ブログ記事85件
今日は仲間と暑気払い。根津の鰻屋さんで楽しみました。さて、本日のテーマは、忠隈炭坑の櫛型日付印です。錦糸町のイベントで、パインさんにいただきました。小生が鉱山関係をやっているので、筑豊炭田関連のエンタ類を探し出しては持ってきてくれるのです。ありがたい限りです。データは、忠隈炭坑(D欄福岡)昭和35年11月10日後0-8〔忠隈炭坑局の沿革〕〔忠隈炭坑について〕忠隈炭坑は、麻生太吉氏が明治18年に開坑しました。明治24年・明治25年と2年連続で
先日マイクロエースから発売になったセラ1+セフ1、セラ1+セム6000帯なしセットが入線模型はヨンサントオ以前の速度制限の黄帯が巻かれる前の状態を再現筑豊炭田をはじめとする、北九州の炭田が斜陽化が始まるあたりでしょうか北海道のセキを連ねた石炭列車も迫力ありますが、2軸の石炭車を連ねた編成もかわいいですね
あーあ。。12月になっちゃった。2024年の11月のネタを1年越えちゃったまぁ、いいか。覚えてる範囲で残していこうと言うことで2024年11月。この日は南下しなくては行けないので、直方を経由することに。私の母は飯塚出身でしたので、昔の栄えてた頃を聞いてましたね。そう。筑豊は炭鉱で栄えた街。詳しくは知らなかったのでコチラヘ見学。入館料は100円。わざわざ説明をくださる方が居られて軽く説明。我が家の近くにも炭鉱跡があり、身近な炭鉱。中学校の窓からはボタ山見えてましたからね。
2025年10月16日(木)中間市は、筑豊炭田の一角をなし、市内の中央を流れる遠賀川の水運により栄えた。現在は北九州市のベッドタウンとして開発されている。JR中間駅。JR鹿児島本線と合流する折尾駅(北九州市)から2駅で10分もかからない。炭鉱で栄えた頃はこの駅付近に繁華街があった。JR中間駅から開発され現在の中心街である筑豊電鉄の駅やイオンがある方向へ行ってみる。2km程度ある。中心街のメインストリートにある北九州発祥のうどん店。昨年から関東地方に店舗展開していて混雑しているが、北九
福岡市南区の住人、ハイジャン男のブログアメブロ友の芳根杏子さんの「芳根杏子日記」の俳句の本日のお題は「鮭」だった。以下の俳句とコメントを送った。『ハイジャン男さん福岡市は晴れ、気温25℃です。本日のお題は「鮭」。日本海側で鮭が上って来る川の南限が福岡県の遠賀川です。筑豊炭田のあった飯塚市や田川市を流れている川で石炭を運び出すのに利用されていました。このため川は石炭で真っ黒になり鮭の遡上は途絶えていました。鮭の遡上を復活させるために水質改善や稚魚の放流に努めた結果、1978年に鮭の遡上が確
「青春の門」「青春の門」予告編1981年1月15日公開。五木寛之の大ベストセラーの映画化。興行収入:8.2億円。原作:五木寛之「青春の門」脚本:野上龍雄監督:蔵原惟繕、深作欣二キャスト:伊吹重蔵(じゅうぞう)-菅原文太-「昇り蜘蛛と呼ばれ、坑夫たちのまとめ役。信介が幼い頃に亡くなっている。喧嘩っ早いが人情があり男気溢れる男。伊吹タエ-松坂慶子-重蔵の妻。信介の母。愛情深く厳しく信介を育てる。普段は謙虚だが時に身を挺して行動を起こ
福岡県直方市に仕事で行った帰りのプチ観光。<前回ブログ>直方市石炭記念館前編では、坑夫の像、炭鉱で使用されていた重機、蒸気機関車、そして新館を見学しました。『福岡県直方市直方市石炭記念館【前編/新館】』福岡県直方市に仕事で行って来ました。浅学なので「直方」は難読地名に感じます。「NOGATA」アクセントの位置は、「お」だそうで、「のお↗がた」と発音するのだ…ameblo.jp直方市石炭記念館直方市直方692-4開館時間:9:00~17:30
福岡県直方市に仕事で行って来ました。浅学なので「直方」は難読地名に感じます。「NOGATA」アクセントの位置は、「お」だそうで、「のお↗がた」と発音するのだと現地の方に教えていただきました。筑豊平野のほぼ中央に位置し、筑豊三都(飯塚市・田川市・直方市)の一つで石炭の集積地として近代日本を支えた直方市。そんな筑豊炭鉱の歴史を後世に伝える資料館を見学してきたのでご紹介したいと思います。直方市石炭記念館直方市直方692-4開館時間:9:00~17:30閉館日
