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2024年1月15日下鴨神社から上賀茂神社へ移動します。鴨川を渡り上賀茂神社の駐車場へ大鳥居から参拝していきます。一の鳥居参道右手に馬場殿が見えます。神馬舎では神馬にニンジンをあげたりしていました。二の鳥居境内案内図があります。二の鳥居をくぐるとおみくじ掛けと細殿が目に入ってきます。手水舎で手を清めてから楼門の方へ橋殿が小川の上に架かっています。岩上気の集中するところで結界が張られています。楼門をく
いつも、ブログを読んで頂いている皆様に感謝しております。本当に有難う御座います。定期的に、参拝している神社です。本日は、御札を頂きに参りました。一の鳥居から二の鳥居まで朝は、気持ちが良いです。立砂です。ご神氣が、ピリッと気が引き締まります。楼門が素晴らしいです。見事です。中門です。御祭神『賀茂別雷大神』様に、感謝をお伝えし、細殿前のお空で龍神様がお越し下さいました。龍神様有難う御座います『賀茂別雷大神様』、『龍神様
前回はこちら稲荷神社です。長岡護全公銅像跡です。長岡護全公銅像跡の説明板です。富士築山です。縁結びの木「梛」です。縁結びの木「梛」の説明板です。細川忠利公銅像です。細川忠利公銅像の説明板です。細川藤孝(幽斎)公銅像です。細川藤孝(幽斎)公銅像の説明板です。流鏑馬の馬場の説明板です。肥後芍薬の畑です。肥後六花の説明板です。肥後菊です。いこいの広場です。水前寺菜栽培地の説明板です。水前寺菜栽培地です。細川流盆石の石庭の説明板です。細川流盆石の石庭です。立砂です
昨日(24日)早朝の清水寺、、、少し違和感を感じますね、、、実は23日に本堂で消防訓練に使われた、、、消防ホースが干して有りました、、、さて、16日の賀茂川は、、、凍てつく風景だった、、、そして、上賀茂神社は9時頃まで、、、雪と霰が散らついていた、、、雪が止んだ10時頃から、、、強い風が吹いて、、、手袋をしないと、、、手がかじかむ位だった、、、細殿前、、、立砂、、、奉納された辰年の絵、、、神馬の神山号は元気だった、、、10時半、、、社務所から神職達が本殿に向かう、、、祭
乙宮社(おとみやしゃ街中にありながら、鳥居をくぐると静寂で優しい空気が広がります。魅力的な狛犬たちにお会いできたのですが、2019年末に完成したばかりの天井絵馬も、それは色鮮やかでした。鳥居狛犬インパクトある狛犬さんがお迎えしてくださいます。球を押さえる腕がかなり長いような・・・狛犬は両側とも口を開けていて、どちらも阿形のようです。昭和15年。狛犬界では若者です。石工小城町平川伊三ピーンと立つ尾真ん丸な、鼻の穴。手水舎藤の葉で覆われてい
久しぶりに上賀茂神社へ参拝に行きました!下鴨神社とはまた違う空気が流れていますね。ちょうど神馬お見えの時でした。白毛の綺麗なお馬さんですね7日には、年の始めに白馬を見ると一年の邪気が祓われるという故事に則った宮中の儀式である「白馬節会」が神事化されたもので、神前に七草粥を供え、神馬「神山号」を神覧に供する祭典があるそうです。年始めに見れたということは邪気が祓われたことになるかな??お皿に入った人参をあげることができるので、私もさっそく!!心付けとのこと、500円お渡ししたら、、
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。今年も、当ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございました。先日の京都の旅から上賀茂神社の立砂。その背景には来年の干支昇龍と降龍の双龍が飾られていますどうぞ良いお年をお迎えください2023年の年神さまありがとうございました。感謝、感謝
