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前回の記事は、『【大人の世界史学び直し】㉔三国志から370年の大分裂へ!カオスな暗黒期が作った最強帝国の土台』前回の記事は、『【大人の世界史学び直し】㉓秦・漢の400年!始皇帝の爆速崩壊と「中華の原型」完成』前回の記事は、『【大人の世界史学び直し】㉒黄河文明から春…ameblo.jp今回は、古代・中世の中国編④として律令国家の完成:隋・唐です三国・魏晋南北朝時代の約370年に及ぶ分裂と混乱を経て、中国は再び世界最高峰の大帝国へと結実しますこの時代のキーワードは「律令制度
いぜんのプロフィールと学歴本名は李怡然(りいぜん)で、1998年4月23日生まれです。出生地は中国・北京で、身長は168cm、血液型はO型です。趣味は1人旅行や読書、サッカー審判(3級資格)やダイビング(オープンウォータ―資格)など多岐にわたります。特技として太極拳や中国語早口言葉、トリリンガルである点が挙げられます。北京の高校入試では国語と物理でほぼ満点を取得し、受験者約10万人の中で北京市内1位となっています。中学校時代のニックネームは「学覇」で、学習面で優れていたことが由来
前回の記事は、『【大人の世界史学び直し】⑳「ムガル=モンゴル」1526年にインドへ殴り込んだ凄腕将軍』前回の記事は、『【大人の世界史学び直し】⑲なぜインドは負けた?カースト制度の最大の弱点』前回の記事は、『【大人の世界史学び直し】⑱ガリレオより1000年早…ameblo.jp今回から、古代・中世の中国編スタートです中国史における「古代」と「中世」は、大まかに以下のような区分で捉えられます古代(~唐末):王朝の誕生から、中華帝国の骨格(郡県制や律令制)が完成し、貴族
以前に予告しました、諸星大二郎の月童(ユエトン)です。(「諸星大二郎劇場」第3集所収、小学館)うまくまとめられず、ほぼネタバレになってますが、前編の月童のみの紹介とします。後編の星童(シントン)は、読んでのお楽しみということで。阿嫦に続く、人形モノです。姚家の跡取り息子が生員(科挙の郷試受験有資格者のこと)になった時、父君が買い求めた人形の星童と、そのメンテ操縦担当の月童。見た目がそっくりで、時々どちらが人形か分からなくなる。星童と月童は、ふたり一組で起居行動を共にする。勉強の合
おはようございます・・(^_-)-☆今の奈良市は気温が27℃と蒸し暑い日になりましたが午後には午後には33℃と昨日並みの少し蒸し暑い日になりそうですね。奈良まほろばソムリエ奈良通2級の16回目の問題です。6奈良県に関連する文学について最も適当なものを選びなさい。(55)大伯皇女が「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟と我が見む」(『万葉集』巻2・165)と詠んだ「弟」とは誰か。ア.草壁皇子イ.大津皇子ウ.高市皇子エ.弓削皇子
昨日より続く。草厂二条の「韶州会馆」にあった地図。ここ前门一帯に「〇〇会馆」が多い。以下、百度百科より抜粋。会馆是明清时期都市中由同乡或同业组成的团体,最早于明代永乐年间出现在北京芜湖会馆。嘉靖至万历时期趋于兴盛,清代中期数量达到顶峰,主要分为同乡官僚聚集的试馆、工商业行帮会馆及移民会馆三类。北京早期会馆以地域性同乡组织为主,明中叶后工商性质会馆逐渐增多但仍带有地域特征。清代后期部分会馆转变为同业公会,科举废除后会馆转为同乡会与行业工会。北京会馆至清末达550余座,多数建有戏
太祖趙匡胤農暦927年2月16日午刻グレゴリオ暦換算927年3月21日午刻年丁亥月癸卯日丁酉時丙午空亡:午未、辰巳8壬寅、18辛丑、28庚子、38己亥、48戊戌、58丁酉、68丙申、78乙未、88甲午、98癸巳・本人が世の中で目立って仕事をする、その仕事が親戚に繋がっていくことが命式から示唆される。大運年運出来事庚子乙卯955年後周の世宗の南唐征伐に参加庚子庚申960年陳橋の変で擁立宋を建国庚子辛酉961年杯酒釈兵権配下の禁軍や軍縮進める己亥癸亥9