福岡県飯塚市にある三菱飯塚炭鉱跡を見てきました。若い人には石炭の話は聞いたことがあると思いますが使ったことがないでしょうね。私が幼少の頃は石炭を燃やして風呂に入ってました。『九州・筑豊で三菱飯塚炭鉱跡を見てきました(前編)』福岡県飯塚市にある三菱飯塚炭鉱跡を見てきました。若い人には石炭の話は聞いたことがあると思いますが使ったことがないでしょうね。私が幼少の頃は石炭を燃やして風呂に…ameblo.jp前編からの続きです。前編で紹介した巻き上げ機
ここまで書いておきながらではありますが、ふと気付きました。自分でさえも生い立ちが複雑過ぎて意味不明なことが多いなかで、それを文章にして人に伝えることは困難ではないかと。私の文章を読んで下さる方々に、もっと文章を理解して頂くには、ブログのなかで背景となる、私の幼少期(物思いがついた頃から、初めて犯罪に手を染めるに至った時まで。)の簡単な自己紹介の必要性を感じています。そう言うことから今回は、生い立ち(履歴)を簡単に掲げたいと思います。但し、場所や人物など特定出来るものに関し
2年ぶりに、九州を訪れました今作と次作の2回で、北九州"から"の小トリップをご覧頂きます。今作(前編)では、"西鉄版LRT"(?)ともいえる筑豊電鉄に乗って筑豊・直方市を訪ね、次作・後編では、小倉から大分県日田へ延びるローカル線・日田彦山線が今夏、大リニューアルの上、災害からの復旧を果たした様子を、実際乗ってきました前後両編とも、沿線の名所や歴史も入れながら、Wo流に廻っていきます。よければお付き合い下さい。ではスタートですやってきました、↑JR黒崎駅です(※北九州市八
昨夜泊まったビジネスホテルは、繁華街や交通の要衝ではない「日の出橋」付近の、奥まった立地のホテルでしたので、一寸不安でしたが、会社関係の宿泊者が多く、普通に賑わっていました。今日は「日ノ出橋」の袂から、出発し「遠賀川」を渡ります。江戸期は、右端「銀杏の大木」の所に「頓野の渡し(頓野口)」が、ありました。橋を渡り、対岸の銀杏の木がある「頓野口」へと迂回し「長崎街道」をを歩いて行くと「古町商店街」(直方市)となります。「炭鉱で栄えた」商店街ですが、時の流れとともに、完全な「シャ
鉄印収集の旅、今回は「平成筑豊鉄道」です。くま川鉄道は、インターネットで購入した為、これで九州地方は終了しました。くま川鉄道は、工事が終わってから、改めて乗りに来ようと思っていますが、寄付という意味合いでは、少しでも早い方がいいと考えて、ネットで購入することにしました。鉄印帳を取り出し、収集した鉄印を数えると、23枚目でした。残り17枚となりました。何も考えていなかったのですが、何時の間にか、折り返しを越えていました。死ぬまでに、コンプリートしたいものです。平成筑
2021年5月3日の福岡県田川市と福岡県飯塚市の歴史散策の続き。「旧三井田川鉱業所伊田炭鉱跡地」「石炭記念公園」「田川市石炭・歴史博物館」の続き。旧三井田川鉱業所伊田炭鉱跡地(その7)石炭記念公園・田川市石炭歴史博物館のレポ『旧三井田川鉱業所伊田炭鉱跡地(その7)石炭記念公園・田川市石炭歴史博物館~福岡県田川市の炭鉱遺構』2021年5月3日の福岡県田川市と福岡県飯塚市の歴史散策の続き。「旧三井田川鉱業所伊田炭鉱跡地」「石炭記念公園」「田川市石炭・歴史博物館」の続き。旧
なかなか立寄ることがない駅向こうの裏手の駐車場から来ました世界記憶遺産山本作兵衛氏の炭坑画の模写がトンネル内にありましたそしてあの向こうには…石炭を運んだSLが壁に描かれていて迫力がありますね筑豊炭田があった記憶すらない知らない世代が多くなり風化しそうです駅舎が変わってからこんなに近くで見たのも初めてです駅舎内の『いたんこ駅舎内うどん屋さん』ではうどんが幼児・小中学校生・学生に奉仕価格で提供されていました。パン屋さんもありました。いつか…いつかわからないけど立ち寄って
