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土曜日友人宅にて淀川花火を観賞5階建ての屋上からという初の花火の景色に感激しました。花火大好き人には最高の夜でした❣️途中から雨模様でしたが、苦にせず楽しみました。花火が濡れたそうで、フィナーレがキャンセルされたのは残念でした。日曜日湯浅へ町内会バスツアー稲村の火の話と湯浅醤油の歴史について知ることができた有意義なツアーでした。「稲むらの火」醤油醸造業を営む濱口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)当主で、七代目濱口儀兵衛である濱口梧陵は、安政南海地震の折、自身の田の稲村に火をつけて大きな
◆稲村の火の館◆1854年(安政元年)安政の大地震による大津波の時、濱口梧陵が命をかけて村民の命を救った「稲むらの火」。その偉業と精神、教訓を学び受け継いでゆくため、ゆかりの地和歌山県有田郡広川町に、2007年(平成19年)4月22日、濱口梧陵記念館と津波防災教育センターから成る「稲むらの火の館」が建設されました。
こんにちはおでママです中2ギフテッド男子&小4HSC男子を育てるHSPママですよろしくお願いします2日前の夜・・・小4次男(ひより)が学校の図書の本から得た情報の話をしてくれた「稲村の火」の濱口梧陵の話だったきっと防災の日にちなんで濱口梧陵の本を展示していたかなにかで情報を得たんだろうね津波から村人を守るために自分の稲村に惜しみなく火を放って逃げ道を誘導したという話(ざっくり・・・)・・・最近ひよくんは偉人の物語に興味が出
有田郡広川町に鎮座。『廣八幡宮』古くから産土神社として地元の住民に信仰されている。木造檜皮葺きの本殿や若宮社などの建造物は室町時代のもので、来国光作の短刀などとともに重要文化財に指定されている。「稲村の火」=安政元年大津波が広村(現広川町)を襲った際、濱口梧陵は稲むらに火を放ち村人を廣八幡宮に避難させた。現在も津波避難場所に指定されている。御朱印いただきました~
おはようございます5/21は「小満」。二十四節気の8番目で、草木が成長して天地に満ち始める頃という意味だそうです。私は昨日、図書館で本を借りましたこれから読むのが楽しみです
どーも濡れ頭巾ちゃんでございます今回は『なにわ健康ランド湯〜トピア』でスナックイベント開催のため、羽田から富士山を越えて南紀白浜空港へえ??伊丹空港じゃなくてなんで南紀白浜??って?それは和歌山湯浅にある『二ノ丸温泉』に行ってみたかったからいい噂しか聞いてなかったけど、実際行ってみると想像以上でしたね!!紀州の森と一体化した薪サウナのロウリュは柔らかく、山の水も空気も清冽そのもの。おまけにつけ麺も激ウマ!!うひょー完ぺきにととのったー!実は、小泉八雲『稲むらの火』の舞台となった当地に
隠された直近の“南海トラフ地震”とは?~“地震と闘った男”今村明恒~政府の地震調査委員会(委員長・平田直東京大学名誉教授)が2025年1月15日、M8~9程度が想定される南海トラフ巨大地震の30年以内の発生確率を、これまでの「70~80%」から「80%程度」に引き上げました。平田委員長は「80%程度というのは、いつ起きてもおかしくない数字」と述べました。この巨大地震は駿河湾から日向灘にかけてのプレート境界を震源域として概ね100~150年間隔で発生しており、南海トラフに属する大
和歌山市を中心に活動中(一社)日本己書道場公認上席師範己書〇マルちゃん道場丸山泰子です~マルちゃん道場は描く人の「味」重視~・筆文字が好き!という方はもちろん・「字」も「絵」も苦手・「こんな崩し文字はセンスのある人が描けるもの」で私には無理という方に唯一無二、あなた(=己)だけの文字(=書)を落書きのように「描く」ことから拡がる、「これでいいんだ」「これがいいんだ」=その人にしか出せない「味」の世界を体験していただきたいと考えています
8月8日の日向灘を震源とした地震により南海トラフ地震臨時情報が発表されました。それを受けて、12日の毎日新聞のコラム:余録では、「稲村の火」が取り上げられていました。この話のもとになったのは紀伊国広村(現在の和歌山県有田郡広川町)での出来事です。地震の後には津波が来ることを知っている庄屋様が、自分の田の刈り取ったばかりの稲村に火をつけて消火に駆け寄ってきた村人を助けた話です。1854年(嘉永7年/安政元年)の安政南海地震による津波の出来事ですが、今に至るまで、地震の後の津波で被害が出ている
今日で孫のプールの短期教室終了しました。上の子は背泳ぎ合格。下の子は結局一回しか行くことが出来ませんでした。プールの後お昼ご飯を兼ねてお出かけしました。道あかりでお昼を食べた後稲むらの火の館に行きました。稲むらの火の館では3Dの映画で地震発生時の対応を学んだり、稲村の火の映画を見たり、ゲームをしたりで防災の勉強をしました。2人とも楽しんでいました。そのあとはみんなで氷を食べて帰ってきましたとさ