上賀茂神社28日にブロ友さんと行った京都の旅世界文化遺産に登録され、国宝と重要文化財の宝庫でもある上賀茂神社京都最古とされる歴史と格式を誇る神社京の春の風物詩である「葵祭」でも有名同じ賀茂社である「下鴨神社」がパワースポットとして人気ですが、上賀茂神社も下鴨神社と同様に神秘に満ちた神社です。その歴史と、古代より霊験と御利益があるそうです神域・パワースポットが色々あるようです調べずに行って・・・残念なことしました~一の鳥居二の鳥居まで長
2日目のツアーは晴明神社で終わり。ホテルに帰るか?お散歩するか?と考えていたら、嬉しいお誘いを頂きました。2日目のツアーに参加して下さったひうらお姉様が、どうせ方向だからと上賀茂神社までドライブしてくれたのです。上賀茂神社は大好きな神社の1つなのですが、ちょっと離れているので、最近はご無沙汰気味でした。今回もスケジュール的にちょっと厳しいので諦めていたところ、神の声を聞いたくらい嬉しかったです。KIKCAFEをオープンする前に行ったきりなので、なんと6年ぶりの上賀茂神社なのです。京都
かなまろんですブログにお越しくださってありがとうございます前回の続きです京都での仕事を終えて上賀茂神社で特別参拝をしました終わって楼門を出るとこんなものが龍のお告げ水につけると言葉が浮き上がってくるタイプのおみくじです関西弁での一言メッセージをもらえるみたいです出たのはコレもう出会ってんで?何と?だれと?と不思議ですが必要なこと(人)には出会
前回からの続き(8月12日のこと)です二の鳥居から見える光景有名な細殿(ほそどの・重文)檜皮葺、入母屋造、平入りの平屋天井は折上小組格天井天皇行幸に際しては天皇が最初に入られる着到殿変わってなかったら、寛永5年造替時に建てられたもの(以下、京都・世界遺産手帳上賀茂神社参照)動画も撮ってみました斜めからこちらは細殿の前にある上賀茂神社を象徴する立砂(たてずな)駒札立砂(たてずな)盛砂(もりずな)とも云い、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり、神代の昔に御祭神・
令和5年7月25日(火)上賀茂神社(かみがもじんじゃ)正式名称は『賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)』御祭神は賀茂別雷命で平安遷都以前からこの辺りを支配した賀茂氏の氏神だそうです。下鴨神社の賀茂建角身命の娘玉依比売(たまよりびめ)が産んだ神以前参拝させていただいたのは、6年程前(?もっと前のような気がするけど?)お正月に京都五社詣りの時でした確かその時、平安神宮で戌年の絵馬を見た記憶がありますが・・・いろいろ考えるともう一回りしてるような?18年前記憶では一緒に行った友人
旅の記憶が薄れない内に今回の京都旅を少しずつ綴りますね!基本的には、今回の京都では、国津神系神社を巡ろうと思い出雲大神宮の翌日は上賀茂神社(賀茂別雷神社)へ☆立砂☆上賀茂神社境内に流れる御手洗川手を浸して身を清めました☆本殿手前にある「岩上」の雰囲気を感じてみたかったのです☆「岩上」の説明☆上賀茂神社(賀茂別雷神社)の「岩上」は、神聖で氣の集中する場所☆
