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少し前に7回に渡って「古事記奇譚」と題した記事を書きました。日本の神話の神髄と特徴に迫ろうと試みるも結論が腑に落ちないまま、「誰か教えてぇ~」とごまかしてしまいました。(誰も教えてくれませんでしたが、本当に教えて欲しい)残ったのは次のような「謎」1.「国譲り」はいつだったのか2.天孫降臨はなぜ「次男坊」のニニギノミコトなのか3.天孫降臨は出雲ではなく、なぜ筑紫の高千穂だったのか4.コノハナノサクヤビメが生んだ三兄弟の次男は?5
この「古事記奇譚シリーズ」では、神様に関西弁をしゃべらせたり神さまを「ボンボン」だの「ヘタレ」だのと表現しましたが神さまを揶揄する意図は全くありません。愛国者の一人として、天皇家を誇りに思い、敬愛の念を持つ私としては天皇家の祖神を軽々しく表現すべきではなかったかも知れません。が、神話をもっと身近に感じてもらい日本の八百万の神々が「人間っぽい」ことを表したいという私なりの趣味の悪い表記だとお許しいただければ幸いです。そのような表記が不愉快と感じられる
【各国から使者来る】天智十年(671)正月九日、高麗、上部大相可婁等を遣わし調を進上した。十三日、百済鎮将劉仁願は、李守眞等を遣わして上表した。中略秋七月十一日、唐人李守眞等・百済使人等、一緒に帰国した。【考察】天智十年(671)正月、668年に唐・新羅軍の攻撃によって滅亡した高麗から使者が来た。唐の羈縻政策で国としての体裁は維持しているのであろう。あるいは唐の指示によるものかもしれない。さらに百済に駐留している唐の鎮将劉仁願は李守眞等を派遣してきた。李守眞等は半年
【天智八年是歳条の重要な三つの記事】天智八年(669)、是歲、小錦中河內直鯨等をさしむけて、大唐に使いさせた。佐平餘自信・佐平鬼室集斯等男女七百余人を近江国蒲生郡に遷居させた。大唐は郭務悰等二千余人を遣わした。【考察】天智八年(669)是歳条には三つのことが記されている。全て非常に重要なことに思われる。一つは遣唐使の派遣、この遣唐使は『新唐書』日本伝に記された「咸亨元年(670)遣使賀平高麗」と合致する。唐に対して高句麗の平定を祝賀すると同時に自分たちは日本から来たと名乗
【郭務悰の来訪】(天智三年:664)夏五月十七日、百済鎮将劉仁願、朝散大夫郭務悰等を遣わして、表函と献物を進呈した。冬十月一日、郭務悰等を発遣する勅を宣した。この日、中臣內臣は、沙門智祥をつかわして郭務悰に物を賜与した。四日、郭務悰等を饗応した。)十二月十二日、郭務悰等は帰国した。是歲、対馬島・壱岐島・筑紫国等に置防人と烽を置く。又筑紫に大堤を築き貯水した、名付けて水城という。)以上が天智三年(664)最初に郭務悰が来訪した
【『日本霊異記』に記載された説話】『日本霊異記』第十七「兵災に遭ひて、観音菩薩の像を信敬したてまつり、現報を得し縁」百済救援軍の一員として派遣され捕虜となった兵士の物語である。兵士は伊予国越知郡の大領の先祖越智直。百済での戦いで唐に敗れて八人の兵士がある島に捕らわれの身となる。その地でたまたま取得した観音菩薩像を大切に信敬した。八人はひそかに島の松の木を切って船を造り、観音像を安置して念じていた。ある日西風が吹いたので船に乗って脱出すると、風に乗って筑紫に到着した。この話を
「ところで、サルタヒコさまは、ニニキネさまがこちらに行幸されるのを、どうしてごぞんじだったのですか」ウスメさまがたずねると、「それはもう、わしは、千里眼だからな」と、サルタヒコさまはいって、楽しそうに笑いました。ウスメさまは、いっしゅん、おどろいた顔をされましたが、たのもしくて男前なサルタヒコさまに、うっとり見とれてしまいました。こんなにすてきな殿方と出会えて、なんてしあわせなのだろうと思いながら、ウスメさまは、つづけてたずねました。「ここから先は、けわしい山がつづ
昨日もお天気暖かい〜‼先日、アリスに本噛みされて左前脚を負傷したオチビのポン²経過診察で来院の帰り道…人通りも無いのんびりした畦道家近でリードお散歩デビューやっぱり…未だまだお外が怖い!早く帰る〜‼アピールいっぱいゆっくりコレから慣れようね!
