畑のすぐ近くに。何度かクルクル回っちゃった。宮内庁の文字にちょっと新鮮。ピクミンを放ち立ち去りました。感無量です。
今日は沢村一樹版の浅見光彦シリーズ「箸墓幻想」を観ながら寝たいと思います。邪馬台国の女王、卑弥呼の墓ではないかとされる、箸墓古墳。浅見光彦とは年齢差を超えた友人であり、箸墓古墳の研究に生涯を尽くした小池教授が謎の死を遂げる。教授の死後に発掘された銅鏡の歴史的発見と、新たな殺人事件。そして、小池教授と過去の因縁で結ばれた2人の美女。小池教授が遺した言葉「生涯を費やしても贖うことのない罪」とは一体何なのか?草笛光子さん、松原智恵子さん、河合奈保子さん、北村総一朗さん、左とん平さんといった錚々たる
談山神社で山の空気を楽しんでから『いざいざ談山神社』石舞台古墳を後にして『いざいざ明日香村石舞台古墳』まだ終わらないなら旅シリーズ『西国三十三所番外法起院と紅葉柿の葉寿司』秋のなら旅の続きですここと『…ameblo.jpやっぱりここは外せない!この大鳥居=大神神社(大好き!)後ろにそびえる「山」が御神体なので本殿がなく拝殿だけという神社申請したら入山出来るらしいので一度は登拝してみたいhttps://oomiwa.or.jp/jinja/miwayama/toh
卑弥呼のことが気になって調べてみた「魏志」倭人伝には卑弥呼の死について「卑弥呼以死」とありますこの「以死」は後の人たちによって様々に読解されました①卑弥呼は以(よって)て死す②卑弥呼は以(すで)に死せり③卑弥呼死するを以(もって)て「以」を原因と考えると前段の語にかかってきます前段には「為檄告喩之」とあります「檄(ふれぶみ)を作って諭した」のです当時狗奴国の王が卑弥呼と対立し戦闘状態でした困った卑弥呼は魏に助けを求めますそ
特別講演岩井敏明氏『日本書紀』より見たる古代ヤマト王権の成立と発展③【若井氏のまとめ】若井氏は講演を「その他『日本書紀』から見えてくるもの」でまとめた。・ヤマト王権の政治機構部民制、国造・県主制、屯倉制・ヤマト王権の対外政策「任那」問題、半島出兵・大王継承の際の内紛とくに仁徳天皇以後政治体制と外交問題及び皇位継承が日本書紀の記述から見えてくるものとした。さらに日本書紀の記述に対する姿勢として、日本書紀編纂時(8世紀初頭)の現政権に関係が深い壬申の乱、大化改
2023年11月奈良山の辺の道エリアの古墳を巡ってきました。その①茅原大墓古墳②箸墓古墳③ホケノ山古墳です。桧原神社から西に下ってきた辺りに茅原大墓古墳があります。垂仁天皇の皇后の狭穂姫の墓と伝えられています。この辺りからは耳成山や畝傍山、向こうには葛城山・金剛山が見えます。墳丘が段々になっているのがよくわかります。向こう側には池がありますが、それは周濠の跡と言われています。茅原大墓古墳から北へ300mちょっとの所にホケノ山古墳があります。崇神天皇の
皆さまおはようございますダス!昨夜、いや一昨日の夜は一人ライブだけやって早く寝たダス!そして超早起きして遠方まで車両引き取りの旅に出たのダス☆日の出ダス~!🌄早く家を出たのは田舎者であるこのワシが苦手とする都会の大渋滞を出来るだけ避けたかったんダスwでも少し渋滞に引っかかってもたダス。。。都会には薄いビルがあるダスなw風速30m以上をまともに食らったら折れてまいそうダスw幼稚園児くらいの子供が東京タワー作ったらこんなんになる、というようなPLタワー横を通過w道沿いにもコーフ
さて、兵庫・大阪の旅…も、これで最後かな。3泊目、4泊目は、こちらのホテルに宿泊。なぜこちらのホテルに移動したか、と言うと、理由はこれ。ただひたすら、これ。ベッドに置かれた、アヒルとベア。透明なアヒルは、コンラッド大阪だけです。中に金色の鍵が入っています。メルカリなどでも買えたりするようですが、やはり宿泊して入手したい…。東京アヒルに挟まれて…。お部屋は37階、素晴らしい眺めでした。3日目は堺と岸和田に移動。仁徳天皇陵が見たかっ
