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2019年6月14日晴れ白秋の友とは「桐の花」第二百三十八首第七章「秋思五章」第四十三首小題「街の晩秋」五わが友の黒く光れる瞳より恐ろしきなし秋ふけわたる秋ふけわたる、秋更け渡る、参考詩「旅愁」作詞:犬童球渓1907年(明治40年)ふけゆく秋の夜旅の空のわびしき思いにひとり悩む恋しやふるさとなつかし父母夢路にたどるはさとの家路ふけゆく秋の夜旅の空のわびしき思いにひとり悩む白秋、唱歌にも思いを馳せていた。秋思五章、街の晩秋の掉尾、晩秋
2019年6月13日晴れ白秋とあかしあ「桐の花」第二百三十七首第七章「秋思五章」第四十二首小題「街の晩秋」四詞書き付きあかしやの金と赤とがちるぞえな、やはらかな秋の光にちるぞえなただしづかに金のよき葉のちりかへりいかばかり秋はかなしかるらむ詞書きと歌を詩と読めば、象徴詩ともののあはれを匂わせた歌。詞書きは、東京景物詩より」片恋あかしやの金(きん)と赤とがちるぞえな。かはたれの秋の光にちるぞえな。片戀(かたこひ)の薄著(うすぎ)のねるのわがうれひ「曳舟(ひき
2019年6月12日晴れ白秋の秘密「桐の花」第二百三十六首第七章「秋思五章」第四十一首小題「街の晩秋」三題「街の木々」二首の二午前八時すずかけの木のかげはしる電車の霜もなつかしきかな当歌も写生歌、銀座の柳と言うが、すずかけの木も有ったろう。午前八時、ごぜんはちじ、ごぜんやつ、ルビがない。字余りの方が語呂かよく、時間にこだわる白秋らしい。それも、俊子を見送った徹夜明け。電車の霜、晩秋、寒い朝、霜も張る。なつかしきかな、「思ひ出」より「霜」柔かな
2019年6月11日晴れ白秋の日向雨「桐の花」第二百三十語首第七章「秋思五章」第四十首小題「街の晩秋」三題「街の木々」二首の一都大路いまだゆらげる橡(とち)の葉に日向雨こそふりいでにけれ午前八時すずかけの木のかげはしる電車の霜もなつかしきかな都大路、みやこおおじ、都の広い路。人々の往来の激しい都の大路。「思ひ出」より断章十九嗚呼さみし、哀れさみし、今日(けふ)もまた都大路(みやこおほぢ)をさすらひくらし、なにものか求めゆくとてさすらひくらし、日
2019年6月10日曇り白秋の小さき葉のゆめ「桐の花」第二百三十四首第七章「秋思五章」第三十九首小題「街の晩秋」二詞書付き秋の葉いつのまに黄なる火となりちりにけむ青さいかちの小さき葉のゆめさいかちとは、河岸や峡谷などに自生しています。樹皮は幼木では灰褐色で平滑ですが、成長すると縦の割れ目ができて剥離します。枝はジグザグに曲がり、赤褐色から淡褐色です。鋭い棘が生え、葉は1~2回偶数羽状複葉で、小葉は卵形から楕円形です。晩春から初夏にかけて、花序を下垂させ、甘
2019年6月9日晴れ白秋と百舌の高音「桐の花」第二百三十三首第七章「秋思五章」第三十八首小題「街の晩秋」一黄なる日に鏽びし姿見鏡(すがたみ)てりかへし人あらなくに百舌啼きしきる当歌、題としては「百舌の高音」に入るべきはずなのに、「街の晩秋」の第一首に入れた。白秋、時を大切にする。明治四十四年街の晩秋の歌なのだろう。武蔵野の赤ではない。東京景物詩より、「黄色い春」黄色、黄色、意氣で、高尚(かうと)で、しとやかな棕櫚の花いろ、卵いろ、たんぽぽのいろ、または
2019年6月8日曇り白秋の心はしくしく「桐の花」第二百三十二首第七章「秋思五章」第三十七首小題「百舌の高音」六の四題「刈干切唄」四首の四男子らは心しくしく墾畑(きりばた)の赤き胡椒を刈り干しつくす当歌、習作だが写生、白秋は観察者のようだ。武蔵野の農民が哀しく切り畑の赤い胡椒を刈り干し尽くす。連体止めでしつかりと終わっている。白秋、最終首を写生、観照にした。男子ら、ルビ無し、「心しくしく」から読めば「をのこ」たろう。武蔵野の農民達のこと。心しくしく、
