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久し振りに、すっきり晴れた一日☀️夏山登山に向けて、低山のロングトレイルにするか今シーズンも終わり🔚になりつつある雪山歩き❄️か⁉️はい、勝敗は、雪の来拝山🏔️へ山友さんの山行きに乗っかりました😁これが大正解で🙆♀️まさかこんな時期に、しっかり雪のあるノートレースの雪山を歩くことが出来るとは😍ここ最近、平地はすっかり雪がなくなった北陸。登山口のある立山青少年の家が近付くにつれ、林道は、薄っすら〜ガッツリ雪へヤバイ😨私の車
今日は4年に1度しかない「2月29日」。(正確には100で割り切れる年はうるう年ではなく、でも400で割り切れる年はうるう年なので4年に1度ではないですが。そういうわけで、プログラミングの初歩の問題としてよく使われますが実務でも免許センターでシステム障害発生したらしい^^;)2月29日といえば、もちろんこれですよね!吉岡聖恵さん、4年ぶり10回目のお誕生日おめでとうございます!いきものがかりのボーカルの方ですが、世間的には完全にオオタニサーンに話題がさらわれてしまった気がし
どーも、カーネリアンです地震から1日半…家から1歩も外に出てないので外部の状況はニュースでしか知り得ないけど丸一日ニュースを付けっぱで余震にビビりながら日常を過ごしています色んな方々から心配の言葉を頂き温かい言葉を頂きホントに心強く有難いですさて富山は災害の少ない県富山県民の老若男女の大半がそう思っている※個人の感想ですそして口を揃えて言う立山のおかげやちゃ富山に災害が少ないのは日本三霊山の一つ立山が守ってくれているからそんな立山信仰が富山県民の心根
日頃、車で道を走る。センターラインが走り、広く、ガードレールや歩道さえ整備されている。そんな風に改良をしてきたのだ、如何に安全に、スムースにと…。ただ、道は意外と歴史を持っている。何気なく利用している道も何百年も、皆、その道を使っていたりする。もちろん、道路の姿は変わっているだろう。ルートも少し違っているだろう。先日、千代やコトが歩いた道を、「瞽女の記憶」を読みながら思い出していた。今の県道67号線。実はこの道、家の前を走っている。(もちろんコト達は市場から横樋へと近道を通っている。)同
『瞽女(ごぜ)の記憶』という名の本を地元の出版社「桂書房」さんは出していた。図書館で借りて読んでいるのだが…明治17年(1884)に立山町座主坊(ざすんぼう)に宿坊の四女として生まれた千代は、7才の時養女に出された。明治に入り、廃仏毀釈のため芦峅寺は大いに混乱し、上市から芦峅に向う途上の座主坊でも宿坊の一部が営まれていた。要は廃仏毀釈に伴う宿坊の衰退、そして口減らし…。養女に出た年の秋、千代は疱瘡(天然痘)を罹り目を喪う。その千代の一生を描いたものである。作者の宮成照子さんの母コトは晩年の
2023年11月4日(土)今日は、わが町の友人Sさんの「立山黒部ジオパーク」についての報告を聞きました。文化の日の周辺でいろいろ行事が行われていました。Sさんは立山連峰を巡るナチュラリストとして活動し、このジオパーク協会に迎えられ、ジオガイドの育成を担当している。ジオパークは、大地の成り立ちから始めて、そこに育った長い長い自然と人類との歴史を、今眼にすることができる姿を通じて知り感じてそれを保護していく。日本列島の誕生からと言うことになるが、この地域にはユーラシア大陸から別れて
2023年10月21日(土)10:25~10:50南野陽子さんが富山テレビ「立山を想う-南野陽子の布橋灌頂会-」に出演されます2023年9月24日(日)に南野陽子さんが立山信仰の伝統儀式『布橋灌頂会』に参加された時の密着番組です立山を想う-南野陽子の布橋灌頂会--Yahoo!テレビ.Gガイド[テレビ番組表]立山を想う-南野陽子の布橋灌頂会--最新の放送スケジュールと、番組内容をチェックできます!tv.yahoo.co.jp*********************
