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この旅の最初の目的地…「海上自衛隊幹部候補生学校/第1術科学校」広報の一環で学校見学を行なっていて、年間約5万人の方が来校されるそうです。私のこの旅の1番の楽しみ、ここに来たくてこの旅を計画したと言ってもいい場所☝️受付時間より早く着いてしまったので、車で近くをウロウロして時間を潰して、予定の5分ほど前にもう1度行ってみると受付が開始されていました🤗息子曰く「さすが海上自衛隊!5分前精神や!」だそうです🙇♀️その精神見習わないといけませんね!海迷彩の作業服を着た隊員さんが親
桜が満開の中、タンデムで花見に行ってきました。目的地は江田島の第1術科学校。海上自衛隊の施設です。朝、7時過ぎに家を出て宇品港へ向かいます。まだ、朝は寒いのでフェリーで江田島の切串港に渡ります。30分程度の船旅です。切串港8時過ぎには到着です。第1術科学校の見学の受付が9時からのため少し散策します。ちょうど桜が満開で昨夜の雨で散り始めています。9時に海上自衛隊第1術科学校に到着です。受付を行い見学します。大講堂の中を見せてもらったり校舎内を見学したり立派なレンガ造りです。同期の桜
●江田島市商工会
江田島は広島港から30分ほどの島でフェリーの本数も多いので広島市内に通勤する人も多いですその江田島には旧海軍兵学校があり現在は海上自衛隊第1術科学校になっています初めて行ってみました見学は無料ですが時間が決まっていて名前を記入し案内人に従って約1時間説明を聞きながら歩きました実は身内にここの卒業生がいます尊敬と感謝の気持ちで見て歩きました現役の幹部候補生とも話をしました平和な時代をひとりひとりが守っていかねば・・【江田島市ホームペー
テレビで「坂の上の雲」を放送している現在(7)の前編まで録画した昨日から鑑賞しているが中々面白い宮島大鳥居沖に清国海軍かな?戦艦が集結している場面など斬新だ此処は記念写真の絶好のポイントだからな~同場所で1963年昭和38年右端が妻宮島沖で離島奪還作戦訓練中の海上自衛隊第1術科学校特別警備隊(日本版のネービーシールズ)
広島呉姫路旅行2024で、大和ミュージアムに行った後、海洋自衛隊幹部候補生第1術科学校へ、行ってきました。海洋自衛隊幹部候補生第1術科学校の敷地内には、旧海軍時代の歴史的な建物が残っています、基本的に立ち入り禁止なので、見学ツアーに参加して入る事が出来ます。最初に見た、大講堂鉄骨煉瓦石造で、大正6年(1917年)に作られたそうです。大講堂東側の入口此方の入口は、天皇陛下と幹部、市長より上の政治家ゲストだけらしいです。
着いた!第1術科学校~1255無事に到着しました1330からの見学なので、少し早過ぎたかなと思いきや、3番目1300に受付が始まって校内に入ることができましたすると学生見つけた!幹部候補生かな背中には第71期航空学生とありますね後から聞いたことによるとこの日は航空学生の入校式だったようなのです(だから午前の見学が無かったんですね)なので、たぶん、恐らく、絶対古鷹山登山ではないでしょうか新入生は登るんです!もちろん幹部候補生も正面にそびえ立つ岩肌むき出
2024年9月15日の広島ぶらり散歩、海上自衛隊第1術科学校からスタートです明治21年に東京の築地から江田島に海軍兵学校が移転され、海軍将校養成の地、旧海軍の拠点となったそうです。レトロな建物もステキですし、旧海軍の歴史を学べる資料もたくさんありました。広島港から高速艇で江田島に行き、更にバスに乗って行きました。高速艇のチケットは、広島港宇品旅客ターミナルの中にある観光案内所の近くにある自販機で買えます。私はどこでチケットを買うのか分からず、彷徨いました…以下、聞いたことを思い出しな
皆さま、いつもありがとうございます土日はちょこっと忙しいくて更新遅れてすみません前回のつづきになりますよ~広島駅から呉に電車で移動するはずが。。不測の事態の人身事故いつ復旧するか分からないなんて。。。ねそれじゃ広島港(宇品港)に行けばいいじゃないと本来目指した目的地の呉ではなく江田島(小用)行の高速船に乗ったのでした江田島からは呉に向かうフェリーがあるので広島→呉(電車)という最短ルートを諦めて広島(宇品港)→江田島(小用)→呉という変則ルートで呉入りを目指しました
こんにちは!ご覧いただきありがとうございます!今日は浜松広報館エアーパークのイベントに行ってきました。今月のイベントは…「地対空誘導弾の展示及び職種紹介イベント」航空自衛隊浜松基地所属の「第1術科学校」が保有する、『ペトリオット発射機』『基地防空用地対空誘導弾発射装置』『基地防空用地対空誘導弾射撃統制装置』の展示が行われました。こちらの車両には「1TS70th」のステッカーが!第1術科学校も70周年なんですね!以前は、第1術校(航空機整備)第2術校(レーダー、高射他)のよう
