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ヒーリングサロンDesertRoseです。私は、ブログを書くときに、閃きが降りてくるので、調べながら気づきながら、点が線になりながらになっているので、楽しんでいるので加筆、修正ありです。以前、京都の晴明神社に参拝したとき、聴こえてきた言葉に、晴明さんとご縁があるのかな?と思ったことがある。延喜式でいくと、私と誕生日が同じで111グループだと、今回の閃きで知りました。安倍の晴明さんは、921年2月21日(延喜21年1月11日)生まれ。気づかなかったけど、晴明神社にはペット祈願があるん
来年と言っても…、来月です赤穂市坂越の大避神社でセミナーをしますテーマは、大避神社と秦河勝境内のご案内は禰宜とわたしのふたりです^^是非、ご参加ください地元でしか聞けない話しをしますね^^ご期待ください
兵庫県赤穂市坂越、瀬戸内海に面した静かな港町。ここに大避神社(おおさけじんじゃ)が鎮座しています。境内には、国指定特別天然記念物「生島樹林」が残され、また毎年行われる「坂越の船祭」は国指定重要無形民俗文化財として有名です。海と山と古社が調和する、美しい“祈りの地”として多くの参拝者を迎えています。■御祭神と歴史大避神社の御祭神は大避大明神(秦河勝公)天照皇大神春日大神秦河勝公は中国から渡来した秦氏の子孫で、古代日本の政治や文化に深く関わった氏の長。数代の朝廷に仕
pp三千院から車を45分ほど走らせる。木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)正式名称:木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)通称:「蚕ノ社(かいこのやしろ)」、「木嶋神社(このしまじんじゃ)」主祭神:天之御中主神、大国魂神など祭神の由緒:渡来人の「秦氏」が養蚕と織物の神を祀ったのが始まりと伝えらる。特徴的な境内三柱鳥居:日本でも珍しい、3つの鳥居を組み合わせたような造りの鳥居。元糺の池:かつては湧水が湧き、鳥居が水面に映り込む神秘的な光景が見られる。現在も土用の丑の日に
■BODYPITKYOTOよりご案内皇紀2685年令和7年乙巳霜月24日(月)大避神社へ清掃奉仕に上がるため、BODYPITKYOTOは臨時休院いたします。振替として翌日の火曜日午後より臨時営業いたします。ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。【大避神社(兵庫県赤穂市坂越)清掃奉仕のご案内とご由緒】兵庫県赤穂市坂越1299に鎮座する大避神社(おおさけじんじゃ)。主祭神は秦河勝公、配祀神として天照皇大神・春日大神をお祀りする歴史深い神社です。■坂越の船ま
おはようございます^^来年…、と言っても、もうすぐですね…年明けの1月17日(土)に赤穂市坂越の大避神社で講演をします。地元でしか分からない情報とかを話す予定です主催は「播磨歴史研究会」です。今、ご案内のチラシを作成して頂いているので、まだ完成前ですが(笑)フライングでお知らせです日時:2026年1月17日(土)午後2時~4時まで場所:大避神社兵庫県赤穂市坂越1297番地講師:山口翔*参加費は、500円のようです*この事業は
長宗我部家の源流は、厩戸皇子の側近、秦河勝です。厩戸皇子は、法治国家である和の国を創り上げることに尽力しました。その際、諜報機関も立ち上げました。それが、秦磨衆(ホトトギス)です。当時は、シンマシュウと呼ばれていました。後にハタトギシュウとなり、その後訛って、ホトトギスになりました。つまり、米大統領の直属の諜報機関がCIAなら、厩戸皇子の諜報機関がホトトギスということになります。リーダーは秦河勝です。河勝の最初の任務は、建国のプロジェクトチームです。そのチーム名が、聖徳太子です。