2019年6月7日曇り白秋と父親「桐の花」第二百三十一首第七章「秋思五章」第三十六首小題「百舌の高音」六の三題「刈干切唄」四首の三父親とその子の三次ひと日赤く胡椒刈り干せど物言はずけり当歌、二句切れ、しかし、一日赤くを初句にすれば、ひと日赤く父親とその子の三次胡椒刈り干せど物言はずけり「三次ひと」と読む可能性はあるだろうか?無いと思う、この詩風のあと夕日はなやかに、こほろぎ啼く。あはれひと日、木の葉はちらし吹き荒さみたる風も落ちて。夕
2019年6月6日晴れ白秋の誠の涙「桐の花」第二百三十首第七章「秋思五章」第三十五首小題「百舌の高音」六の二題「刈干切唄」四首の二あかあかと胡椒刈り干せとめどなく涙ながるる胡椒刈り干せ当歌、「胡椒刈り干せ」が囃し言葉で、他の句は組み合わせのようだ、変えて見る、あかあかと涙ながるるとめどなく胡椒刈り干せ胡椒刈り干せ歌集「桐の花」に民謡の黄色い花粉を付けたかった、そう思える。あかあかと、第一首春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外との面の草に日の入る
2019年6月5日曇り白秋と刈干切唄「桐の花」第二百二十九首第七章「秋思五章」第三十四首小題「百舌の高音」六の一題「刈干切唄」四首の一武蔵野のだんだん畑の唐辛子いまあかあかと刈り干しにけれあかあかと胡椒刈り干せとめどなく涙ながるる胡椒刈り干せ父親とその子の三次ひと日赤く胡椒刈り干せど物言はずけり男子らは心しくしく墾畑(きりばた)の赤き胡椒を刈り干しつくす詞書きも無く、「刈り干し」の四首が並ぶ。白秋、民謡も作詞した。短歌としての習作なのだろう。歌作したものの
2019年6月4日晴れ白秋と鴉「桐の花」第二百二十八首第七章「秋思五章」第三十三首小題「百舌の高音」五の二題「虫鳴き鳴かざらむ」二首の二かかれとて虫の寡婦(やもめ)は啼かざらむ鴉細(こま)かに啄みにけりかかれとて、参考歌たらちめはかかれとてしもむばたまのわが黒髪をなでずやありけむ僧正遍昭後撰和歌集出家の際の歌、母上は私が仏門に入れよと、私の黒髪を撫でて下さったのではなかったに、こんな意味だろうか。前歌、柔かき光の中にあを
2019年6月2日晴れ白秋のくつわ虫「桐の花」第二百二十七首第七章「秋思五章」第三十二首小題「百舌の高音」五の一題「虫鳴き鳴かざらむ」二首の一柔かき光の中にあをあをと脚ふるはして啼く虫もありかかれとて虫の寡婦(やもめ)は啼かざらむ鴉細(こま)かに啄みにけり白秋先生の習作、歌作の勉強なのだろう。検索しても引っ掛からない。個別名詞が入れば引用もされようが、鴉では珍しくもない。白秋、推敲の材料なのだろうか?何か理由があるはずだが分からない。柔かき光、
2019年6月2日晴れ白秋の心は血のごとく「桐の花」第二百二十六首第七章「秋思五章」第三十一首小題「百舌の高音」四題「血と鶏頭」二首の二三月まへ穂麦のびたる畑なりきいま血のごとく鶏頭の咲く白秋の歌作法、前首は同時、当歌は「まへ」と「今」の時間の前後の写生となる。三月まへ、今はもう秋、穂麦(ほむぎ)のびたる、穂麦とは、穂の出た麦。麦の穂。《季夏》「いざともに―くらはん草枕/芭蕉」穂麦が成熟した。畑、原宿の畑だろう。いま、参考歌ながらへ
2019年6月1日曇り白秋の目「桐の花」第二百二十五首第七章「秋思五章」第三十首小題「百舌の高音」四題「血と鶏頭」二首の一鶏頭の血のしたたれる廐(うまや)にも秋のあはれの見ゆる汽車みち三月まへ穂麦のびたる畑なりきいま血のごとく鶏頭の咲く白秋の歌作方法の秋思五章、写生ながら「血のしたたれる」「血のごと」と不気味な歌だ。二首の共通語は「鶏頭」「血」となる。鶏頭の思ひ出は、鶏頭秋の日は赤く照らせり。誰が墓ぞ。風の光に、鶏頭の黄なるがあまた咲ける見てけふ
2019年5月30日晴れ白秋の繰り返し語「桐の花」第二百二十三首第七章「秋思五章」第二十八首小題「百舌の高音」二の二題「百舌末句」二首の二いつのまに刈り干しにけむ甘庶黍(さたうきび)刈り干しにけむあはれ百舌啼く三首目で百舌啼く、終止形で終る。当歌の読み、いつのまに、出来事は思ひ出となり。「思ひ出」より用例野は火のやうな櫨紅葉に百舌がただ啼きしきるばかり、何處からともなく漂浪(さすらふ)て來た傀儡師(くぐつまはし)の肩の上に、生白い華魁(おいらん)の首が、カ
