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出来上がりました✨
司馬遼太郎先生、©㈱中央公論新社言わずと知れた我が国に於ける歴史小説の第一人者ですね。本日は2024(令和6)年2月12日(振替休日・月曜日)、司馬先生が72歳で天に召されて丁度28年となりましたが時代を越えた大ロングセラーとして余りにも有名な『竜馬がゆく』をはじめ日露戦争を舞台とした大作『坂の上の雲』新選組のイケメン鬼副長・土方歳三が主役の『燃えよ剣』織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の「三英傑」を取り扱った『国盗り物語』『新史太閤記』『関ヶ原』シリーズ等等、現在でも多くの読者から
(この記事は2017年の12月に記載し今回加筆します)「王(おう)」は「旺」「央」「黄」「櫻」「桜」「皇」「横」「凰」「奥」「雄」「鴨」「大」「汪」「泓」であり、「王」は中心になる存在であり、故に「中央」に位置するのであり、勢いが強い、力が強い状態、東洋運命学でいう「旺線入り」であり、「王」は「黄金」であり、中心に座る・存在する・中央を司るものが黄金の王冠を戴くのであり、九星気学の中心星は「五黄土星」であり中央を司り、一~九までの数の中の中心数は中央の数は「五」であり、「王」は
2023年末に放送したのを録画しておいたのを少しずつみている。空海は興味があって本も少しだけ読んではいたけど、司馬遼太郎のは読んでなかった。。。。これをみてから読んでもよいかもしれない。空海は優れた語学力と土木の知識のある宗教家と思っていたけど、もっと大きな人物であったようです。日本でも世界に誇れる天才とまで。改めて興味を持ちました。
10月13日15時55分二十三番札所医王山無量寿院薬王寺到着高野山の別格本山です駐車場から見えるシンボル的な瑜祇塔(ゆぎとう)手水舎仁王門目がキラキラの仁王像吉川英治の『鳴門秘帖』の剣山の巻に薬王寺が出てくるそう司馬遼太郎の歴史小説『空海の風景』より読んでみたい女厄坂登っていきますそのまま男厄坂を上り上げると本堂聖武天皇の勅願により行基菩薩が開く弘法大師42歳の
■6月21日の産経電子版のスクラップ20230621【産経抄】音楽と戦争.pdfdrive.google.com20230621【朝晴れエッセー】人持ち.pdfdrive.google.com20230621【黒瀬悦成の米国解剖】波紋呼ぶケネディ家の異端児.pdfdrive.google.com20230621【社説検証】LGBT法成立・長戸雅子.pdfdrive.google.com20230621【南と北の島物語32】「停戦協定」後にソ連軍が豊原空爆.pdfdr
四国八十八ヶ所巡りなどというものを始めていながら大師様のことをあまり知らないなと思い立ち、手に取りました。「空海」というある種後世の人間から崇め奉られている人物をか相当「生々しく」というか人間くさく描いている。同時代の最澄や桓武天皇もしかり。唐へ船で渡る困難さ、唐で教えを乞うための手続き、滞在費用の話など、タイムマシンで見てきたような切迫した描写が続く。「長岡京」や「乙訓寺」という身近な場所も登場するが、扱いの雑さがかえってリアリティがある。改めて司馬遼太郎って骨の髄から新聞記者なんだ…
こんばんは(*・ω・)ノおはようございます(*・ω・)ノこんにちは(*・ω・)ノ1周まわってこんばんは(*・ω・)ノ岩出市で真面目に消毒&除菌活動と指導に取り組んでいる進学塾MAXの塾長小林浩之です(`・ω・´)ゞ本日3月24日(金)は終業式。小中学生の皆さん、お疲れさまでした(`・ω・´)ゞ終業式とはいえ、今の子どもたちは普通に午後まで授業があるんだってさ。俺らの頃は、式が終わったらとっとと帰ってたのにね。カワイソー!!で、俺らの頃にはなかった春休み
