ブログ記事5件
ちょっと広島県に行ってまいります。前後日も含めてコメント閉じさせていただきます。以前は旅先でもコメ返信できていたのですが、最近旅の後とか休みたくて(笑人より劣化が早い気がしますわ〜銚子にあった松岸遊郭、現在名残はほぼ無いと知っていたので今までスルーしておりました。今回来てみたくなったのは伊勢の古本屋でみつけた、昭和30年発行の日本売春史という本に下総の松岸遊郭の話があったからです。明治初頭に公布された売春婦会法令。一行でまとめると「他人に(養女含め)体を売らせるな、借金は帳消
えー!えーー?またセローのシートを留めているネジが消失!100キロを一回しか走ってないのに!ワッシャーも円形じゃなくって・・バネみたいなやつなのに・・謎すぎます。面倒なのでスズキの真似して両面テープで留めるか。元つれこみ旅館翁美家旅館現在はビジネス旅館みたいな感じかな?手前に薄べったい植え込みがあり、ほんのり様相がおかしいだけのスタンダードな転業旅館です。外観じゃ見分けつかないですよねー。入り口からワクワクさせられます。玄関の敷石がピンクとかめちゃめちゃカラフル
私もちいかわに癒されておりますv(今更)今回は元つれこみ旅館に宿泊するため横須賀に来ました(もの好き!)横須賀って電車で来ることがないので、駅舎がレトロだったのを初めて知りました。結構いいじゃん!JR横須賀駅(昭和15年)駅舎に錨のエンブレム。カモメが被ってますが、もしや昔は桜があったりして(旧日本海軍のエンブレム)そこそこ大きい木造駅舎、天井の梁がかっこよい明治22年開通時の駅舎の雰囲気を残して戦前に改装したんですって自分でも呆れる撮影技術wwただ
北上して大田原市に向かいます。途中国道4号沿いにあるレトロ自販機に立ち寄ります。マーカーしてあったので来た、、多分ブロ友さんの記事でマークつけた物件だと思われる。。ドアが全開なのにものすごいタバコのすえた匂い。なんか、、子供の頃こういうドライブイン?に入った気がする。。「納豆ご飯自動販売機」にびっくり!旅の途中で下着を忘れてもここで買えます旅の途中でエッチブックを忘れても大丈夫。神奈川では絶滅してしまったエッチブック販売機!異国間楽しめたけど悪臭により早々に退出
いつも「いいね」やコメントをありがとうございます!みなさんの旅のお役に立てたら嬉しいです。明日から鳥取、隠岐島あたりをフラフラします、お返事、ブログ巡りなど遅くなります。。貧しいのでGWで高騰する前に行く。金持ってないから6、7千円台のビジホで夕飯はAEONの割引飯だよ、料理の写真ほぼ無いでしょ?ランチをよくUPしてるのは朝昼兼用だからだよー、流石に腹減るわ。思いがけず私娼窟と鑑札まで見つけたお話。ぬる湯旅館の新館側に面している国288こんななんて事ない道なのですが、
沼津の街並みは面白いよ。これなんか駅前大通りに面したそっけないビルでしょ。「ニュー駿河」ああ、駅前だしビジホかぁと思ったら・・二度見したわ笑。すごい自然な佇まいだった。棟横INNと同じ色とフォントじゃんw高砂横丁どこも途中でちょんぎられてる感じです。周囲は再開発の波が押し寄せてる。さくら横丁みんな一棟建てみたいに建ってます。最盛期はこういう小路や横丁の建物がぎっしりあったんだと思う。新築の戸建てが無いんですよ・・跡地にはマンションが建っているのでみんなそれなり
一昨日伊東温泉に一泊してきました。「伊豆に宿泊?(笑)伊豆は日帰りの距離だ」の人生だったのにここ一年ほど西伊豆に宿泊し、ついに東伊豆で泊まるとは。。。泊まって夜に徘徊すると街の表情ががらりと変わって「ますます伊豆が好きになる」状態に陥っています。いい塩梅に昭和で時が止まっている伊豆、素敵なのでみなさまもぜひ無意味に宿泊してみてくださいませ。だいぶ減ったと聞きましたが、それでも沢山のスナックが残っていました。最盛期はどんなだったんだろう。神奈川にここまでの規模はないよ。みその
この記事に限らずですが、ツーリング記事なのよね。バイク大好きっ子は「一体なにを見せられているのか・・」って虚無になりません様に。有名なパラダイス通りを含む片原町周辺、私もとても楽しみにして来たのですが・・再開発の波の凄まじさに驚きました。うすら暗い私娼窟部分の真横が空き地で明るいんですもの。。。ギリギリ色々残っていた感じのお品をかき集めてみました。これは店名が面白くて。このお店も閉業しています、ググっても出ません。目安になるものがないのでセローで路地をずいぶんウロウ
あけましておめでとうございます。今年もこのテキトーな知識と欲望のブログをどうぞよろしくお願いいたします。有名な看板建築の「つるや」(お菓子屋)23年3月廃業しておりました・・・。なんか買いたかったなー。長いシャッター街の正面には最新のフェリーターミナルが突然現れる。調べたらかなりの航路は入っておりますが、周囲の商店街は完死です。なんかもうちょっとないかな?と、グーグルマップを開けます。ふむふむ(市役所もだが税務署の方が元私娼窟だったりを複数みた)(ハロワ周辺もある)