(本チャレンジはVer1.19.0.6Scribeで行われました)こんにちは!Scoti-manです。久々にCK3をやりたくなってきたので、まだ未プレイの中国をやってみたいと思います。CK3の3つの開始年代の中国はどうなっているかというと・・①867年:唐(後期)②1066年:宋(安定期)③1167年:南宋(衰退期)となっています。安定した時期を中国の役人としてプレイするなら②がいいかと思います。③だと、金、そしてモンゴルの脅威を闘う高難易度プレイになるでしょう。という
成均館(ソンギュングァン)といえば名門私立大学の成均館大学校や韓国ドラマ“成均館スキャンダル”などが思い浮かびますが、以前ふとしたことで成均館大学校のソウルキャンパス構内に、大学の前身となった“成均館”の歴史的な建物が遺されていることを知り、行ってみることにしました。こちらの成均館は厳密に言えばナムギルさんの読んでくださる漢陽都城(ハニャントソン)のお話しの中に登場するわけではなく、道歩きの中に含めてよいものか迷うのですが、大学の最寄駅が今回歩いた城北洞(ソンブㇰトン)や駱山(ナッサン
【前回のあらすじ】新羅の憲康王(ホンガンワン)の時代、東海の龍王(ヨンワン)の息子として地上に現れた処容(チョヨン)は、疫病神(ヨクシン)が妻のそばにいるのを見ても、怒ることなく歌い踊り続けました。その寛容さに心を動かされた疫病神(ヨクシン)は、処容(チョヨン)の顔を描いた絵を見たらその家には近づかないと約束しました。寛容という力が疫病から人々を守るという、朝鮮神話における独自の英雄像が示されました。【オープニング】神話と歴史の境界に立つ人物がいる。実在した人物でありながら、その生涯は神
古代中国では、どんなに家柄が優れていようとも、「科挙に合格した者しか勝たん!」と言うことが驚くべきすさまじさで広く流布していました。隣国の韓国(当時は高句麗や新羅など。)やベトナムにまで流布した。日本にも伝播したが、貴族階級の影響により、形を幾分抱えて導入された。(本場・中国ほど開かれたものではなかった。)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~科挙制度の確立により、中国は世界隋一の教育大国となったのだ。これ自体はとても良い事に
○2025年7月14日、四川省の閬中を訪れた。閬中は狭い小さな町ながら、見所は多い。これまで、『华光楼码头』から、『华光楼』、『风水博物馆』、『王皮影博物馆』、『状元坊』、『中天楼』、『汉桓侯祠・张飞庙』、『阆中文庙・閬中文廟』、『川北道署』と巡り、次に訪れたのが『川北道贡院』になる。○日本人には、まず、貢院そのものに縁がない。貢院については、次のページが詳しい。中国古代贡院及科考唐开元二十四年(736年),在礼部南院始设贡院,此时的贡院既是科举的专用考场,也是礼部管辖下的一个
ふと考えてみた。なぜペーパーテスト一発入試勝負こそ公正で正しい入試方式なのか、と思われているのか。これだけ総合型推薦(旧・AO入試)や学校推薦入試(旧・指定校推薦)が大学受験のマジョリティになって久しいのに、未だに「邪道」と考えられているのか。特に浪人生や昔の受験生たちから「けしからん!」と嘆く声が聞こえてきそうだ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~東京大学の入学式で、とある総長が「今もう一回試験をやったら、半数近くが入れ替わるんで
日本を蝕む”朱子学”の闇その65中国が一族郎党を挙げて腐敗する「腐敗圏子」は家族ぐるみの「全家腐」の拡大版で、“疑似家族”で汚職を通じて不当な利益を貪る利益共同体である。この原型は「宗族」にあり、宗族とは同じ先祖を共有する父系同族集団のことで、宗族は一族全員で年に数回の共同祭祀を祠堂、家廟で行い、「族会」という組織を作る。そして、一族の中の優秀な若者を官僚として送り出すため、宗族は「義田」という共同の財産を作り、それを財源に「義塾」を開いて師弟の教育を行うのだが、その目的こそ「科挙試験
日本を蝕む”朱子学”の闇その64中国はもはや「黒社会国家」へと成り下がった。地方政府と公安、司法がグルになって県外の一般企業に難癖をつけて、カネをむしり取るというのはそこら辺のヤクザのやることだ。広州の場合は1万社近くの企業が対象になったというが、それは地方政府自体がヤクザ組織そのものになったということだ。分かりやすくいえば、静岡県あたりのヤクザ組織が東京の会社1万社に難癖をつけて脅した挙句、「カネを払え」と言っているようなものだ。これはヤクザ社会の場合なら、お互いの「縄張り」
