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「高名美人六家撰・旭屋後家」の再現和歌で有名な六歌仙になぞらえて、当時の江戸で評判の美人をシリーズで取り上げた浮世絵です。湯上り姿の妖艶さを歌麿がうまく描写したものといわれています。眉を落とした顔や乱れたおくれ毛の描写に若い未亡人の色っぽさが見事に表現されています。ここで後家という用語は現在では禁止用語に当たると思いますが、当時の表現どおりにしています。大判錦絵の浮世絵美人画を、金箔、銀箔、色箔および箔紛を交えた箔飾画にて再現を試みたものです。当時、寛政の改革で特定の人物の名前を表記
家紋額を作る工程と小道具類微細修正と裏止め裏面から純金箔を貼る作業を終えると、さらにその膜を補強する工程に入ります。中金箔と呼ばれる箔で重ね貼りを行うのです。この後は十分な時間をかけて自然乾燥をしなければなりません。この状態まで来れば、家紋額の制作も七部通り仕上がったと言っていいでしょう。ほっとする瞬間です。十分乾燥できたと認められたら、裏止め作業に移っていくのです。金粉と溶剤を混合して十分に攪拌します。むらなく攪拌してドロッとした液状になれば、それを筆に取り箔貼りした個所を
家紋額を作る工程と小道具類金箔貼り(箔押し)家紋の部分に金箔を貼る箔押しの工程です。薄く箔のりを付けたガラス上に純金箔を貼り付けます。箔は数ミクロンという超薄いため、複数回貼り付けていくのです。箔貼り工程がうまくいかないと全てがやり直しという緊張した作業でもあるのです。この工程迄うまくこなすことができればホッとして、気持ち的にはすごく楽になる瞬間です。
家紋額を作る工程と小道具類原画と副木作りたい家紋の原画を下に敷き、その上にガラスを置いてきれいに汚れを取り除きます。それから絵筆やコンパスなどを使って家紋部分を残して黒色塗料で埋めていきます。この図柄は剣酢漿草紋(けんかたばみもん)ですが、原画の黒色部分が実際に金箔を貼る個所なので、そこは塗らない訳です。このときに手が触れないように副木を使います。これも自分で考案・製作した小物類のひとつです。
家紋額を作る工程と小道具類筆類と腕あてはじめはものを描く筆ですね。これは家紋原画を模写する場合に用います。一番ひだり側が細い面相筆で、みぎに行くほど太い筆になります。また、右下の写真は図を描く際に、手がガラスに触れないように支える腕あての副木です。
家紋制作の工程と小道具類の紹介(1)金箔・銀箔・色箔家紋額はほとんど純金箔を用います。純金箔は非常に薄くおよそ1~2μm(ミクロン:マイクロメートル)です。1万分の1から2ミリメートルという超うすいものなのです。外の光に透かして見るとグリーン色に見えるから不思議です。そのほか、銀箔、色箔、箔紛なども箔飾画には使用します。純金箔純銀箔
広重の浮世絵を箔飾画で再現しました。東海道五十三次之内「蒲原」広重は寛政九年(1797)年に江戸に生まれ、幼名を徳太郎といいました。幼くして父母を失いましたが幼い時からの絵の才能を見込まれ歌川豊広に入門し、やがて歌川広重を名乗ることを許されました。広重の浮世絵のうち東海道五十三次はあまりにも有名ですが、それらの中でも朱印に「夜の雪」と記されているこの絵は圧巻です。深夜に降り積もった雪の中を黙々と歩く旅人の姿は、清閑の極致を表現した傑作といえるでしょう。箔飾画で再現したこの
葛飾北斎の浮世絵富嶽三十六景「山下白雨」葛飾北斎は江戸時代後期に活躍した画家で「葛飾北斎伝」によると、嘉永二(1849)年四月十八日浅草の借り長屋で、九十年の生涯に別れを告げるときに次の言葉を残しています。「天我をして十年の命を長ふせしめば、(しばらく絶句した後)、天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」北斎は生涯に渡って一か所に落ち着くことなく、九十三回も引っ越しを繰り返しととされています。また、雅号についても執着することなく三十以上もころころと変
藤堂高虎公の生誕地である滋賀県甲良町はいま藤祭りです。しかし、今年は寒暖差の激しい気候のせいか未だ短く少し開花は遅いようです。在士(ざいぜ)八幡神社近くの公園には、高虎公の銅像があり当時の家紋入りの灯篭が残っているのです。藤堂家の家紋は「藤堂蔦」として知られています。藤堂高虎は浅井、豊臣、徳川などの多くの主君に仕え築城の名手として有名です。当時宮家から菊紋・桐紋などを賜っていた豊臣秀吉から、武勲の褒章として桐紋を許されましたが、主家への遠慮から蔦紋にしたともいわれてい
国宝彦根城の天守閣に住むひこにゃんひこにゃんの3ポーズ箔飾画でひこにゃんの額を作ってみました。顔と身体と剣は銀箔を使い、兜は金箔と色箔用いました。可愛いですね。
