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今日のことばエリック・クラプトンさんの言葉新しい音楽を生み出すためには、過去に立ち返り、それを自分の中で消化し、再構築することが重要なんだ。(シンガーソングライター)(2025/4/22読売新聞・80歳の反骨インタビュー引用)
今日の箇所(エゼキエル14:12-23)には、神様は、裁きや懲らしめの正しさを示し、慰めを与えてくださる方であることが示されています。神様は、罪を看過せず、必ず裁かれます。罪の都となったエルサレムは、飢饉と悪い獣、剣と疫病によって裁かれることになります。その時には、正しい人の代表であるノア、ダニエル、ヨブが居ても、彼らは自分のいのちを救うことができるだけで、他の人々を救い出すことはできません。彼らが最も大切に思う子どもたちですら、救い出すことはできないのです。エルサレムへの
今日の箇所(エゼキエル14:1-11)には、心の中に秘めている偶像を捨てない限り、神様の恵みを得ることはできないということが示されています。神様は、心の中に偶像を秘めながら、ご自分のもとに来ても、答えられません。長老たちの何人かが、神様のみこころを尋ねるためにエゼキエルのところに来ます。しかし、彼らは心の中に偶像を秘め、神様のみこころを尋ねようとしながらも、心の中では「エルサレムは決して崩れない」と信じていました。偶像が彼らの心を遮り、彼らを不義に引き込んでいたのです。彼らは
今日の箇所(エゼキエル10:9-22)には、神様は、裁きのために立ち去られる際も、一瞬、ためらって立ち止まられる愛に満ちた方であられるということが示されています。神様の裁きがエルサレムに迫ります。エゼキエルは、ケバル川のほとりで見たケルビムの姿をあらためて描写し、「輪」について詳しく伝えます。それぞれのケルビムの傍にある4つの輪は、緑柱石のように輝き、すべて同じように輪の中にもう1つ輪がある形で、輪の周りには目がたくさん付いていました。「車輪」(ヘブル語「ガルガル」)と呼ばれる
今日の箇所(エゼキエル6:1-14)には、無能な偶像に仕えた結果は、悲惨な滅びであることが示されています。イスラエルの山々は、神様が共に居られる場所でしたが、偶像礼拝の中心地に変質してしまいました。それで、神様は、イスラエルの山や丘、谷川や谷に向かって裁きを宣告されます。「偶像」のヘブル語「キルル」は、排泄物に関連のある表現で、神様が偶像をどれほど忌み嫌われているかを表しています。神様は、高き所を剣で滅ぼし、偶像礼拝者たちを殺して、偶像の前に投げ捨てられます。しかし、裁き
今日の箇所(エゼキエル4:1-17)には、神様は、預言者を通して罪とその結果について示し、立ち返りを促してくださるということが示されています。神様は、預言者の象徴的行動を通して、みこころを知らされます。神様はエゼキエルに、粘土の板にエルサレムの町を描くよう命じられます。そして、町を攻撃するための塁を築き、包囲壁を作り、城壁を崩すための武器(城壁崩し)を配備するようにと言われます。また、鉄の板で鉄の壁を立て、エルサレムが強い軍隊に包囲された様子を表現させます。これは、神様を無視
今日の箇所(ヨハネ13:21-30)には、裏切り者にさえ与えられるイエスさまの愛と配慮が示されています。弟子たちを最後まで愛されたイエスさまは、裏切り者について語る時、心を騒がされました。この「騒ぐ」に該当するギリシャ語は、イエスさまがラザロの墓の前で感じられた心情を表したのと同じ言葉で、「悲しむ」という意味合いも含まれます。イエスさまがイスカリオテのユダにパン切れを与えたのは、主人の客に対する愛と友情のしるしでした。当時の食卓は「コの字型」の長テーブルで、食事をする際には、左
今日の箇所(黙示録2:1-11)には、初めの愛を回復し、忠実であることの大切さが示されています。エペソの教会は、愛の労苦と忍耐が豊かな教会でした。その上、異端に対抗して真理を死守し、使徒の教えを最後まで守りました。「初めの愛」とは、初めて神様の恵みを知った時に抱いた愛と情熱のことです。「真理と愛」は、教会が必ず守るべき徳目です。しかし、エペソの教会は、長い教理論争と真理のための戦いの中で、初めの愛を失ってしまっていました。回復の第一段階は、どこから落ちたのか、思い出すこ