ニュースで「破滅するまでホストにはまる女性達」が話題になりましたよね。なぜホストとかいうひどくコスパが悪く先の見通しも無いものにハマってしまうのかという理由の一つに「サンクコスト」効果があるそうな。つまり「ここまで掛けた労力や金額が惜しいからそれが最悪なもんだとわかっていてもやめられない」らしい。あれ?これさ・・この感情!私、知ってる。。私、すんごく理解できるよ!!そう、これは私と林檎社との関係そのものです、10年かけても使いづらい仲良くなれん。重い、互換性がない、アップデート
岡山も海からちょびっと離れると「激寒」でした。瀬戸内海周辺は暖かいと思っていましたが、すぐ後ろに大山があるんですね、そりゃ寒いわ雪も降るわ。。。鉱山を二箇所予定に入れたため冬なのに山に来る羽目に、、海沿いだけにすれば氷雨に降られなかったはず。ホカロンが午前中だけで固くなる現象が起きました。私が旅慣れる日はいつ来るんだろうか。街並みって言ってもジャンル「薄暗い」で・・笑マンションやビルに取り囲まれていましたが、探せばボチボチ生き残った「うすら暗さ」がありました。させぼ四
しばらくバイク記事ではないので、興味がない方はスルーしてください。現在関西を爆走中8泊9日・・みなさまのブログへのコメントが相当遅れます、訪問は帰宅後の楽しみにしまーす。海岸沿いの料亭から一本はいり市役所のお向かいさんに新開(しんがい)新地があります。昭和三十年頃の全国女性街ガイドによると50軒180名ほど、市中には400名ほどおり、芸者はわずか20名。目の前に今も造船所がひしめいているので戦後も色町として賑わっていたようです。市役所や税務署の隣に私娼窟、は時々あります。
赤線って若い方々はおわかりになるでしょうか。カフェ建築、看板建築はおわかりになるでしょうか。私は横浜の山側で生まれ育ったのでいわゆる性風俗地帯を知りませんでした。きっかけは知人が墨田区にマンションを購入した御披露目会に行った時です。料亭が多い地帯だったので物珍しく散策しました。住宅も多く、その中の一軒家に目を奪われました。庭はうっそうと緑が繁り、家は明らかに昭和初期のものです。そして雨戸の戸袋に赤い鯉が描かれていたのです。かつては一般住宅でないように感じました。写真を撮らな
岐阜と言えば言わずと知れた金津園がある。全国的に有名なソープ街。数奇な運命を辿りここに落ち着いた経緯があるがまた今度。岐阜駅前に認可は降りてはいなかったが黙認されていた私娼街があった。それが國際園。建物も老朽化し住んでいる人も高齢化しいづれなくなるんだろう。戦後近くの金神社とゆう場所に闇市や私娼窟ができた。治安の問題で現在の花園町に昭和31年に移転。ぎゅっと凝縮された区画に長屋づくりの廃墟化しそうな商店街が並んでいる。なかにいかにもな建築の装飾を施された物
さて、どうやって知っている事を短くまとめようか・・・悩むわ。。。めっちゃ簡略してますから、気になる方は個人で調べてください。風俗店の名称は政府の思惑で、「やるこた同じ」なのですがチョコチョコ変更されます。遊郭は安土桃山時代からの公娼制度です。マリアルーズ号事件で人権活動が起こりはじめetcetc・・・年季奉公の娼妓が開放されます(明治5年)でも「売春」は禁止していません。遊郭は無くなり私娼窟というジャンルが開始されます。娼妓は解放されても、なんの保証も保護も無い状態なの
濹東(ぼくとう)綺譚(岩波文庫)/永井荷風著者の作品はこれまであまり手にしたことがなかったので、まず手始めにと読んでみたのがこの作品です。著者の最高傑作とも言われる名作ですが、私娼街に出入りする冴えない中年男とそこで生活する素直で美しい女性との交流を描いた、もの悲しさが残る作品です。風当たりの強い業界から身を隠すように暮らす中年の作家は、雨の日に傘をさして私娼窟を歩いていると、突然美しい女性に家まで送ってくれと声を掛けられる。自宅に案内されると、彼女が春をひさいで生活する女
太田租界、王将飲食街。戦後銘酒屋となり、建てられたと思わしき建屋。正に宵越しの金は持たぬと漁師が一晩で当時10万円を落として行く事も珍しくなかったという。船の出ない台風の日等、約300mの坂道には肩の当たらない事が無い位の人で往来する程繁盛していたそうだが、最近まで経営していた5件も、建屋の老朽化に伴い廃業し、既に廃墟と化している。2018/09
泉五軒町は、神奈川県足柄下郡湯河原町に、千歳川を挟んで隣接しているが実は、静岡県熱海市になる。川が境界線なのだ。この辺りは5軒ほどの私娼の居る料理屋が五軒、初めは壁に赤いペンキを塗って目立たせた所、それに習って続いた4件が、色を塗り始めて銀ペン街等とも言われた。しかし、近隣住民としては好ましくない。呼び方は、料理屋が泉に5軒、泉五軒町が良いという事になった。太宰治も短編に由来を簡単に書いている。その一角、ここは昔ビリヤード場だったとか。