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これ程スピード感を持って桜の開花が起こる事は滅多にない。天正15年10月1日、秀吉の九州征伐の勝利と聚楽第の完成を祝って、北野天満宮で空前絶後の「北野大茶会」という茶会が催された。その途中の浄土院に名水が湧き出る井戸がある事を思い出し、大事な茶会が控えているのに立ち寄る。浄土院は代々、尼僧が住職を務めた浄土宗のお寺。秀吉は寺に入るやいなや住職にお茶を所望。あっと言う間に飲み干すと続けて二杯目も。その時、住職は高名な茶人でもある秀吉に対して、未熟なお手前のお茶を出し続けるのは、
明け渡した領地を拝領とは呆れた話すでに広瀬兵庫助史料と異なる部分について長浜城歴史博物館へは、その全てをご連絡いたしましたが、同館の展示解説とHP解説には事績の根幹に誤りがあります。広瀬兵庫助に関して広瀬家史料に基づく内容と長浜城歴史博物館発表との相違は、次の通りです。1.1583年11月12日広瀬兵庫助宛の知行書「広瀬文書」について(1)広瀬兵庫助は秀吉から1583年11月12日、1500石の領地と報酬が付与されて美濃国広瀬村・坂本村、近江国新庄村・高山・甲津原・杉野の領地を支
三代続けて絶望のどん底40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権一億円以上の評価あり)に換えられない成果です。高齢化により療養中です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。☆兵庫助本人しか知らない生の記録です。この広瀬兵庫助の事績の解明には約40年の年月を費やしました。広瀬兵庫助から直伝の「広瀬家史料」は、後継の広瀬家一族への「置き手紙」です。広瀬兵庫助の苦難と活躍のリアルな一生が記されてい
第17代城主・広瀬康則の次男として誕生40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権料一億円以上の評価)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。☆兵庫助本人しか知らない生の記録です。この広瀬兵庫助の事績の解明には約40年の年月を費やしました。広瀬兵庫助から直伝の「広瀬家史料」は、後継の広瀬家一族への「置き手紙」です。広瀬兵庫助の苦難と活躍のリアルな一生が記されています。☆「広
こんにちは。お母さんです。ルンバが終わった後、いつもブログを書くんですが、この日もいつも通り書いてたら、階段の方でオデコがにゃ〜にゃ〜と、あ、これは撮りたかったやつ撮れるかも!!と思い、カメラONにしました待ってましたとばかりに走ってきましたそうそう、これこれ。いつもこんな感じですどっかでにゃ〜にゃ〜鳴いてる時に呼ぶと、100%に近い確率で、こんな感じで走って来るんです。こういう状況が時々あって、可愛いから撮りたいなぁって思って
真敬寺住職古文書発見40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権料一億円以上の評価)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。私は、真宗大谷派(東本願寺)に所属する寺院の真敬寺(岐阜県)の分家の一員です。1970年代に真敬寺住職の伯父が寺の経典の中から簡単な(メモ的)家系に関する古文書が発見されて、私の父に相談したことから広瀬兵庫助一族のルーツ調査がスタートしました。「広瀬