***境内は満開***一の鳥居をくぐると左手の大芝原にホワイトピンクの桜並木が伸びています。右手には色の濃い枝垂れ桜や赤い桜もいるのよ。この時期の上賀茂神社は本当にきれいです💛💛広い境内にどっしり構える大きな外幣殿(げへいでん/馬場殿)を通して芝原の桜たちが見えるのよ~♪献酒の棚も大きいわねぇ(@@)。伏見のお酒がやっぱり多く、私のオキニ英勲もありました(えいくん/プチプラ♪伏見のお酒)。別のトコには(ヒガシマル醤油や個人の献酒と一緒に)余市ニキ・ヒルズワイナリーのワイン樽が並
西賀茂大将軍神社から東に歩き賀茂川に架かる御園橋を渡って賀茂別雷神社に向かいました。人がいない参道はホントに気持ちよくて初めてここを訪れて参道を歩いたとき地面から足裏にビリビリしたエネルギーを感じたものですが今は全然わからなくてでも身体の外側が祓われる感じはします。朝日を浴びる立砂はより神々しく見えますわ。伊勢内宮にお参りするときのように境内を流れる小川で手を清めてみました。この小川を渡ることによって空気が変わって今度は身体の内側が清められる気がします。以前はよく神
また延々と京都話でホントに申し訳ないのですが一週間ほどあけて再び京都へ行ってきました。桜の開花が早まりそうだし脱マスクになるし混雑する前に行っておきたくて朝いちばんに西賀茂(京都市北区)の大将軍神社を訪れました。住宅街にこんもりとした鎮守の森になっているので遠目にもわかります。創建は609年と古く平安京造営の際に王城鎮護のために東西南北の四方に祀られた大将軍神社の北の守護神とされています。大将軍は陰陽道の八将神のひとりで方違えとか厄除けの神様ですね。昨年
一の鳥居神馬舎11月の神馬出社日が表示^^(土)(日)です二の鳥居御祭神:賀茂分雷大神(かもわけいかづち)御神紋:双葉葵京都最古級のお社境内案内|賀茂別雷神社(上賀茂神社:かみがもじんじゃ)公式Webサイト上賀茂神社は、京都でもっとも古い神社であり、雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除(やくよけ)明神・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されていますwww.kamigamojinja.jp【上賀茂神社(
「フォションホテル」からバスで50分かけて上賀茂神社へホテルのすぐそばにバス停があり、④番に乗ると一本で上賀茂神社に着き、とても便利でした。大鳥居から入ります。一の鳥居外弊殿(御所屋)重文1628年二の鳥居敷地は67万㎡あり、東京ドーム14個分にもなります。(と言っても規模がよく分からない…笑)楽屋(がくのや)重文1628年土屋(つちのや)重文1628年舞殿(橘殿)重文1863年細殿重文1
水前寺成趣園にあります。初めて知りました👓️""円錐状の形をした二つの立砂は、断定的なことは分かっていませんが、神様が最初に降臨されたといわれる山をかたどったものだといわれています。神がここ立砂に招き寄せられて、乗り移るものとされています。「立つ」とは神様のご出現に由来した言葉であるのだとか。右隣の立砂上部に三本の松葉、その右側の上部に二本の松葉が差し込まれています。奇数と偶数が合わさることで、神の出現を願う意があるとか。どこか神秘的で、ここに神が降臨してくるような神々しい姿です。""
みたらし祭の下鴨神社から路線バスに乗り上賀茂神社へ向かいました。バスで30分くらいの距離ですが近づくにつれ左折しても右折しても車窓正面に山が見えてくると高まるわくわく気分が止まらない。上賀茂神社(賀茂別雷神社・京都)到着。え?ここに大鳥居ありましたっけ?といきなりの鳥居にうろたえ「賀茂大社」の石碑もありましたっけ?とあやふやな記憶。一の鳥居をくぐるとすっきりと空に抜けるような広場感が、たまらなく心地いい。下鴨神社にくらべて人が少なく
7月18日、曇り空で雨予報!雨は覚悟して滋賀県に建部大社(近江国一之宮次は西国のお参りに京都に。華頂山元慶寺ランチは薪窯で焼くピッツァピッツェリアダナギーノ次の行く途中で有名な和菓子屋出町ふたば次は、一之宮巡りの神社に新しく鳥居と標石が出来ていました山城国一之宮【加茂別雷神社】境内に入ります■一の鳥居京の夏の旅「国宝拝殿・権殿、特別公開」■制札板長い参道を歩いて・・、二の鳥居前に!