2024.8.4海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校跡地)大講堂内の正面の舞台中央には「玉座」があり、赤じゅうたんが敷かれていました。ドーム型の天井は、声が良く響きました。説明を聞きながら外に出ました。
2024.8.4海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校跡地)大講堂に入りました。この建物は大正6年(1917年)4月に竣工されたもので、呉海軍経理部建築家能村知二さんの設計で、石・煉瓦・鉄骨造2階建となっており、海軍兵学校生徒の入校式や卒業式などに使用されているそうです。ドーム型の天井で、シャンデリアは舵輪を象ったものでした。
2024.8.4海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校跡地)の見学会が始まりました。海軍兵学校は東京築地(旧海軍操練所)から明治21年8月江田島に移転し、世界3大兵学校といわれていたそうです。
2024.8.4海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校跡地)正門から進んでいくと、左側に茶色の建物江田島クラブがあり、この建物の1階が見学者控室になっているというので入ると、説明書きがあり、椅子が並んでいたので、ビデオを見ながら待ちました。
2024.8.4海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校跡地)に到着して、11時15分からの見学の受付をして、バッジを受け取りました。右に見えるのは護衛艦ひえいの主錨で、幅1.88m高さ3.167m質量4.5t、1974年11月就役で2011年3月除籍なので36年3ヶ月という長い期間就役していたようです。構内案内図です。
2024.8.4江田島市学びの館の2階では、海上自衛隊第1術科学校教育参考館の資料を展示した企画展が開催されていました。
呉市から江田島に。海軍兵学校だった所。現在は第1術科学校、幹部候補生学校。見学したかったですが、時間に間に合わず断念。門の付近に。周辺にはお店や居酒屋があります。
13日土曜日江田島市で山火事が起きた昨日バイクで行こうと思ったがまだ火事が続いているのを知り中止した今朝もまだ燃えているのかな?元部下が送って来た画像住所から検索すると地図の赤丸部分あの近くにはお気に入りの桜並木が有るのだけれどもしかしたら焼失しているかもしれないな~45年は経つかなやはり江田島で山火事が発生し数日燃え続けたあの時は古鷹山が焼失したと記憶している古鷹山は海軍兵学校現在の海上自衛隊第1術科学校の近くに有り今も昔も生徒達が訓練で登って
待ちに待った呉&江田島への旅、行ってきました。義母さんが初めての一泊ショートステイに行ったので、その間私は久しぶりの一人旅です。食べたものやお土産で買ったものなどは②で綴るとして、まず二日目に行った、江田島にある海上自衛隊第1術科学校の見学ツアーに参加した感想を→海上自衛隊第1術科学校は、明治21年(1888)東京築地にあった海軍兵学校が江田島に移転し、海軍兵学校生徒の教育が開始され、昭和20年(1945)12月1日に閉校されるまで、57年間にわたり、海軍士官養成の場となったようです。
呉訪問の翌日は、たかお愛ツアー仲間の1人と江田島を訪問した。ここは海上自衛隊幹部候補生の学校があり、海軍兵学校時代のころからの明治、大正、昭和初期の貴重な建築物が、今もなお使用されていて、映画やドラマのロケ地としても有名である。一般の人も見学できるとのこと。こんなスポットならたかおちゃんも訪れたに違いない、、と確信しての訪問である。全くの未確認であるが。。宿を広島市内に取っていたので江田島への行き方をいろいろ考えたのだが、、1日高速船フリーパスがあると知り、船で行
今週は、年明けに会社の幹部(と言ってもほぼ毎日顔を合わせていますが)の会議でかける資料の作成と、急遽年度末に行うことになった社内の組織改正の影響調査でバタバタしており、着かれていたのか、今日は久しぶりに昼寝をしてしまい、起きたら夕方。年末なので、今年を振り返ってみます。今年は、あちこち行きました。まずは、海に関係する神社に初詣。1月12日神戸市垂水区・海(わだつみ)神社関西にある「香取」を名乗る神社へ参拝。1月29日奈良市・大和国鹿島香取本宮米国海軍の艦
