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京都文殊第一番札所である金戒光明寺。三重塔は永らく文殊塔と呼ばれています。塔本尊である文殊菩薩半跏像は、もとは中山宝幢寺の本尊でした。応仁の乱(1467-77)により中山宝幢寺は廃寺。近隣の小堂より金戒光明寺に遷され・・・・1633年(寛永10年)方丈に安置後、三重塔に遷座。2008年(平成20年)中山文殊菩薩を御影堂に遷座。■蓮池院金戒光明寺塔頭。熊谷堂。1192年(建久3年)熊谷直実(1142-1207)出家。当地蓮池院の前進、蒲生庵にて庵を結ぶ。1
昨年の「竹内栖鳳破壊と創生のエネルギー」展と「京都画壇の青春―栖鳳、松園につづく新世代たち」展に連なるようなタイトルに惹かれて展覧会へ。明治以降の京都画壇の方向性を決めたと言われる竹内栖鳳。西洋の技術を取り入れ新しい表現を模索し続けた栖鳳と、栖鳳に認められそれぞれに個性を伸ばした弟子達(西山翠嶂、上村松園、土田麦僊、村上華岳、入江波光、福田平八郎、徳岡神泉など)の絵を紹介する展覧会です。●竹内栖鳳「金獅図」●竹内栖鳳「猛虎」ふわふわの毛並みに目を奪われました。●竹内栖鳳「水風白
今回は観光客で賑う清水周辺を散策です、三年坂を上がって左に折れれば清水さん「今日はたくさんの人ですね」っといつも驚かれます。清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢うひとみな美しきと与謝野晶子が詠んだのはどのルートだったのだろうと考えながら竹内栖鳳邸跡へ。明治から昭和期にかけて活躍した日本画家竹内栖鳳(たけうちせいほう)の広大な邸宅跡が高台寺脇にあります。もともと竹内栖鳳の私邸「東山艸堂」は、1300坪の広さがあり、皇族や海外政府首脳、各界著名人が数多く来訪し、文化芸
昨日の凄い寒さから少し緩和された休日です。普通に生活していても、寒波に震えています。被災地はどんなに大変かと思いますね。去年から手に入れていた山種美術館で開催中の『特別展癒やしの日本美術』展を観に来ました。大吉君と一緒に恵比寿駅からバスに乗って来ました。平日なのに、混んでいます。撮影許可が出ていた長沢芦雪の《菊花子犬図》です。ふわふわとした見た目が愛らしい子犬達肩の力が抜けた作品です。ほのぼの若冲、なごみの土牛のサブタイトルがついている美術展です。竹内栖鳳《みみづく》表
福田美術館の次の展示会『進撃の巨匠竹内栖鳳と弟子たち』会期は2024年1/18~4/7公開前の展示会を見せていただけました。めっちゃ嬉しい日本画には詳しくないので(別に他の絵画も詳しくないわ)竹内栖鳳という名前は見たことある気がするけど<たけうちせいほう>と読むことも初めて知りました。「金獅子図」竹内栖鳳「猛虎」竹内栖鳳「春郊放牛図」竹内栖鳳「雪月花」川合玉堂横山大観竹内栖鳳丸山応挙の絵もありました。幽霊のイメー
京セラ美術館、トライアングル。「京都美術館」の文字は近くで見ると、一円硬貨の集まりでした。山本雄教ゆうきょう(1988~)「仮想の換金」の展示作で《26126円の美術館》と題したこの作品は、木製パネルに26,126枚の一円硬貨を貼り付けたそう。ガラス壁のプライス表は、個々の所蔵作品が持つ情報から「購入時の評価額」と「購入年」を切り取ったもの。その事をふまえると、先ほどの「京都美術館」は、改名した昭和27年(1952)時点で、26,126円の価値があったとい
・山種美術館に行ってきた。若冲の小品(個人所蔵らしく、見たことがない小品群。)「かわいい」動物のたぐい。他に長沢芦雪、奥村土牛、竹内栖鳳など・・。芦雪の子犬の群れの小品のみ撮影可だった。・何だか、もこもこで、可愛い・・。・ついでに、美術館で売っていた、「ゆるカワ日本美術史」を購入して読んだ。子犬は光琳、応挙、芳忠も描いている。この本の表紙の虎は尾形光琳が描いた「竹虎図」から採った京都国立博物館の公式キャラクターになっている「トラりん」君だ。