2019年5月29日晴れ白秋は本の虫「桐の花」第二百二十二首第七章「秋思五章」第二十七首小題「百舌の高音」二の一題「百舌末句」二首の一いらいらと葱の畑をゆくときの心ぼそさや百舌啼きしきるいつのまに刈り干しにけむ甘庶黍(さたうきび)刈り干しにけむあはれ百舌啼く「百舌の高音」は十二首、前三首に百舌が入る。第一は初句、二と三が末句。二と三の初語は「い」で、初句が「いらいらと」と「いつのまに」。二の歌語は「心ぼそさ」、三は「あはれ」。綺語は「葱の畑」
2019年5月28日晴れ白秋見上げる「桐の花」第二百二十一首第七章「秋思五章」第二十六首小題「百舌の高音」一百舌啼けば紺の腹掛新らしきわかき大工も涙ながしぬ百舌の高音、もずのたかね1.鳥の声や音楽の、高い音。2.三味線(しゃみせん)を高低二音で合奏する時、その高いほうの音。前歌の「連れ弾き」を引いている。白秋の歌への秋思五章の第四章。百舌啼けば、「きままに江戸」より引用モズという名前の由来について、大言海は、モズの「モ」は鳴く声で、「ス」はカラスや
2019年5月27日晴れ白秋の狂気「桐の花」第二百二十首第七章「秋思五章」第二十五首小題「清元」五詞書付き歌舞伎座十月狂言所見常盤津の連弾(つれびき)の撥いちやうに白く光りて夜のふけにけり歌舞伎座十月、明治四十四年のこけら落としと思われる。歌舞伎座の記事より明治44年7月に施設の老朽化と帝国劇場の出現を受け改造されることとなります。第二期の歌舞伎座は、第一期の建物の土台、骨組を残し、純日本式の宮殿風に大改築が施され、明治44年10月に竣工しました。正面車寄せ
2019年5月26日白秋の歌心「桐の花」第二百十九首第七章「秋思五章」第二十四首小題「清元」四の四題「寄席四首」きりきりと切れし二の絃(いと)つぎ合せ締むるこころか秋のをはりにきりきりと、物事をてきぱきとするさま。「きりきり(と)立ち働く」「清元」と題しているが、寄席の歌四首、白秋の狙いは歌論のようなのだ。次の記事を読みながら考えたい。帯とけの「古今和歌集」――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原
2019年5月24日晴れ白秋の夜のかなしみ「桐の花」第二百十七首第七章「秋思五章」第二十二首小題「清元」四の二題「寄席四首」太棹(ふとざほ)のびんと鳴りたる手元より夜のかなしみや眼をあけにけむ太棹とは、1三味線の種類の一。棹の太さによって3種に分けたうちの最も太いもの。胴も大きく、また弦も太い。義太夫節などに用いられる。→中棹(ちゅうざお)→細棹(ほそざお)2義太夫節の異称。白秋、秋の日のはかないロマンツアに、太棹に、匈牙利古曲に、ピアノソロに思い
2019年5月23日晴れ白秋と円喬「桐の花」第二百十六首第七章「秋思五章」第二十一首小題「清元」四の一題「寄席四首」円喬のするりと羽織すべらするかろき手つきにこほろぎの鳴く太棹(ふとざほ)のびんと鳴りたる手元より夜のかなしみや眼をあけにけむ昇菊の絃のつよさよ黒き猫しづかに歩みさりにけり昇菊の絃(いと)切れしたまゆらきりきりと切れし二の絃(いと)つぎ合せ締むるこころか秋のをはりに「清元」四の四首と詞書き、「円喬」「太棹」「昇菊」「二の絃」を考えると、白秋の通っ
2019年5月22日晴れ白秋の決断「桐の花」第二百十五首第七章「秋思五章」第二十首小題「清元」三の二題「生きのこつた心中」蟋蟀(いとど)ならばひとり鳴きてもありぬべしひとり鳴きても夜は明けぬべし当歌、三句切れ、主語は蟋蟀で、いとど、とルビがふってある。いとど【蟋蟀・竈馬】名詞、昆虫の名。かまどうま。しかし、鳴く昆虫とすればコオロギと取るのが素直だろう。白秋の怪人二十面相、十二面観音、複雑な心の隠喩なのだろう。対語が、ひとり、生きのこつた我。鳴きても
2019年5月21日曇り白秋生きのこつた心中「桐の花」第二百十四首第七章「秋思五章」第十九首小題「清元」三の一題「生きのこつた心中」微(かす)かにも光る虫あり三味線の弾きすてられしこまのほとりに蟋蟀(いとど)ならばひとり鳴きてもありぬべしひとり鳴きても夜は明けぬべし二首で一つの詩、「光る虫」「三味線のこま」「蟋蟀」「夜明」と「清元」を考える。光る虫は、蛍、白秋だろう。「三味線のこま」、東京景物詩より「白い月」わかかなしきソフイーに白い月が出
