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心配性な私はつい先の心配をして勝手に苦痛を感じてしまいます。正確な情報を得てシェアしたり正直な気持ちを投稿しようとしてたけど伝え方がへただなぁ☆彡ポジティブな投稿や楽しい投稿が良いですよね🎵人生勉強させてもらってます。Thankyoumyfamilys💕✳マイケル・ジャクソン曰くみんな僕の家族です💕✳私が出会う人の人数は天地の差がありますが同じ気持ちで生きていきたいと人間性を鍛練していきたいと思います。ご指導、よろしくお願いします☆彡私と出逢ってくだ
結局『キュリさん』の「生のお姿」を見たのはその日が最後だった。直ぐに年が明け、春になっても全くすれ違うことも無かった。実は以前チラと「年が明けたら直ぐここの賃貸契約の更新がある。絶対値上げされるだろうからもったいない!その前に(息子の側に)引越するつもり!」…と言っていた事があったので(周囲は「そう簡単に決まらないだろう」と疑いの目で観ていたんだけど)本当にそうなったのかね、などと言っていた。
正直、その瞬間私はその場で立ち止まり、声を出さないように必死で笑いをこらえていた。その「異様な姿」の『キュリさん』の心理状態が一瞬で判ったから……ということと同時に、「全く同じ経験!」…ということを既にしていたからだった。その日を遡ること数年前、「その日」も暖かいと言える冬の一日だった。やはり何の理由だったかは覚えていない。平日の朝、普段の「行動時間」と少し違う時間
「Hey!What'sup!?」…電話をブチ切りして1分も経たないうちに『キュリさん』からテキストが入った。「ちょっと!ナニしたっての!?」…と言ったところか?本当に本当に本当に、「コノ人は、何で私がこういう態度を取ったか、ということすら気付いていないんだ!」…と、改めて呆れてしまった。で、それこそ「アンタ馬鹿か?」…くらいの
先に説明をさせてもらうと、『●●さん』というのは『キュリさん』と私の共通の知り合いのこと。まさに△△の近くで自営業をしている人なのだが、実は私と『●●さん』は数年前に二人の間でちょっとしたトラブルがあり、それ以来お互いが距離を取るようにしている人だった。一番の理由は当時……と言うよりも、それ以前の「トラブル」に対する『●●さん』の態度・対応で、私は(最低限の礼儀は別にして)もう自分の方からは何があっても絶対に近寄らない&関わら
「じゃあ、アナタが私にオカネ貸してよ。オカネはあるんでしょう?」私は落ち着いた口調で、でもハッキリした口調で『キュリさん』に返した。『キュリさん』、再び、無言。(参照;裏世界の「全て」を知る『タダの主婦』???27)まあまあ、例え私が資金的にゆとりがあって本当に自分で店を持つとなっても、アナタは『絶対に』…雇わないか
『キュリさん』の『新事業開始計画』話は「店」の規模や場所だけに留まらず、私の「住む場所」にまで及んで来ていた。「『こんな所』に居たってマトモな仕事はない、〇〇なら仕事は一杯ある、△△(注;我が街と〇〇の中間地点くらいの街)で住む場所見つけて引っ越しなよ!アナタ一人だったらスタジオ(=ワンルームのこと)で十分でしょ!」……………………( ̄▽ ̄;)だったら
これも自分の母を思い出させてくれることだったのだけど、付き合えば付き合うほど『キュリさん』の話は支離滅裂で脈絡がなく、マトモに聞いていると「結局、アナタは何をどう、どっちをどう、したいっての!?」…と言いたくなるような話ばかりになっていた。特に『ロンドン移住計画』と平行して話を押し付け続けた『新事業開始計画』はその最たるものだった。内容は「アナタが(アナタの言う通りに)ロンドンに移
共通のママ友は私からこの『ロンドン移住計画』を聞いて大笑いしていた。彼女こそ、20年以上前の来日以来数年前までずっとロンドンに住んでいた『先輩』だ。今はこの街で一人暮らし、日本で言う『間借り』という状況で住んでいるので『キュリさん』からは「3人目」として狙われている人だった。「この部屋(=自分の部屋)だって(公共料金込みで)月に£××払っているのよ!?ロンドンでアパート暮らしなんかしたら、幾ら掛かると思っているのよ~!」
自分と息子の希望通りの条件に就職した後も、『キュリさん』からの「電話して!テキスト」が途絶えていたのは一週間ほどだった。彼女にしてみれば大抵の話に特に噛み付きもロコツに不快な顔もせず、もちろん話をいきなり切ることもせず「ふむふむ」「はいはい」という感じで熱心に?聞いてくれる(実質は『聞き流している』だけなのだけど)相手はやはり貴重だったのだろう。その話の勢いは前記したように「旅行の同伴者」に選ぶだけに留まらず、例によって勝手に私を巻き込んだ一方
