ブログ記事44件
今日は、少し趣向を変えて、「徒然なるままに、今日の一言」という題で書きたいと思います。静岡県の川勝平太知事が、職業差別ともとれる不適切な発言で辞職願を提出し昨日、辞職されました。知事は当初、6月議会冒頭での辞職を模索していましたが、前倒して辞職願を提出した理由については、「私の発言で県民に大変迷惑をかけているので、なるべく早く、県政の空白を短くするということで提出した」と述べています。川勝知事は、辞職願の提出前に報道陣の問いかけに応じて、明智光秀の三女で関ヶ原の戦いの前に自害した
先ずは一鉄公の隠居城をチラリと見学公民館に駐車して徒歩で釣月院を目指します↓釣月院にある解説看板釣月院も利用されたのでしょうねが目指すは詰城↓西側浄輪寺から登ってくる道の西奥から登城実際には浄輪寺からの階段は途中封鎖されていますが・・・↓途中石が散乱しています↓中腹辺りに三方石積みの曲輪らしきがあり期待が高まる①水色〇↓↑石積み曲輪から見た尾根↓もう一度石積みを確認↓尾根に出て西へ100m弱進んだところ①白〇↓月桂院北東側に出
天海㊱三沢庄兵衛は伍助を連れて、京都に来ていた。表向きの目的は妻木家に依頼された諸物の買い付けである。つまり庄屋である庄兵衛は妻木家の御用商人でもあった。このため定期的に上方を回っているのである。最初に訪れたのは京都のはずれにある鄙びた古寺である。外観は古びているが、建物はしっかりしているのだ。ここには坂本城を逃れた明智一族の女房衆がいる。庄兵衛は珍しいお土産を持ってきてくれるので、いつも大歓迎されるのだ。倫子は鞍馬寺に入った与平次の件で、弥平次に一度帰って
建勲神社㉕御祭神織田信長公令和5年1月24日参拝御朱印『稲葉一鉄』御朱印『氏家卜全』御朱印『蒲生氏郷』※以上、織田信長公三十六功臣特別御朱印。建勲神社拝殿「稲葉一鉄」「氏家卜全」「蒲生氏郷」御朱印ランキング※掲出の御朱印はこの日この時頂いた「一期一会の御縁」で、今現在も頂けるとは限りません。観光寺社以外は、基本的にアポイントを取ったうえで、先方の御迷惑にならないよう自己責任でお参り下さい。
城を観る今回は...(撮影2021/04/12)曽根城(美濃国)〜解説板曽根城跡〜稲葉一鉄のッお城ねッヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
明智秀満(71)信長が上諏訪に陣を布くと、そこに稲葉一鉄が訪れた。甲州征伐で一鉄は織田一門衆と共に信忠先陣の後備として出陣している。この老将は既に68歳にして、今でも棟梁として一門を率いているのだ。事前の申し合わせのうえ、光秀は一鉄の宿舎に訪れた。断られるかとも思ったが、意外にも素直に応じてくれたのである。部屋に入ると、一鉄は庭を見たまま、そっぽを向いている。さすがにむっとして光秀も、何も言わず胡坐をかいた。このへそ曲がりには何度も煮え湯を飲まされている。「
明智秀満(62)光秀が控間に下がると、やがて奉行を務める堀秀政が訪れた。「奉行衆が話し合った結果、和泉守は当家でお預かりいたすこととなりました。内蔵助は坂本城で蟄居とします。今後は取り調べの者を派遣しますので、真摯に対応願います。何より示談が大切なので、稲葉家とよく話し合い、三位法印にご納得いただけるよう、お働き掛けをお願い申し上げます。」と伝えた。光秀は色々配慮いただいたことに改めて礼を言うと、「何卒よろしくお願い申し上げます。」と頭を下げた。「信長公記」
明智秀満(61)正親町天皇の勅命をいただくという大仕事を成し遂げたことに、光秀は大きな満足を覚えていた。朝廷とここまでの信頼関係を築いた家臣は他にいないであろう。安土城下は信濃に向かう先方勢の出陣準備に大わらわである。安土から岐阜、岩村城へ次々と大量の兵糧が送られる。戦を継続するためには何より兵糧が大切なのである。今回の甲州攻めは岩村城が兵站基地となっていた。光秀が登城すると城内は出陣前の特有な緊張感でピリピリしていた。光秀のもとに小姓が慌てて取次に来た。小姓は明らかに