豊臣家の裏切り者「伊東長次」2024年2月。以下の文から始まる片桐且元の実像を一部・二部として掲載した。2016年に放映されたNHKの大河ドラマ真田丸では佳境に入ってきて、片桐且元も登場して来た。片桐且元・史実にのっとって豊臣家に尽くし最後は敵になった悲運の武将として描かれている。しかしこれは史実でもないし、明治時代の芝居その儘で、実像とは全く違う。豊臣家臣団の中で裏切ったり、日和見した武将は数多く居る中で、この男ほど悪質で酷い仕打ちをした者は他に居ない。後段で詳細を記
山中城のある伊豆地方北部は武田・今川領と国境が接していましたので山中城は小田原城にとって西方防衛の要の地でした。秀吉軍の進路は東海道と東山道の二つでした。箱根峠を越えられれば小田原城は直ぐ目の前です!それで北条氏は足柄城・韮崎城・山中城の三つの城を防衛ラインにして撃退しようと考えていたようです。山中城は箱根越えを阻止する重要な城だったのです
戦国時代、秀吉が殆ど天下統一を成し遂げた頃、名古屋山三郎(なごやさんざぶろう)と言う京都に住んでいる町人がおりました。姿を現すと、その見目麗しい顔立ちに人だかりが絶えなかったそうです。ある時、信長や秀吉に重用された大名、蒲生氏郷(がもううじさと)がそれを見かけたら、まるで美少女がいたと勘違いして、部下に命じて京都中を探させて、嫁に迎えようとしていた。蒲生氏郷本人は「私は男でございます!」と答えたので、名古屋は小姓に取り立てられた。しかし、この男はただのイケメンだけでは無く、槍
こんにちは。お母さんです。微妙なサイズのダンボールがあったら、とりあえず何かしたくなります(笑)今回は、短足組は間違いなく、香箱でくつろげない微妙な高さのダンボール。どこをカットしたら、短足でも顎乗せ出来るようになるかを考えました。お母さんも考えたんですが、普通過ぎて面白くなさそうだったので、娘が思うようにやってもらうことにしました。ダンボールをガリガリ切る音で集まってくれるのが嬉しいです。そもそも収まるかどうか分からない微妙な大きさなので
予定を変更し近江国甲津原に留まり警護広瀬氏族研究所代表です。40数年の研究で広瀬氏族のルーツと歴史の概要を結集した貴重な情報です。金銭(著作権料一億円以上の評価)に換えられない成果です。記事は著作権法により保護されています。転載は出来ません。著作権侵害を確認しましたら、措置します。大切なことは、ご先祖様が何時もお守り頂いているから今日の私が生かされているということです。何よりもご先祖様への感謝の念が大切です。心豊かに行動します。☆1582年6月「本能寺の変」直後と広瀬兵庫助の活躍☆天正
北条氏は豊臣軍の兵糧不足から長期戦を想定していたようですなんせ総勢22万人の大軍ですからそのように考えてもおかしくはないと思いますしかし小田原征伐の前哨戦となる山中城攻めを秀吉は重要視して戦い慣れた池田輝政や徳川家康・豊臣秀次・山内一豊・中村一氏一柳直末・堀尾吉晴と言う精鋭たちを投入して天下統一を決定づけた戦いとなったのでした
☆天下統一も目前の天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、明智光秀が謀反を起こし、京都本能寺に滞在する主君・織田信長を襲撃した。信長公のご遺体は遂に見つからなかったが、その後の歴史に織田上総守信長の名は決して登場しない。やはり亡くなられたのは紛れもない事実だろう。日本中に敵の多かった信長公は敵武将のみならず、彼に怨みを持つ者は家臣の中にも存在したようだ。実際に彼は戦国の世の中でも人一倍多く、家臣を殺害したり放逐したりを繰り返している(^_^;)歴史上は本能寺にて信長公を討った
田尻の池から二の丸に向かいます北条氏康は1515年、北条氏綱の嫡男として生まれ「相模の獅子」と呼ばれた猛将でした当時、武田氏・今川氏から小田原を守る為には小田原の西側の守りを固める事が必要でした戦国時代の山城は各地に分立する国衆や戦国大名と戦う事しか想定しておらず相手にする軍勢は数千から1〜2万でしたが秀吉による小田原征伐では総勢22万❗️その内の約7万が山中城を攻めたのです‼️1590年3月29日早朝、山中城を豊臣軍約7万人の軍勢が取り囲み右翼に池田輝政以下2万人、左翼