先日、福岡県嘉麻市にある“道の駅うすい”へ行った際、そう言えば、昔この辺りの廃線跡を辿ったなぁ…と懐かしく思い出しました。そこで、当時の記憶を頼りに、筑豊の鉄道の痕跡を辿ることに。先ず向かったのが、旧国鉄漆生線・才田駅跡。ネットにはホームの写真が載っていましたが…もはや跡形も無くなっているだろう、そう思いつつ車を走らせていると、先ずは築堤と橋梁の跡を発見。同じく既に廃線となった、旧国鉄(こちらはJRまで存続)上山田線・嘉穂信号場から分岐してきた、線路跡と思われます。今や雑草・
今から約140年ほど前の明治14年/1881年。この年に初めて福岡県が各種統計データを福岡県統計年表としてまとめています(発行は翌年。後の統計年鑑)→福岡県サイト:福岡県統計情報アーカイブ→明治時代年表:おさらいはコチラ以下ではこの統計年表を抜粋し、私の故郷がある北九州西部(当時の遠賀郡)を中心に振り返ってみます。どこまで情報があるのか分からず、読みながら書きます。テキトーです。あしからず。もしよろしければお付き合い下さいませ。明治14年は廃藩置県から10年が経過しており、福岡県が
今日は週末でお疲れモード。正直なところ早く寝たい状況さて、本日のテーマは、筑豊炭田の炭坑夫差出の書状。パインスタンプさんが小生のために取っておいてくれた物です。4点とも同じ差出人、同じ宛先です。差出人の所属が変わった結果、引受局も変わっています。①福岡県鞍手郡新入村長田炭坑第三坑第二番ナヤ・・・筑前/木屋瀬明治34年12月25日ニ便②福岡県鞍手郡新入村永田炭坑第三坑第二納屋・・・筑前/木屋瀬明治35年1月8日へ便③福岡県鞍手郡新入炭坑第一坑・・・筑前/直
今日は老老介護の栃木に行くつもりが台風通過で明日に先送り。各地で被害が起こりませんように。さて、本日のテーマは、鉱山関係の色々です。全日本切手展2022での頂き物やら買った物やらです。①朝窒龍門鉱業所・・・よく調べると鉱山関係と言うよりチッソが展開した肥料工場でしたチッソの創業者野口遵が1926年、日窒の全額出資で朝鮮水電を設立、1929年に第一期工事が完成して送電が開始された。この電力を消費するために建設されたのが興南工場で、1927年に朝鮮窒素肥料を設立、硫安の製造
ちょっと忙しくて、更新が疎かに…。筑豊本線の起点・若松駅に着きました。駅名標の向こうに、おしゃれな電車、そしてその向こうにマンション群。この右の空間には、いくつもの線路があって、ひっきりなしに石炭を積んだ貨物列車が到着していたはず。筑豊炭田の各地から運ばれてきた石炭は、若松で船に積み替えられていったので、若松駅は石炭到着量1位、若松が石炭積み出し港1位だったそう。航空写真を見ながら、かつての構内・ヤードの位置を想像するのも楽しいホームの上屋もなんだか時代を感じさせ
すおはようございます。久しぶりに朝から晴れた大阪です。そして、昨夜は6時間眠れて快適な朝を迎えています。安眠時間が私のラッキーナンバーの“227”なんかいいことがあるかも知れません😀さて、花はアカネ科ヘクソカズラ属のつる性多年草のヘクソカズラ。この名前は、花や実を潰したりすると不快な匂いが生じることに由来しています。わざわざ潰して不快なにおいを嗅ごうとは思いませんけどね(笑)以前、Instagramで私がヘクソカズラと言っていたら、フォロワーさん
奥出雲の製鉄業者が1883年にたたら製鉄の苦境を訴えた県知事あての陳情書には、「譜代召抱ノモノ四千六十二人、ソノ他鉱業上ニ使役スルモノ壱万三百十人」とある。家族も含めると、奥出雲のたたら製鉄で暮らす人たちは5万人を超えたと見られている。(島津邦弘『山陽・山陰鉄学の旅』中国新聞社1994)製鉄業者の窮状に救いの手を差し伸べたのは海軍だった。この地域で生産される鉄はリンやイオウの含有量が少なく、砲身、砲弾などの製造に必要な特殊鋼の素材として適していた。日露戦争の頃には奥出雲で生産される「玉鋼
田川市石炭・歴史博物館この町に入ると、二本の煙突がそびえ立つのが見えますかつて黒いダイヤと呼ばれ、日本の近代化を支えた石炭。筑豊炭田は日本一の出炭量を誇りました。豊富なエネルギー資源を持つ筑豊は、炭鉱と共に栄え、そして閉山と共に衰退していった地域でもあります。旧三井田川鉱業所伊田竪坑第一・第二煙突この煙突が炭坑節のモデルとなりました。あんまり〜煙突が高い〜ので、さぞやお月さん、煙たかろ。サノヨイヨイ♬私も小学生の時に盆踊りで踊りました。唯一、私が踊れる振り付けです田川