「丸に違い矢」紋今日では家制度の多くが崩壊し、夫婦単位の生活様式が普通になり、同時に家紋に対する関心も極端に薄れてきました。しかし、考えてみれば千年以上にわたり脈々と受け継がれてきた伝統ある家紋が、そう簡単に潰えていいはずがありません。各家に名字があるのと同じように家紋が受け継がれていることは、日本の優れた文化ではないかと思うのです。このたび、「名字・家紋大辞典」という書籍が発刊され、新聞やテレビで宣伝されています。かなり関心が高まっていると思われます
我が家の家紋はなんだろう?自分の家の家紋は何だろうと永久不考えた方も大勢おられることと思います。私の家は「丸に違い鷹の羽」紋ですが、気付いたのは中学生の頃だったと記憶しています。友達との間で何かの時に話題になり、それぞれ家に帰って親に聞くことにしたのです。我が家の親父は今の長野県安曇野市出身でした。そういえば後年親父の実家の墓参りに行ったとき、墓石に「違い鷹の羽」が彫られていたのを思い出しました。昭和40年代後半から純金箔による家紋研究を始めるとともに「箔飾美術研究会」
葛飾北斎の富嶽三十六景浮世絵の大家である北斎は生涯に膨大な絵を残しています。中でも有名なものは富嶽三十六景でしょう。富士山に魅せられた北斎は、あらゆる角度から、霊峰富士の姿を表現しています。別にさらに視点を変えた富嶽百景も残していますが、やはり雄大な富士の姿を図にした富嶽三十六景の方が圧倒的に知られていますね。この版画は四十六図あって、絵の中に必ず富士が描かれています(当然ですが……)。その中で五指あるいは三指にも数えられると思われるのが、写真の「山下白雨」です。この版画の色
迷企羅大将薬師如来および薬師経を信仰する者を守るという十二神将。薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれの神将が十二の方角、十二の時、十二の月を守るとされています。各神将がそれぞれ七千の眷属夜叉を率いるため、総数8万7千にもなるといいます。この数は人間の煩悩に相当するとされているのです。この十二神将の守護神のうち、迷企羅大将を箔飾画で表しました。十二神将が存置しているお寺はいくつかありますが、新薬師寺のものは日本最古、かつ、最大の仏像なのです。荘厳で重厚な純
愛犬の肉球が可愛い!我が家で飼っているシェットランド・シープドックの肉球が、けっこう可愛いので足形を取って金して箔画の応用編として作ってみました。まず、墨汁や絵の具などを使ってワンコの足形をペーパーに写します。次いで、形に添って縁取りして型紙とします。その後、形の部分に箔を貼っていって完成です。この場合、金箔には黒の背景を、銀箔には朱の背景を塗りコントラストを付けました。金箔での肉球再現銀箔での肉球再現
歌川広重・東海道五十三次「蒲原」の版画は、実は原画が2パターンあるのです。当時の版元の違いにより発行されたものです。いずれもしんしんと降り続く雪の中を、旅人が黙々と歩く場面ですが、暗闇の程度を変えているのです。空を漆黒の闇にしたものと、幾分明るく夕闇にしているものです。箔飾画制作では、基本的に空を純金箔で示し、降り積もった雪を純銀箔で表現しました。そして、家の周辺の暗闇を濃紺の箔と箔粉で描いたのです。降り続ける雪や足跡は、銀粉を使っています。また、旅人がさしている唐傘、杖、
東海道五十三次より「蒲原」浮世絵をテーマにした場合した場合、その絵柄によってどのような材料を使うかを慎重に検討する必要があります。なぜなら、仕上がった箔飾画が元の浮世絵をどのように再現できているかが問われるからです。もちろん、版画に対しての箔飾画ですから異なることは当然ですが、できるだけ元の芸術性を失わない品格を保つ工夫が求められるのです。歌川広重の東海道五十三次の中で、「蒲原」における雪景色はたいへん魅力的な絵として有名です。箔飾画は金、銀などを中心に箔や箔
楽しい趣味を起業化するというユニークな発想で生まれた趣味起業ベテランから始めたばかりの人達が一堂に会します。好きなことをして副業にもなるという楽しい企画が満載です。いろいろな楽しい企画も予定され、また有益なセミナーなども無料で聞けますよ。ぜひ、足を運んで下さい。京セラドームですよ。https://www.facebook.com/events/938240333029113/
金属をすごく薄く延ばしたものを箔といいます。日用品で使うアルミ箔などは最も親しまれているものでしょう。同じ金属でも貴金属となるとぐっと価値が増してきます。その中でも金箔は代表的なものといえます。昔から受け継がれている国宝や重要文化財にも多数の金箔が用いられていることはいることはご承知のとおりです。金閣寺、金色堂などの建造物に加え、日本中にある仏像などは今日まで立派に引き継がれているのです。これだけ長い期間の保存に耐えているのは腐食が進みにくい漆技術や箔技術が大きく貢献していると思
9月8日(土)に大阪の京セラドームドームで趣味起業EXPOが開催されます。ここに手作り品を出展することにしました。まず、箔飾画の家紋、仏画、浮世絵のいくつかを展示し予約受付を行います。また、七言絶句の漢詩を自分で作ることができる教本セット(テキスト+DVD作品)も展示します。いずれも「EX趣PO」出展記念としての数量限定の企画です。