今日は一日中曇り空の移住先でした。今朝の7時半過ぎころでしたが、東のお空に雲の合間から天使の梯子がかかりました。それが此方です天使の梯子を見るのは何年振りかと振り返ってみましたが忘れまし今日は友人のお迎えがありましたので、車で駅方面に行っていました。予定より数分早く着きましたので、駅前のロータリーのお花の写真を撮っていました。見事に満開でしたよその後車で山間の道を走っていましたら、ほとんどが稲の刈り入れが終わっていました。高嶺神社近くは
9月末、赤穂で開催されているル・ポン国際音楽祭に行ってきました。過去2年、協賛会社にいただける招待券で素晴らしい演奏を聴かせて頂いていましたが、素晴らしい音楽祭なので、今年は個人的にも寄付し、寄付者にいただける招待券でも1日聴かせていただきました。今年の音楽祭は、モーツァルトとショスタコーヴィッチという二人の天才音楽家に焦点が当てられていました。音楽ファンとして、彼らの音楽についてさまざまな思いはあるのですが、占星術的に見ると、モーツァルトは太陽星座が水瓶座、ショス
徐福が日本に渡来した正確な記述は、日本に残っていませんが中国では、司馬遷の史記に記述があります。童子童女から、あらゆる技術を持った技術者集団が数千人が渡ったと言う伝えがあります。この第一陣が紀元前に日本に渡来してきました。これが、1回目の天孫降臨です。徐福は、始皇帝の同族とも言われ贏(えい)と言う名を持っていました始皇帝は、名を嬴政(えいせい)と言いますから、縁戚であったと思われます。徐福伝説の地は、日本各地にあり九州から、丹後、日向、高知、熊野や、東日本にありま
『流される神アバンPART6』本日もまた修正から前回記事大黒天と書いた場所拡大すると力神だった。反対側も裏側に力神が隠れていました。屋台骨を支えるトリトンですね。とりぶた豚(猪八戒)河豚(秦河勝)海豚(蘇我入鹿)豚の三段活用ハリセンボンの繁殖オスがメスを持ち上げるクサフグも同じクサフグが大潮に一斉集団産卵する仕組みを解明〜月の満ち欠けによってもたらされる生物リズムの謎に迫る〜|WPIトランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)
イモ活(イモムシ飼育)中です。文化昆虫学から赤穂市坂越大避神社にも触れます。最近は、ヤママユガ(天蚕)のイモムシも飼育しています。以前ブログで紹介したアイヌハンミョウを5月28日に撮影に出かけた際に、クヌギと思われる樹でヤママユガの幼虫を見つけていた。子供の頃に教科書で読んだヘルマンヘッセの短編小説「少年の日の思い出」では、ヨーロッパ産のヤママユガを取り上げられてたな~!と思い、綺麗な蛾が手中の中から生まれる(羽化する)光景が頭の中をよぎったが、飼育には3日に1度の餌の葉の交換が必要なの
日本書紀原文(書き下し文)「中大兄皇子、密かに中臣鎌子(中臣鎌足)と謀りて、蘇我入鹿を誅せんとす。是の日、百済・新羅・高句麗の使人、朝に参りて、朝堂に会す。中大兄、剣を帯び、鎌子、弓矢を持ちて、朝堂に入り、入鹿を斬る。入鹿、血を流して、階に伏す。時の人、皆驚き、走り散ず。入鹿、遂に死す。」⸻現代語訳「中大兄皇子は、密かに中臣鎌子(後の藤原鎌足)と謀って、蘇我入鹿を討とうとした。この日、百済・新羅・高句麗の使者が朝廷に参上し、朝堂に集まっていた。中大兄皇子は剣を帯び
聖徳太子のいた飛鳥時代は、どんな時代やったんでしょう。民のほとんどは、1400年前のことですから、日常のつながりもせいぜい村や部落どまり。小さな部落単位で、30年〜長くて40年ほどの人生やったと思います。今日はちょっと、秦河勝さんのことはお休みして、当時の民の暮らしを描かせていただきます。⸻「アスカって、どこにあるん?」「飛鳥か?ん〜、奈良の向こうのほうやな。昔、石舞台とか行ったなぁ」「石の舞台?誰か踊ってたん?」そうか。この子にとっての“飛鳥”は、石の上の遺