『出張の合間の神社巡り大阪編『磐船神社』~今なお国を照らす~』『出張の合間の神社巡り大阪編『磐船神社』~序章。白龍の滝と無限虹~』『出張の合間の神社巡り大阪編『星田妙見宮(小松神社)』~星が落ちた場所を巡る~』『出…ameblo.jp↑のつづき。さて、星の町交野市を堪能した翌日、舞台は再び奈良大和へ。桜井市に来たのは昨年の夏、『等彌(とみ)神社』に参拝して以来だ。『出張の合間の神社巡り(等彌神社①)~鳥見山と謎の主祭神~』『出張の合間の神社巡り(阿良須神社)~不思議の国の
今回、「奈良に来ませんか?」と誘って下さった知人と、早めのランチをして午後から次の目的地に向かうぞう🐘途中車内から三輪山を撮っていたら、看板があって「箸墓古墳」って纒向遺跡だよ~🌠あー奈良県は、観たいところが沢山有りすぎる~今日は、雲が美しい🎵吉野郡方面に向かっている途中、夫のFacebookに兵庫県出身の知人から「柿の葉寿司が有名だよ」と連絡があり、「素麺屋があそこにあるから素麺と柿の葉寿司を買おう」ということになり、タイガースファン用と自宅用の素麺を購入柿の葉
こんばんは☆忘れぬうちに記録です!!こちらの続き『令和(5)/(10)/(20)』こんばんは☆本日のうちに画像だけでも放ちます(◔‿◔)突然決まった母とのふたり旅宿泊先もヒラメキ旅中での行き先もヒラメキというより、差し出される昨日今…ameblo.jpくくりの月の月末に女三世代の旅で伊勢に行ったとき母は、これまでやったことないことをやってみたい感じでその中でも父に遠慮せず家を空ける(旅行に行く)ことをもっと氣軽に頻繁にしたいそんな事を話していただけど、予約の仕
こんばんは、畠山です。記事の続きです。スピ仲間で奈良旅①〜緊張した大神神社〜スピ仲間で奈良旅②〜緊張した大神神社〜スピ仲間で奈良旅③〜橿原神宮〜スピ仲間で奈良旅④〜箸墓古墳に封印されたもの〜橿原神宮を後にした我々は、ついに箸墓古墳へ!向かう道すがら、私はガイドと相談しながら集中力を高めていきました。古墳の全体像を見ると、脇に池がありました。この池は比較的新しく、当時からあったものではなさそうでしたが、、池という性質上、百襲姫
こんばんは、畠山です。昨日の記事の続きです。スピ仲間で奈良旅①〜緊張した大神神社〜スピ仲間で奈良旅②〜緊張した大神神社〜スピ仲間で奈良旅③〜橿原神宮〜今回は大分スピりますし、ちょっと見るのに厳しい表現が含まれます。予めご了承ください。今回箸墓古墳に行く流れになったのは本当に時間が余ってたので、新幹線に乗る前に、もう一箇所どこ行くー?という話から、せっかく古墳が多いので、どっか古墳行きたいとなり、K先輩「卑弥呼の墓と目され
はしはかこふん箸墓古墳へミチトノソウグウさんは三輪山の方に何かの気配を感じyumihijiさんはまほろば線に乗る前からエネルギー反応が止まらず畠山よう子さんは先導の役割に少なからず事にあたる緊張感の中にあり私はというとリトリーバルの対象でありながら鎮守の杜の役回りといった具合でした。よう子さんによるとお股を鉄の棒で刺された巫女は何十人といたようでその意識が箸墓古墳の池に集まっているとそう見えていることを話して
こんばんは、畠山です。昨日の記事の続きです。スピ仲間で奈良旅①〜緊張した大神神社〜スピ仲間で奈良旅②〜緊張した大神神社〜早めに寝た翌日、スッキリと起きました。東京へ帰る二日目は、橿原神宮と箸墓古墳へ行くことにしていました。大神神社以外、この二つに決めたのは本当に偶然です。橿原神宮は、泊まったホテルが近いから。箸墓古墳は、行く場所の候補が出た時、桃華さんの過去世に関連する場所と気付きならば行ってみようという流れです。だけど
はしはかこふん箸墓古墳へ箸墓古墳は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の陵墓です。略して百襲姫と呼びますね。百襲姫は第7代孝霊天皇のお子である皇女(ひめみこ)です。お兄さんが第8代孝元天皇。弟の吉備津彦さんが岡山平定を遂げた桃太郎です。第73代武内宿禰(たけ・うちのすくね)故、竹内睦泰(たけうちむつひろ)むっちゃん先生による正統竹内文書では欠史八代(※)と云われる8人の天皇は実在していて