韋保衡が科挙に合格したときの試験官である王鐸は、保衡にひきたてられて司徒門下侍郎平章事に到った。やがて保衡は尊大となり、自分の上に鐸がいることが我慢できなくなった。そこで咸通十四年6月に使相宣武軍節度使として鐸を追いだした。しかし鐸はこのため僖宗の崩御による9月の保衡失脚の巻き添えを受けず、まもなく復相した。科挙においては試験官を師とし、同年合格者を仲間とする習慣が出来ていた。
https://timeway.vivian.jp/index.html科挙宋代の科挙を簡単に見ておきます。科挙は誰でも受験することができます。年齢、出身地関係なし。女性はダメですけれどね。試験は三年に一回。三段階の試験があります。最初が郷試、これは地方試験。合格したら都で二次試験を受けることができる。これを会試という。会試を通った受験者が最後に受けるのが殿試。これは宋代からはじまった。皇帝自身による面接試験です。宮殿でおこなうから殿試だ。官僚になれば、一族みんなが
https://timeway.vivian.jp/index.html五代から宋へ唐が滅亡してからの約50年間の分裂時代を五代十国時代といいます。華北、黄河流域には、開封を首都として5つの王朝が交代します。これを五代という。後梁(こうりょう)、後唐(こうとう)、後晋(こうしん)、後漢(こうかん)、後周(こうしゅう)の5つ。それ以外の地域に、合計10ほどの独立政権が成立。この時代のほとんどの政権が、節度使の自立したものです。各政権の皇帝や王は、みな軍人出身です。
楊堅は、皇帝に即位後、同月中に、北周の皇族、宇文氏を大虐殺して、禍根を断った。584年、突厥が、北方で暴れると、楊堅は、長城を越えて、突厥を攻撃し、その後、楊堅は、突厥内部に巧みに介入して、東西に分裂させた。そして、南朝の陳を攻めるため、淮河と長江を結ぶ、邗溝を開削して、補給路を確保したのである。楊堅は、南朝の梁から分裂し、北朝の傀儡政権となっていた、後梁を併合し、前線基地を築いた。また、楊堅は、連年に渡り、農繁期になると軍を南下させる、気配を見せて、陳軍に常に長江沿岸に大軍を
「四百年間、分裂していた、中華世界の再統一を果たし、隋王朝を建国して、科挙制度を創設した、「開皇の治」の名君」人徳:91/統率力:90/決断力:97/政治力:98/行政力:100/軍事能力:88/武勇:81/知略:97/学識:93/天運:99=合計:934点紀元184年、黄巾の乱が、勃発すると、中華世界は、分裂し、歴史及び、小説として、最高の人気を誇る、『三国志』の「三国時代」の開幕である。紀元280年、西晋が、中華の再統一を一時的に果たし
玄宗皇帝農暦685年8月5日丑刻グレゴリオ暦換算685年9月8日丑刻年乙酉月乙酉日戊寅時癸丑空亡:午未、申酉2甲申、12癸未、22壬午、32辛巳、42庚辰、52己卯、62戊寅、72丁丑、82丙子、92乙亥・人生の前半は、本人の知性や技術を活かして正しい官業を推し進めるが、晩年に財や女性を求め、それらと暗に繋がることが命式に出ている。大運年運出来事癸未乙巳705年武則天が退位、唐が復興壬午庚戌710年韋皇后・安楽公主を粛清壬午庚戌710年父・睿宗を復位させる
日本を蝕む”朱子学”の闇その28日本に朱子学を導入したのは徳川家康である。江戸時代「士農工商」のうち農工商(=民)が試験で「士」になる制度はなかったため、中国からすると日本は遅れた”野蛮な国”とされた。しかし、日本には「老舗」という言葉があるように、世界の創業200年以上の企業・約5600社のうち半数の約3100社が日本に集中しており、しかも創業1000年超え企業が22社も日本にあるのだ。もちろん中国にはない。創業後1000年を超える企業を俗に「1000年企業」と通称することが
日本を蝕む”朱子学”の闇その27◆朱子学の誕生:本来の中国が失われたのは「宋」以降朱子学が出てくる以前と以後で、中国は別の国に変わった。孔子と孟子の教えである儒教は、元々は牧歌的な教えだが、それが変節したのは1126年の「靖康の変」(せいこうのへん)にある。「靖康の変」とは1127年に「金」の軍が宋(北宋)の都であった「開封」(汴京)を占領、宋の上皇(前皇帝)徽宗・皇帝欽宗などを捕らえ、拉致した動乱のことだ。「靖康」は当時の年号で、1125年の靖康元年に起きた靖康の変によって宋
