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久しぶりの投稿になってしまいましたが、2022年6月初旬写真講座の様子をお伝えします。群馬県のチャツボミコケを撮影に行って来ました。生徒さんみなさんとても良い写真が撮れました。詳しくはこちらをご覧ください。Facebookの記事ただいま新規生徒さんを募集しています。残席2名次のクールは8月からです。下の連絡先へお問合せください。写真教室生徒募集のご案内一回おきに撮影実習が受けられる写真教室毎回無料で写真の講評が受けられる写真教室リコーフォトアカ
全国紙「公明新聞」2004年12月7日号に掲載されたものです。『芭蕉の風景』21世紀【奥の細道】五月雨をあつめて早し最上川山形県の南境に流れる大河船運の重要な中継地として大変栄えた所であるその古い街並みがそこそこに残っているが鉄道が開通して山形、天堂、新庄、酒田一帯は大きく趣を変えてしまった句は最上川の急流と両岸の自然に魅了され深く感情を残したこの場の撮影ほど難しいものはないと、シャターをきれなかった今だにそう思っている
月刊「潮」2006年4月号に掲載されたものです。新連載小さな美術館川村記念美術館大日本インキ化学工業の創始者川村喜十郎氏から三代にわたって収集されたコレクションの記念館である。現在ではDIC株式会社の名を取りDIC川村記念美術館になっている。近現代美術コレクションでは日本有数の規模がある。広大な庭園に海老原一郎氏のデザインによる建物は旧ヨーロッパを思わせる。現在はコロナ禍もあり7月2日(金)まで改修工事で休館中である。
川越市立美術館月刊「潮」2005年12月号に掲載した記事です。埼玉県川越市郭町2丁目30−1川越城の二ノ丸跡に川越市立博物館とともにある。JR池袋駅から30分ほどの近くに、「小江戸」として江戸時代に交通の要衝として栄え庶民に親しまれた。美術館周りは、ほのかな江戸情緒を感じ、蔵造りの街並みが続く。美術館は川越ゆかりの作家を主とし、洋画、日本画、版画など常設展示室がある。市民ギャラリーを目的にし、多方面に交流を図っている。創作室では絵画のほか木版、銅板画、彫塑、工芸、写真等利用でき
1982年2月に週刊求人タイムスで取材したものです。私が取材中本人の名前をずっと間違えて読んでいたことを思い出す。ナイーブで繊細な方で大変申し訳ないと今でも思っている。時にはロックバンドをやり、ライターとしてもデビュー。マルチ多彩な方だ。「宝島」では何度か拝見していた。才能のある人は人が寄り、本人も活性化するんだと確信した。
2013年5月号、月刊「潮」で取材したものです。昭和7年鉄道省観光局が外貨獲得と海外の観光客誘致の為、日本各地にホテルを建設されることになった。雲仙は豊かな自然と良質な温泉が湧くことから、外国人に浸しまれる事で選定された。ホテルは当時の最新設備でスイスシャレー様式を取り入れ、山小屋様式を用いた。豪華絢爛なデザインで当時では近代設備が整った建物がなかった。
夏草や兵どもが夢の跡私は2004年11月に岩手県西磐井郡平泉町を訪れた。天下無双の絶景と言われた日和山は多くの歌人が訪れている。芭蕉もそこから北上川沿いに北上し登来町に一泊し地元の歌人らと交流した。一関街道を通ったが面影が殆どが無かった。そこから平泉に着いたのは9箇所を弱体の足で見物した。源義経の終焉の地を見聞する大きな目的があった。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」の平泉の黄金文化を触れた。この背景で『夏草や・・』と栄枯盛衰の名句を残した。
2019年11月1日キヤノンギャラリーS「白鳥真太郎広告写真館」写真展に行って来た。白鳥さんとは、2013年に写真人が日本で一番多い県が長野県だ。と聞いて。写真で何か出来ないか?「長野県生まれの写真家たち」の写真展を企画した。木之下晃、小林紀晴、郷津雅夫、櫻井寛、清水博純、白鳥真太郎、立木寛彦中村梧郎、野沢廣、樋口健二、水谷章人、宮崎学、八木清、柳澤俊次、山崎博、由良環、吉村和敏、吉田一法、熊谷元一、島田謹介、ハリー・K・シゲタ、藤本四八各氏の代表作品展を開催した。左・白