ある日、ニニキネさまが、筑紫へ行幸される(注2)という知らせがはいりました。「筑紫。お母さまといっしょにながされた、あのくらく、さびしい、思い出の地」つらいきおくがよみがえり、タナコさまは目をふせて、胸をおさえました。その筑紫へ、さんなんぼうのウサツヒコさまがご同行することになり、タナコさまは、あるけっしんをしました。ことりたちが、ピチュピチュとさえずるすがすがしい朝、イフキヌシさまが、よくみのった橘に目をほそめていると、タナコさまが、しずしずと近づいてきました。
古事記p.77曰、「麗しき美人曰、「大山津見神女、名は、神阿多津比賣、亦名は、木花佐久夜毘賣と謂ふ」-注曰、薩摩阿多(鹿児島県日置郡)-a氏曰、「イクメ〔垂仁〕大王の母は阿多津姫である」すると、古事記は、<みまき>姫とするpre-textes(諸家の持たる帝王日継)と<阿多津姫>とするpre-textes(諸家の持たる帝王日継)の混同か??古事記曰(p.111)、「亦、大毘古命女、御眞津比賣を娶して、生みませる御子、伊玖米入日子伊沙知命(漢風諡號:垂仁天皇)」-a氏曰、
おはようございます。今日はアートDayです。ボダニカルアート作品ボダニカルアートを学んでボタニカルアートの特徴と見方ボタニカルアートは、元来は写真が無い時代に図鑑の挿絵として描かれてきた絵画です。それが美術品としても注目され、独自のアートとして発展してきました。【とても細密に描かれる】ボタニカルアートは、写真の代わりに使われていたものなので、植物を正確に、精密に、細密に描くのが特徴です。一重咲きのバラツクシイバラを描く❣英
隋書の続きです。遣隋使の真実です。607年あの有名な聖徳太子の手紙です。その王のタリシホコは使者を派遣し朝貢した。使者は『海の西の菩薩のような天子が手厚く仏法を興隆させていると聞きましたので朝拝に派遣するとともに出家者数十人が仏法を学ぶために来ました。』と言った。うん、最初の挨拶ですね。続いてその国書にいう。『日が昇るところの天子が書を日の沈むところの天子にお届けします。お変わりありませんか。云々』煬帝はこれを見て喜ばず、鴻臚卿に『蛮夷の書で無礼のあ
まずは、日本の歴史書「古事記」「日本書紀」は大和朝廷の平安時代8世紀の書物です。「古事記」を例に挙げると上巻は日本神話の世界です。・天上界天津神の住む高天原・地上界国津伸の住む葦原中国・地底界死者が住む根の国・黄泉での出来事日本神話の捏造:国産み日本神話の捏造:天照の岩戸隠れ日本神話の捏造:天孫降臨と八岐大蛇退治日本神話の捏造:神武東征ほぼ捏造です。日本神話から見る古代史物語はせっかく素戔嗚が挨拶に来たのに攻撃してきたと武装する天照誓約の儀式
こんにちは🙂✨✨現在、仕事上の宿題に追われておりますが(T_T)、久しぶりの更新です。早速ですが、以前からフォローさせていただいてるお二方の記事より。『千足古墳その3/岡山県』吉備路の造山古墳の倍塚の千足古墳を訪れました。2011年12月、石室の石障保存のため外部搬出して復旧作業が2018年度に完成予定が、2018年夏の倉敷市真備…ameblo.jp『船場橋と紫陽花』6月12日熊本県宇土市船場町宇土市指定文化財船場橋文久元年(1861)ピンク色の馬門石で造られた船場橋
さあ、大変です。三人の話が、ハナコさまからセオリツ姫さまのお耳に入ってしまいました。ちょうど、アマテルカミさまがお留守のときでしたので、セオリツ姫さまは、なんとか、ことを穏便にすませようと、モチコさまとハヤコさまを呼び出されました。そして、ほとぼりが冷めるまで、しばらく九州の筑紫に身をかくしているよう、ふたりにすすめました。モチコさまとハヤコさまは、気が進まないものの、まわりの白い目に耐えられず、しぶしぶ筑紫へとくだっていかれました。いっぽう、ソサノヲさまは、モチコ
P.45.イワレは、この強大になつた大和国の王となりましたが、まだ、東征前の誓いである、北部九州統一は出来ずにいました。ただ、クカミと阿曇族の力を借りて、南韓国の洛東江支流の南江に位置する狗邪韓国の蔚山で、製鉄させて、鉄鉱石ではなく、鉄の塊として阿曇族に運ばせて、吉備の造る玉鋼(たまはがね)と合わせて強靭な武器の製産に成功していました。出雲国との戦いの翌年、イワレは病死しました。結局、イワレは自分の手では父王達の怨みを晴ら