仕事を辞めてから始めたことの一つが、朝のウォーキングともかく、同じ道ではつまらないので、毎日、違う道を歩くわけだが、京都の地形は、北高南低、最初に北に向かって行かないと、帰りがキツイ元の家の周辺は、いわゆる「田の字」地区と言われている地域で、通りは、南北と東西方向だけで、曲がったり、入り組んでいるようなところは皆無ところが、今の仮住まいの周辺は、逆に曲がったり、入り組んでいたりして、時々、違う方向に向かっていた、なんてことも正直なところ、そんなにウォーキングが楽しいかと
2023年4月に岐阜県揖斐川町月桂院に参り、稲葉一鉄さんへカミサンの霊視でお話をきかせていただきました。rockwellの前世が稲葉系騎馬武者であったらしいので伺ったのですが、一鉄さんは「見たことがない」と衝撃の返答。「息子に聞いてみてはどうか」とご示唆いただいたので、6月に奈良へ行った際に京都へ立ち寄り、息子さんである稲葉貞通さんの墓所のある妙心寺智勝院に詣でてみました。妙心寺といえば、rockwellの守護霊さんである運臣和尚のいた臨済宗の大本山であります。2020年にも行ったこと
今、テレ朝系の「謎解き伝説のミステリー・本能寺の変」を見てました。結論は明智光秀は武田信玄のスパイだった説。綿考輯録(めんこうしゅうろく)と言う細川家代々の記録に斎藤利三の10歳の息子の証言が載っていたそうな。おおまかに明智は東美濃の時代にすでに武田信玄に取り込まれており、信玄死去してからもバレずに織田方の武将として大出世したが、武田氏滅亡の際、武田家家老の穴山梅雪が徳川家康に寝返り、急いで本能寺の変を起こした。これちょっと反論しようが無い・・・多分、安土城の饗応で徳川
岐阜に行ってきたのです。行くところは多々ありますが、rockwellとしては前世で稲葉家配下らしいということから、稲葉家の土台を築いた稲葉一鉄こと良通さんの眠る揖斐川町の月桂院へ赴き事情を伺おうという趣向であります。岐阜市内から20㎞ちょっと北西に向かい、濃尾平野のどん詰まりの丘にある月桂院。大きな寺ではないので参詣者もなく、冷たい北風が吹くなかすぐに一鉄さんの菩提でカミサンが霊視しました。「お孫さんであるお福さん(春日局)にはお世話になっています」「こちらこそお世話になってい
『稲葉一鉄史跡巡り1』今回は稲葉一鉄関連の史跡を巡りたいと思います初めは手持ち在庫よりたいそうなタイトルでした(-_-;)生誕の城らしいですが?岐阜は池田町にある「本…ameblo.jp『稲葉一鉄史跡巡り4』今回は稲葉一鉄の代表的な城址本丸址は現在の華渓寺らしい臨済宗妙心寺派の寺院山号は曹源山今は遺構は少ししかありませんので・・・画像映…ameblo.jp『稲葉一鉄史跡巡り5』美濃清水城稲葉一鉄の隠居城になるのかな?現在
10月30日、午前中、ジョギングに出かける。東山道を西に向かう。仙道橋。ここが東山道である証拠。東山道沿いにあるいぼ神様。私が一番買い物に行くコスモス又丸店。ドラッグストアの中では、ここが一番安いと思う。ペイペイが使えないのが難点。コスモスの北側にある東山道の説明。アパートの名前も仙道。東山道沿いには、仙道、先道などの地名が残る。岐阜県農業技術センター。東山道は一直線に伸びるんだけど、ここに家が建っている。道の上に家を建てたのだろう。
こんにちは。明け方は寒くて、網戸にしたままでは、そろそろ寝れなくなって来ました…。😱さて、前回の本郷城跡からではなく、実際には、土岐頼忠一族の菩提寺である、禅蔵寺からの移動の途中で城跡を示す標柱を見つけたんです。💦ちょうど、草刈り作業に来ていた土地の主人がそばにいまして、話を伺う機会もありました。👍城主は、稲葉一鉄の祖父、通貞が築城、その子、通則(一鉄の父)と通貞は、牧田の戦い(浅井亮政軍)で討死…後を継いだ良通(一鉄)が大垣市にある曽根城に入るまでの間、城主だったそうです、その後、廃城