戦国時代に宣教師が日本の力を利用してアジアの征服を考えていたらしい。日本は、急速にこの時代軍事国家になっていった。カギを握るのは信長宣教師の背後にはスペイン全世界をキリスト教国家にしようとしていた。宣教師が全国に散らばり、日本人キリシタンから政治情報を得ていた。その中でフランシスコカブラルが信長に接触する。長篠合戦では、鉄砲対鉄砲の戦いだった。信長の方は、鉄砲玉は鉛だった。外国産であり、タイ鉱山でとれたもの。鉛はカブラルの命令で売られていた。布教を許可をも
こんにちは。お母さんです。またも昨日言うてて早速秀吉を洗いましたひまわり達はフケでお風呂行きになりましたが、秀吉は違います。秀吉は匂いが・・・ひまわりの愛情臭がちょっと酷くて洗わせてもらいました(笑)愛情臭ならいいじゃないって思うかもなんですが、まぁ分かりやすく言うと、唾臭いwwひまちゃん舐めすぎ息子も、これは良くないニオイ・・・と意見が一致したので決行した次第です。前回、秀吉いつ洗ったかな?と振り返ってみたら、8ヶ月前でした。
こんにちは。お母さんです。昨日言うてて早速、秀吉のブラッシングをしました。と言うのも、ふと後ろ姿を見てたら、ザンバラ過ぎて、もう一刻も早く、整えてあげたくなったんですブラッシングしてたら、「私も〜」って絶対来るのはオデコです。もうこれは100%です(笑)どんだけ好きやねん!って思うんですが、やってもらってる子の横に並べば、ワンチャン間違えてやってくれるのでは?って思ってそうな動きに、毎度可愛過ぎて笑ってしまいますただ今回は、持ってたブ
姪っ子ちゃんのサッカー試合の送迎のついでに母と大阪府の堺市巡り!まずは、、母が以前行ったことがあるという渋い甘味屋さんへ!もう、お店の佇まいからして渋い!入口の置物。世界と繋がっていた堺らしい異国情緒も漂うね〜レジで注文するとこちらの札を渡されるので、席で待ちます。待っている間にお店のチラシを読んでみると歴史の古さに驚愕っ鎌倉時代末期、元徳元年〈西暦1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。鎌倉時代末期っ!!江戸時代とかそんなんじ
豊国廟で、秀吉の墓参りしたのだから北政所のところにも行かなくては!途中道を間違えて、法観寺の五重塔前になんだかんだで、40分かけて移動しました。高台寺梵鐘高台寺天満宮高台寺天満宮高台寺天満宮は北政所ねねが慶長十一年(一六〇六)に高台寺を創建した際、日頃崇拝していた綱敷天満宮の祭神菅原道真公を勧請して高台寺の鎮守社としたものです。学問の神様菅原道真公をはじめ、北政所が秀吉と共に天下統一、出世、長生きされた事に因んで開運・出世・健康長寿・災難厄除などにご利益があると
戦国の人道主義者秀吉の戦い方と人命尊重の考え方戦国時代は、今では考えられないくらいに身分制度が厳しい時代。その中で、秀吉が農民から天下人になった功績には戦に勝利したことも大いに関係がありますが、実は、秀吉は極力、人を手に掛けなかったと言われています。秀吉自身も「人を斬るのは嫌い」と語っていたことも有名で、亡くなる人が多い戦は避けていたそうです。自分の軍の犠牲者を少なくすることが出来る水攻めや兵糧攻めなどの戦い方をし、早期に降伏してきた敵方の生存者を味方に付けるこ
やっぱり大河ドラマですね。再来年の大河ドラマ決まりましたね。秀吉の弟が主人公のドラマ。今から楽しみです。あと、録画で録り溜めている大奥。あれも、観なければ。あとは、韓国歴史ドラマも好きです。