みなさんおはようございます。上海で生活をしています。いつも訪問いただきありがとうございます。先日、娄山关路エリアの九州料理が味わえる筑紫へ口コミサイトでも気になっていてチェックしていたお店でした。鹿児島出身のsさん太鼓判藁焼き鹿児島鰤のたたき日本でいただくクオリティー美味すぎる!↓↓↓いぶりがっこクリームチーズの海苔巻初めていただきました。海苔巻なのにおつまみ?!まいう〜ネギトロも最高でした。こちらは牛タン〜フロアが九州通り商店街になっていま
一九ラーメン巡礼のその2…でございます(^^)向かったのは"一九ラーメン筑紫店"…郊外店で駐車場も広くて軽トラ乗った地元のおっちゃんがやってくる地域密着型のラーメン屋さん。お正月明けのお昼時だったんで並びが出来てました。筑紫店はゆで卵一個が無料!キクラゲと辛子高菜は取り放題の嬉しいお店です(^^)♪♪さっそくゆで卵とキクラゲ・辛子高菜を小皿に取ってスタンバイ!なんと既にワンタン麺は売切れ!泣仕方ないのでチャーシュー麺を注文。今日は予想外にお客が多いのか?スープが少なっ!>_<
『ホツマツタヱのつまみ食い⑬『日の神アマテルの誕生』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑫『消された御子神とアワ歌』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑪『イザナギイザナミの系図』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑩『日本最初の…ameblo.jp『ホツマツタヱのつまみ食い⑫『消された御子神とアワ歌』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑪『イザナギイザナミの系図』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑩『日本最初の統治者と、殿様の由来』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑧『宇…ameblo.jp↑のつづき。さてさて、イ
『ホツマツタヱのつまみ食い⑩『日本最初の統治者と、殿様の由来』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑧『宇宙創造と八王子の始まり』』ホツマツタヱによる宇宙創造のお話。大昔、まだ宇宙さえ生まれる前のこと。『アメノミヲヤカミ(天御祖神…ameblo.jp↑のつづき。さてさて、トヨケ大神(豊受)のお陰で、天神七代目である『イサナギ』『イサナミ』は誕生した。先代の天神六代目オモタルとカシコネには嫡子が産まれなかった。では、イサナギとイザナミの親はどなたなのだろうか。ホツマツタヱにはしっかりと記載がご
朝方まで降っていた雨があがりると、涼しくなってクーラーを使用することのない一日となった。午後4時ころになって庭の木で蛁蟟(つくつくぼうし)の鳴き声が聞こえてきた。鳴き声は5度繰り返して鳴き、その後は聞こえなくなった。ツクツクボウシ(写真は先年に撮ったもの)鳴き声は、蛁蟟(つくつくぼうし)・・・と思い込んで聞くと、そうとしか聞こえない。だが、昔の人はさまざまな聞き方をしたようだ。旅の途中、病気で亡くなった筑紫の人の魂が、蝉になって、「筑紫恋し、つくし
当ブログにお越し頂き、ありがとうございます(^-^)Amazonでこんな本を見つけたので、500円のポイントも貯まっていたので、ポチりました。吉森康夫氏の著作「筑紫の風~億良と旅人~(幻戯書房)」という書籍です。実は、この本、山上憶良と大伴旅人の太宰府での交流を中心に、二人の生涯を辿りながら、万葉集の和歌を交えて描かれた歴史小説なのだそうです。出版はされていますが、届くまでに結構お日にちが掛かりましたので、もしかしたら、もう出版されなくなるのではないか、と案じておりま