筆は史を選りて削ぎけり秋の声私はこんなに身近に、大きな仕事をした人物――秦河勝の名前を、今まで霞のようにしか感じてこなかった。なぜだろう?と考えずにはいられなくなった。史実とは事実ではないのか。誰が、何のために、秦河勝の名を消そうとしたのか。なんだか頭の中がややこしくなってきた。歴史とは、誰が、何を、残すかで決まるもの。そして時に、それは真実ではなく「都合」で綴られる。秦河勝(はたのかわかつ)という名が、かつて聖徳太子とともに飛鳥の理想を築いたにもかかわらず、
今ね東京へ向かってる物部の姫にあうのだ〜『【星の民】あいたい人に会う電気で魂ビリビリ⚡️ふるえゆらゆらは感電通電』‘lapislazulipyramidラピスラズリをピラミッドに内包したなぜか登山とオルゴナイト作成にハマった2015年ダーがつくると上手なのだ〜😆我が家…ameblo.jp仙台からは約1時間の新幹線の旅仙台の次は大宮だ福島県、栃木県を無視したこのルート速さ重視だけどモヤモヤ今、東京へ向かう新幹線着席したらあら❤️会津特集会津八百比丘尼と長寿食
4月6日に平塩熊野神社の例大祭と舞楽が見られるとの事で、行ってきました。平塩熊野神社は、数年前に一度訪れたことがあり、その際に撮った神楽堂の写真が紫色の強い光で、この光は、実家の里山の巨木と同じ光だったのでよく覚えています。※数年前の時いつか、ここでの舞楽をみたいな~と思っていたら、念願かなっての林家舞楽を観られることができました。神楽堂慈恩寺とはまた違った雰囲気での舞は、素晴らしかったです。舞については、こちらを参考に。【寒河江】平塩熊野
『渡来人』第1回<「渡来人」とは?>「渡来人」とは、字の如く「渡って来た人」である。日本列島まで、海や島を渡ってたどりついた人々です。まさか日本列島でホモ・サピエンスが誕生したということはないので、日本人は100%、渡来人から生まれたのです。でも何故、彼らはわざわざ困難な渡海をしてまで日本列島に来たのでしょうか?4万年前の旧石器時代~縄文時代において、大陸の人々が日本列島について事前に知識を持っていたとは思えません。「住みやすい、豊かだ」などということは分からなかったは
桂川流域を田園地帯に開発すると共に養蚕・機織の技術を伝えた氏族は?広隆寺・河勝夫妻桂川流域を開発、太秦一帯を本拠地とし、養蚕・機織の技術を伝えた渡来系氏族は、秦氏である。秦氏は応神朝に秦の始皇帝の子孫と云う、弓月君(ユヅキノキミ)が120県の人を率いて来朝したのが始まりと云う。土木・養蚕・染色に従事する多くの民を配下に大きな経済力を蓄えて漢(アヤ)氏に拮抗する勢力を誇った。秦河勝が建立したと云う太秦・広隆寺は飛鳥期の氏寺である。6世紀初め
昨年(2024年)10月4日京都の寺社を巡りました✨記事が追いつかずだいぶ時が過ぎてしまいましたが、今日からはそちらをご紹介していきます!最初にご紹介するのは秦氏の氏寺で聖徳太子信仰のお寺としても知られる、謎の多いこちらの寺院です。『蜂岡山広隆寺』別称:太秦広隆寺・蜂岡寺・太秦寺・秦公寺真言宗単立寺院ご本尊聖徳太子(上宮王院本尊)創建推古天皇11年(603)または推古天皇30年(622)開基秦河勝広隆寺といえば!記念すべき国宝第一号となった『弥勒菩薩半跏思惟像』が有
大和(奈良)から長岡京へ遷都してわずか10年。桓武天皇により平安京へ遷都が行われました。当時の京都に先住していたのは、秦氏(はたうじ)。京都の太秦(うずまさ)を本拠地としていたと言われています。秦氏は酒造や機織りなどの産業を振興させ、治水灌漑の技術にも長けていたとか。この秦氏が桓武天皇の都づくりに協力します。秦氏で一番有名なのは、聖徳太子のブレーンだった秦河勝(はたのかわかつ)ですかね。秦河勝は猿楽(能楽)の始祖ですね。…七代目松本幸四郎丈が養子になる前の名字は「秦」なのですが
