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所在地〒592-0014大阪府高石市綾園2(専称寺)特徴南北朝期に北朝に与した平城で、寺院の正面に大きな空堀が残っている。
空堀のなかは、満開です。鳥居が見えるところも、満開です。
佐賀県唐津市にあり、白山の山頂(標高228m)に位置し、城の周囲は急な崖となっています。有明海(佐賀県の西部にある海域)と玄界灘(福岡の北部に広がる海域)の分水界に近く防衛の拠点。二の丸は周囲を天然の岩の上にあり、見どころ!登れる箇所を探すのも楽しい♪【獅子ヶ城】有明海と玄界灘の分水界に近く防衛の拠点佐賀県唐津市にあり、白山の山頂(標高228m)に位置し、城の周囲は急な崖となっています。有明海(佐賀県の西部にある海域)と玄界灘(福岡の北部に広がる海域)の分水界に近く防衛の拠点。二の丸は
佐賀県唐津市にある別名鬼子嶽城。東から松浦川が、西から波多川が流れて合流する中間の要害に位置し、唐津湾に至る水運を支配する上での要衝で、山頂付近は急崖に囲まれ、その山頂部の南側尾根の上に築城。この山は岩石が多いようで多数の石垣があります。【岸岳城】上松浦党の盟主として活躍した波多氏の居城佐賀県唐津市にある別名鬼子嶽城。東から松浦川が、西から波多川が流れて合流する中間の要害に位置し、唐津湾に至る水運を支配する上での要衝で、山頂付近は急崖に囲まれ、その山頂部の南側尾根の上に築城。この山は岩
7世後半(約1350年前)にヤマト政権が築いた山城。復元した建物が有名だが、何百mもある土塁の上を歩け、2つの門の防御力の高さには目を見張ります!【鞠智城】7世後半にヤマト政権が築いた山城7世後半(約1350年前)にヤマト政権が築いた山城。復元した建物が有名だが、何百mもある土塁の上を歩け、2つの門の防御力の高さには目を見張ります。【アクセス】バス①熊本駅・C1-3菊池温泉行⇒90分⇒菊池温泉・市民広場前下車②バス乗り換え:michi-kiwa.com▼山城関連記事です。是非、ご覧
直谷城は佐々川の支流、福井川の浸食作用によって西側を除く三方を削られた河岸段丘の一つ、標高160mほどの内裏山山頂に築かれた山城。【直谷城】三条の土塁と空堀で堅固の防御を有する大手道が見もの直谷城は佐々川の支流、福井川の浸食作用によって西側を除く三方を削られた河岸段丘の一つ、標高160mほどの内裏山山頂に築かれた山城。【アクセス】・西肥バス「福井農協前」下車徒歩20分近くに「福井洞窟」があるので一緒に見学をおすすめします。michi-kiwa.com▼山城関連記事です。是非、ご覧
かなり深い空堀駐車場牛久城址に立寄り。牛久沼のほとりにありますが高低差が非常に大きいです。ここだけ山になっています。当時屈強な城であることが分かります。空堀も深く、また急峻です。今は竹が多くしげっています。散策の道になっています。公園として整備ができないのか?牛久沼の展望場所としての整備?などできないのか気になりました。
空堀?でもうすぐ見頃になっていました今朝20日イチハツ(一初)アヤメ科いっぱい咲いてますがまだ隙間だらけですツツジも咲いてますいつもより少し遅い?イチハツの花でした
水戸城三の丸空堀後方の三の丸庁舎は近年ロケ地として有名です。
天守閣を見た後は桜門から空堀の横を通ってサクラを眺めながら歩きます空堀の周りも沢山の桜で綺麗です人も多い時々見かける枝垂れ桜石垣の上から下に降りるとここも沢山の人邪魔にならないようにサクラの下を少し歩きます梅林の横を通って東外堀を眺めると、、綺麗の一言少し外堀を歩きますそれにしても桜の下は足の踏み場もないほどの人サクラも満開で、天気もいいしねこの辺りが1番綺麗でした次回へ続きま
