ブログ記事4件
〔この節は公開日に20接続。この主題としては注目されたようだ。〕まったくやっかいな事件だ。ローテクの打ち合わせによる、その時と場をねらってのいやがらせ演出も確かにあると、ぼくの経験から断定できる。同時に、そこに、ハイテク機器による操作(これも使われていることをぼくは直に経験している)でも不可能な、神懸かり的な一致による〈ほのめかし・いやがらせ〉も、ぼくは確かに経験しているのである。これがどこに行っても、広域規模の周囲でおこなわれる。ぼく個人への当てつけのために、街ぐるみ地域ぐるみで整
これは重要なことだから、みなに呈示しておく。この現象方程式はどういうものであるか、構想できる者はいるであろうか。こういうことが可能であるためには、世界のどういう構造設定が必要であるか。根本志向はともかく、ぼくは日常表層的次元では、意識的である分、きわめて気まぐれで、ぼくの実際行動のタイミングを予測することは、どんなコンピューターシステムをもってしてもまず不可能であることを確信している。ところが問題の集合容喙現象は、寸時の誤差もなく、ぼくの実際行動のタイミングはもちろん、その瞬間のぼ
被害者さんの報告をみていると、とくに共時的現象の微妙な意味合いというのは、当事者でないと分からないだろうなあ、と、ぼくも被害者だからこそ、了解するのだが、被害者でない方々の当惑する気持ちもわかる。「偶然ではなく必然だ」という断定が不可避なものから、或るタイミングで主観的に思わせぶりな印象で遠くで船の汽笛が鳴ることまで、自然性と不自然性の境界がじつにあいまいなのが、この現象の特徴だ。健常体の被害者でもこれで感情を左右されるのだから、薬害強制の被害を受けて神経が脆弱になっているぼくにおいては、余
集合容喙における人為的符合と、この宇宙にもともとある自然的符合は、いちおう分けてかんがえるべきだろう、と思う。集合容喙被害に遭っていても、自然のもともとの仕組みのなかに居なくなったわけではない。そして宇宙そのものが本来、偶然の産物ではなく、物質のみならず想念の力学(万有引力)の交叉する空間であり、様々な一致・符合は、自然そのものの本性に基づいてもともと起こるものなのである。集合容喙の現象のほうが、そういう自然的現象の人為的擬態なのであり、われわれの側が、「すべての符合(シンクロ)現象は、偶然