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猛暑日が続く8月初頭。近場なので愛馬にまたがり、摂津国(北摂地域)の諸城を攻めにまいりました。愛馬というても当たり前ですが馬さんではありませんスクーターです。ラッタタースクーターいうても原付ではありません。125CCです。ストレス溜まりまくる馴らし運転の2段階目(500kmまで6.000回転までに抑えて、1.000Kmまで7.000回転までに抑える)。いわゆる新車のシグナスXです。大阪府茨木市中穂積にある穂積城(ほづみじょう)を攻めました。JR茨木駅より
続いて、府道43・1・46を伝って南に降りて福井城近辺の諸城砦を。一つ目は安威砦です。蛇行する安威川に守られた山城で、後述の安威城が居館なのに対して、こちらが詰めの城だったと考えられています。城主は、安威城と同じく安威氏です。羽柴筑前守秀吉の右筆を務めた安威摂津守了佐が有名ですね。安威氏は結局、茨木を治めた中川家に従って豊後国竹田へ移ったようです。-参考:茨木城-阪急バス安威停留所の正面の大きな山が安威砦です。残念ながら、内部は立ち入り禁止となっています。-遠景-
6/11に日本城郭検定を大阪の茨木市で受けましてせっかくなので茨木市のお城を試験前と試験後に少し回ってきました。試験会場へはAM10時までには行っておかないといけないので近場のみになりますが回れるだけ行ってみました。三宅城大阪府茨木市蔵垣内3-23-27永正元年(1504)三宅国政により築城されたとされる。天文16年(1547)時の管領細川晴元により攻められ城を明け渡す。その後家臣の香西元成が城主となるも永禄5年(1562)仲違いした三好長慶に攻められ消滅。今の城址は東罐興業(
所在地大阪府茨木市中穂積2(春日神社)特徴茨木市の丘陵地に築かれた中世の城だが、築城者などの詳細は不明。本殿の裏が遺構っぽいが、改変が激しいので城を感じさせるものはほとんど残らない。感想周辺も宅地なので分かりにくいが、主郭は相当な高所にある。