おはようございます。小池克幸です。皆さん、稲むらの火をご存じでしょうか?道徳の授業や防災の日でもおなじみですね!という方もいてはると思います。濱口梧陵という人が実際に行った逸話になります。稲村の火の舞台は和歌山県有田郡湯浅町江戸時代、強い揺れと大津波に襲われたときのエピソードです。幕末に、安政南海地震が発生します。濱口梧陵は「井戸の水がひいている」「海水が引いて海が浅くなる」ことで大津波が来ることを本で知っていたため、「これはただごとでない」と津波対策のため、村人たちを廣八
おはようございます華です!今日は誰にとっても大切な「命」を守るお話をリブログさせていただきましたいつも素晴らしいお写真で魅了させていただいていますブログ友「Risan」さんからの記事です是非とも御一読になって下さいませ(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)..*゜「稲むらの火」
甥っ子が自分探しのために大学院を休学し、南アルプスに籠もって修行を開始したのが今年の6月。過去ブログ『故人を偲ぶ』一時帰国6日目。半年前から、航空券のチケットを予約していたのは母の七回忌が予定されていたためで、それが昨日の事でした。喪服を身に纏っている者としては厳しい暑さ…ameblo.jpそれは、ヒマラヤ登頂を目指す準備であった訳ですが、いよいよ決行のためにインドへ渡ったのが約1ヶ月前です。その後、不運にも食中毒に見舞われ、ネパールの病院で入院を余儀なくされたところまでは姉から聞いて
2023-11-05「稲村の日の逸話」【気の呼吸と集中瞑想】日本の霊性思想の智慧で自他共栄!【第二の人生・仕事の大学】LINE公式アカウントコンサルタントLステップ正規代理店日本の霊性思想の智慧を自然科学・量子論仏教学・ヨーガ哲学九星気学・心理学の視点から智慧経営のあり方を配信!「LINEビジネス構築・Lステップ正規代理店」LINE公式アカウント特典プレゼント中!LIN...youtu.be日本の霊性思想の智慧で自他共栄!【第二の人生・仕事の大学】LINE公式アカウントコンサルタント
今日もおやつ姫の国にようこそこの前の休みの日に和歌山県有田郡広川町にある道あかりでランチをしました訪れるのは今回初めてです1階は物産やお土産物販売でお食事処は2階です私は人気の道あかり定食を食べました税込1120円でボリューム満点💯です天ぷらお刺身練り物のあんかけ茶碗蒸し白和えお漬物ご飯とお味噌汁広川町稲村の火でググってみました1820年(文政3年)「稲むらの火」で知られる濱口梧陵は紀州広村(現在の広川町)で生まれました安政の大地震津波時、その命の火で
ご覧いただきありがとうございます和歌山市でヴァイオリンを弾いている百瀬圭子です昨日のおでかけ演奏会珍しく30分も早く着き、(いつもは迷子して、時間ピッタリの到着)今日は余裕があるなあ~と思っていたら、(迷子にはなったけど、近距離だった)ピアノの移動をしたり、楽譜が風で飛ばないようにクリップで工夫してみたり、なんやかんやとしている内にアッという間に時は経ち、リハもそこそこにバタバタと本番になってしまいました本番って、そうゆうもんよねあの暑い中、聞いてくれた生徒さ
本日の議員活動は9:30〜議会事務局にて供覧書類の確認作業に従事、また役場の各部署にて調整事がありました。10:00過ぎ出発で湯浅町に向かい、11:30に湯浅町役場に到着、議場の見学などさせていただきました。13:00〜お隣広川町に移動して「津波防災教育センター」の見学と、隣接の「道あかり」の見学をして、14:30〜16:15頃まで「湯浅町のえき蔵図書館」を視察させていただきました。党の活動はお休みでした。帰宅は21:00でした。1枚の写真は「湯浅までしっかり勉強して帰る」です。今日も岬
ども!今回は和歌山県中紀を観光&ドライブしてきました♪まずは日高郡日高川町みやまの里日本一長い藤棚ロード!全長1646m!高低差96m!展望台を目指し出発!(* ̄0 ̄)/オゥッ!!これがなかなかキツい階段道でして…藤棚見物ってことでナメてました(^^;)この春は藤も例外でなく見頃が例年より早く全体的に終わりかけな感じでしたね。。。でも場所によっては美しく咲いてましたよ♪ゆっくり歩いて30分ほどで展望台到着です!ところが!展望台は階段腐食のため立入禁止!?実は入
「紀伊日ノ御碕灯台」を見た後、最後の棚田の「あらぎ島」へ向かっていた。広川に差し掛かった時、路側に「濱口梧陵の墓」の表示板が目に入る。あっ!「稲村の火」の「悟陵翁の墓」だと、慌ててUターンし路側に車を止めた。◇濱口悟陵の墓地を訪問した▽墓地の説明板▽墓地入り口▽立派な門と塀門は閉じられていた▽翁の墓石◎「濱口悟良翁」について(「和歌山県ふるさとアーカイブ」から転載)文政3年(1820)、広村(現:広川町)に生まれる。天保2年(1831)、浜口家の本家に
