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16歳で人魚の肉を食べて不老不死になった八百比丘尼が800歳で静かに天への旅立ちを待った、と言われる洞窟があると聞き福井の小浜の空印寺へ私の本業の美容整体のエステではアンチエイジングやエイジングケアはとても難しい課題です。少しでも若さを保つ技術向上のためにお参りに行かなきゃってことでお参りさせていただきました。正直なんだか少しガッカリな看板に思う💦小浜駅からスグの場所にあり小浜藩主酒井家の菩提寺でした。八百比丘尼の派手な看板ですが祠あたりの岩は立ち入り禁止で洞窟を
恋歌の後瀬山の歌もなき洞穴(どうけつ)ありて我が歌詠みし😸後瀬山(のちのせやま)は、万葉歌に詠まれて以来、若狭国の歌枕になりましたがが、その麓にある空印寺(くういんじ)の洞穴につきましては、私は歌を知りません。洞穴で即身成仏を望み入定(にゅうじょう)した比丘尼。椿を愛し、愛する人を見送ることしかできなかった哀しみ、不老長寿の比丘尼には、愛する人と後にあうことを望むことさえ許されなかった。洞穴に椿香らず秋の闇後の瀬(のちのせ)
翌日は御朱印をいただきにもう一度、神宮寺へ。3月5日まで立ち入り禁止でした😔(リサーチが甘い‥)。ここが湧水がある閼伽井戸です(スキマから覗きました)。準備も後片付けも大変ですもんね。地元の信徒さん、ありがとうございました。お水取り当日はかす汁の無料のふるまいもありました。雪のぱらつく中、ありがたく、頂戴しました☺️気を取り直して、小浜に戻ります。寄席がありました。小浜は落語のドラマ「ちりとてちん」の舞台でした。小浜の街並みとば屋酢店さん甘酒の振る舞いされていました←こうい
〈速報〉「後瀬山城」(福井県小浜市)の登城口は、「稲荷社」脇の石段をスタートして、かなり登っていきますので息が弾みますが、所々に自生する満開のヤマツツジの写真を撮りながら息を整えました。ヤマツツジが満開小郭群が続き広めの郭に入ると、目の前に現れる二段の大石段に目を奪われます。二段の石段一段目の3郭に上がると、本郭の石積みが左右に張り付き、更に両脇にも延びています。石段両脇の石積み向かって左側の側面に下りて見上げると、苔むした石が積み上がり、隅石も算木積みでは
桜漫遊から福井漫遊な戻ります。福井漫遊2日目の始まり。小浜を去る前にもうひと散策です。まずは、町の鎮守社へお参り。<旅の行程>1日目:敦賀→小浜2日目:小浜→熊川→若狭世久見3日目:今庄→一乗谷→越前大野4日目:越前大野→福井小浜西組は幾つかの地区に区切られ、それぞれに神社に因む名が付けられています。八幡神社がある地区は男山区と呼ばれます。その由来は京都・石清水八幡宮(別名:男山八幡宮)から。◆八幡神社◆石鳥居は昭和7年(1932)の
本日は古来より御食国(みけつくに)の一つと呼ばれた福井県の若狭国へご存知の通り京の都へと続く鯖街道の出発点となる地鯖はもちろんあまたの海産物を有しており古くは奈良の平城宮へも献上しておりました。そんな海岸線に佇む謎の人魚のモニュメント、、、渚のマーメイド??そう、ここ小浜市(おばまし)はかつて米国大統領の名前と同じ?と言うなんとも奇跡的な偶然で一躍話題となったあの場所そして、もう一つ曹洞宗空印寺(くういんじ)にある八百比丘尼(はっぴゃくびくに)さんの
熊野でのパフォーマンスツアーを務めたあと、織田信長公、豊臣秀吉公にご挨拶してから、福井県小浜市に、八百比丘尼さまが祀られているということで、その入定したとされる洞窟のある、空印寺さまを訪れた。※空印寺の御住職様からいただいた、空印寺特製、八百比丘尼せんべい〜むちゃくちゃ美味しかったです。旅の途中なので、食事できないお腹空いたときに食べました。命が喜びました〜(お腹だね〜😄)。八百比丘尼さんは、人魚の肉を食べて800年生きたという、伝説の尼さん。小浜の地は、朝ドラの、ちりとてちん、の舞台とし
不老長寿不老長寿~不老長寿~で、現世に戻り…街並み街並みっと。モスバーガーでちゃちゃっと腹ごしらえして、早めに帰りの電車に乗ろうと思ったけど、cafe「緑茶房」さんが気になったので行ってみることに。そうそう、途中こんなの見つけた。健康とお洒落。うんうん。なんか深い言葉だ~そして出発前のお茶。雨に降られず、青空のまま、なんとか駅に到着ラッキー!小浜、また来よっと
今回は福井県小浜市男山にあります空印寺です。人魚を食べて800歳まで生きたといわれる八百比丘尼が亡くなった洞窟があるお寺です。境内入口八百比丘尼入定の洞窟画像奥に本堂御朱印は本堂に書置きがありました。住職が居られれば直書きもあると思われます。
小浜の『濱の湯』、めっちゃ良かったので、オススメします!海草風呂(あまも風呂)緑色のぬるぬるしたお湯です。海草(あまも)エキスをプラスしたお湯は、若々しくみずみずしい潤いのあるお肌へ導きます。お風呂に浸かりながら見える景色。海風がとっても気持ちいい。海草風呂は、別名『不老長寿の湯』とも呼ばれるお風呂です。これは、いつまでも若く美しいまま800歳まで長生きしたという、小浜に残る不老長寿の『八百比久尼』伝説に由来するもの。八百比久尼は人魚の肉を食べて不老不死になったと伝えられていますが、