どこかへ行こうとか、何かやろうという気がまったく起きない一日だった。やはりこれだけ寒いと、家を出ようという意欲が失せてしまう。だから、読みかけになっている本を読もうと思ったが、ちょうどここからが読み続きという部分で、なぜかそこからは急に難解な文章・内容になっていた。読み返したり、前の方をもう一度読んだりしないと、思考がなかなか追い付いて行かないので、新書版の1ページを読むのに5分ほども掛かってしまう。いやもっと長いかも。そんなことをしているから、5,6ページを読んだところで急に
真言密教をつくりあげた空海。三密という言葉は,この中に存在した言葉だったんですね。空海が人と接するのを好まなかったということではなく,密教でいう「動作と言葉と思惟」のことなのだそうです。仏とよばれる宇宙は,その本質と本音と三密であらわしている。宇宙は自分の全存在,宇宙としてのあらゆる言語,そして宇宙としてのすべての活動という「三密」をとどまることなく旋回しているが,真言密教の行者もまた,その宇宙の三密に通じる自分の三密ー印を結び,真言(宇宙のことば)をとなえ,そして本尊を念じるーという形の上で
前回は→資料その①「日蓮」空海から400年以上後に彼は生まれました。前回は空海の話をしましたが、元々彼らには共通項が有るんです。一つは渡来系である事。もう一つは虚空菩薩を大切に思っていた事。だから何?ってあまり興味ない人は思うかもしれませんが、その後に繋がってくる話なのでまずは読んでみて下さい。貧しい漁村の生まれとされている彼では有りますが、両親は荘園を所有する領家の夫人から保護を受けており、日蓮自身、東条郷にある清澄寺で初等教育を受けているので、両親は最下層の漁民ではなく、漁民
ひさびさの司馬遼太郎さんの本を読みました。空海というと夢枕獏さんの「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」です。これ映画も見に行きました。空海を演じたのは染谷将太。「空海の風景」の中で司馬さんは空海の相貌を丸顔だと言っています。染谷さんのイメージまんざら異なるわけではなく,あの大河ドラマでの信長の怪演は空海の性格にそっくりのような気がしてきました。映画の方は,中国の方が監督で夢枕さんの原作の面影は少なく染谷さん演じた空海は端役のような扱いでした。さて,司馬さんのこの「空海の風景」の題名の風景という言
空海の風景〈上〉(中公文庫)Amazon(アマゾン)29〜3,960円空海の風景〈下〉(中公文庫)Amazon(アマゾン)66〜2,717円『空海の風景』著者:司馬遼太郎初出:1975年ひとこと感想。「空海すごっっ!!」僕は、高校生くらいまでの間、あまりしっかり勉強せずに過ごし、特に社会(日本史)は全く興味も無かったので、空海という人物について相当に無知でした。ただ、仏教やインドがなんとなく(本当にただなんとなく)好きだったりってこ
佐藤武久SatoTakeh…のmyPickAmazon(アマゾン)これ1冊でできる!ラズベリー・パイ超入門改訂第5版RaspberryPi1+/2/3(B/B+)/Zero/ZeroW対応2,592円「空海の風景」ドキュメンタリーyoutu.be
2年前の今日私は四国で「令和」を迎えました写真は室戸岬の断崖絶壁の中にいる私あの時目にしたあの光景空と海の境目に自分が居るようでした自然と涙が零れ・・・あの情景を思い起こしながら今日はあの場所に心を置いてみよう・・・・・・・・・辛丑五月初KANAME【関連記事】2021年4月29日投稿『流石』こんにちは(´▽`)ノ今日は一日雨のようですね文房で書を読み閑に過ごします・・・・・・晴耕雨読とは言われますが“読むこと”・“知ること”それ以