2023年9月24日(日)南野陽子さんが立山信仰の伝統儀式『布橋灌頂会』に参加されました富山県立山町公式チャンネルさんで動画が上がっています現代に息づく立山信仰・布橋灌頂会2023年9月24日******************************立山町芦峅寺に伝わる女性救済のための儀式「布橋灌頂会」が9月24日、6年ぶりに有観客で開催されました。独特の静寂さと荘厳な雰囲気があたりを包み、全国から集まった女人衆60人が、この世とあの世の境界とされる布橋を渡り、極楽浄土を願
こんな文があった。この本の中の「立山信仰、研究への新たな展開」と題される米原寛さんの論文だ。106〜107ページは山姥について書いている。山姥信仰の有り様を福島など群(面)に広がるそれと立山の場合のように点での存在と比較している。確かに、新潟で出会った姥堂は、観音堂や薬師堂のように彼方此方(群)にある一つのように感じられた。立山の姥は女編に田を3個重ねてつくりとした(わざわざ作った)国字で表現する。他とは違うのだと主張する。この偏屈はいったいなんだ?東北へ行ってみたいと思ったのは、「姥
2023年9月24日(日)南野陽子さんが立山信仰の伝統儀式『布橋灌頂会』に参加されました南野陽子さんのFacebook南野陽子-『布橋灌頂会』という歴史的行事で富山県の立山町を訪れ、目隠しをして、この世からあの世へ行って来ました…。『布橋灌頂会』という歴史的行事で富山県の立山町を訪れ、目隠しをして、この世からあの世へ行って来ました…。www.facebook.com南野陽子さんのインスタグラム南野陽子onInstagram:"『布橋灌頂会』という歴史的行事で富山県
9月24日に立山博物館で催しがあった。『布橋灌頂会』。明治維新とともに途絶え、破却された文化が、近年、再現されている。中沖知事時代の空気…で掘り起こされた立山信仰。象徴するような立山博物館が創られ、行事も復活されてきた。布橋灌頂会もそのひとつである。「布橋を渡り灌頂を戴く催し」と言うところか。灌頂とはお墓参りの時、墓石に水をかける、あの行為を灌頂と言う。まぁ、本来は祝福の行為のようである。精選版日本国語大事典かん‐じょうクヮンヂャウ【灌頂】〘名〙(abhiṣecana,ab
こんにちは、あゆこです。本日は力強さを象徴する神様「天手力男神」について詳しく解説していきます。●天手力男神はどんな神様?天手力男神は◎古事記⇒天手力男命◎日本書紀⇒天手力雄命と表記されることが多い神様です。そのほか、・多久豆魂命・大国栖玉命・大刀辛雄命などと表記されることもあります。名前からも伝わるように力や技芸の神様としてスポーツや技芸の上達にご利益があるとされています。そんな天手力男神が登場するのは、天岩戸神話です。天照大神が岩戸
折立12:30のバスのれた一安心下界に下りると山行が夢だったかのようもう雨もやんでるこれからちょっと気になっていた立山博物館に行くことにまんだら遊苑まんだら食堂有峰口駅でバスおりてまんだら遊苑行きますって言ったらずっと坂道登りで大変だからバスがあるか電話でわざわざ確認してくれて千垣駅からコミニティバスあるからそこまで送るわって送ってくれたよもしやあなたは神さまか✨運転手さん✨私をまんだら遊苑にお導きくださったまんだら食堂芦峅御膳完売マジかー(TДT)
日本一の難所と呼ばれ、それだけに岳人の憧憬の山とされるのが、北アルプスの「岩と雪の殿堂」剱岳だ(写真)。むろん僕にはとうてい挑戦できない遥かなる山だ。明治末まで未踏峰として残された剱岳それだけに明治の遅くまで、日本最後の未踏峰として残された。初めて山頂に到達したのは、明治40年(1907年)7月、陸軍陸地測量部(今の国土地理院)の柴崎芳太郎(写真)らの測量隊である。この時、残された最後の未踏峰として発足したばかりの民間の日本山岳会の初代会長の小島烏水らのパー
参道と踏切逆向きは逆光でしたでは、お参りへ雄山神社前立社壇立山山頂を峰本社とする雄山神社の一番富山平野側に存在する社ですお参りをして御朱印にも値上げの波が御朱印帳がいっぱいになったので、本日からは新御朱印帳べるばらさてかえろそしたら踏切が鳴ったまた逆光で撮ってしまった・・・称名滝と雄山神社の散歩、おしまい