先日、桂川町から旧宝珠山炭鉱跡に向かった際、途中で煉瓦造りの不自然な建造物が!御来欧音の産業遺産感知センサーが作動!!(笑)民家の一部に飲み込まれていますが、明らかに違和感があります。帰路に反対側からもパシャリ。帰宅してから色々調べたら、筑豊地区ではお約束、炭鉱の巻揚げ機台座跡だったんですね。この炭鉱は、明治鉱業平山鉱業所といい、1885年に開坑しました。明治鉱業株式会社が平山鉱業所を取得しましたが、1972年に閉山しています。おまけ1:県道90号
以前、飯塚市幸袋の炭鉱王の屋敷跡、旧・伊藤傳右衛門邸で見たこのパネル。筑豊の炭鉱王・伊藤傳右衛門が明治末年に取得し、大正5年に第1坑、昭和10年に第2坑が開坑した宝珠山炭鉱。伊藤傳右衛門の存命中は落盤事故も殉職者も出さなかったという優良炭鉱だったそうです。日本一の立派な社宅と、清流を穢さない様な浄化装置を備えた理想の鉱業所だったとか・・・・。旧宝珠山村は、未だに水害の爪痕深い場所ですが、本日行ってみました。戦前に、飯塚市幸袋の伊藤傳右衛門邸から移築された炭鉱社員社交場の「いぶき館
2021.10.1現役時代の田川炭鉱①=三井田川炭鉱=創業1890年(明治33年)閉山1964年(昭和39年)筑豊炭田は、北九州市、中間市、直方市、飯塚市、田川市、山田市、遠賀郡、鞍手郡、嘉穂郡、田川郡の6市4郡にまたがる日本の主要な産炭地でした。筑豊炭田は室町時代に地元住民が石炭を発見したことから始まり、江戸時代中期には製塩の燃料として石炭を利用するようになったことから、小倉藩と福岡藩は域内の石炭採掘・輸送・販売を藩の管理下に置き、炭鉱の開発を進めました。明治時代に入ると、18
はい!奈央です。久しぶりの神武天皇伝承地を訪ねてシリーズです。今、私は山の神公園というところにいます。以前のブログで走り回っていたところです。この公園は、ある山を見るのにいい場所だというのでやってきたのです。その山は筑豊富士という異名を持った山なのです。私としては、筑豊の三大ピラミッドといった方がしっくりくるんだけどな。筑豊富士太郎の部屋HPよりお借りしました。ギザの3大ピラミッドPhotoGalleryHPよりお借りしました。それは、
■『JR西日本どこでもきっぷ』で行く山口・福岡その3直方の鉄道スポッティングを二ヵ所巡ります。まずは筑豊直方駅の近くのスポッティングから。北西の方へくねくねと、あみだくじ的に道を歩くとやがて筑豊本線の線路沿いに出た。そこから線路に沿って北へ少し行くと見えてきました!直方駅の転車台。朝行った新山口駅(小郡駅)にはかつて転車台が2基あったそうですが、ここ直方駅はなんと!転車台が3基あったそうです。撤去されてしまった2基の転車台は駅に隣接したとこにあったそうです。
本日は2月2日、2‐2Dayですので、宮田町の石炭記念館(旧大之浦小学校跡)に保存されている貝島炭鉱22号蒸気機関車をご紹介します。34,500円という購入価格はいったい幾ら位なのでしょう?国会図書館のHPで、大正5年の1,000円は現在の923,800円という指数が載っていました。そのままの比率でいくと、31,871,100円となります。23号同様の弁当箱スタイルに、古風な連結器。赤色が美しいアクセントになっています。やはり貨車のロトを牽引した状態で
今日は老老介護の栃木県へ。首都高から東北道を使って北上しますが、3回の事故、1回の交通集中による計4回の渋滞で、いつもの2倍の時間がかかりました。日頃ロングドライブしていないので疲れました。天気も良く行楽方々出かけた方が多かったのでしょうか?さて、本日のテーマは、田川採炭株式会社差し出しの葉書(筑豊炭田関連)。実はこのアイテムは、愛知県の某氏がPスタンプの地元消しとして贈呈したものを、小生が鉱山関連を収集している事を知っていたPスタンプがプレゼントしてくれたものです。(ということなの