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2019年5月のブログです*立原正秋さんの『冬の旅』(1973・新潮文庫)を久しぶりに読みました。おそらく30代の終わりくらいに再読をして以来、約30年ぶりくらいの再読です。とてもいい小説で、記憶力の悪いじーじにしてはめずらしくあらすじを覚えていて、再読が久しぶりになってしまいました。本当にいい小説なので、あらすじだけでなく、文章もじっくりと味わうことができるのですが、すごいご無沙汰でもったいないことをしてしまいました。今回は、文章を丁寧に味わいながら、ゆっくり
2019年春の日記です*昨日から立原正秋さんの『冬の旅』(1973・新潮文庫)を再読している。じーじにとってはもっとも大切な小説。「もっとも」という言葉は簡単には使いたくないが、この小説はじーじにとっては本当に大切な小説。この小説を読んだことで、非行少年の相手をしてみたくなり、臨床の世界に入ったからだ。おそらく、自分の中の、非行少年、不良少年、の部分に向き合わされたのだろうと思う。あらすじはさすがに、じーじにはめずらしく(?)まだ覚えているので、再読を少し迷
表紙が今の季節にぴったり^^今年見つけた単語『里桜』里で品種改良をした桜だそう(八重で淡いピンクや黄色もあり)っで今日は昭和の流行小説?まあいっぱいあります昭和期は復刻されて売れてる作家さんも出ているようですでも、、、この立原正秋、、、難しいかも登場する女性が生活力なさ過ぎで恋愛脳しか持ち合わせてないんだものそれを男感覚で書いてる、、、(としか思えない)だって官能的過ぎる、、、こんな女の人いるのかな冗談みたいに読んでしまった。。当時は売れっ子作家さ
"春のいそぎ"は古文では"春"は新年、"いそぎ"は準備、つまり新年の準備をいう。『徒然草』では「折節の移り変はるこそもの毎にあはれなれ」として年末の行事と重ねて新年の準備が行われるさまが風物詩の如くイキイキと描かれている。"春のいそぎ"、それはまた伊東静雄の詩集の名でもあり立原正秋の小説の名でもある。もちろんその「春」の表さんとするところは違う。昭和18年の伊東の「大東亜の春」を待つこころは今の私には受け入れ難いし、立原の、鎌倉を舞台にした静かなエロチシズムからは
古い本だと思っていたら1974年発行こちらも同い年でした「夫は、なぜ失踪したのか?理由なき別れに苦しみ、無為不安の日をおくる里子は、40代の会社社長で、骨董の目利きでもある男、坂西と出会う。妻子を捨てた夫と、年上の女との情事が日々うつろなものに変っていくのとは対照的に、二人の愛は古都鎌倉の四季の移ろいの中で、激しく美しく燃え上がった……。」…内容紹介より人間関係というか男女の仲が、それはもうものすごく濃密でなんていうか…スゴイだけど
ひとつ前の当ブログで、『破れ太鼓』(1949木下惠介監督)をリメイクし、「木下惠介アワー」で連続テレビドラマとした『おやじ太鼓』のことを書きました。『おやじ太鼓』で主題歌も歌っていたあおい輝彦さんの役は、大学受験に失敗した浪人生。これは映画版にはなかった設定です。戦後すぐの映画版と違って、昭和40年代半ばで大学進学率もあがってきた時代背景ですからね。あおい輝彦さんは、この「木下惠介アワー」にはよく出ていて、常連といっていいような印象です。特に、1970年の『冬の旅』はあおい輝彦さんが主演で、
寒木瓜の花を揺らすな夜の風うなづいてしまふ性あり冬木瓜赤しひらきつつ寒木瓜の蕾まだ依怙地寒木瓜の花咲き雨戸締めづらし黒電話あるや寒木瓜の香のみちて【笑い仮面】木瓜の花のどこかたよりなげな(土佐弁で言うと「づつなげな」)花を目にすると、どうもいけない。胸の深いところでざわざわとさわぎはじめるものがあって、ぼくはどうしてよいやらわからずあたふたするばかりだ。行き暮れたおももちの女性に接するときのぎこちなさとよく似ている。こういう偏った思考は、ま