令和4年度福岡県高等学校ラグビーフットボール大会兼第75回全九州高等学校ラグビーフットボール大会福岡県予選大会が5月1日より開催。東福岡の優勝に死角はない。今春の選抜大会準優勝メンバーには超高校級が揃う。昨冬の花園でも主力として活躍したFL/LO大川虎太郎(3年)、LO舛尾緑(3年)、CTB西柊太郎(3年)、FB石原幹士(3年)を中心に、選抜大会最多トライのWTB上嶋友也(3年)、2年時から全国大会でスタメンを経験しているSO高本とむ(3年)ら有力選手が多数。5月11日に発表
長宗我部三代記Amazon(アマゾン)750円『日本国記』限りなく真実に近いアナザーストーリー土佐国は「タケヨリワケ」。「タケヨリワケ」とはだれか?8Cひじかたすいげつつづき高知県のもとの名前は土佐であるが、もっと以前の名は「タケヨリワケ」である。古事記の中に書かれている四国は“伊予の二名の島”であり、面が4つあり、ひとつが「エヒメ(愛媛)」、もうひとつが「イヒヨリヒコ(讃岐)」、もうひとつが「オオゲツヒメ(阿波)」、そしてさいごに「タ
『飛鳥と春日』(飛火野)かつて乙女座γを倭人は飛鳥星(あすかのほし)、または春日星(かすがのほし)と呼んだ。あすかは、かすか一年が尽き果てる=春分の意だった。…ameblo.jp筑紫では水城の南に飛鳥、北に春日の地名があり大和では北の添上春日、南の高市明日香が栄えた。(「儺の國の星拾遺」より)先のブログでは、ここで福岡の飛鳥~水城~春日あたりは三国、三郡、御原、御井、御笠川があり三潴~水沼~見沼の水の「み」
日本の歴史(Historyofjapan)真・この国のかたちホアカリとウガヤフキアエズは、、、ひじかたすいげつホアカリ追申「邇邇芸ニニギ」の子は「火照ホデリ・海幸彦」①、「火須勢理ホスセリ」①、「火遠理ホオリ・山幸彦」①。火遠理ホオリの子は「彦渚武ヒコナギサタケ」②、安曇の祖「宇都志日金拆」②、尾張の祖「振魂(布留玉)」②。彦渚武命の子は物部の祖「宇摩志麻遅ウマシマジ」③と神武天皇の兄「五瀬イツセ」③。「イナイ」、「ミケイリノ」、「サノ」もいたといわれる
第101回全国高等学校ラグビーフットボール大会福岡県大会が10月10日に始まる。本命はやはり東福岡。22大会連続での出場に死角はない。昨年の主力が多く卒業するなか、今春の選抜大会では、桐蔭学園を破り優勝。高校日本代表候補、PR西野、HO赤星、LO甲斐、FL/No8茨木、大西、蔵森、SH朝倉、SO楢本、CTB平、平山の10人を擁する。それに加え、1年時から花園に出場した主将FL八尋、選抜大会でトライを量産した快速WTB遠藤などタレント豊富。東福岡に他校がどれだけ食らいつけるか以下の2校
『空海・無限を生きる』-松長有慶(高野山大学・学長)●理趣釈経(りしゅしゃくきょう)の借覧を拒否-③✪その前年の弘仁六年には、空海も、安行(あんぎょう)、康守(こうしゅ)などの弟子を甲斐、常陸、下野(しもつけ)、上野(こうずけ)などの東国、さらには筑紫などの西国に派遣しています。派遣された弟子たちは、あちこちで、密教経典の書き写しは、密教を広めるためには強力な手段であるわけです。まず経典を写し、そのことによって密教に対する関心を示し、そして正しい法を受け継ぐことによって、密教が日本中に広
なゆくんパパから送られて来た、亀の甲羅干しの写真がシュールで、ちょっとほっこりアスファルトの隙間から生えている、ど根性筑紫の整列具合もちょっとウケるそんな今宵は最近暖かくなってきたハノイで呑む、赤ワインをカキーンと冷えた白ワインで割った、なんちゃってロゼがなゆくん的にブームですグラス内にキリンが写り込んでいて、なんかキュート
昨日は1日酷い天気だったので2匹の散歩には行けず家の中で遊んでストレス発散してました私から遊ぼうと嗾けないとコタツでこんな👇🏻状態でゴロゴロし続けるのですぐ寝ちゃうし笑なので、きな子のお気にりいの玩具で取り合いっ子して遊んでしまた。あずきは、私の靴下を奪おうとしてる。今日は、曇天模様ではありますが雨の心配はなさそうなので、朝からシッカリ散歩に行けましたあずき、嬉しそう〜筑紫が沢山出てましたよ子供の頃、筑紫取って食べてたので沢山生えてるのを発見すると、宝の山じゃーと思って