小さな美術館の連載は2005年1月に始まった。今回で6回目です。当時取材したままを掲載します。所在は中野区の「野方警察前」近く、早稲田通りを入った所だった。「嫁菜」は隠された美しいキク科の多年草で秋には美しい薄紫の花を咲かせる。主宰の画家三田恭子さんは1988年に女性達に作品発表の場にと開館した。上の写真は磯谷恵一さんが「鳥獣戯画」を立体化した作品。213体ある。下の写真は磯谷佐紀子さんの作品。ただいま、写真教室の生徒募集中です写真教室銀座募集のご案内毎回無料
ヒューマンサクセッションで連載したものです週刊読売の記者だった頃、大島渚、永六輔、井筒康隆や野坂昭如氏と交際がありその為新宿武勇伝はたくさんある。ゴールデン街でも有名だった。早稲田大学文学部中退でルポライターをしていた頃、五木寛之さんと酒飲みの折に何故かブン殴ったエピソードがある。後に数々の文芸・文学賞を受賞。昨年10月に心不全で84歳で死去した。
21世紀芭蕉の風景第6回『五月雨の滝降りうづむ水かさ哉』2004年9月28日に掲載したものです。旧暦の4月に合わせて福島県須賀川市に取材に行きました。芭蕉は長い旅でやっと矢吹から須賀川に入った。あまりの強行の旅でやっと着き安堵し、迎えた伊左衛門の好意で数日を過ごす。滝百選の阿武隈川の石河の滝(乙字ヶ滝)は絶景の被写体になる。玉川村側に上記の句碑がある。21世紀芭蕉の風景第7回『あやめ草足に結ばん草鞋の緒』2004年10月5日に掲載したものです。宮城県仙台市飯
写真講座始まる初心者から上級者までカバーする特別講座4月よりスタートする解りやすい写真講座途中からでも参加できる和気あいあいの教室で楽しみながら体験する
1976年10月に掲載された「名作の舞台」”今と昔”です。今なお残る奥羽路の旅情「草の戸も住替る代ぞひなの家」の句を残し、江戸深川から東北、北陸の旅に出た。実に5ヶ月間の旅は弱体の芭蕉は死を覚悟の旅だった。自分の生涯を「旅」と観ずる人生観がそうさせ、止むにやまれない”漂泊の思い”にかられた。『日本旅のペンクラブ』会長が松尾芭蕉で日本のカレンダーに”旅の日”が制定された日が芭蕉の旅立ちの5月16日になっている。
2013年」2月号の掲載しました。利根川流域の水運を支えた。茨城県稲敷市と千葉県香取市の県境の横利根川にある閘門です。当時では画期的な二重の門扉構造(両端を内開きと外開き)複閘式。1921(大正10)年に完成した煉瓦作り閘門は近代化産業遺産として平成20年に重要文化財に指定された。
謹んで新春のお慶びを申し上げます。お健やかに良いお年をお迎えのことと存じます。旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。
鵜飼香子さん(美容ジャーナリスト)を撮影「orgaworld」オーガワールド2018年Winter号に6ページに掲載。編集部は大阪ですが、撮影は都内の某ホテルで行いました。
2004年9月14日号「木啄も庵はやぶらず夏木立」5月半ば、芭蕉は幸岡、矢板、沢村、大田原から羽黒に向かった。「おくのほそ道」全体の中で、最も滞在期間が長がく14日間もあった。芭蕉公園があり、中に「芭蕉の館」資料館があり、当時を忍には最高である。2004年9月21日「田一枚植ゑて立去る柳かな」現在の白河市旗宿になる。那須高原観光センターで殺生石の資料を参考に那須温泉神社でお参り。その参道に芭蕉の句碑がある。高台から盲蛇石を見下ろすと、その辺り一面に赤腹巻を巻いた石仏が神
明治38(1905)年、夏目漱石の初の長編小説である。前回第8回の伊藤左千夫も、俳句雑誌『ホトトギス』に作品を書いていた。漱石は先人に勧められて小説を書く事になった。好評になり11回を連載し、一躍有名な文芸誌となった。これ程の人間模様を表現された文芸小説は誰しもが認めた。諷刺的でわかり易く多くの読者を獲得した。私もこれ程の小説は無いと思うほどである。
「矢切の渡し」は江戸時代から葛飾区金町と千葉県の松戸市下矢切を結ぶ江戸川の農民渡し船である。小説の主人公政夫15歳と民子17歳の幼い恋の物語。左千夫の思い込めて乗船してみた。静かに流れる川に添い船のなすがままに美しい風情を感じた。西蓮寺の境内に舞台の一節を描いた「野菊の墓文学碑」が建立されている。
