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太陽と月の伝説。これは、鹿児島県奄美大島郡の喜界島に伝わる昔話。高橋一生と綾瀬はるか主演のドラマ【天国と地獄】にも出て来たお話で、何だか氣になってたんだよね。それは太陽と月が入れ替わったという、こんなお話だった。⚘⚘⚘⚘⚘本来、昼の太陽は夜の月であるべきで、夜の月は昼の太陽であるべきだった。というのは、ある夜、太陽と月が寝ている間に腹の上で【シヤカナローの花】が咲いた方が昼の太陽になろうと約束した。やがてシヤカナローの花
2年ぶりの沖縄①の続きです。伊平屋島2日目。とは言っても、1日目は到着が日暮れで、ほぼ観光できず明日は朝1番のフェリーで帰るので、動けるのは実質今日だけです。ボリューム満点の朝食を頂いて、日の出と共に出発!オハヨーこの日、最初に行くのは屋蔵墓だと決めていました。多分ご先祖さんなので、朝一で挨拶しておきたかったのです。第一尚氏なので、ひっそりしている思ってたけど、道路には大きな看板があり、ちゃんとした案内板もありました。海が近いので波の音が聞こえます。母が子供の頃に連れられて行
2022年5月20日夢おばあさんが出てきた。そのあと、小さい鍵とたくさんの五円玉が一緒に繋げられてた。おばあさんは私のご先祖で、「第一尚氏や百度踏揚の情報をいままで置いていた。」と鍵は解き明かす。五円玉の数だけ繋がりがある。百度踏揚とは血縁関係がある、どう繋がっているかは自分で探しなさい。と私のご先祖は第二尚氏の流れというのは子どもの頃から父に聞かされてたし、家系図も書かれてるから知っているが、まさか第一尚氏とも繋がっているとは…!(°°)どうやって調べよう…つづく
2022年5月4日夢普天間宮女性に真珠のピアスを渡しそびれて、その人の旦那?さんに頼んだ。その女性が両耳にピアスを付けたら、二つとも簪(琉球国時代のような)に変わった!耳たぶ大丈夫?!(°°)その簪のことを百度踏揚のものだと思ったけど、二本なのが引っかかった。つづく
前回↓からの続きです。『霊視鑑定⑴家族の事身体の事東風平の夢について』前回の続きです。読んでない方はコチラからぜひ↓『神人さんに会うきっかけとなった"導きの夢"』2018年5月不思議な夢を見ました。この夢のおかげで"ある神人さん…ameblo.jp神人さんに聞く残りの2項目ですが「5.ご先祖様(琉球王朝の血縁)のこと」と「6.今後の私」は話の流れでいっぺんに聞くことになりました。ご先祖様(琉球王朝の血縁)のことについて読んでない方は以前の記事から順に読んで頂ければと思います↓『沖
私は関西生まれ関西育ちですが、両親は沖縄出身です。身内の殆どが沖縄にいて、幼少期の夏休み冬休みは終業式翌日とかに沖縄のお婆ちゃんの所へ行き、始業式数日前に関西へ戻るというのが当たり前でした。今も那覇空港に着いたら「ただいまー!」って気持ちになりますお婆ちゃんの家に着いて、皆んなの「おかえり」という言葉がどれだけ嬉しいか沖縄へ行く事が私の生きがいであり、沖縄での生活が楽しくて、関西に戻りなくないと泣いた事もありました。沖縄の高校へ進学したいとまで思っていましたが、中学生の頃から部活など
記事にするのがズルズル延びてしまいましたが、どうしても「現状」を知っておきたくて首里城公園を訪れました。やはり、正殿や北殿・南殿がないと御庭はひどく広く感じるものです。(在りし日の正殿)(在りし日の正殿内部)この正殿の基礎部分に覆屋を掛けて、見学できるようにしてあります。コンクリートの囲いの中に3列の基礎が見えます。なお、向かって左奥は階段跡だということでした。興味深いのは向かって一番右の基礎です。解説によると第一尚氏時代のもので、当時の焼け跡も確認されているそうです。第一尚氏時代
はいたい。管理人のminです😀この間行った中部史跡めぐりの記事を投稿したら2回できなく消えてしまったー😂なぜなんだろう...笑😄この間、投稿しようとしたのは、北山、中山、南山と3つにわかれていた時代に..その3つをひとつに統一した尚巴志😄の縁のある場所、、尚巴志の第一尚氏は、父の尚思紹を最初の王にして、尚巴志は次に王位につき、7代63年間続きます。そんな、尚巴志の御墓などは、なぜか、王都首里ではなく、別の地にあります😁🤔😁話をだいぶはしょって、
伊平屋のじゅうてーとは、伊平屋の『おもてなし』という意味。伊平屋島は第一尚氏の発祥地です。第一尚氏と言われた方の曾祖父が住んでいた所だそうです。伊平屋島へ行くには運天港からフェリーに乗って80分。行ってみたいです。
2/9~2/11沖縄自転車城巡り2日目続き山田谷川の石矼を見た後は石段を登り、向かいのカフェの横の道を南へ歩いていきます。山田城(山田グスク)沖縄県国頭郡恩納村山田琉球王朝の三山統一に貢献した護佐丸の父祖の居城と言われ、護佐丸も幼少期をここで過ごしたとも伝わる。護佐丸が座喜味城を築く際に山田城の石積の石を手渡しで運んだ伝説があるそうです。道中の道も城域?横の石積は遺構じゃないと思います。途中で道が開けますがここも「歴史の道」写真の左手一帯が山田城(山田グスク)です。
マインドフルネス言魂セラピストのAKOです。【沖縄・久高島ツアー④】わたしの自由時間…手作りワンコがキュート開闢の神・アマミキヨが久高島を創ったさい、最初に腰掛けたといわれる石もしくは、島を創った棒を立てかけた石ウッチ小(うっちぐわぁ)お宿『ちばぃ小』の裏手にあります。そして、今回は首里からスタートした王にまつわる旅でもある。だから、こんな場所にも行きたくなった。琉球王国の第一尚氏最後の王、尚徳王29歳の時、久高島の大里家の娘と恋仲になり、王が久高島に滞在している間に首里で
どーも※2016/3/15のお話です。首里城浦添城の中山王を滅ぼした尚巴志が王都移転に伴い、元々同地(首里)にあったグスクを改修し築いた城。三山統一を果たした後は琉球王国の城として機能し、王城に相応しく沖縄最大規模の城としてその威容を誇った。城は3度(1453、1660、1709)焼失しており、その度に再建されたが太平洋戦争時に完全破壊。現在は3度目復元時の姿を基に復元されている。なお、世界遺産として登録はされているが、登録されているのは地中に埋まっている「首里