「相手(の特典)を利用して自分が一時間喋り放題」…という、『キュリさん』にとっては願っても無い『ストレス解消手段』を手に入れた後も、最初の頃からの「私だけが知っている、一部エグゼクティブによる世界気象コントロール&庶民抹殺計画」…の話も日々進化……どころか、「しつこく」なって行っていた。もちろんコノ話、最初は他の共通の日本人ママ友にも話していたようだが、ほぼ全員にロコ
「触らぬ神に祟りなし」……とは多少違うかもしれないけれども、「そういうヒト」には最低限の良心で対応しないと時に強烈に『逆噴射』されるのは経験値で判っている。私は「経験値」から思いつく限りの美辞麗句を使って短い手紙を書くと、封筒に入れ『キュリさん』のチェックが入らないように封印し、更に「〇〇ハウス・マネージャー様へ」と表書きした。もちろん別に『キュリさん』に読まれても何の問題もない内容だったのだけど、「こういうこと」に彼女から目の前でアレコレ言わ
『キュリさん』のその言葉を聞いた時、私の脳裏に真っ先に横切ったのは「ああ、やっぱりこの人はコノ国の『常識』を何も知らないんだ!」…というか、それまでの私の話(特に就活事情の話)すら全く聞いていなかったんだな、とつくづく納得した。いや、結局彼女はコノ国で普通の「就職活動」のようなモノをしていなかったんだよね。『自営業』で一番面倒臭い資金繰りや経理には全く関わらないまま『自分チの手伝い』をして過ごし、「ダンナ」が蒸
コノ国の一般的な南部の人間に「老人人口が一番多い町は?」…と聞いたら、正確な統計以前に「イーストボーン(Eastbourne)」と答える人が多いと思う。しかし、その街に限らずイギリス南部にはリゾート地と言われる所も多いが、ケアハウスも多い!…というのが『町内会』の日本人ママ友の実感。特に有名でもない私の住む町でさえ「石を投げればケアハウ
…ああ、この『豹変』具合、まさに『同じ』だ……!『キュリさん』が吐き捨てるように言ったその言葉を聞いて、私はつくづく彼女の中に「同じ空気」…を感じていた。もちろんそれは私の母や姉……そして「モト」。まあ確かに場を弁えず感情が直ぐ顔に出る人というのも大人げないが、それ以上に相手と状況によって声や態度が極端に、且つコロコロ変わるという人間は……今、私のアタマには『疫病神H』が蘇ってしまったけれど(参照
その時(=私が行った時)の話で言えば、だからエエ年こいて「履歴書の書き方一つ」知らない人が居ると同時に、そういう人達に対して「自分で書けるようにする」=真の社会的自立をさせる、という意識もないワケだ……と妙に納得したことを覚えている。だからコノ国には『年相応の常識』…というのモノを微塵も持たない人がゴマンと居るんだな~、と呆れたのだけれど、結局人間も含め動物ってのは「自分にとって安易な方向」に早く馴染むモノで、そこら辺は『キュリさん』も見事に「コノ
いきなり何だ?と思った。何より、『★★』なんて名前は私も一度も聞いたことが無かったし、だから当然何処にあるのかも全く判らなかったから。取り敢えず『キュリさん』の所に行って詳しく話を聞くと、『★★』というのは以前私が『準義務面』という意味で行っていた、政府の失業者対策の一つとして援助している半官営的な『民間委託無料職業あっせん会社』(参照;『就活労働者』の日々より)の会社名だった。(私が行ったところではなかったけど)世間…
そういう理由だったら息子さん、「自分の母親」の就職活動の細々も全て、丸ごと、面倒見てやってくれ!……と心の中では思ったが、もちろんそんなこと口に出せるワケない。いや、仮に出したとしても『キュリさん』の返事は「息子は忙しいんだからあ~!」…くらいで終わりだったろうけど……!幸いというか『キュリさん』は「ケアラーなら簡単になれるだろうから~」…と、同じ職種に就くことには最
ここで賢い読者?の方なら気が付いたかもしれない。「あれ?彼女だって一人になってから就職した時に一応でも色々やっているんじゃないの?」その通り。『キュリさん』こそ、短い間に二度も就職しているじゃないか!しかし私自身もケアハウスで働いて判っていたことがある。それは『ケアハウスゆえ』と言えるとも思うけれども先ず、オーナーや従業員などの「知り合いの紹介」という立場で行くと、それはもう
ある日突然、という感じで『キュリさん』が就職活動を始めた。「電話して!テキスト」の後の電話で彼女が叫んで来たのだ。「もう働かなくちゃ!でもどうしたら良いか判らないのよ!先ずナニしたらいいっ!?」…おやまあ、何が起こったのだろうか?と思いましたね。実は彼女が日本から帰国した直後に「3か月も休んだら職を探す」と言っていたので「今からマメに就活サイ