今日の箇所(ホセア13:1-16)には、高慢が導くのは、神様による裁きと滅びだけであることが示されています。高慢は神様を忘れさせ、貪欲を誘発し、神様の怒りを引き起こします。イスラエルを代表するエフライム族は、神様から多くの祝福を受けました。しかし、エフライムは、イスラエル諸部族の中で最も高慢になり、神様に背いて、バアルに従いました。神様の懲らしめを経験したにもかかわらず、彼らはさらに罪を犯し、バアル崇拝を続けました。そのため、彼らは、朝もやや露のように、籾殻や煙のように、あっ
今日の箇所(ホセア7:1-16)には、イスラエルが神様の厳しい懲らしめの対象となった原因である、立ち返らない罪について記されています。病気を治療するためには、病気の状態を正確に知る必要があります。神様がご自分の民を癒やそうとされる時、彼らの罪がすべて露わになります。イスラエルの中は、偽りと盗みが社会全体に蔓延し、政治の場は殺人と陰謀で汚れていました。イスラエル末期の歴史は、政治権力争奪のための欲望と混乱の連続でした。シャルムはゼカリヤに反逆し、メヘナムはシャルムに反逆し、ペカ
今日の箇所(ホセア6:1-11)には、回復の主権者なる神様は、たとえどんな状況に居ようとも、私たちにご自分に立ち返って来て欲しいと願っておられるということが示されています。神様は傷ついた民を癒やし、生き返らせてくださる方です。神様は、切り裂いても癒やし、打っても包んでくださいます。イスラエルとユダは、神様の懲らしめによって激しい苦難の中に置かれました。しかし、罪を悔い改めて神様に立ち返るなら、神様は彼らを回復させ、癒やすと約束してくださいます。それゆえ、ホセアは、「さあ、
今日の箇所(ネヘミヤ8:13-18)には、信仰共同体のリバイバルにとって、みことばへの真摯な立ち返りと従順が極めて重要であることが示されています。率先して模範を示したエズラとネヘミヤの影響を受け、まず指導者たちが変わります。一族のかしらたちと、祭司とレビ人たちが、律法をさらに学ぼうと、エズラのところに集まって来ます。神のみことばに従って民を指導しようとする情熱が、彼らの心に生じたのです。「よく調べるために」という言葉に該当するヘブル語「サカル」は、「理解する、洞察力を持つ」とい
今日の箇所(第二列王23:1-9)には、真の宗教改革とは、すべての領域をみことば中心に戻すことを意味しているということが示されています。ヨシヤは3つの宗教改革を行います。契約の更新(1‐3節)、偶像の除去(4‐20節)、そして今日の箇所には登場しませんが、過越の祭りの順守(21‐23節)です。まずヨシヤは、ユダとエルサレムのすべての民と共に主の宮に上り、民の前で契約の書のことばをすべて読み聞かせます。そして、心を尽くし、いのちを尽くして神のみことば(命令、証、掟)を守り、契約の
今日の箇所(第二列王22:1-11)には、神様は、ご自分を慕い求め、従おうとする者に、ご自分のみことばを聞く機会を与えてくださるということが示されています。アモンに代わって、ヨシヤがユダの王となります。8歳という幼い年齢で王となったにもかかわらず、ヨシヤは主の御目に適うことを行い、ダビデの道に歩み、右にも左にも逸れなかったという評価を受けます。彼は、王となって18年目、すなわち26歳の時に、神殿修理を命じます。大祭司ヒルキヤは、民が献げた金を集めて監督官に渡し、神殿修理に関する
今日の箇所(第二列王15:13-26)には、政治的・社会的に不安な情勢が続き、悪事が横行する時こそ、私たちは神様のみこころを求め、正しい道に立ち返ることを考える必要があることが示されています。謀反を起こしてゼカリヤを殺したシャルムが、イスラエルの王になります。しかし、メナヘムの謀反により、シャルムの統治はわずか1か月で終わります。1か月でメナヘムが謀反を起こしたということは、彼が民に支持されていなかったことを表しています。反乱軍を率いたメナヘムは、ティフサフの住民が城門を開けて