賀茂別雷神社、賀茂御祖神社賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)5月に賀茂祭(葵祭)をとりおこなう神社になります。賀茂別雷神社のご祭神賀茂別雷大神(かもわけいかづち)賀茂御祖神社のご祭神賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と、玉依媛命(たまよりひめのみこと)玉依媛命は賀茂別雷大神の母であり賀茂建角身命は祖父にあたる賀茂別雷大神は神山に降臨され、やがて現在の場所へお越しになったので、立砂(たてすな)で山をつくっているこの立砂が賀茂の象徴となっている。ここは雷避
京都の一の宮をめぐりました山城国一の宮上賀茂神社(加茂別雷神社)正式には、加茂別雷(かもわけいかづち)神社といいます平安時代の佇まいを残すところから世界文化遺産に制定されていますあれ?雰囲気が変ってる!?と思ったら、神社前の交差点がロータリーになっていました5月5日に加茂競馬が行われます参拝したのは5月3日でした5月5日、ここを2頭の馬が駆け抜けますこの日は静かにハトが戯れていました神馬がいました細殿の前には、二つの白い砂山が作られていますこれは、立
○2022年2月3日に、上賀茂神社へお参りした。上賀茂神社境内、二の鳥居をくぐると、もう完全な神域となる。広い境内の中に、細殿が建っていて、その前に立砂が建っているのを見る。立砂についての案内板には、次のようにあった。立砂盛砂とも云い、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり、神代の昔に御祭神・賀茂別雷神が最初に降臨された、本殿の北北西二㎞に奥にある円錐形の美しい形の神山に因んだもので、一種の神籬(神様が降りられる憑代)である。鬼門・裏鬼門にお砂
上賀茂神社(賀茂別雷神社)
2021年11月26日参拝。賀茂別雷神社(上賀茂神社)この親子なかなかいなくなってくれず…一の鳥居の手前に宮前広場を整備中で、新鳥居が出来ていました。JR京都駅より市バス4系統「上賀茂神社前(御薗口町)」下車すぐ。9系統「上賀茂御園橋」下車、徒歩3分。一の鳥居。通称「上賀茂神社」「上社」の名で親しまれています。ご本殿の背後の北北西およそ2kmに、標高301.5mの神山(こうやま)があり、神代の昔、山頂にある最も大きな岩(磐座)に、御祭神である賀茂別雷大神が降臨したと
北野天満宮の梅宛で梅を満喫した後は、東門から上七軒を抜け千本今出川まで徒歩。ここからバスに乗り込み、昼食をいただく場所へと移動します千本今出川バス停から京都市バス46系統に乗って向かった先はと言いますと~~賀茂大社賀茂大社とは、上賀茂神社のことでございます^^後でもちろんお参りはするのですが、まずは腹ごしらえを京都に行った時は、けっこうラーメンを食べることが多いのですが、今回は違いますwこちらが上賀茂神社横の道路。ここに目的のお店があるのですが、わか
昨日はハードスケジュールだったので〜疲れちまったらしくコメ返途中で安定の寝落ち〜朝から歯医者の仕事だったので〜今頃現れました〜こんな時間にこんにちは〜〜〜京都の続きです〜〜〜城南宮の素晴らしいしだれ梅の後はどこ行こうか〜って感じで梅繋がりで「北野天満宮」にしよか〜ってなったんだけど〜道がめちゃ混んでる感じだったので〜やめとこか〜ってで・・・1本だけ梅があるって書いてあった下鴨神社へ行きました〜〜正式名称は賀茂御祖神社(かもみおや)ですぞ〜〜
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は上賀茂神社と呼ばれており、神代の昔、現在地の背後にある神山(こうやま)に賀茂別雷神が降臨したと伝えられており、天武天皇六年(677年)に社殿の基が造営された京都最古の神社で、延喜式の名神大社であり、世界文化遺産に登録されている。平安京遷都以降は、皇城鎮護の神・山城国一之宮として歴代の天皇が行幸、幣帛祈願され、大同二年(807年)に正一位の神階を受けた。本殿と権殿は共に、文久三年(1863年)に造替されたもので国宝に指定されている。その他の御殿(楼門、