「あらたうと青葉若葉の日の光」日光市を訪れたのは旧暦の四月上旬だった。一般に「日光を見ぬうちは結構という勿れ」と日本最高の豪華絢爛の美しさを讃えていた。芭蕉はこの東照宮の御威光は天下に輝いたその恵は隅々に溢れ、全ての人々が穏やかに暮らしてることから、これ以上の事はおそれおおく筆を置いた。と記してあった。
「ゆく春や鳥啼き魚の目は泪」2004年8月24日から31回の連載が始まった。取材は6月からスタートしたが芭蕉の句と撮影する風景がなかなか一致しない。陽暦に合わせ句に準ずる環境を待つが簡単には行かない。一か所の取材に3日間かかる時もあった。芭蕉の気持ちになるには並大抵の事ではない。
外務省・在オーストリア日本大使館・オーストリア政府観光局後援協力事業<写真スペシャルアドバイザー>山口勝廣氏と世界遺産と絶景・山岳氷河ザルツカンマーグートを撃撮。世界最古の山岳鉄道1854年「ゼメリンク鉄道」の乗車体験から全て石で造られた石積みのアーチ橋やトンネルを撮り鉄する。ウイーンの「シエーンブルン宮殿と庭園」世界遺産が建ち並ぶ「リング通り」ザルツブルクの「ミラベル宮殿」「ドーム」「レジデンツ」主要な遺産の歴史的建造物や文化遺産を堪能する。二人の講師がその都度撮影技法をご
2019年2月28日から3月7日まで8日間撮影旅行に参加しませんか?現地の有名写真家レネ氏と合流。知り尽くした太陽の絶景を切り取ります。レネ氏と立木で参加者の写真を現地で写真講評最高の写真表現を追求します。
2004年8月24日から31回の連載が始まった。取材は6月からスタートしたが芭蕉の句と撮影する風景がなかなか一致しない。陽暦に合わせ句に準ずる環境を待つが簡単には行かない。一か所の取材に3日間かかる時もあった。芭蕉の気持ちになるには並大抵の事ではない。
「仲間と共に基礎から学ぶ撮影技法・実習と講座」11月5日より10回講座でスタート誰でも気軽にいつでも受講できる和気あいあいした楽しい写真塾写真好きな皆さま是非ご参加ください。
2005年3月に取材した美術館。東京の一等地南青山6丁目交差点から北に2〜3分左に曲がり右手に公園のような緑の多い中に2階建ての建物である。1954年から50年近く芸術と爆発を抱えて生活していた場所である。岡本流の芸術は圧倒的に情熱を費やし爆発していたに違いない。室内に入るといきなり本人が立っている。身長158センチの小柄が、印象的に存在感が大きかったせいか大柄に見える。周りには多趣味だった物が当時のまま残されている。この時私も、写真で爆発したかった。
1982年『PHOTOTECHNIC』でDavidHamilton(写真家)を密着取材した。表紙を含めて7頁。取材原稿。デビッド・ハミルトンのエロテイシズムの密着を公開した。彼はイギリスのロンドン生まれ(1933年)。イギリスやフランスのアートデイレクターやグラフィツクデザイナーを経て1965年写真家を目指す。71年に「若い娘の夢」写真集で一躍世界に広がった。国際的に活躍してサントロペやニューヨークにスタジオを持つ。1982年4月写真集「サントロペの夏」で来日。1週間の滞在
山岳地帯の女性民族を訪ねた数日に1回に開かれる市場に民族衣装のまま20から30キロ歩いて買い物をする。ホジン村は山頂にあり3〜4の集落がある。時に数時間を歩いて山を登る。アク族の女性は銀の装飾を施した帽子を被る。つい最近まで貨幣を飾っていた。我々を快く迎えてくれる。お歯黒にしたワンサイ村のエン族。衣装も習慣に習って黒を着ている。山の峠で小さな民族の飾り物を売って生活にしていた。家族は血族で皆んなが一つの高床式の藁屋に住む。曽孫の赤ちゃんを背負っていた。ワンサイ村のエン族。チ
週刊求人Timesのヒューマン・サクセションでインタビューしたものです。明治38年2月12日東京生まれ慶応高等部卒業「世話した女」「茂一の夢は夜ひらく」「茂一の美女対談」などの著書がある作家で紀伊国屋書店の会長銀座の夜の交友録はトップクラス。作家・梶山季之とはぶるいの仲間。この頃ニューヨークに支店を開店した。当時私が週刊誌の編集部にいた頃、鞄持ちで銀座の店をハシゴしておご馳走になった。その振る舞いは天下一品だった。帽子を取っては含むような笑をしてまた被る。印象的だった。