今日の箇所(第二列王13:1ー13)には、罪人の願いにも耳を傾け、憐れみ深く応えてくださる神様の御前に、私たちは、自分の罪を真摯な悔い改めをもって取り除いていく必要があることが示されています。エフーに代わってエホアハズがイスラエルの王になります。彼は、主の目に悪であることを行った王と評価されます。これまでの王たちのように、金の子牛を礼拝させたヤロブアムの罪を犯し続け、そこから離れなかったからです。ヤロブアムの罪は、代々、イスラエルの王と民に悪い影響を与え、彼らを唯一まことの神様
創造された世界と常に一体となっており、ただ存在しているだけで至福と調和の時間が続き、恩愛の涙が込み上げて来る、生かされ続けていく。源の生命と世界にとっての日常的な光景。それ以外の刺激や魅力を遊ぶための形の一部が、地球や人間、自我意識といったもので、源の生命や世界に還るという現象はその主旨に反する。その生命の本質理論のような視点を極めたいという方もいるが、正直あまり重要視されていない現象とも言え
さぁ夏日晴れた金曜日(^^)♬昨日は少し涼しく感じたが、今日はさすがに半袖でOKでしょうwwそれにしてもGW明けからまぁ静かなこと・・・・・・・・5月ももう半分過ぎちゃいましたよ~先週末など壊滅的だったものwwwwwさて今週は少しは戻りがあるかな??この週末も予約自体はポツン、ポツンなんて感じなので当日連絡お待ちしてます♪それにしても我が街の流れが何年やってても読めんなぁ(笑)さて!参りましょうか。先日ニュースで”首相襲撃”なんてショッキングな話題のあったス
今日の箇所(ヨエル2:1-17)には、裁きを下される神様の真の思いは、ご自分の民が悔い改めて、立ち返ることであるということが示されています。「主の日」は戦いを知らせる角笛の音と共に始まります。「闇、雲と暗黒」などは、神様の顕現の象徴で、ここではイスラエルを裁く軍隊を指しています。その軍隊が、神の民の地カナンを荒れ果てた荒野にするのです。「軍馬のように駆け巡る、飛び跳ねる、焼き尽くす火の炎」などの表現は、侵略者たちの圧倒的な力と強さを表しています。彼らは訓練された勇士たちで、町
今日の箇所(使徒26:13-23)には、神様に与えられた使命をまっとうする上で、最も重要なのは、神様への「従順」であることが示されています。太陽よりも明るい光は、神様の栄光を表しています。パウロはそのような光が輝く中、復活の主に出会いました。「とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い」という表現は、牛が農夫の棒を蹴るのは無意味なことだという意味で、つまり神のみこころに逆らったところで、それは無意味であるということです。復活の主はパウロを、ご自分の「奉仕者」、また「証人」として召
今日の箇所(哀歌5:15-22)には、私たちが神様に立ち返るには、まず神様の恵みが働かなければならないということが示されています。エレミヤは、バビロンの過酷な統治が日常から喜びと踊りを奪い去ったと嘆きます。祭りの時に礼拝者が捧げていた喜びの賛美と踊りも止んでしまいました。王の栄華と権威を象徴する「冠」が地に落ちたというのは、ユダの国が主権を失った悲惨な状況にあることを示しています。国の滅亡によって主権を失えば、民の人生から喜びは奪われてしまうのです。その結果、ユダの民は悲しみ
今日の箇所(第一サムエル29:1-11)には、神様は、ご自分の民がたとえ間違った選択をしたとしても、憐れみによって打開の道を授けてくださり、恵みをもって立ち返らせてくださるということが示されています。ダビデは、ペリシテ人とイスラエルの戦いのためにアフェクに向かいます。イスラエルの王となる人が同胞と戦わなければならない危機的状況です。もしダビデがペリシテ人の側に立ってイスラエルと戦えば、彼がイスラエルの王になるという道は永遠に絶たれてしまいます。その反対に、ペリシテ人の側に立つことを