旅行の中にセッションを組み込んで頂いてのご予約の皆様、旅行に急な変更やズレはつきものなんで、遠慮なく御連絡下さいねワタクシそうなったら、キャンセル待ちの方がおられたら連絡するか、どっかに飛び出しますので、ギリギリでも御連絡さえ頂けたらOkです!ってことで、メガネを踏んで破損した朝テープでグルグル巻きのメガネで飛び出して行きましたずどーん!と繋がってしまった参拝って記憶が飛ぶので、写真を見ながら、覚えてるとこだけ夜ねずに書きますね。
※2019年9月に行った時の日記です。少し前に書いた大神神社(三輪山)からすぐ近くにある箸墓古墳(はしはかこふん)卑弥呼の墓という説もあり、3世紀後半つくられた最古の前方後円墳だそうです。実際は不明だけど、第7代孝霊天皇の皇女である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)い…言いにくいという巫女の墓とされているそうですが、この方が卑弥呼だったのでしょうか古墳は宮内庁が管理され全て立ち入り禁止になっています。個人的にはこの“はし”という言葉が聖徳太子のお
橿原神宮へ第一代神武天皇と皇后ひめたたら五十鈴媛をお祭りするお宮。後ろのお二人はスキップをなさっておられます。私は合成写真その2になってます。いとさやけき初代天皇のお宮やわらかな氣はヒメタタラ五十鈴媛そんなお話が飛び交いました。参拝記念写真私の過去世の1つにお股から鉄の棒を突き刺され亡くなった巫女というものがあります。それは畠山よう子さんにチャネリングをしてもらった時に教えてもらったものです。その時、私もよう子さんに、箸墓古墳の話を伝えました。箸墓古墳は倭迹迹日
画像・わんわんマルシェ「卑弥呼の犬」本日わんわんマルシェなるイベント(阪神尼崎駅前中央公園)へ出かけました。マルシェはフランス語で、「市場」の意味で、ワンちゃんの洋服や、おやつなどがたくさん並んでいました。嬉しかったのは客の多くが犬連れで、たくさん写真を撮らせて貰えたことです。撮影2023.10.15尼崎中央公園画像と記事は関係ありません(以下同じ)奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から、3世紀前半ごろとみられる犬の骨が出土していて、体高は約48センチで中型犬だと推
いにしえの里、万葉の地自然豊かな里山の秋。庭の2本ある金木犀の花が満開。秋の風に乗って穂の香に甘くやさしく香りが届けられ金木犀の香りに包まれるしあわせ。ありがたいなぁ。心がほわっと緩みます。お風呂の窓からも、金木犀の香りが届けられ、しあわせなお風呂時間。実りの秋、里山の風景も彩り豊かです。ぴーっと、口笛のような鹿の声が、よく響いてきます。箸墓古墳、三輪の里が眺められます金木犀とにほんみつばちさんの住居香りに癒やされます金木犀と秋桜の花金木犀の木の
明日香村の彼岸花まつりにも行きそびれたことを知って、無性に彼岸花が見たくなりました。それでふと思い立って、桜井市の箸墓古墳あたりを散策することにしました。出発はJR巻向駅。遠くに二上山。そろそろ桜井市の桧原神社のしめ縄の鳥居越しに二上山に日が落ちるのが見える頃。この日はまだ早いので、そのスポットを探して撮影するのを、ゴールに設定しました。その場所は大神神社でした。写真は大鳥居をほぼ真横から見たところ。上の二上山を撮ったところから見えました。『大神神社の大鳥居の夕景(2023.92
昨日、客先で4時間ミーティングそして、夕方は広いイベント会場視察と、通気性が悪い服装にパンプス👠で汗だくで歩き回り💦結果、ヒールで10000歩👣。たった約7kmでも足がこむら返しになってます〜😅💦先週の三輪山登拝の日は、約23000歩、14kmでしたが逆に爽快で全く身体に痛みもなかったことを思うと、、靴って、本当に大事だなぁ🙏と改めて思いました🙇♀️さて、三輪山をあとにし、立ち寄ったのは、卑弥呼の墓と言われる箸墓古墳へ位置関係はこんな感じ全長272mの前方後円
我が地元、奈良県桜井市が誇る三輪山・卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳、葛城市の二上山・御所市の葛城山。インターネットの配信に比率が16:9の写真が要るので今日はコンデジ。今の新しいスマホには負けるかもしれませんが、コンデジでもまあまあでしょ?彼岸花と三輪山うろこ雲と三輪山夕日を浴びる三輪山箸墓古墳と二上山に沈む夕日