くたびれた卓袱台脇に埋火すいけ炭をほじる火箸のながながと明けがたにあかるいけ火の疎ましく埋火や僧の声聴くけふもまたなぜとなく埋火燗をそそのかせ【笑い仮面】れいによって、これらは立原正秋の短編集「埋火」から想をえたものだ。立原文学へのオマージュといってもいいけれど、それにしてはずいぶん貧相で、味気がないのが悔しいかぎりだ。いま、埋火を目にすることは、茶室や囲炉裏でもある部屋でないとむつかしい。それくらい、ぼくたちの暮らしは近代化、合理化されて、
最近、埋み火(うずみび)という言葉を知りました。わたしは、今まで「埋み火」と「熾火」を一緒くたにしていたようです!「熾火」とは、炎がおさまり黒い炭となった薪の芯の部分だけが、赤く、熱く、燃えている状態のものをいいます。その「熾火」を灰の中に埋めて酸欠にし仮死状態にしたものが、たぶん「埋み火」・・・たぶんというのは、わたしは「埋み火」を実際に見たことがなく、ネットで拾い集めた知識を繋ぎ合せて想像しているに過ぎないからです。なので、もし「埋み火」をよく知ってい
73回目のブログです。前回のブログの内容訂正させて頂きます。「ゲルニカ」の作者ピカソをゴッホとしていました。うっかりお恥ずかしい限りです。川柳「油断して老いるショックを痛感す」の日々で体力気力共々、岸田内閣の支持率と同じ下降線をたどっています。好きな読書量だけは上昇しています。昨年の同じ時期に読んだ本の数は57冊でしたが、今年はなんと84冊に達しました。このブログのタイトルの「乱読御免」は直木賞作家の今村翔吾の毎日新聞に掲載された記事のタイトルを拝借しました。今村翔吾
一昨日に引き続き、今年読んだ本の紹介第3回です。7月以降もペースは落ちず、4~6月とほぼ同じ。暑かったので、あまり外出せずにエアコンのきいたリビングで本を読む時間が長かったんでしょうね。それでは7月から9月までに読んだ28冊です。52春を背負って(笹本稜平)*53終点のあの子(柚木麻子)*54境界〈横浜中華街・潜伏捜査〉(本城雅人)*55懲役病棟(垣谷美雨)56棟居刑事の複合遺恨(森村誠一)*57ロマンス小説の七日間(三浦しをん)*58河童・ある阿
冬枯れた野でセイタカアワダチソウが騒ぐさあ、旅にでよ日常から離れよ、と外来種のたくましい植物たちがざわざわとあっしを誘う🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂🍂冬の旅、と聞いていちばんに連想するのがこの映画アニエス・ヴァルダ監督冬の旅若い女の死体ではじまる映画自由を求めてさまよう女が行きついた先は──寒々として震えがくるよな作品どうにも忘れられない映画だ音楽もすばらしい🍂🍂🍂🍂🍂
掘割の崩れあやめの帰り花二度咲きの梅躊躇ひの紅をさし尼寺に狂ひ咲く花やや多し薬屋の隠居うつくし忘れ花帰り花散ることしげしパンを焼く【笑い仮面】え?《その十一》だって?ほとんど毎年詠んできていたんだな。って、ぼくじしんがあきれかえってしまうくらい沼ってしまっているこの季語………、ううん、おそらくは若いころ耽読していた立原正秋作品の名残なんだろうなあ。咲いたものの、行き暮れてしまっている美しい女性のおもかげと、バロックかつ幽玄なものがたりが、た
「冬のかたみに」を読んだ感想を。・あらすじ・心に残ったフレーズ・感想◆あらすじ李朝末期の貴族の末裔というルーツをもつ主人公の物語。臨済宗の修行を幼いころから始め、師匠の父親の自裁を経験し、やがて父となり家族のために生きていくように結ばれている。◆心に残ったフレーズ無量寺の渓谷に続く土壁沿いの道は無限のさびしさが充ちているが、いちばん安堵できる場所。孤独な生の裏にある無限と無常無常を世の実相として捉える道を求めてやがて無常にたどりつき円寂に
すおはようございます♪実は今回は最後の最後で、幼馴染二人が喧嘩?になり、今や半世紀の関係が風前の灯!片方の子はかなり怒っていて、もうこれ以上傷つきたくないから、友人関係がなくなっても良い!って言いだしたし…もう片方はなんで自分が批判されるのか理解できないけど、批判されてショックで腹がたったと言い、かなり殻に閉じこもっている感じ。いつ出てくるんだか?どちらも頑固で、譲歩できない感じ。…と言うか、片方は我慢していて限界で、プッツン(死語?)切れてしまったみたい。私は姉妹みたいに育っ