歴史に学ぶ。社会をよりよく統治しようと、いろいろな政策やリーダーシップを検討する。その時に、先人たちの試行錯誤の記録があると、検討案を近い社会状態に当てはめて、政策や言動のシミュレーションが出来る。例えば背水の陣を知っていれば、あえて退路を断つことで、相手が戦闘で犠牲を出すより退却が得と判断させられる、ことが分かる。交渉力も増すわけだ。でも政権にまれに歴史に通じたスタッフがいる、という状態では、なかなか史実を踏まえた熟議にはなりにくい。歴史に通じていると言っても、皇国史観や唯物史観など史実
周進は科挙の試験に合格し、官職を得、科挙の試験官に任命され、広東に赴任します。そして広東で試験を実施したところ、そこで出会ったのが範進という50過ぎの男。彼も曾ての周進のようにずっと試験に落ち続け、貧乏暮らしをしていたのですが、周進が彼の答案を読んだところ、実はすばらしい名文であると気がつき、彼を合格させます。ひとたび科挙に合格するや、周りの人々の彼に対する扱いが180度変わるという、人間社会の可笑しさが描かれています。『儒林外史』第三回、『範進中挙』(範進が科挙に合格し挙人になる)という
日本を蝕む”朱子学”の闇その8朱子学に蝕まれた国家は、中国、韓国、そして明治以降の近代日本である。日本だけがどうにかまともな国家としての体をなしているのは、国家の要に「神道」があるからだ。そうは言っても現代の日本人はGHQの統治以降、西洋文明こそを最高のものとして取り入れ、もはや国民の8割は”神を捨てた民”と化している。神道すら「金運アップの道具」にしてしまい、神道を支えるはずの「神社本庁」もカネに狂った人間が仕切る腐った組織に成り下がってしまった。嘆かわしいと言いたいところだが、それ
『儒林外史』は、清末の18世紀、安徽省の人、呉敬梓が書いた白話小説で、その内容は、当時の官吏登用試験であった科挙制度に振り回される人々の様子を、皮肉を込めて著したものです。科挙制度については、中国で隋唐時代に始まり、中華民国になって廃止されるまで、延々と実施された制度であり、分かりにくいところもあり、概略を理解してから、本文を読まれることを、お勧めします。宮崎市定著『科挙――中国の試験地獄』(昭和59年2月初版発行、中公文庫)それでは、この小説の導入部、第一回を読んでいきましょ
何のこっちゃ?試験成績ランキングのトップスリーの事科挙に由来し、我が国では「状元」はたまに眼にしますが、三つとも誦じているのは、、、知識人というより暇人(^^)海軍ならば、ハンモックナンバーが一番と言います。TOEICの集団不正事件やはり、首謀者や彼に踊らされたのはチャイニーズ達らしい。勉学努力以上にカンニング技術に精を出すのは歴史的にも彼らの習性あるいは本能なんだ。科挙の時代から今の高考に至るまで、中華の受験地獄は我々の想像を絶する。人生成功の一発勝負。合否は本人のみならず一族郎
平川先生のご著書を読んでいると、しばしばこの書物に言及されている。タイトルからいくと、イタリア人をガイドする仕事に就いている私にとっても関心をもつべき内容だと思われたので、読んでみることにした。444頁とぶ厚く文字も小さい。本を開いたら、思っていた内容とは少し違っていた。てっきり、16世紀半ばの、鉄砲伝来とイエズス会の渡来から始まると思っていたのだが、いきなり中国に渡ったイエズス会士の話から始まり、その報告書にあった科挙制度が西洋に衝撃を与えたこと、幕末維新の話、と展開するのである。そ
『指を畳んむ・・・!』と云いながら、まだ余韻を引き摺って居るアホジジイなのだが、今回の『日中現代史再勉強』に潜る中で、過去に齧って来た『中国史』に色々想いを馳せたりしながら、その中で想ったことを二つ、三つ残して措きたいと想った次第で・・・(汗)先ず、その第一は、後に『中国共産党』を旗揚げし、初代の委員長(=党首)に為る『毛沢東氏』が生れたのは『1893[光緒19]年』で、後輩の周恩来氏は、これより5年後の『1898年[光緒24]年』とは、共に、まだ『清朝』の時代なのだが、この世代は、且