能登半島地震の大災害で、亡くなられた多くの方々に哀悼の意を表しますとともに、未だ安否不明の方の無事をお祈りしています。引き続き避難されている人たちの日常が一日でも早く取り戻せますようにただただ祈るばかりです。また捜索活動や支援、復旧に尽力されている役所や警察、消防、自衛隊などの皆様への感謝の念と安全を切に願っております。横山大観「白砂青松」白砂青松庭を一望したテラスから本館2階の作品展示室へ上がる。横山大観「山に因む十題より」
山種美術館で開催中の癒やしの日本美術―ほのぼの若冲・なごみの土牛―を鑑賞してきました。長沢芦雪の「菊花子犬図」この作品だけは撮影可能でした。何度も戻って観てしまうくらい、可愛い伊藤若冲、長沢芦雪、奥村土牛、竹内栖鳳などのゆるくて可愛い作品に心が和みました😊上村松園の繊細な筆使いにため息が出たり、とても素敵な作品ばかりでした。ミュージアムショップで、竹製のしおりを購入。この日は、あちこちブラブラしたので、歩数計は18000歩超え😳久し振りに足が棒になりました
今日は、年末の大掃除の話をしたい。大掃除といっても、自宅ではなく実家の掃除なのだが、母が脳出血による後遺症で体が不自由で、しかも血管性認知症であるため、ふだんは90歳台の父がひとりで、床のクリーンアップを行っている。フルーツを食べた母が、ベトベトとした手で彼方此方を触り、涎をフローリングに垂らすので、ダイニングやキッチンの掃除は、日ごろからこまめに行われている。だが僕が今回担当した2階は、寝室や書斎のためベタベタ感がなく、下のフロアほど頻繁には、掃除が行
ごきげんいかがですか?火曜日は絵を愉(たの)しむ自分の描いている絵工夫していること悩んでいることなど赤裸々書いています。絵の腕前は、全くのド素人ですが、愉しむことを心がけています。小野竹喬奥の細道写生旅自分の住んでいる笠岡市には、竹喬美術館があります。(ただいま工事中で休館中)(小野竹喬;笠岡出身竹内栖鳳に学ぶ)その展覧会「生まれる絵画」から(写真撮影が許可されてました。)宿雪下絵(下絵・スケッチ等が展示されていました)本画宿雪1966(画集より)比較して
あけましておめでとうございます本年もよろしくお願いいたします新年早々更新。先月1日(金)に行った京セラ美術館の話です。「竹内栖鳳せいほう破壊と創生のエネルギー」を見に行きました。ナビゲーターはボーカルグループ「LEVELVETS」の佐賀龍彦さんと、YouTuberピアニストの石井琢磨さん。竹内栖鳳の絵にクラシック系のピアノ曲という取り合わせが意外でした。竹内栖鳳(1864~1942)は、近代京都の日本画界に最も大きな影響を与えた画家です。今回の展覧会は、
…竹内栖鳳や上村松園と云った画家を育てた人物は?「幸野楳嶺(バイレイ)」である。楳嶺・妓女図楳嶺生誕之地(因みにウチの並びです)幕末・明治の激動期を生きた楳嶺は、京都の自然や風土、生活感情に深く結びついた円山・四条派の絵画の伝統を自らの作風に統合、当時、最高の栄誉だった帝室技芸員に昇り詰め、新しい日本画の指針を示す一方、日本初の公立美術学校「京都府画学校」の設立を建議。30歳以下の若い世代の画家が出品して平等な審査を受けられる「京都青
みなさん、おはようございます本日は冬至ゆず湯に今すぐ入りたい今朝はマイナス7℃身体が真から冷えました😓昼間は3℃ぐらいまでしかいかないとのこと😅寒い1日になりそうです娘が居る長崎でも雪がちらついていたとのこと、びっくりです今日はパパは東京で仕事朝早くから出かけて行きました出かける前15分間ぐらいはエンジンかけてないと走らないそうで、朝からバタバタやってました寒冷地あるあるなんですね😅今日は寒いし散歩も無しで家でまったりしてますかね〜幼馴染から先日誕生日にいただい