7月20日のイベントTシャツできました!今年はバックプリントです赤い字で「繋」(つながるつなぐ)と揮毫しました今年の4月、旭(豊田市)のしだれ桃開花式典で揮毫したのも「繋」でしたウクライナの国旗の色の布に書いた「世界がひとつになりますように」のメッセージですロシアとウクライナの平和を祈っているうちまさかの前総理が凶弾に倒れるというテロが起こり「コロナに負けない」も「災害復興」も「テロを許さない」も発信したいメッセージの願い事は
あ~~~お腹すいた!と、津久見を後にして10分で臼杵駅へと到着。臼杵、臼杵って言うと摩崖仏だよね。でも別になんだか…わざわざ見に行かなくてもいいかなぁ?大分ってこの臼杵の「杵」とかいう字の地名多くない?杵築とか。駅前に臼杵摩崖仏のレプリカがあったよ!これを拝んで行ったことにしよう。自転車で行くと片道6.6kmもあるそう。臼杵でそこまで時間使えないな。臼杵駅、こじんまりとしてかわいらしい感じ。臼杵城は帰りに立ち寄る事にして、まずは腹ごしらえだ。何か美味しい海の幸を食べ
岐阜県大垣市曽根城公園少しピーク過ぎてたけどなんとか間に合った😊ViewthispostonInstagramApostsharedbyyukkuri33(@this_and_that33)おしまい。
*重大な漢字の誤りに気付いたため、再UPしました。(すみませんでした)~岐阜城略年表~建仁年間(1201~1203年)頃、二階堂氏が稲葉山に城を築いたか。1535(天文4)年、この頃、斎藤利政(道三)が稲葉山城に拠点を置く。1544(天文13)年、土岐頼純・朝倉氏・織田氏が斎藤道三を攻めるが、井口の合戦で敗退。1566(弘治2)年、斎藤義龍に攻められ、斎藤道三敗死(長良川の合戦)。1564(永禄7)年、斎藤龍興、竹中半兵衛らに稲葉山城を一時乗っ取られる。1567(永禄10)年
日本続100名城にも認定されている愛知県小牧市の小牧山城本丸には石垣群が発見されています。この石垣群は織田信長が稲葉山城を攻めるために小牧山に居城を移した時、つまり永禄六年(1563)~永禄十年(1567)年頃に築かれたものと考えられています。●小牧・長久手の戦いではないの?●ここでひとつ疑問が出ます。それは小牧山が軍事的に活用されたのは織田信長の時代だけではないからです。もうひとつが天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦い。この時、廃城となっていた小牧山城に徳川家康と織田信雄連合軍
こんにちは。今年もいよいよあと数日。大きな怪我や事故も無く身内共々無事に過ごすことが出来たことに感謝であります。さてさて前回からの続きにて大垣市の曽根城址散策です。城址の北側に稲葉一鉄に仕えていた頃の斉藤利三屋敷跡の石碑が畑の中にポツンとあります。古城図と比べながら歩いてもかつての城域と現在の街域とほぼ同じなのです。因みに青は水路、赤は道、黒は土塁・堤です。「春日局ゆかりの地」の銘石。お生まれはここでは無いかと思いますが、お母さまが稲葉一鉄の娘らしいのです。知
こんにちは。先日まで暖かかった尾張地方も本格的に寒くなって参りました。お風邪など召されませんよう手洗い・うがい凡事徹底でお過ごし下さい。習慣は第二の天性です。さてさて先日はマニアックに大垣市は曽根城址を散策してきました。駐車場と現在お寺が建っている本丸の間には田が入り組んでいるので堀跡だったと推測されます。稲葉一鉄に代表される美濃稲葉氏の拠点だったそうです。稲葉氏は伊予の河野氏を先祖に持つのだそうですね。知りませんでした。そういえば「麒麟が~」の稲葉一徹は印象が悪かったです