所在地〒444-2217愛知県豊田市大内町城山特徴松平氏3代信光が築いた山城で、そのまんま公園の駐車場から登る。巨石ゾーンを過ぎて進むと堀切や空堀が残る城址だが、まったく整備されていない。感想城域はかなり広いが、遺構は分散していてかなり風化している。登城口から時間がかかるのもマイナス。石垣が残るのだが場所が分からなかった。
所在地〒446-0016愛知県安城市山崎町城跡(山碕神明社)特徴織田氏や松平氏に関連する平城で、本殿の裏にかなり大きな空堀が残る。感想「城跡」という住所は珍しい。
所在地〒486-0833愛知県春日井市上条町2特徴織田氏に従った小坂氏の平城で、空地にL字型の土塁や空堀の痕跡が残る。石碑もあるが樹木で文字は見えなかった。感想土塁の一部はフェンスで囲まれていて、撤去されるのかもしれない。
信長の父である信秀の築城で、現在は城山八幡宮の境内になっている。16年前に訪問し「低」と評価したが、初期に訪れた城は評価が厳しい傾向にあるので再訪した。案内が増えてはいたが整備状況に変化はなく、今回は本殿背後の空堀も確認したが、評価を変えるほどではなかった。
朝から営業に出かけて昼からはヒマなので谷町六丁目に出て空堀商店街を散策しました。空堀ビルという昭和レトロな古いビルの1階にこれまたレトロなお店が何軒か並んでます。未だにこんな商店街があったとは。ココア専門のあかいとりというお店。なんと52年も続いているお店。中が見えないので入りにくいお店です。たまたま前を通りかかって発見しました。後で検索するとマツコの知らない世界に出たことがあるお店だそうでココア業界では有名みたいです。
3月24日(土)は埼玉県嵐山町にある杉山城での見学会がありました。日本城郭史学会主催の見学会です。今回の見学会は史学会評議員の奥田好範さんが案内してくれました。集合場所は東武東上線の武蔵嵐山駅でした。集合時間になって参加者はタクシーに分乗して杉山城に向かいます。この日の参加者は杉山城現地集合も含めて33名でした。武蔵嵐山駅から延べ7台のタクシーに分乗して杉山城に向かいました。東郭からみた杉山城本郭、南郭方面天気予報ではこの日は雨のち曇りであまりよくありませんでした。雨天決行の
所在地〒441-1334愛知県新城市中宇利仁田特徴今川氏の配下(熊谷氏)が守った山城で、家康の祖父(清康)により落城した。郭と空堀などの遺構がかなりの規模で残っていて、案内や説明も充実している。感想15年ほど前に訪問し「低」と評価したが、整備が進んでいて評価を見直した。藪に埋もれている主郭から先も整備してもらいたい
水のない空堀の中を田の字形の畝で仕切った「障子堀」や畝だけで仕切った「畝堀」は北条氏の城に見られる特徴的な堀でした。「障子堀」は敵の侵入を防ぐためのもので山中城では西の丸と元西櫓の外周を取り巻きワッフルのような形をしています空堀の底を平らにすると敵が歩き易い為形を不規則な格子状にして1列にならないと歩けないように土手の幅を狭くしていますこうすると両側の曲輪からは敵を狙い易くなるのです。また堀底に落ちてしまうと関東ローム特有の粘土質に足を取られ高い障壁を登るのは難しく敵が
テーマ:普通の城・歴史2023年九州のお城8ヵ所を攻略します大分府内城・日本100名城中津城・続日本100名城佐土原城・続日本100名城都於郡城・普通の城・初都城・普通の城・初知覧城・続日本100名城・初亀甲城・普通の城・初鹿児島城・日本100名城初攻略もあり楽しみです四ヵ所目都於郡城(浮舟城)「日本最強の城スペシャル」第14弾!で、最強の城に選ばれた都於郡城を攻略します佐土原城より約20分と近いです2023年11月30日11:49