こんにちは、いまひろです。お越しくださりありがとうございます(*^-^*)宇宙元旦とも言われる春分の日、そして✨大開運日✨も重なった今日…どのようにお過ごしでしたか?私はいつもどおりの、いや、いつもより何もしてない一日でした🤣🟣🟢🔵🟡🔴🟠🟡🟢🔵🟣今日は昨日のつづきで富山県にある、雄山(おやま)神社の中宮祈祷殿のことを。今回は長いです!奈良の龍穴神社と同じよう
別記事にしたディープスポットのまんだら遊苑。富山県にある立山線沿いにあります。立山信仰の立山曼荼羅を具現化しています。簡単に言うと曼荼羅なんで地獄界~天界を紹介しています。徳島の八大地獄に似た感じですが、こっちのがパンチ効いてました。w動画です。wこの橋はグワングワン揺れます。ここからの景色もなかなか良い。逆光だったので順光で撮影。こんな感じで順路を行きます。ここまでは地界といいます。こちらは陽の道材木の坂(意味はわかり
能登、金沢周辺では相次ぐ台風接近、気温、地温が高めで推移。コケ(きのこ)時期只中ながら一休み、竿もイコも置き、越中富山に出向く当初、弥陀ヶ原散策を志すも最終日とは言え世間は3連休。麓の立山駅の駐車場は既にほぼ満車状態で(約1600台収容)ケーブルカー乗車は約2時間待ちの状況を見て、称名滝方面に行先変更。前回訪問したのが丁度10年前『称名滝』土曜は夜遅くまで仕事だったので富山には行けず、、、日曜朝に富山に出向き静養後気分が向いたので「称名滝」探訪。先ず「悪城の壁」(氷河地形)の絶景に
というわけで、本日は午後から群馬県太田市に位置するカフェ&雑貨クルンモットさんの和室をお借りし。占い師養成講座☆手相コースを開講させて頂きますが。その前にちょっとだけ。つい先日、足を運ばせて頂いた富山県立山に位置するまんだら遊苑の模様をお届けしたいと思います!(^^)!じゃんじゃじゃ~ん☆☆☆こちらに見えますのは、富山県立山博物館五響の森まんだら遊苑でございます!(^^)!まず始めにあまりよく調べずに立山博物館の延長でこちらに足を運ばせて頂
立山町にある『弥勒塚』に行ってきた。ここへ行きたくなったのは、三鍋久雄著「立山御案内」に紹介されていたからだ。以前から何故、岩峅寺の雄山神社は立山(雄山)ではなく、魚津の方向に向かってお参りするのか不思議だった。また、社地も洪水で削り取られるなど危うい場所に立っているのか、やはり不思議だった。「立山御案内」には、元々は弥勒塚の位置にあったと書かれている。そして雄山がよく見える位置だとも書かれていた。確かめたくなった。赤丸の所に弥勒塚はある。現在の雄山神社は左上に前立社壇とある神社マークの
今日、高岡36.2度だったんだって~熱風の強風xxx、ザ、フェーン現象すごかったね~そして明日の予想最高気温も36度なんだって~奥飛騨で買ってきた生わさびご飯に乗せるだけでおかず一品おろしたてわさびの風味は最高ですハンバーグにもあいますゴールデンチョコレートいかに、落とさずに食べるか・・・ww散歩に彷徨ってたどり着いた場所は・・・フィルダム的構造をもつ氷見のダム桑の院ため池昭和28年、水不足解消の為作られたようです
こんにちは。キュアサロンマナです。今年の1月に行った雄山神社さん。雄山神社には3ヶ所有るんですが、こちらは、雄山神社前立社壇です。(おやまじんじゃまえたてしゃだん)雄山神社前立社壇www.oyamajinjya-maetateshadan.orgご祭神:伊邪那岐神(いざなぎのかみ)、天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)ご神体:霊峰立山所在地:富山県中新川郡立山町岩峅寺1番地1月にお邪魔した時には、雪ばかりで、境内を全部廻れま
5月25日、今日はゆったりカフェの日。立山信仰の起源に関する報告を聞くことができました。伝説に言われる佐伯年代後半に年代後半に上人)が白鷹に導かれて阿弥陀如来に遭遇するという話は、時代が符合しない。園城寺(現三井寺)の高僧・康済律師が800年代後半に「越中立山建立」したと、『師資相承』に開山者として書かれている。これが信頼性が高いと言える。ただし、それは京の権力者が認めたという意味であって、元々の立山信仰は地元の人々、とくに猟師や山師、木地師などが立山や剱岳を神として仰ぎ見て