「『空海の風景』読み直してるんスよ(ドヤァ」「あ、それ嫌いス」「え?」「え?」読んだものを好きか嫌いかの二択でしか覚えられないのでうまく説明できなくてもどかしいのだが著者がちらちら顔を出す構成から許してない。史実の羅列か小説かはっきりしろと思った記憶がある。歴史小説の大家に言うことではないがね。予備知識がない人はつらいんじゃないかなぁ。編集さんはなにも言わなかったんだろうか。少なくとも真言宗の僧侶が勉強するために読むものではない。そこはちゃんと娯楽だと思ってほしい。T
『歴史のなかの邂逅ー1』-司馬遼太郎●空海の風景あとがきー⑥✪たとえば空海の死後ほどなく「真言立川流」と呼ばれるところの、ラマ教に酷似した密教が、空海の正系であると称しつつ出現して、明治維新ごろまで根強く続いたことを思うと、許否はしたくても無下にはそのようにしにくい何事かが残る。密教は空海の力でもってその一切の昇華が支えられていた。しかしインドでも左道化したように、ともすれば形而下的に堕しやすい際どさのある思想だけに、「真言立川流」が出現する素地は十分にある。空海の密教そのものに、それが空
雛祭りが過ぎて啓蟄を迎えて雨が降って春を待つ買い物途中に土佐鶴を見つけて思わず買って帰りましたおゆうはんではお好み焼きをしましたたらこ・チーズ・モダンでした空海の風景は未読だったのです大事に読もうっと思ってます【つぶやき】春の雨異動の挨拶も今は無用✌️落第や四十余年前の物語✌️寝る子は育つ、若い頃寝る子は太る、中年期寝る子は惚ける、還暦後ああ、啓蟄✌️啓蟄や隠居でずっと土の中✌️
『歴史のなかの邂逅ー1』-司馬遼太郎●空海の風景あとがき-⑤✪左道密教がチベットに入り、土地の土俗密教と習合してラマ教になり、さらに北アジアの草原を東漸(とうぜん)してモンゴルに入った。私は学生のころ、ラマ教の概要を教わった。さらに長尾雅人氏などの著作によってその形而上性に触れた。のちに、モンゴル人民共和国のウランバートルのラマ寺院に入って僧侶たちに会い、その教義が、空海の真言密教とまったくの他人ではないことを知った。これはほんの一例だが、ラマ僧にとって絶対的に崇敬せねばならぬも
『歴史のなかの邂逅ー1』-司馬遼太郎●空海の風景あとがき-④✪密教はやがてインドにおいて左道化した。左道化してしまえば、密教というのは単に生殖崇拝なのかと思われるほどに他愛のないものである。生殖もまた風や雨と同様、法性(ほっしょう)という宇宙の普遍的原理の一表情だが、生殖が生命の誕生につながるだけに、そしてその恍惚が宗教的恍惚と近似するだけに、密教的形而上学を説明するのに、もっとも手近な現象である。この現象を視覚化するために歓喜仏(かんぎぶつ)が生まれた。左道密教がさらに土俗化したかたち
『歴史のなかの邂逅ー1』-司馬遼太郎●空海の風景あとがきー③✪私はKさんとはその本山で会うだけで、彼の自坊には行ったことがないが、西陣のほうにあって、応仁の乱に焼けなかったというのが、Kさんの自慢だった。お堂の床下にきつねが一家族棲(す)んでいて、寺の言い伝えでは、室町のころ、畠山なにがしという大名の二条の舘の床下にいたきつねが応仁の乱で焼け出されて、以後、子孫がべつに殖えもせずにKさんの寺の堂の下に棲み続けているというのである。「いいや、ごく普通のきつねや」と、Kさんは別に面