所在地〒441-3214愛知県豊橋市城下町築地ノ内特徴遠州灘を望む台地上に、今川氏配下の畔田氏が築いた丘城。空堀や土塁などが残るが、改変が大きく縄張りは判然としない。感想残っている遺構もほとんど藪に埋もれている。費用をかけずに復元できそう。
知覧城②・続日本100名城の続き知覧城はラストです国指定史跡11:41武家屋敷群から車で2分もかからず到着です駐車場の出入り口は広く、観光バスも余裕で入れますスタンプはここに無いことの案内板です。非常に親切ですねちなみにすでに攻略し似たようなシチュエーション(現地)で、実際に置いてあったお城は、久留米城、興国寺城、玄蕃尾城、志苔館、滝山城、唐沢山城、と、ずべて続日本100名城でした11:51ここが入り口です振り返り写真
所在地〒437-1312静岡県袋井市岡崎(北八雲神社)特徴武田氏の高天神城を攻略すべく徳川氏が拠点とした馬伏塚城の近くの城。二ノ郭に神社があり、主郭との間に空堀と土塁が残る。感想しかし、主郭内は荒れた竹藪で進入できない。
所在地〒439-0022静岡県菊川市東横地特徴今川義忠の侵攻より滅びた横地氏の本城(横地城)の西に位置する居館跡。東西を空堀で分断しているが、跡地は茶畑で見所は少ない。感想西へ車道を下ると横地一族の墓がある。
伊集院の3城を巡って来ました長崎城跡城跡というよりも陣跡のような印象を受けました麦生田城跡神殿城跡入口に標柱があるのが嬉しいですとにかく、空堀が多いのには驚かされました土塁も遺っていました切岸を下から眺めると、やはり攻め入るのは難しいと実感されます
所在地〒421-0511静岡県牧之原市片浜特徴遠江に侵出した武田氏が、牧之原台地に築いた山城で、東麓の案内板から登る。空堀で分断された三つの郭が残るが、城内は茶畑で堀は藪に埋もれている。感想空堀はかなりの規模なので、堀だけでも整備してほしい。
城を観る今回は...(撮影2021/07/13)岩崎城(尾張国)〜空堀〜空堀ッ発見ッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
所在地〒428-0414静岡県榛原郡川根本町東藤川特徴駿河の南朝方として今川氏と戦った土岐氏が、本城(徳山城)の北に築いた支城。緩斜面にかなり大きな竪堀や空堀が延々と続くが、主郭周辺の地形は曖昧。感想堀は確かに人工的な地形だが、守るべき郭は平坦ではなく、縄張りも判然としない。
名称:勝山館別名:上之国館跡城郭:山城築城年:1473年築城主:蠣崎氏主要城主:蠣崎信広、蠣崎光広所在地:檜山郡上ノ国町勝山427指定文化財:国史跡続日本100名城土塁、空堀帯郭宮殿後庭跡井戸跡館神八幡宮跡掘立柱建物跡土葬墓群ゴミ捨場跡
2月16日、東北新幹線でGO大宮からも富士山が見えるんだあっと言う間?に仙台着。東北本線に乗り換えて国府多賀城駅へ。日本100名城の1つである多賀城へ1年半ぶりの訪問です。駅前には再建中の多賀城門のモニュメント駅舎の北西に見える小高い丘は、館前遺跡。多賀城に赴任していた国司が住んでいた場所だそうで。以前訪問した時には古墳かと思っていました。館前遺跡に登ってみる平坦地です館前遺跡の北西へ行くと、通路などが以前よりも整備されていました。湿地の中に
小机城付近の散歩、今日は4⃣空堀と竹林です。それにしても、小机城は空堀がスゲ~!(^^;)本丸の周囲に地面を掘ったのが空堀で。その空堀を掘った土を積み上げたのが土塁です。この土塁の土はつるつるに固められていて、登りづらかったそうです。空堀の深さは24mもあったといわれ、今もだいぶ埋まっているが、それでも12mほどあるそうです。この土塁は実に峻嶮で怖い。城内を責めるためには、この土塁をまず越えなくてはいけないし。さらに空堀を上る必要がありますが。それまでに弓で射られてしまう可