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2025.8.3Rev.1.3写真など追記2023.11.7Rev.1.2写真リンク追記2023.7.28Rev.1.1ヤフー知恵袋コメント追記【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、
明けましておめでとうございます。2024.12.31日の入@志摩グリーンアドベンチャ2025.1.1日の出@志摩市国府白浜経済発展が目覚ましい昭和30年代。北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた穴生地区に広がっていた広大な田園地帯を八幡製鉄が買収。物凄いペースで社宅群(穴生社宅)を建設していき、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。北九州市八幡西区、鉄竜と鉄王。社宅建設は途中空白を挟みながら約16年続き、最終的に長閑な田園は、鉄竜・鉄王あわ
久しぶりに書きます。私も小学5年までよく通ってて、一昨年に云十年ぶりに再訪させて頂いた、相生町のモン・リーブル。先月閉店したそうです。。https://www.newskitaq.com/2024/02/572.html創業57年2代続く老舗パン店「モンリーヴル」閉店計画!理由は福岡県北九州市の開店(オープン)・閉店・リニューアル・出店計画情報www.newskitaq.com業者さん向けのパン作りは続けられるようですが、、、残念です。。親子二代、創業57年。1967年あたりです
昭和50年代、当時社宅では会社が各棟入居世帯の中から選任した管理人を配置してました。大家でもない入居者が管理人を担うなど、今ではちょっと考えにくいですが、社員世帯のみですし、まだ玄関無施錠が当たり前のような時代だったからでしょうか。学校から帰宅すると、ごく稀に施錠されてることがありましたが、管理人から鍵を借りることはほぼなくて、一階のベランダから二階へよじ登り、帰宅してました(ベランダも入れなかった経験なし)昭和9年に官舎が社宅となり、いつから市内の社宅でこの管理人制度が始まったのか分かりま
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。社宅で暮らした昭和47〜57年。ほとんどなかった空室がだんだん目立つようになり、学年があがるに
今から四十年以上前。1979年頃に録音されたものです。(1番のみ収録)ーーーーーーー私はかつて北九州市八幡西区鉄竜に存在した八幡製鉄穴生社宅に住んでおり、萩原小学校に通っていました。当時小学二年生。向かいの社宅には大変仲が良かった同級生が住んでましたが、転勤のため2年生半ばで君津へ転校。この音源は、その友人が君津から私に送ってくれたカセットテープです。歌い手はその彼。弾き手は彼のお姉さん。北九州市立萩原小学校校歌(1番のみ)1979年今から四十年以上前。1979年頃に録
この記事の続きです。▼1980八幡西区相生町①-南エリア/鉄王側https://ameblo.jp/sugieda1971/entry-12793886061.html北九州市八幡西区にある相生町は、1950年代に八幡製鉄穴生社宅建設に伴う一帯の開発によって生まれた、商店が集まる街です。▼現在の相生町周辺南北に隣接する鉄竜/鉄王には、かつて穴生社宅が広がっており、私は小学五年まで鉄竜の68棟で暮らしてました。当時相生町は社宅や近隣の方々で大変賑わっていたのを覚えてます。以下では1
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。ここで振り返る相生町は、鉄竜と鉄王を隔てる境界部にあります。1950年代に穴生社宅建設に伴う一
我が家は父も祖父も製鉄マンでした。二人とも他界しましたが、個人的な思い出も重ねながら、時折ここに八幡製鉄に関する記事などのリンクを細々と追記しています。よろしければお付き合い下さい。※2024.2前田社宅(北九州市立図書館への問い合わせと回答)について追記八幡製鉄/新日鉄の歴史▼九国大まとめ八幡史跡・官舎跡などhttps://www.kiu.ac.jp/wp-content/uploads/2020/06/20200618YahataWorkShops2019-20.pdf▼絵葉
昨日深夜TBS関東ローカルで放送されたそうですが、半年くらい前にRKBでも放送があったそうです。RKB公式YouTubeにも番組がアップされます。穴生社宅も少し映ってるとの事。穴生・引野にお住まいだった方、君津製鉄所へ転居・単身赴任された方やそのご家族は必見!?▽ご参考【他記事での脱線メモより】1965/S40千葉県君津市の八幡製鉄君津製鐵所が操業を開始。ここから君津の操業が急激に右肩上がりとなります。このため人が必要で、最終的に北九州から2万人弱の製鉄マンたちが君津へ転勤となったそう
穴生ドームの前は穴生グランド、さらにその前は溜池だった。2018年1975年1963年1947年1920年参考北九州穴生ドーム(参考)北九州市は進展する高齢社会に対して、「高齢化社会対策総合計画」を策定し各種の施策進めています。その計画の一環として高齢者をはじめ市民の心身の健康づくりや世間交流、ならびにニュースポーツ振興の拠点として建設されたのが「北九州穴生ドーム」です。北九州市八幡西区鉄竜1丁目5-2八幡製鉄・穴生グランドと穴生社宅
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町、鉄竜と鉄王が生まれました。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。※この記事は2021.5に書いたオリジナルを一部更新したものです。遊ぶとき、登園・登校する