空印寺(くういんじ)御朱印*山号【建康山(けんこうさん)】*院号【】*寺号【空印寺】*正式名称【建康山空印寺】*宗派【曹洞宗】*ご本尊【馬頭観音】*札所等【北陸観音霊場第3番・若狭観音霊場第19番】*開基【】*創建年【1688年(寛文8年)】*住所【福井県小浜市小浜男山】後瀬山(のちせやま)城の麓にある空印寺もとは若狭守護の武田氏の館でしたが京極氏によって破壊され泰雲寺が築かれ、その後、酒井氏が入り菩提寺として建てたのが始まりと言われています現在
ここは小浜市にある空印寺の八百比丘尼の洞穴ダス。洞穴といえば洞穴ダスが、これは奥までしっかり石組みされた立派な石室ダスーw洞窟の高さは1.5m、幅2m、奥行5m。以前はもっと奥まで洞窟は延びていたのダスが、線路が通ったときに洞窟奥を埋めてしまったダスとか。人魚の肉を食べて八百歳まで生きたという八百比丘尼伝説。全国を行脚し、貧しい人を助け、椿の種をまき花を咲かせた後、若狭に戻り亡くなったという洞穴ダス。その椿は今でも花を咲かせているダス。このワシ、ドギー隊長記念撮影w生前は椿の
おはようございます京都占い禅タロット鑑定師らんたんです八百比丘尼(やおびくに)全国各地に残っている民話人魚の肉を食べて不老不死の力を得たという八百比丘尼(やおびくに)福井県小浜市の空印寺は八百比丘尼が入定したという洞窟があるお寺です。残念ながら扉が閉まっており入れませんでしたそして、こちらも(T_T)強引はいけませぬチラッ覗いて帰ってきましたとさらんたん
いよいよ本格的な暑さが💦💦毎年夏に食べねばならぬ❣️のが福井県小浜市伊勢屋さんの葛まんじゅう⭕️4〜50分🚗かかるんやけど何度か食べないと私……夏乗り切れまへんのやーーあーー一年ぶり(初夏からの販売)地下水からの汲み上げ水に葛まんじゅうさんが泳いではるーーーめちゃ涼しそ〜昔はこの一帯に何軒か葛もち屋さんが並んでたらしいけど今はこの店だけーーーープ
⛤✨✨『空印寺』大永2年(1552)、若狭守護・武田元光が後瀬山築城の際に、城館(後の旧小浜城)を構築した敷地内にある、若狭小浜藩主・酒井家の菩提寺。若狭国を治めた京極氏が菩提寺「泰雲寺」を建立し、京極氏の松江転封後に若狭小浜藩藩主となった酒井氏により「建康寺」(のちに「建康山空印寺」に改められる)が建立され今日に到ります。敷地内には、人魚の肉を口にして800歳まで生きたという八百比丘尼が、その生涯を閉じたと伝わる洞窟があります。【住所】福井県小浜市男山2【拝観時
⛤✨✨八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)福井県の民話若狭の国(わかさのくに→福井県)の古いほら穴には、人魚の肉を食べた女が八百才まで生きて身を隠したとの言い伝えがあります。その女は尼さんになって諸国をまわったので、いつの頃からか八百才の尼さんという意味の、八百比丘尼(やおびくに)と呼ばれるようになりました。さて、その八百比丘尼がまだ子供の頃、近くの村の長者たちが集まって宝比べをした事がありました。その中に見た事もない白いひげの上品な老人が仲間入りをして、一通りみん
人魚を食べて不老不死になった娘が800歳で入定した洞窟がある小浜市内の空印寺を参拝してきました寺名;建康山空印寺八百比丘尼入定洞宗派;曹洞宗御本尊;釈迦牟尼所在地;福井県小浜市男山2TEL;0770-52-1936空印寺は小浜初代藩主・京極高次が1609年に亡くなるとその長子・忠高が高次の菩提を弔うために泰雲寺として開創されました後に酒井家の菩提寺として空印寺と改名しています日本遺産のプレート寺標本堂山門
八百比丘尼(やおびくに、はっぴゃくびくに)は、日本のほとんど全国に分布している伝説。地方により細かな部分は異なるが、大筋では以下の通り。若狭の国のとある漁村の庄屋の家で、浜で拾ったという人魚の肉が振舞われた。村人たちは人魚の肉を食べれば永遠の命と若さが手に入ることは知っていたが、やはり不気味なためこっそりと話し合い、食べた振りをして懐に入れ、帰り道に捨ててしまった。だが、一人だけ話を聞いていなかった者がおり、それが八百比丘尼の父だった。父がこっそり隠して置いた人魚の肉を、娘が盗み食いしてし
北陸地方には、古来より哀しい人魚伝説があります。「白比丘尼」(別名「玉椿姫」または「八百比丘尼」)という尼僧の伝説があります。一般的には富山県に伝わる伝承が有名のようです。しかしこのブログでは、福井県は小浜市の空印寺に残る伝承をもとに記載しましたので、小浜市の空印寺での記載が『八百比丘尼』となっていましたので、ここでの本題も『八百比丘尼』としました。その昔、蓬莱の国からやって来たという一行が、現在の小浜に立ち寄ったという。そんな時、その地の長者は病弱な娘の身を案じていました。蓬莱の国