2007年(平成19年)4月和歌山県有田郡広川町に開館「稲村の火の館」・濱口梧陵記念館・津波防災教育センター2つの施設で構成されています今回ご紹介するのは濱口梧陵の偉業と「濱口梧陵記念館」です木造平屋建て梧陵の生家を改修したそう趣きがあります今から168年前1854年(嘉永7年)11月4日安政東海地震発生広村(現・広川町)では被害はありませんでしたが32時間後の11月5日16時頃前日の地震とは比べ物にならない大地震が発生しました
おやつ貰った紀州広川銘菓稲むら最中「稲村の火」とは津波が来たこと、そして津波からの逃げ道を知らせるために積み上げられた稲の束に火をつけてまわり村人を救った。という濱口悟陵の偉業の物語。その舞台が和歌山の広川町とのこと。知らんかったぜーんぜん知らんこの話。広川町以外の人は知らんのんちゃうかな?ほんまか?私は大阪出身なので、知らなくても当然だが和歌山市出身の旦那も知らんかったから。という2人の意見をもとに、「和歌山広川町」周辺の人たちしか知らんのんちゃうかな?いや、無知な夫婦
2022年【初詣ツ-リング】「稲むらの火」で村人が避難した神社広川町「廣八幡宮」「広川町の偉人=濱口梧陵」の足跡をたどる中で、今迄数回来たことがあるこの「廣八幡宮」に【初詣ツ-リング】として来ることにした。そして今後もバイクツ-リングとしての「初詣」はここと決めた。さて、完全防寒の上、一気に有田市まで下った。途中で「有田みかん海道」に寄って、その絶景を見に行った。既に中央にある「東屋」には3台の車が止まっていた。青空と雲が入り混じる「冬の空」は海とのマッチングが綺麗である。こ
みなさんこんばんはMAKIMAKISUN🌞です。本日は17日阪神淡路大震災から26年11ヶ月目の月命日です。先日二日間サポートスタッフで参加した第6回全国被災地語り部国際シンポジウムin神戸語り継ぐ-受け継ぐ-2代目の語り部https://www.nojima-danso.co.jp/kataribe3/第6回全国被災地語り部国際シンポジウムin神戸|北淡震災記念公園第6回全国被災地語り部国際シンポジウムin神戸語り継ぐ―受け継ぐ2代目の語り部
前回までのツーリングは「紅葉特集」に集中したが、それから解放された今回は、冬場の超定番コ-スである①煙樹ケ浜、②日の岬、④由良湾、③白崎海岸を気持ちよく走って来た。さて、裏道を走って、時折国道42号を使い、一気に「御坊市」に向かうが、いつもの「浮石」に寄ってから、朝の冷え込みから来るマーキングを催すとき、ちょうどええタイミングにあるのが湯浅の「津波救命艇」がある駐車場だ。ここは最高の場所に位置してる。ここから延々と海沿いを走り続けて、広川町役場にある「濱口梧陵像」を見に行った。津
コロナ禍に入ってまもない時、司馬遼太郎さんの「胡蝶の夢」を読みました。濱口梧陵さんも登場します。地元和歌山では、稲村の火で有名な梧陵さんですが、案外と知られていないのが、さまざまな社会事業を手がけた中でも、特に医学への支援を厚く行っていることです。梧陵の支援と影響を受けた一人が、医師・関寛斎で、当時江戸では天然痘やコレラなどの感染症が流行していたことから、寛斎は1856年、銚子で医院を開業し、梧陵との知遇を得ます。稲むらの火から2年後で、防疫に意を傾けていた梧陵は、寛斎を江戸の西洋種痘所
稲むら最中のパッケージ良くできてます箕島高校生考案最中(写真撮り忘れ笑)はみかん味と塩味の二種類最中あるあるのパサパサ感はなく、しっとりとした皮でいただきやすい最中です🍊
これは大事かも
今日も朝は冷えたが、時間と共に気温も上がってきて、太陽が出てるので背中に当たる太陽熱がバイク・ツ-リングを快適にしてくれた。最近のツーリングや熊野古道歩きなどで、日高町、広川町、湯浅町に行く回数が多くなってるが、今回も広川町の象徴ともいえる偉人【浜口梧陵】に所縁の場所を訪ねて来た。1854年(安政元年)安政の大地震による大津波の時、濱口梧陵が命をかけて村民の命を救った「稲むらの火」。その偉業と精神、教訓、雰囲気を味わうために、「ゆかりの地」である場所を走り捲くった。いつも通りに有田から
丸新本家、湯浅醤油有限会社の新古敏朗です。和歌山県は、南海トラフ地震の被害がある地域です。隣町の広川町(「稲むらの火」で有名)は、湯浅町と川を挟んで隣接する兄弟のような土地です。もし災害が起こったら、まずは自分の命を守る。災害が収まったら、家族や知人の安否確認その後は食べ物ですよね。多分電気も来ない道はガタガタ、通信不能、情報不足の状態が1週間は継続最悪田舎は1ヶ月と考えます。その間住民達の力で生き抜く事が大事!丸新本家には、金山寺味噌、醤油、梅干し米や麦の穀