2023年春のブログです*立原正秋さんの『冬のかたみに』(1981・新潮文庫)を久しぶりに読む。おそらく6年ぶり。日本が朝鮮を併合していた時代、朝鮮の臨済宗の寺で育つ日朝混血の主人公を描く。主人公の父親も僧侶であったが、日本人と朝鮮人のはざまで苦悩し、主人公が幼少期に自殺をする。主人公は、その後も寺の老師や先達に見守られて、禅の世界の中で精神的な成長をとげる、という物語である、と理解をしていた。今も物語の内容はそれでよいと思うのだが、今回、今ごろになって、こ
たぶん2017年のブログです*本棚の上に積み重ねられた文庫本の中に、立原正秋さんの『冬のかたみに』(1981・新潮文庫)を見つけたので、ものすごく久しぶりに読んでみました。おそらく30代に読んで以来なので、30年ぶりくらいの再読です(立原さん、ごめんなさい)。立原さんは、じーじが20代から30代にかけて集中的に読んでいた小説家ですが、今では同年代の人達くらいにしかわからないかもしれません。名作『冬の旅』が有名で、じーじは非行少年たちが主人公のこの小説を読ん
2019年秋のブログです*宮下奈都さんの『静かな雨』(2019・文春文庫)を読みました。表題作の「静かな雨」は雑誌『文学界』2004年6月号に掲載されたなんと宮下さんのデビュー作。それから15年しか経っていませんが、宮下さんは今や本屋大賞を受賞するような作家さんです。デビュー作とはいえ、「静かな雨」は完成度の高いいい小説です。交通事故で記憶力を失った女性とそれを支える男性の物語ですが、特に、女性の姿がすばらしいです。おおらかで、生き生きとしていて、もち
2018年秋のブログです*またまた本棚の隅っこに古い小説を見つけ出して、読んでしまいました。立原正秋さんの『きぬた』(1976・文春文庫)。じーじがまだ大学生の頃の本です(当時からこんな暗い小説を読んでいたんですから、やっぱりかなりネクラの大学生だったんでしょうね)。内容を一言で紹介するのはとても難しい小説で、あらすじもあえて書きませんが、生きる道に迷った男性とそれに翻弄される女性たち、そして、それらを静かに見守る主人公のこころの父親を描く、といったところで
「銀座のバー?行くところじゃないよ。むかし、といっても昭和三十年頃までは、店がひけると、下宿先かアパートに、お茶でものみによってらっしゃいよ、などとさそってくれた女の子がいた。さそわれてよってみると、その子の生活のにおいがしている部屋なんだな。ところが、いまの子は、冷暖房つきのマンションに棲み、男から金をまきあげることしか知らない。あれではまるで人肉市場だよ。バーなどに行くものではない。屋台か一杯のみ屋に行った方がいいよ」立原正秋さんの1972の著書「血と砂」に登場
立原正秋さんの随筆集作家の美意識の土台にあるもの、捉え方が旅のエッセーとして描かれている。女性の美しさについて、その土地の風土や文化歴史的な背景によるものだと言及している箇所に興味をもった。例えば、山陰と山陽の女性を比較して松江・武家の妻・素朴で折り目正しい・野暮ったい(保守的)・はにかんだ目・着物は城下町文化を象徴する伝統的な柄倉敷・商人の妻・洗練されている・商売上手・つやのある目萩へ津和野へ―立原正秋随筆集Amazon(アマゾン)1〜
2023年6月のブログです*立原正秋さんの『春の鐘(上・下)』(1987・新潮社)をかなり久しぶりに読む。1987年の単行本であるが、じーじが大学を卒業して、家裁調査官になって2年目、こんな小説を読んでいたんだ、と思う。もともとはその前年に日本経済新聞の朝刊に連載された小説らしいが、こんな色っぽい小説(?)を朝刊に連載した日経もすごいと思う。あらすじは例によってあえて書かないが、美術の専門家が主人公。美術に没頭するあまり、妻がついていけず、夫婦仲が破綻する。