11月も半ばに入りそろそろ断捨離のやる気がでてきまして、半日座り込んで要らないモノを捨てていたら肩が凝ったので気分転換に大龍寺に行ってみました。テレビで満天星(ドウダンツツジ)の紅葉が見頃だと知りそういえば最近お墓詣りにも行っていませんでした。子どもの頃はうっそうと樹木が茂る山麓のお寺だったのに周辺を整備されて満天星が植えられ、春は白い花が咲き秋は葉が紅葉するので年に2回特別拝観されています。山の斜面にたくさん植えられているので駐車場からでも見えますが、禅寺なので中庭か
●土岐一色成頼の家系図18(11代目)足利泰氏(足利家4代目)(1216年~1270年5月31日)一色公深一色公深(きんふか)(1325年~1388年)(三河地頭)(丹後一色氏祖)一色太郎頼行(よりゆき)一色行義(ゆきよし)一色範氏(のりうじ)一色範光一色頼行(よりゆき)一色範氏一色範氏(のりうじ)(1300年~1569年)(九州探題たんだい)一色直氏
城を観る[YouTube]今回は...(撮影2019年〜2021年)【ゆかり城】西美濃三人衆《稲葉一鉄(稲葉良通)》〜ゆかりの城5選〜【ゆかり城】西美濃三人衆《稲葉一鉄(稲葉良通)》〜ゆかりの城5選〜[撮影日]1.《本郷城(美濃国池田郡)》2021/09/072.《曽根城(美濃国)》2021/04/123.《岐阜城》2019/04/162020/07/074.《北方城(美濃国)》2020/10/135.《清水城(美濃国)》2021/09/07[撮影者]バイソン[BGM]
《清水城(美濃国)》[読み方]きよみずじょう(みののくに)[別名称]清水陣屋[所在地]岐阜県[城分類]平城[築城主]稲葉良通[築城年]1573年[城を観る]-[YouTube](【城を観る+】《清水城(美濃国)》2021〜稲葉一鉄が築城!清水城跡を観る〜)[登城日]2021/09/07にほんブログ村
城を観る[YouTube]今回は...(撮影2021/09/07)【城を観る+】《清水城(美濃国)》2021〜稲葉一鉄が築城!清水城跡を観る〜【城を観る+】《清水城(美濃国)》2021〜稲葉一鉄が築城!清水城跡を観る〜《清水城(美濃国)》[読み方]しみずじょう(みののくに)[撮影地]岐阜県[撮影日]2021/09/07[撮影者]バイソン[BGM]Dreamland(writtenbyshimtone)[Twitter]バイソン(城を観る)https://twitter.com
大垣市の北部の曽根町にある曽根城公園の花ショウブを見え行きました。ここは戦国武将で西美濃三人衆の一人、稲葉一鉄の居城跡を整備した公園でしょうぶ池には約27、000株ものショウブが植えられています。又たくさんの種類の花ショウブを見ることが出来ので最近はほぼ毎年ここに来ています。今回は昨年と同じ時期にきましたが、今年は少し遅かったようです。まだいろいろの種類の花ショウブを見ることができました。毎年この時期は遠くからきているもいたが、今年は訪れる人が少ない
最近すっかり自家製とんかつ御城印つくりに嵌ってるオヤジですどんどん増殖して展示スペースが・・・最新作は↓ついに武将印まで作り始めましたでもすべて城も武将も美濃関連ばかり・・・城巡りにプラスの趣味となりました~~~で城関連で新しいことにチャレンジしようと目論見中
史跡めぐりの記事です。今回は、岐阜県大垣市にある曽根城です。頑固一鉄で有名な西美濃三人衆の稲葉一鉄の居城です。城址は現在「曽根城公園」となっています。大河ドラマ「麒麟がくる」では稲葉一鉄は、嫌な役柄でしたが、教養と先を読む見識に優れた武将だと思います。曽根城(そね)曽根城は西美濃三人衆のひとり、稲葉一鉄(良通)によって築かれた城です。稲葉氏は伊予国河野氏の一族で稲葉通貞の時に美濃にきて、土岐氏に仕えたといわれます。土岐氏が没落すると斎藤氏に仕え、さらに織田信長、豊臣秀吉に仕えて天正16年