余談だが、在英期間も長く、さほど頻繁に日本に帰らず、更に自営業且つ接客業で多くの「現地人」と接して来た『キュリさん』の日常会話は、彼女の興が乗れば乗るほど言葉の『ちゃんぽん』、いわゆる「英語をそれなりに知っている日本人じゃないと判らない日本語」…を喋っていた。対する私と言えば「モト」とですら必要最低限以下のような会話しかして来ず、子供にも9割以上日本語を話し、こちらで働いていたと言っても基本的に殆ど引きこもり状態(余り喋る必要が無い)で
…こういう所で「コノ国と日本って似ている」「やっぱり『島国』だからかなあ」…と考えてしまうのだけど、私の場合(コノ国では)どちらかと言うと『逆』ですね。もちろんコノ国で誰かに話し掛ける時は英語だし、話し掛けられる場合も英語だけれども、元々「保守党から出馬すれば馬でも入る」…と揶揄されるくらいバリバリの保守派の地域だからか、こちらの顔や名前(苗字ではなく名前)を見た途端に「ど~せアンタは英語判らないんだ
「夜7時過ぎだったら、私の方から電話していいよ」…それは当時ウチが契約していた固定電話の基礎プラン、平日は夜7時から朝7時までの間と土日と祝日の全日の国内電話が『一時間以内なら何件掛けても無料』というのが付いていたからだった。もちろん『キュリさん』は喜び、その日から時折、大体夜8時過ぎになると私のスマホに「今から電話して!」…という彼女からの英語のテキストが入り、私が固定電話から彼女の固定電話へ電話する、というこ
これの前(31)にチラと書いたことで、流れとして話が前後するので申し訳ないのだけれど『キュリさん』は私に会った時に勤めていたケアハウスを辞めて日本に一時帰国していた。絶対的人出不足の職種、「ちゃんと帰って来ること」を約束さえすれば当の本人に余程問題がない限りクビになることが無いどころか、一旦辞めた人でもまた声が掛かるような状況なのだから辞める必要など無いじゃないか?と思うのだけど、彼女に言わせると「『朝〇ブタ』の顔なんて二度と見たくない、『あ
『イタリア旅行』の話が出た後しばらくは『キュリさん』自身の一時帰国や転職があり「そういう話」は全く出ていなかった。私としてはヤレヤレという気持ちだったのだけど、それは『決別』の二か月程前の事だったろうか?「また」別の方向から『キュリさん』が旅行話を持ち出して来た。「ねえ、イタリアじゃなくて、スコットランドに行かない!?」…正直、これを聞いた時は『女子会旅行』の話の中で最大の「はあ?」という気分だった。
別に直ぐ具体的に日程を決めたワケでも無かったけれども、その日以来私の「アタマの隅」には『スペイン旅行』がしっかり組み込まれていた。ところが『キュリさん』の言動に私の心が寄り添えなくなって来た頃、彼女がまた唐突にこう言って来た。「ねえ、スペインじゃなくて、イタリアに行かない?コノ前〇〇〇(忘れました)を観ていたら、イタリアの☆☆☆(同前)が出ていて、凄く良かったのよね~!ね、イイじゃない、イタリアだって食事は美味しいしさ~!」
最近は『認知症』という言葉が一般化して、ちょっと前までなら『ボケた』の一言で済まされたようなことも立派な病気の一種として捉えられているけれども、そうした「言葉」が社会に承認されたが故に、逆にいたずらに不安に陥ったり、歪んだ目で周りを見てしまうようなことはないだろうか?(もうすぐ85歳になる我が母に至ってさえ、周囲の人達のことを「認知症のババア!」と罵倒しているし……( ̄▽ ̄;)アレはもちろん『認知症』などと言うものでは絶対にない。……と
もちろん世界中のどんな人でも「本音」と「建前」ってものはある……とは考えているけれども、同時にどんな人にも「自分が考える自己イメージ」と「他人から見た自分のイメージ」…の間には差がある、と考えているし、私も含め自分自身の事は意外と気が付いていないものが多い、と思っている。ただ、良くも悪くもその「差」が少ない人ほどある意味信用されるというか、「アノ人は、こういうヒトだから~」
『キュリさん』=『実母』、という感覚に当てはめると、「私の考えが世界基準!私が今言ったことが世界常識!」…という有形無形の態度も妙に納得が行くようになったというか、ある意味「突っ込みのツボ」みたいなものも判って来て(不愉快さは変わらなくても)そうした時の相手の反応を確認する「ゆとり」も出て来るようになっていた。そんなある日のこと。その頃既に独立していた「マオ」が同棲を始めていたのだが、パートナーとな
私に対して『キュリさん』がどんどん「ホンネ」で接してくるようになればなるほど、私は常に「ある人」を思い出すようになっていた。そう、それは私が生まれた時からの付き合いの人物……『実母』。彼女と接している時にずっと流れる「モヤモヤした不快感」はまさに母との「ソレ」だった。「慣れ」と「同情」と「諦め」が混じった感覚……とでも言うか。特に私が「ああ、同じだ…!」と感じたのは、当人達は絶対にそうは思っていないだ