『歴史のなかの邂逅ー1』-司馬遼太郎●空海の風景あとがきー②✪私は、戦後六、七年間を、仕事で京都の寺々をまわった。そのころ、以下は矛盾したことだが、日本の思想上、密教的なものをもっとも嫌い、純粋に非密教的な場を作り上げた親鸞の平明さのほうがもっと好きになっていた。好きなあまり、私も自分の中にある雑密好みを追い出そうとした。しかし、このことも矛盾しているようだが、現実に接触した僧たちとしては真言宗の僧のにおいのほうがどの宗派の僧よりも、人間として変に切実に感じられるように思えて、その人達とも
『歴史のなかの邂逅ー1』-司馬遼太郎●空海の風景あとがき-①✪私は、正密という体系的密教を伝えた空海よりも、むしろその先駆的存在である役ノ行者のような雑密の徒のほうに関心をつよく持ったのは、そこに海の風のふしぎさを感ずるからに違いなかった。東シナ海の信風が運んできたものとしては、漢籍があり、また漢字で表現されたものの中に仏典らしきものがあったというこの国のごく上代の段階において、それらの文物に付着するようにして非体系的な密教の断片も入っていたということに、蔵王堂の闇に似たような神秘的
こんばんわ。明けましておめでとうございます㊗️今年もよろしくお願いいたします🎍🗻わん♡東京の医療崩壊が心配です。東京で感染者が増えれば地方でも順次増えるでしょう。しばらくはstayhomeを徹底しますす…すごく読み進められました~でもやっと半分。。そして下巻もある。まとまったお休みがないと、読めない本。昔みたNHKの特番が面白くって、その元ネタということで購入しました。何か偉い賞を受賞したりすごい本らしい。空海の風景〈上〉(中公文庫)|司馬遼太郎|本|通
迷悟我(めいごわれ)にあれば、発心すればすなわち到る。明暗他にあらざれば、すなわち信修すればたちまちに証す。【現代語訳】迷いとか悟りとかいうものは、自分自身の内部にあるのですから、悟りを求めようとする心を起こせば、悟りに到達できるのです。明るい世界(悟り)、暗い世界(迷い)は、他にあるのではなく、自分の内部にあるのですから、仏の教えを信じ実行すれば、悟りの世界は、たちどころに私たちの眼前に開けてくるのです。(般若心経秘鍵より)自分が大切と考えて
司馬遼太郎、中公文庫、1978(単行本は1975)、3/21-5/22、印象度B+確かに空海はずば抜けた天才であり偉大でしょう。しかしやはり著者の筆力あっての本書の魅力です。一人物の伝記を、読者の心を捕えて離さない物語に仕立てる彼の腕前と語彙は見事としか言いようがありません。従って本書でも相変わらず、著者の絶妙な表現に痺れました。最澄の奈良仏教批判について、「地上の権力という城塁を使い、その城塁から弩弓の矢をそそぎこんでくるのである」(p.95)という表現(「地上の権力」とは朝廷のこと)など、
蝦読は私の拙い「読書感想文」です。記事内は敬称略ですのでご了承を。なるべく大きなネタバレをしないようにするつもりですが、ネタバレになっていたら目を瞑ってくださいますよう。司馬遼太郎著『空海の風景』資料に残された空海の記録や空海が訪れた・関わった地の地誌などを探っていくことで、司馬遼太郎視点による空海像を描き出す作品です。著者である司馬遼太郎本人は「この作品は小説である」と言っているようですし、私自身も小説の定義はわかっていませんが、いわゆる物語ではなく、司馬遼太郎的空海観と
本日の日記は,゛空海の風景」を読んでについて,書きます。僕は,読書が好きです。とくにエンタメ系ですが,最近は,歴史物やエッセー関係も読んでいます。いうならば,何でもこいで読んでいます。とくに「コロナ禍」でもあり,我が家でいることも多いし,とにかく,活字を追っていますね。さて,「空海の風景」ですが,司馬遼太郎からみた,空海・・・「あとがき」から司馬先生は,この作品は筆者自身の期待を綴っていくその経過を書き記しただけのものであり,空海に会えるかもしれない・・・・空海