今日は、娘の所属する吹奏楽団の不定期演奏会があり、見に行ってきました。堅苦しくなく、テレビドラマやアニメ・映画等で使用された曲が大半で、余興もあり楽しい演奏会でした。ホールの隣にある「ダイエー」の看板・懐かしい感じがしますただ、奥様と行く予定でしたが、昨夜から風邪で発熱したとのことで、私一人での出かけてきました。しっかり寝て、早く体調が回復して欲しいです。ところで、前回は広島・江田島市にある海上自衛隊・第1術科学校の構内見学について進めてきました。見学の帰り道、説明を受
昨日は、旅行帰りにイオンのショッピングモールに寄ったら、「BLACKFRIDAY」セールをしています。売れ残りのようですが、スーツが1着7,000円(税別)!思わず買ってしまいました。セールで購入したスーツスーツはクールビズの間を除く半年間は必要で、何着か着回しをするんですが、毎年のように1着はズボンが擦り切れるので、新年のセールなどで買っていますが、これで来年の新年は買わなくて済みそうです。ということで、本日は午前中に行きつけの内科に行き、血圧の受診とともにインフルエンザの
10月28日、島の花火大会が行われました!第1術科学校に着くと、、、ちょうど国旗降下の時間でした!国旗降下は日没後、行います午後6時前の西の空…午後6時、花火が始まりました!30分間の花火です今年の花火はいつもより華やかでした寄付が多かったのかな?花火のフィナーレ花火大会が終わると、赤レンガが浮かび上がりました!大講堂とお月さまも綺羅でした
長くてすみません、第1術科学校、最後です。教育参考館にはまさかの美術品も収蔵されていました。横山大観とレオナール・フジタです。戦時中の祖国愛の象徴として富士山の絵が使われた大観と、開戦で帰国を余儀なくされた後、従軍画家となったフジタ。終戦後は戦争協力者として批判の対象となった二人。(捕虜となっても批判、やむなく協力しても批判、ほんと生きづらい時代ですね)フジタはフランスに戻り、ランスの平和の聖母礼拝堂などの作品を制作するのですね。画家としての本分を果たしたんだなと、こちらも感慨深かったで
今回初めて知ったのが、太平洋戦争の捕虜第一号となった酒巻和男さんの存在です。(だんなちゃんは当然知っていました)真珠湾攻撃の際、特殊潜航艇で出撃した10人のうち唯一生存→捕虜となった方で、戦死された9人が軍神となる中、戦時中は存在を秘されていたそうです。戦後、帰国した際も批判する声があったそうです。日本社会の嫌なところですよね。実際に真珠湾攻撃に使用された特殊潜航艇が展示されています収容所では当初自決を願っていたそうですが、その後、酒巻さんは、捕虜収容所で後から来る日本人捕虜の方に
はじめに・お断わり争いが苦手なこともあり、一般教養が著しく欠けていると自認している領域が、戦国、幕末、そして大戦。どの位欠けているかと言うとお恥ずかしながら最近まで斎藤一は創作物上の人物(るろ剣)だと思っていた位苦手なものは徹底的に回避する性格なのですが、FIREして少しずつ自分が避けてきたものを改めて学んで世界を広げようと最近しはじめました。ですが、現在地点はまだまだですので、誤った認識などあるかもしれません。見学1日数回実施される見学ツアーで見学可能(予約不要)ツアー
第1術科学校学生館旧海軍兵学校西生徒館として昭和13年(1938年)に建てられました。昭和31年に横須賀から術科学校が移転してきました。平成10年(1998年)から全面的な改築を施して真新しい現在の姿になっています。表桟橋正面玄関第1術科学校学生館の西側は江田島湾です。江田島湾に面して浮桟橋があります。これが表桟橋であり、当学校の正面玄関ともいうべきものです。今でも学校の卒業生はこの桟橋から音楽隊の演奏の中を旅立ってゆきます。戦艦陸奥の主砲(第4砲塔)
呉からフェリー江田島の旧海軍兵学校の見学が再開されている。6年ぶりに訪問してきました。呉からフェリーに乗って小用に向かいます。小用からバスで10分足らずで旧海軍兵学校の正門前につきます。旧海軍兵学校は、明治21年(1888年)に東京の築地から移転してきました。イギリスのダートマス、アメリカのアナポリスと並んで世界三大兵学校(士官学校)でした。今は海上自衛隊の「幹部候補生学校」「第1術科学校」となっています。大講堂所定の手続きを終え学校の歴史について説明を聴きます。参加者
さあ、江田島に向けて出発!当初は江田島に着いて、まず初めに古鷹山に登る予定だったのですが広島市内から江田島まで移動するのにちょうどいい時間の高速船が無くて断念3回目の古鷹山登山はまた次回チャレンジすることにしましたチンチン電車に乗って広島港へチンチン電車って言わないのかな、路面電車かなこのターミナルから江田島の小用港へ(小用港は呉との玄関口でもあります)高速船なので22分で到着、早いですね途中すれ違う艦艇を眺めながらのクルーズは気持ちいいですね小用港からバス移動