先月、90周年記念祭の京セラ美術館に行きました開催中の「竹内栖鳳破壊と創生のエネルギー」の前売り券を購入済だったので11/11〜12のイベント日にあわせて11/11(土)に行って来ました〜11/11は夜20時まで特別夜間会館をしているので、先ずは竹内栖鳳繋がりで嵐山の弘源寺にお参りへ嵐山に行くのは久しぶりだったけど、凄い人で観光客で道が埋まっていてびっくりでした!人混みに揉まれながら大本山天龍寺へ向かい、天龍寺の門をくぐると左右にお寺が並んでいます。早速、お目当ての弘源寺へ。栖鳳寺
潮来小暑・1930年(昭和5)晩年も旺盛な制作意欲は衰えず、毎年、数点の大作から小品までを描き続けた。猛虎・1930年(昭和5)惜春・1933年(昭和8)その傍ら、新しく開設された数々の公募展の審査員や美術顧問や講演など、多忙を極めた。風竹野雀・1934年(昭和9)夏鹿(右隻)・1936年(昭和11)夏鹿(左隻)・1936年(昭和11)1947年、78歳の正月に
【泉屋博古館東京】「日本画の棲み家」『床の間芸術』を考える会期:2023年11月2日(木)ー12月17日(日)行ってきました今回の展覧会は、”「日本画の棲み家」-「床の間芸術」を考える”住友コレクションの日本画を展示するとともに、それらが「床の間」をはじめとした邸宅内の芸術として鑑賞されていたことに着目、現代作家も交えて日常のなかの絵画の可能性を探る展覧会です。※一部を除いて撮影NG。※画像は撮影OK作品やチラシから。作品内容は公式HPなどを参考にしています。展示
雨・1911年(明治44)栖鳳人気は日毎に増した時期に、代表となる一作「絵になる最初」を第7回文展に出品した。絵になる最初・1913年(大正2)第7回文展・出品栖鳳の代表作の一つ。タイトルは、絵を描くために呼んだ女性モデルがヌードになる前の、恥じらった一瞬を描いているということに由来する。この作品は最上級の評価を受けて栖鳳は心情表現までも描く画家として最高の名声を獲得した。河口・1918年(
空と海のキャンバスAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}前回の清閑寺の続きから。清水寺の子安塔に戻って来ました。清水の舞台が見えます。三重塔坂を降って下まで降りて来ました。この先に音羽の滝がある。以前は見かけなかった店がオープンしていた。改めてよく建てたなと感心する建物です。ここをショートカットして降りて来るのは勿体ないと思う。音羽の滝。さすがに並びたいとは思わない。この柵より向こう側は長年入ることが許されていない。そ
蕭条(右隻)・1904年(明治37)欧州旅行から帰った頃の栖鳳は、実力、名声ともに充実し京都画壇を牽引する立場となっていた。蕭条(左隻)・1904年(明治37)将来には在来の日本画を一度破壊して固陋なる悪習を捨て、善良なるものに編み直さねばならぬ。(栖鳳談)こうした栖鳳の態度は、次世代の若手画家を鼓舞し、京都画壇の主体的な想像力が生まれた。象図(右隻)・1904年(明治37)頃象図(左隻)
2023.12.4市議会中継のため、番組がお休みだったので、そりゃもう行くしかない!の京都へ!!!京都は元気になれる場所です!!!精神的、ココロに刺激が半端ない京都(笑)そして行きたかったのが、京都国立近代美術館にて12月10日まで開催中!開館60周年記念『京都画壇の青春』展京都国立近代美術館が、開館60周年を記念して開催した展覧会です!!!このポスターやチラシになっている女の子!(この女の子は実物を見て、解説読んで、舞妓さんだ
羅馬之図(右隻)・1903年(明治36)本日、早朝より明日まで小旅行に出ます。ブログへご訪問頂いた方々には、失礼いたします。1900年(明治33)、栖鳳は36歳の時にヨーロッパへ渡り、およそ半年間各地を外遊をした。羅馬之図(左隻)・1903年(明治36)この旅で栖鳳は、西洋美術に感動し、異国の風景や動物を写生した※アントワープ動物園のライオンを熱心に写生し、そのために滞在を3週間も伸ばしたという。
