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赤い目の竜は、目がピカピカして、まるでロボットのように見える。(今にも、動き出しそうだなぁ)本物のようだ…こわごわと見ながらも、台の周りをグルリと回る。小さな台の周りには、くぼみがあり、それが何のためにあるのか、まったくわからない。「鍵があるとか?それとも、どこかの入り口があるとか?」だけどあの龍神は、そんなことは言っていなかった…と思う。「これ…竜のホコラじゃあないのかなぁ?」もしかしたら、別の場所なのか?それらしきものが見当たらず、裕太がガッカリしていると…や
台風が去って激暑が戻って台風13号太平洋側を通過してくれたら涼しくなる近付く前からそう予測して期待して待っていたらまさに的中グンと一気に涼しくなって秋~!的に喜んでいたのだがわずかな期間で元に戻ってしまったがっかりやはり9月終わりまで暑い日は続きそうだねところで半年程前から調子が悪くなっていたぼくのパソコンMacBookAirと言うやつfacebookのチャットが打てなくなってしばらく時を置いて次には
修行大師後尊像本堂には木彫りの修行大師(握手をしよう)手水鉢の竜の口には玉を加えた竜神様でしょうか。
1回目、2回目に続き38番金剛福寺の3回目です。4回目以降の追記は赤字としました。38番金剛福寺2回目四国八十八か所霊場石碑手水鉢竜の口は何か凄いですね亀と言えば39番の延光寺ですがこちらにも亀様がおられます。香炉賓頭盧さん本堂ですが何と本堂内にも賓頭盧さんがおられました。手水鉢は「奉献」こちらの香炉は土台の邪鬼様が特徴的でした。
1回目、2回目に続き金泉寺の3回目です。残念ながら仏足跡(石)、百度石、賓頭盧さん、そして衛門三郎さんはお見受けできませんでした。4回目以降の追記は赤字としました。3番金泉寺3回目四国八十八か所霊場石碑手水舎右は「洗」ですが左の漢字が全く読めません。調べてみると「さんずい」の草書が「し」みたいになるようです。続いて「さんずい」で草書を調べると「浄」らしい。あれ「洗浄」ですかね。しかも獅子の滝の口は珍しいですね鐘は泰平萬民豊楽泰平は
以前紹介しましたが、週刊誌から得た情報で、支出を抑えるには、「給料日の1週間前は、買い物をせず、冷蔵庫の在庫処分をしましょう」とあったので、この1週間、1度だけ、バナナを買ったけれど、いつもの特売の卵を買うのも忘れるくらい、買い物を控えたら、本当に、お金使わない1週間になりました。いいかも。さて、帰路です。山ふたつ。階段を昇り続けるのですが、かなり勾配があるので、階
中山道・信濃路を進みます。「今井邦子文学館」がありました。今井邦子は下諏訪の茶屋であった「松屋」の生まれです。アララギ派の歌人で、明治・大正・昭和を駆け抜けた波乱に満ちた生涯を送った人物だそうです。このあたりの旅館街を過ぎますと、下諏訪宿は終わります。やがて江戸日本橋より55里の一里塚碑がありました。されに進むと「竜の口」です。「竜頭水口」といって、江戸時代中期に旧横川村の山田金右ヱ門の造ったものだそうです。ここは「慈雲寺」への登り口でもあり
神社巡りをした何しろ暑い日でマスクをして歩き始めたけれど中に暑さがこもってしまう結局、結構歩く場合はマスクを取ったりつけ直したり仕方がないのよ命に関わるんだからあれ?マスクの着脱の時にこうやってマスクの表面を触ることご法度じゃなかったけマスクの表面はコロナのウイルスピタッと付いている場合あるんだよねけれど、けれどそんなこと言っていられないマラソンやジョギングの人はマスクは無理でしょそう実感だって、命に関わるんだものそうそう、殆どの神社の手水鉢
ビキニハイカー道志山塊の最高峰へ信仰の道をたどる!!本日は最近よくお邪魔している道志村と都留市にまたがる道志山塊の最高峰である御正体山に挑戦します2004年には現在の令和天皇が皇太子時代に登られたお山だそうです久しぶりに1500m以上のお山に登りますここで御正体山の豆知識古くは養蚕の神に山として敬われていたそうです江戸時代後期(1813年)に美濃の僧「妙心」が入山し人々の信仰を集めました1817年妙心は山中で入定しま
「龍泉寺」『大峯山』の登山口『洞川』(どろがわ)にある「大峯山龍泉寺」は、真言宗修験(『当山派』)総本山醍醐寺の大本山であり、『大峯山寺の護持院』でもあります。白鳳年間(645〜710)役行者(えんのぎょうじゃ)が『大峯』を開山し、修行していた頃、山麓の洞川に下りられ、岩場の中からこうこうと水が湧き出る泉を発見されました。役行者がその泉のほとりに『八大龍王尊』をお祀りし、行をしたのが「龍泉寺」の始まりであると伝えられています。この泉を『龍の口』と言い、この地を龍神様
今日は諏訪大社秋宮から春宮へ向かう途中の道中記です秋宮を出て少し歩くと、諏訪大社七不思議の一つに数えられている「綿の湯」か見えてきます☆綿の湯〈湯口の清濁〉その昔、上社のご祭神の建御名方神のお妃である八坂刀売命が、日頃使用していたお化粧用の湯を綿に湿し、湯玉にして下社にお持ちになりました。その湯玉を置かれた所からは温泉が湧き「綿の湯」と名付けられました。神の湯ですから神聖で、やましい者が入ると神の怒りに触れて湯口が濁るといわれています。☆史跡本陣遺構(下諏訪町文化財)江戸時代に中