今日の箇所(創世記19:30-38)には、不信仰の罪は、悲しい結末を引き起こす原因となってしまうということが示されています。ロトは、ソドムから非難する際、御使いに対して、ツォアルに逃げさせてくれるよう頼みました。山までは到底辿り着けないと思ったからであり、また山での不便な生活に戻ることを嫌ったからでしょう。ところが、ソドムの滅亡を見て、ツォアルに住み続けることを恐れ、山に籠り、洞穴に身を隠しました。ロトは、御使いから「あの町(ツォアル)は滅ぼさない」と約束を受けたにもかかわらず
今日の箇所(第二コリント3:12-18)には、神の栄光を放って行くための障害である心の覆いを、どのように取り除くのかということが示されています。パウロは、栄光に満ちた「義とする務め」に対する望みを大胆に語ります。これは、究極的にキリストによって実現される「自由」に対する望みでもあります。神様から律法を受け取ったモーセの顔も、神様の栄光で輝きましたが、それは一時的なものでした。それは、まさにいずれ「消え去る」律法の特徴を表していました。モーセは、自分の顔から出る輝きを民に見せな
今日の箇所(マラキ4:1-6)には、神様が義なる裁きを下されるという警告は、あくまでも神の民をご自身のもとへと立ち返らせるための恵みであるということが示されています。ここまで預言者マラキは、祭司たちの不正や腐敗、神様への思いの欠けた形だけの礼拝、高慢、悪行などを指摘して来ました。そして、今日の箇所では、そのような行いに対して下る溶鉱炉の火のような裁きを警告しています。その日、「悪を行う者」と「高ぶる者」は、神様の義によって、藁のように焼き尽くされるのです。その反面、神様の御名を
私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことがあなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたが我に返り、あなたの神、主に立ち返り、私が今日あなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、いのちを尽くし、御声に聞き従うなら、あなたの神、主はあなたを元どおりにし、あなたをあわれみ、あなたの神、主があなたを散らした先の、あらゆる民の中から、再びあなたを集められる。申命記30:1-3まことに、み
今日の箇所(ルカ15:1-10)には、神様にとって、罪人が悔い改めて立ち返ることに勝る喜びはないということが示されています。取税人や罪人がイエスさまのことばを聞こうとやって来ます。すると、パリサイ人と律法学者たちは、イエスさまが罪人と一緒に食事をしていると批判します。罪人と食事をしているイエスさまを見て、宗教指導者たちは、汚れた行為をして神のみことばに背いていると考えたわけです。それに対して、イエスさまはある羊の持ち主のたとえ話をされます。その羊の持ち主は、100匹の羊を持っ
今日の箇所(士師10:1-9)には、神様の懲らしめには、「立ち返れ」という神様の叫びが込められているということが示されています。アビメレクの後、イッサカル族のトラが士師として起こされます。「トラ」とは「虫けら」という意味で、彼が惨めな生い立ちであることを暗示しています。しかし、そのような者でも、神様の御手に捕えられれば、神様の勇士となるのです。トラの後、ギルアデ人ヤイルが士師となります。ヤイルには30人の息子がいましたが、息子たちにそれぞれろば一頭と一つの町を持たせるほど強い
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Heartでつながる優しいあなたへ開運占術&レイキat武蔵小杉『ここぱるふぁん』こと今井香子(いまいここ)です。今井香子のプロフィールはこちら。こんにちは。12月に入ってめっきり寒くなり随分初冬らしくなってきましたね✩早いものでもう師走。2020年も残りわずかとなってきました。いろいろと変容を余儀なくされた今年ですが・・・皆さまいかがお過ごしでいらっしゃいますか?私はと言うと・・・この一ヶ月出来る限りSNSとも距離を取