こんばんは~港区散策の続きです。「愛宕神社」の後は、「泉屋博古館東京分館」へ向かいました。愛宕神社から神谷町は、わりとすぐだったので、そこから博古館もすぐかな~と思ったのですが。のぼり坂で。少し遠かった途中、ホテルやアメリカ大使館もあって。(広島サミット開催中だったものだからか、警備員に睨まれた)区画が大きいものだから、視界も横長で。余計に遠く感じたのかも。道を一本間違えて、サントリーホール側から回り込む形で、たどり着いた泉屋博古館・・・の案内表示↓側面、なかなかス
2024年5月のブログです*岡松和夫さんの『無私の感触』(2002・講談社)をすごく久しぶりに読む。おそらく20年ぶりくらいだ。本棚の横の本の山の中から発掘をした(?)。岡松和夫さんのことはどれくらい知られているのだろう(岡松さん、ごめんなさい)。じーじは、たぶん学生時代に、立原正秋さんの随筆に立原さんの近隣に住む友人として登場する岡松さんを知り、岡松さんと立原さんが小説の同人誌で切磋琢磨して以来の付き合いであることを知って、岡松さんの小説を読むようになった
2023年5月のブログです*立原正秋さんの長編小説『その年の冬』(1984・講談社文庫)を再読する。立原さん最後の長編小説。1979年(昭和54年)10月18日から読売新聞朝刊に連載され、翌年4月18日に第一部完となる。この間、立原さんは、1980年(昭和55年)2月に肺気腫ということで入院、3月1日にいったん退院をするが、4月7日に再入院、肺がんと判明する。立原さんは再入院後もこの作品を書き続け、しかし、さすがに、当初、9月までの連載予定を4月で第一部完という
立原正秋さんの紀行文集『風景と慰藉』(1974・中公文庫)をかなり久しぶりに読む。これも古い本で、当時、大学生だったじーじには少し難しいところがあったらしく、本にはめずらしくアンダーラインも付箋もなく(?)、きちんと読んだのか、やや不明(立原さん、ごめんなさい)。就職後も読んだのかどうか記憶がはっきりしない。しかし、改めて読んでみると、これがとてもいい本だった。じーじのその後の50年(!)の経験が無駄ではなかったようで、読んでいて立原さんの文章がこころに染み入ってくるような感じ
2020年6月のブログです*山本周五郎さんの『樅ノ木は残った』上・中・下(2003・新潮文庫)を久しぶりに読みました。この本を初めて読んだのは学生時代、ドラマが印象に残っていて読んだのですが(吉永小百合さんがよかったですね)、ものすごく感動をしたことを覚えています。どれくらい感動したかというと、その後しばらくは周五郎さんの小説ばかりを読んだほどで、『赤ひげ』など、そのうちのいくつかは今も愛読書です。この『樅ノ木は残った』と立原正秋さんの『冬の旅』が学生時代以来の
立原正秋さんの随筆集『夢幻のなか』(1976・新潮社)を読む。すごく久しぶりの再読。本棚の横に積んであった単行本の山の中から発掘した(?)。1976年第1刷。貧乏学生だったのに、新刊で買ったらしい。相当、立原さんに熱中していたようだ。1976年(昭和51年)といえば、じーじは大学4年生。大学生のくせに、授業に出ないでこんな本(立原さん、ごめんなさい)を読んでいたわけだ。しかし、今、読んでもいい本だ。あとがきに、立原正秋さんの3冊目の随筆集とある(1冊目、2冊目は、ま
男運悪いのかしら木瓜の花野木瓜咲く高地にバス停もなくて会釈した容で緋木瓜ひらくらし暗がりは一寸先に更紗木瓜ひとつずつあかる窓辺や木瓜の花【笑い仮面】暮れてゆく街中や、水のにおいのつよい堰堤あたりで、たぶん見かけていたんだろう。ぼんやりとした、なにか行き暮れた女のようなおもかげがぼくの脳裏にこびりついて離れない。行き暮れるということばが妥当なのかぼくにはわからないけれど、凛としていて、それでもなぜか見過ごしておけなくなるような感じがある
埋火にさめた地酒を垂らすなり錫杖の音聴きわけて埋火す愚かしくいけ火の炭をあらたにす埋火やたれかが寄つてくるじやなしちんまりといけ炭焔にちかよらぬ【笑い仮面】今日の五句は、すべて立原正秋の「埋火」という短編小説から想を得たものだ。はじめて読んだとき(はたちそこそこだったと思う)、淡々と描かれた情景の奥底からわきあがってくるなまぐささに圧倒されてしまったものだった。ただ、そのなまぐささが、いかにもせつなげな声をあげていること