2021年10月15日(金曜日)今日したこと朝:今日はお迎えが来るから、パンチとゆっくりあさんぽタイム。昼:出張先でバタバタ&汗汗。終ってみたら忙しかった。夜:疲れて何も作りたくない気分。パンチの温かさを感じるまったりタイム。今日のよかったこと今日はお迎えだたからゆっくりな朝朝から太陽のパワーを貰いました!今日はオカンが病院に行った帰りにお迎えに来てくれると言うことでいつもよりも遅いスタートのあさんぽ。そしていつもより長いあさんぽタイム。気持ちのいい朝だ
富山駅に降り立ち立山へ向かう。富山地方鉄道の立山線に乗り終点の立山駅でケーブルカーに乗り換え、美女平に登る。もはや、そこは立山だ。弥陀ヶ原を過ぎ、室堂、雄山へと続く。この立山線の立山駅の一つ手前に本宮駅がある。今回は、この「本宮」のお話。本宮と云う位だから、立山信仰のメインだったように思う。本宮には、赤牛のお話が残っている。立山を開山した佐伯有頼が牛に乗って粟巣野まで来たがその先は牛では行けないほど峻険となり、徒歩で行かれ立山を開かれた。その時の牛が石に化身したと。(おおやま伝承記
今日は、小林健太郎さん解任の大きな流れがあり、投稿数が多くなってしまった。今日、書こうかなぁと思ってたことが有ったので、簡単に書いておきます。今朝は5時30分に起き、6時には田んぼに出て田んぼの中の草むしり。9時位までやり、帰宅しシャワー。屋外作業は朝の内にです。その後、ネットチェック。小林健太郎、解任の報に会う。でブログを書いて、その後大山町の図書館に行く。大山町の歴史はやはり大山町に行った方が良いので。目的とは違うのだが、面白い写真を見つけた。これは立山信仰で有名な芦峅の対岸にある
立山信仰の里芦峅寺をめぐる・白装束体験ツアーに参加してきました。立山は「神々が宿る山」とされ、富士山や白山と並ぶ「日本三霊山」として、山岳信仰の対象になっていた山です。立山曼荼羅は立山信仰の歴史と世界観を字が読めない人にもわかりやすく伝えた絵です。左側には地獄絵図右側には極楽浄土が描かれています。江戸時代の精進料理をいただきながら立山曼荼羅のお話を伺いました。山菜たっぷりの優しいお味でした。その後白装束に着替えて芦峅雄山神社へさて私はどれでしょ
立山山頂も聖なるラインの相当古くから重要な支点となっているようだ。平安時代以前は、本来、地獄や浄土の信仰などでは無く、一等三角点としての役割を保守して来たと考えられる。だから、山伏をルーツにる現在の山岳ガイドらは登山客を案内することで生計を立てており、廃仏毀釈で地獄や浄土の信仰が廃れても、問題無く本来の目的を維持できていることになる。立山を開山した佐伯氏と言えば、広島の宮島や四国の讃岐の宮司と同名であり、真言宗の開祖、空海の一族と考えられる。立山を東に見下ろす(左方向が北、3D)芦峅寺
今日、こんなサイトに出会った。【富山「地名」ケンミン性】中世までは「外山」佐々成政の治世に佳字の「富」に改める《47都道府県「地名の謎」》【富山「地名」ケンミン性】中世までは「外山」佐々成政の治世に佳字の「富」に改める《47都道府県「地名の謎」》|BESTTiMES(ベストタイムズ)都道府県ごとに地域の歴史をひもとくとともに、特にそれぞれの特色が現れた地名をピックアップ。自然や風土にちなんだものから、古来の伝説によるものまで、多種多様な地名の由来を紹介する。www.kk-bestsell
これも8年前の記事です300年あまりの伝統がある富山の薬を県内外の人にPRしようと8日、富山市で「富山くすりフェア」が始まりました。このフェアは、県薬業連合会などが毎年開いています今年は「富山のくすり」になじみが薄い若者へもPRしようと、8日開幕した全国高等学校総合文化祭に合わせて開かれました富山市のCiC前広場に設けられた特設会場には、「富山のくすり」の300年あまりの歴史を紹介するパネルが展示され、100品目にのぼる富山の配置薬などの展示・販売も行われています広さ約150平方メ