2019年5月20日曇り白秋の澄み行く意識「桐の花」第二百十三首第七章「秋思五章」第十八首小題「清元」二の二題「鎮夫」ひいやりと剃刀(かみそり)ひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる庭さきひいやりと、初句に冷たさを詠む、掛かる言葉が「剃刀」だから不気味だ。白秋の友が自殺したと知る読む者は、それを理解する。白秋としても、歌そのものでは、鶏頭の花の一ひらが落ちていると読ませたい。花びらが剃刀になる幻覚、薬物をやった者しか理解出来ない世界。「不思議の国のアリス」の世界。「変身
2019年5月19日晴れ白秋もののつれづれ「桐の花」第二百十二首第七章「秋思五章」第十七首小題「清元」二の一題「鎮夫」手の指をそろへてつよくそりかへす薄らあかりのもののつれづれひいやりと剃刀(かみそり)ひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる庭さき二首で一つの詩、白秋の隠喩、ヒントは「清元」「ものの」「剃刀」「鶏頭の花」「庭さき」だろう。白秋、剃刀を恐れる、鎮夫の自殺故に。庭さき、清元の名曲を捜す、おその‐ろくさ【お園六三】寛延2年(1749)に起こった大坂
2019年5月18日晴れ白秋の五七調「桐の花」第二百十一首第七章「秋思五章」第十六首小題「清元」一題「撥」清元の新らしき撥君が撥あまりに冴えて痛き夜は来ぬ清元節または清元とは、三味線音楽のひとつで、浄瑠璃の一種。主として歌舞伎や歌舞伎舞踊の伴奏音楽として用いられる。ウィキペディア第三章「清元」だが、後の歌に落語の「円喬」と娘義太夫の「昇菊」か詠まれる。狭義の寄席、広義の江戸芸能という意味だろう。当歌の題は「撥」、三味線(しゃみせん)・琵琶(びわ)
2019年5月17日晴れ白秋の実験歌「桐の花」第二百十首第七章「秋思五章」第十五首小題「秋思」五の二題「訓読み」静かなる秋のけはひのつかれより桜の霜葉ちりそめにけむ白秋の秋の思いは、霜葉を「しもば」と訓読みしてもいいじゃないかだろう。コトバンクよりそう‐ようサウエフ【霜葉】〘名〙霜(しも)のために黄や紅などに変色した葉。もみじ。紅葉。※本朝麗藻(1010か)上・暮春侍宴左丞相東三条第同賦度水落花舞〈大江匡衡〉「霜葉冬題陪二地下一。風花春宴近二皇明一」
2019年5月16日晴れ白秋の訓読み考「桐の花」第二百九首第七章「秋思五章」第十四首小題「秋思」五の一題「訓読み」みすずかる信濃か日本アルプスか空のあなたに雪の光れる静かなる秋のけはひのつかれより桜の霜葉ちりそめにけむ白秋の秋に思う、五は「訓読み」の問題だろう。調べてみて一は「みすずかる」、二は「霜葉」らしい。「桐の花」では、監獄(ひとや)だが、獄(ひとや)の読みを白秋が監獄(かんごく)を嫌い読み替えた。詩では良くあることだ。この二首はその説明かもしれない
2019年5月15日晴れ白秋ランボーを捨てる「桐の花」第二百八首第七章「秋思五章」第十三首小題「秋思」四題「宝石商」旅に来て船がかりする思あり宝石商の霧の夜の月三句切れ、白秋の秋の思いは、俳句。旅に来て船がかりする思あり白秋、歌でこだわる思いがある。宝石商の霧の夜の月、霧の夜の月を芸術と読めば、宝石商はランボーとなる。白秋、「緑の種子」という詩を明治四十五年八月に書き、青空文庫に、初出:緑の種子「朱欒2巻9号」1912(大正元)年9
2019年5月14日晴れ白秋哀しかりけれ「桐の花」第二百七首第七章「秋思五章」第十二首小題「秋思」三の二首の二題「けてけりけれ」人形の秋の素肌となりぬべき白き菊こそ哀(かな)しかりけれ当歌の読みは、人形の秋の素肌にされる、白き菊こそ哀しんでやらねばならない。白秋は、古典をどう活かすかを詠んでいる。歌語、連語、係り結び。歌語は、当歌すべて。秀歌にしたければ推敲しただろう。満艦飾の歌も面白い。なりぬべき、参考歌もの言い侍りける女の後につれなく侍て、さらに