彦根城のマスコット「ひこにゃん」の3ポーズ【お知らせ】9月8日(土)に(社)全日本趣味起業協会が主催する京セラドームの展示会に出展することにしました。ここで、長年蓄積した箔飾画、金箔画、家紋を展示します。格調高い箔で作った創作品をぜひご覧下さい。https://ameblo.jp/shumi-kigyo/entry-12396121397.html
葛飾北斎富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」(6号)葛飾北斎富嶽三十六景「山下白雨」(6号)そのほかの箔としては色箔というものがありますが、それらは銀箔などに着色させて色目を付けていく方法で作られています。赤、ベージュ、青、鶯色、茶色など、かなり広範囲にわたって豊富な色彩のものがあります。一方、色箔を用いる作品は浮世絵が筆頭に上げられるでしょう。歌麿に代表される美人画、広重の東海道五十三次、北斎の富嶽三十六景などは箔飾画の適材となります。それとは別に自
金箔単色の家紋類弥勒菩薩の半跏思惟像薬師十二神将「迷企羅大将」箔飾画というものは金属箔を使って目的とする絵柄を描いていくものです。箔のうち最も貴重なものは純金箔でしょう。次いで純銀箔があり、それぞれ配合率によって品質が分けられています。金箔は高貴な雰囲気があるため高級料理にも使われ、食用にもなっているくらいです。極薄の数ミクロンまで延ばすことができるので、多くの建造物、仏像、宝物、書画骨董などに加えて、由緒あるところでは家具調度品にも金箔が使
弥勒菩薩の半跏思惟像仏画シルエットを元にして弥勒菩薩の半跏思惟像を金箔画で作りました。金箔を裏側から貼っていくためには、原画は反転した図柄にする必要があるのです。半跏思惟像は通常は右手を頬のところの傾げていますので、当然のこと原画は左手を上げている図となります。上の写真は金箔を貼り終えた貼り終えたところ、裏止めをしているところ、完成した金箔画です。【お知らせ】9月8日(土)に(社)全日本趣味起業協会が主催する京セラドームの展示会に出展することにしました。
金箔貼りの工程仏画のシルエットを模した金箔画です。ガラスのデザイン部分がシルエットになっているので金箔を順次貼っていきます。純金箔を貼った後は、補強する意味で中金箔を貼っていくのです。中金箔というのは銀箔を化学反応で金色に着色したものです。乾燥後に裏止めとして金粉を溶かしたもので補強していくのです。さらに乾燥後、バックの塗料と同じものを塗布して仕上がりとなります。それから、9月8日(土)に(社)全日本趣味起業協会が主催する京セラドームの展示会に出展することに
箔貼り工程箔の継ぎ目がはっきり見えては作品も台無しになります。濡れた筆で貼った銀箔を少しずつこすり落とすのです。境界面の箔がうすくなった上に次の箔を貼ることによって、継ぎ目が目立たなくなるのです。何回も慎重に重ね貼りをしていきます。このようにして銀箔貼りを行いますが、裏止め補強に備えて十分常温で乾燥させる時間が必要なのです。
箔貼り工程いよいよ箔貼りの順番です。先ず箔糊をつくります。耳かき一杯強の糊を50℃位のお湯で200mlほど溶かします。完全に溶けるまでよくかき混ぜることが大切です。それを霧吹きで吹き付けて直ちに銀箔を貼り付けるのです。その後、時間をおかずに新聞紙をあてて上から押さえるのです。何回も乾いた新聞に取り替え水分を取っていきます。
箔飾画制作工程(デザイン画を写す)箔飾画のうちj純金箔を用いて制作するものを金箔画と称していますが、いろんな種類の箔を使う場合もあります。今回は銀箔を使用した例をご紹介しましょう。金箔の格調ある高貴な雰囲気とは別に、銀箔は優雅な華やかさを感じさせる組み合わせです。裏地は朱色を使います。箔による仏画のシルエットをテーマに薬師十二神将のうち「迷企羅大将」を制作していきます。まず、きれいに磨いた透明ガラスお裏側にデザイン画を置き、ガラスの表側から絵に添って細い
下絵の修正は曲線定規で実施下絵ができあがったデザイン画はゆっくりと常温で乾かします。それから曲線定規などを使って絵柄の修正を行うのです。この作業は面倒ですが作品の仕上がり品質にえ影響するのでおろそかにはできません。十分に時間を掛けて作業していきます。
箔飾画東海道五十三次「蒲原」浮世絵師で歌川広重といえば先ず思い浮かぶのが東海道五十三次でしょう。東海道の宿場町を順に描いたこのシリーズは、当時の江戸の人達のロマンを刺激し絶賛されたということです。特に「夜の雪」と朱印に示されているこの「蒲原」はシリーズの中でも圧巻とされています。しんしんと無音で降り積もる雪の静けさ、その中をもくもくと歩く旅人とのコントラストを見事に表現した傑作といえましょう。この「蒲原」の図は二通りあって、相互を見比べると微妙な表情の差異が認められ、歌川広