秋…どこ行った?な感が否めませんで毎年何処かに紅葉狩りに行くのに行けてへんし疲れて惰眠を貪る休日を繰り返してもぉてましたんですがイカンイカンと土曜の夜は早目に就寝し日曜早起きして先ずはサ活で整えるぞ!と7時代に梅湯さんへ朝早いのに観光客らしき若いお嬢さんからご家族連れまで沢山いてはてびっくり流石聖地…と感心しつつかけ湯を…ん?冷たくね?隣の若いお嬢さんと顔見合せ「シャワーも…冷たいすよね?」寒いのにこら堪らんと別のトコでお湯出してみたらなんとかかぶれるぬるさ一番奥のお母さんも「冷たいですよね」
鳥獣戯画「流鏑馬図」模写・1888年(明治21)画塾から独立した栖鳳は、京都内外の展覧会に多く出品し、受賞を重ねた。相阿弥「水墨山水図」模写・1889年(明治22)その中で、より挑戦的な作品を制作、1892年(明治25)に発表した「猫児負喧」は、猫を丸山派草花は四条派、岩を狩野派とそれぞれ別の描き方で表した。猫児負喧・1892年(明治25)(出品されていない)しかしこれが、伝統をぶち壊
今日は昼前から京都へ京都市京セラ美術館ここは常時いくつかの展覧会が開催されてるんだけど、私の目当ては竹内栖鳳展です今日が最終日だったので、本当にギリギリでした竹内栖鳳とは、京都画壇を代表する近代日本画の巨匠「東の大観、西の栖鳳」と言われたくらいの大巨匠です今まで作品はいくつも見てきたけど、回顧展は初めてでドキドキ17歳で幸野楳嶺の私塾に入門、翌年には塾の工芸長となり、楳嶺四天王の筆頭と呼ばれる23歳で結婚し、師から独立するんだけど、なんか途中で、塾の年長組と栖鳳ら若手組で揉めた
京セラ美術館に行ってきました。レトロなところも残ってて素敵です。竹内栖鳳展見に行ってきました。筆であの繊細な線を描いているなんてすごいな。空も晴れて、お天気も良くていい日です。❤️
ご褒美ランチのあとは、会期終了間近の展覧会へ。まずは京都国立近代美術館で開催中の「京都画壇の青春ー栖鳳、松園につづく新世代たち」を鑑賞。ゴーギャンやルノワールの影響を受けた土田麦僊の作品や、セザンヌの影響を受けた小野竹喬の作品など、興味深く面白かったです。そのあと、お向かいの京セラ美術館へ。「竹内栖鳳ー破壊と創生のエネルギー」こちらは最終日、すべり込みセーフでした。近美の方にも竹内栖鳳の作品はありましたが、こちらは、竹内栖鳳の大回顧展。大御所として知られる栖鳳が、若い頃に感じた苦悩
ギャラリーねこ福はこんなところねこ福について*フォトギャラリー竹内栖鳳展に行ってきました。会期ギリギリのレポですみません、12/3までです…タイトルが「破壊と創生のエネルギー」。時流に乗ったコピーだわね。名付けた人は西洋占星術を嗜むのかしらね。。いかにも「今」を言い当てた文言なのに、戦前の日本画家の展覧会に添えられてる。あんまりピンとこなかった。そもそも竹内栖鳳の作品の良さが解ってない。やんわり力の抜けたような画風のどこが破壊と創生なんだろか?そも
今年の10月の末、竹内栖鳳と川瀬巴水の展覧会に行った。同時期に開催されるなど、滅多にない機会なので、朝から一日がかりで2会場を巡った。なので、しばらくは竹内栖鳳と川瀬巴水の展示会の作品を交合に紹介します。興味のある方はぜひ、ご訪問ください。竹内栖鳳:「宇佐幾」・1939年(昭和14)頃川瀬巴水:「雪の橋立」・1921年(大正10)2月竹内栖鳳の大規模回顧展破壊と創生のエネルギー「けものを描けば、その匂いまで表現できる」と称えられ竹
今月、何回目??の京都です今日はね、実は、父の命日です。医療ミスで亡くしてるんです。苦しみのあまりの父の断末魔の叫び病院中に響き渡る、あの声を14年たっても思い出すので仕事のない命日は家にいられず逃亡です。朝から1人で京都をトコトコ。朝なので高瀬川沿いも三条大橋もまだ人は溢れていません。11時過ぎに友達と合流して、友達のオススメ京とみさんへ。ラスト1席!空いてた!!予約はできません。穴子とエビの天丼(だけどご飯と天ぷら分けてもらいました)穴子、めちゃ美味し