【71】広隆寺は、推古天皇11年に秦河勝が聖徳太子から仏像を賜り、本尊として建立したとされる。古くは「蜂岡寺」「秦公寺(ハタノキミデラ)」と云々、「太秦の太子堂」とも呼ばれる。京福電鉄嵐山線・太秦広隆寺駅のすぐ傍、右京・太秦にある。真言宗単立寺院で、山号は「蜂岡山」と云う。同寺を建立した【72】秦河勝は、渡来系集団・秦氏の首長で世紀末~7世紀前半頃の人物である。
今年も、丹波焼の作家である市野秀作君と年に一度お会いして、その作品を観る機会がやってきました。場所は、神戸大丸で開催された「市野秀作陶展」で、案内をいただいていたので、最終日の1月21日に会場に訪れました。壺や大皿など大作がずらりと並ぶ中、私が手にとるのはいつも「ぐい吞み」です。数年前から秀作君と会話する中で、私自身があるお酒をイメージしてぐい吞みを選ぶのではなく、「陶芸作家がお酒をイメージして作られたぐい吞みで、そのお酒を呑みたい。」と伝えたところ、面白いと言ってくれて、こ
昨日のつづきになります。寝屋川市国松町の春日神社から八幡神社へと歩きました。はじめてきました。八幡神社の祭神は、応神天皇です。「ほんだわけのみこと」とも言います。秦河勝の勧請と言い伝えられているようです。お参りしてきました。拝殿と本殿は、2012年に放火にあったようです。今あるのは、2014年に再建された建物のようです。立派な狛犬です。奥の方に行くと、細屋神社があります。お参りしてきました。細谷神社は、令和2年に太
大避神社(所在地は兵庫県赤穂市)宇佐神宮と八幡神のルーツについて謎が多いようだ。素人の私にはとても謎解明は無理だ。「八幡」は、「はちまん」とも「やはた」とも読める。様々な説が唱えられている。ごく一部だが紹介。宇佐神宮でもともと祀られていたのは邪馬台国の卑弥呼ではないか、あるいは卑弥呼の宗女(一族の世継ぎとされる女性)の台与(とよ)だとする説がある。宇佐は邪馬台国の比定地の一つともなっていて、これは地元の人に結構支持されているようだ。宇佐神宮の社伝によれば、八幡神は、外国か
【食育クイズ:Vol.1792】「京都府」の「御火焚祭(おひたきさい)」おさらいクイズ!11月22日に「聖徳太子御火焚祭」が執り行われる寺院とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}大豆コーヒードリップパック
寝屋川市成田西町の成田山新勝寺へ行きました。2021年に旧山門が解体されました。開創90周年記念行事新山門建立の為。先日、通れる様になりましたので、見てきました。自転車置き場の真ん前に高さ12m幅9m奥行き5m小口が3箇所で下層に屋根が無い二階建ての「三間三戸楼門」と呼ばれる建築様式。総工費10億円金剛組立派な山門の向かいには…ラジオ塔この前でラジオ体操が行われていたのでしょうね。埋め立てられ住宅地に変わると取材したこも池のその後を見に行きました。こも池
京都で1泊ひとり旅2日目続きです鳴くよウグイス平安京794年に、桓武天皇により遷都された平安京は、現在の京都の中心(=烏丸通)より西側にありましたその名残を見に行きたいと以前から思っており、今回平安宮(大内裏)のみ散策をしましたが、市街地に埋もれ何も残っていないため説明板の写真が多めになりますJR二条駅からスタート四神の都平安京は、平安宮(大内裏)の朱雀門から都の南端・羅城門まで朱雀大路(現在の千本通)で南北につながり、中国の都(長安城や洛陽
桂川サイクリングロード沿いの彼岸花長い間更新をさぼってしまった、すまんすまん・・・・のである^^;で、今日は何故「更新しよ~!」って~思ったか、って~と・・・実は、これは書いたおかねば!、って~事案が発生したからであるd(^O^)b昨日のバイトの昼休憩に、みゆきとのラインのやりとりで、「土曜日は松尾大社まで走って、桂川の秋を満喫しよ~!」って~決めた、事からハナシは始まる・・・。で、昨日夜から今日の早朝にかけての、夢の中で「僕は京都の東西南北を守る神社」に関する夢を見た・