まずはこちらお馴染み合同誕生祭イベント。どちらも通常参戦でのお祝いです。それからもはや恒例の被りイベント復刻イベだからか?いつになったら、被りイベントやめていただけるのでしょうか・・・駆け引き恋愛心理戦どれも苦手(できない)な私は、始まる前から負けが見えてしまう笑メンバーも割と珍しい気がします。家康と三成くん、デジャヴですか?つい最近もふたりのイベントあったような・・・?ということで、こちらも通常参戦とします。ある意味今回の本題(笑)先日まで開催されており、無謀に
再来年の大河ドラマ、「豊臣兄弟!」の主演が、仲野太賀というのは、間違いなく大抜擢です。ただ、こういうことを、NHKは、ちょくちょくやります。例えば、「秀吉」のときの竹中直人は、その典型で、「独眼竜政宗」の渡辺謙のときも、当時は驚いたものです。今と違い、渡辺謙は、そこまでのポジションではありませんでした。で、そういう時は、NHKは、回りを大スターや、大河ドラマ経験者でかためます。元々大河ドラマは、豪華な方々が揃うのですが、いつも以上に、華やかになります。例えば、「秀吉」のときは、仲代達矢、渡
関東で初めて総石垣の城が築かれたのは1590年の小田原征伐で秀吉が築かせた石垣山城でしたが、それよりも前に築かれた石垣造りの城が金山城でしたただ人によっては石垣ではなく石積みと言う人もいます。「アゴ止め石」は石垣最下部の石を石垣の面より15〜20㎝前に出して据え置く技法で石垣が沈み込んで前へ傾くのを防ぐ為のものと考えられています1590年秀吉の小田原征伐に際して前田利家らが金山城を接収し北条氏照・氏政が自害後、秀吉は由良氏に常陸国牛久に知行5435石を与えますこれは前
【えこひいきされる人に】斎藤一人さんの心に響く言葉より…よく、俺が本を読ませると、「この本の感想は、どうのこうの」と書いてくる人がいるの。本の感想を書くんじゃないの。本の感想を書くのは学生の仕事なの。「このような良い本を読ませていただいて、ありがとうございます」というような、上の人が喜ぶようなことを書くんだよ。それが大人なの。上の人の機嫌を取れない奴が、お客様の機嫌を取れるはずがないんだ。商いとは、お客様にえこひいきしてもらうことなんだよ。たとえば、俺がえこひいきしてい
再来年の大河ドラマ、「豊臣兄弟」ですが、兄の秀吉を、誰が演じるかが、話題になっております。私も、本命、森山未來、対抗、佐藤健と予想いたしました。悪くない読みだと思っております。ただ、ふと思い付いたことがあります。例えば、草彅剛です。年齢は離れておりますが、「拾われた男」で、ふたりは実際に兄弟を演じました。秀吉のイメージもあります。あるのですが、かなり昔、フジテレビで秀吉を演じたこともあり、適任ではありますが、新鮮味という意味では劣ります。「青天を衝け」の徳川慶喜を演じてからも、まだ数年
縄文文明は世界最古。日本人ならこの混迷から人類を救えるかも知れんで。秀吉はわかってたんかも。三橋貴明さんの動画で期限付きですが、これを視ました(教科書から消された縄文時代の謎|なぜ世界から縄文が注目されるのか?【3/24(日)までの限定公開】【PR】)。三橋さんは、お話が上手いですね。経済の話だけでなく、歴史の話も。そしてこれはもnaniwakawaraban.jpこちらは上記のミラーサイトです。縄文文明は世界最古。日本人ならこの混迷から人類を救えるかも知れんで。秀吉はわかってた
職場の私のデスクの前にかけてある今年のカレンダーは、historyカレンダーです。歴史上の、さまざまな出来事が載っています。ヒストリーカレンダーによると、1598年の、3月15日は、【秀吉、「醍醐の花見」京都・醍醐寺に役700本の桜を移植、秀吉の生涯最後の花見となる。】とありました。醍醐の花見の様子は、ムロツヨシさんが秀吉を演じた「どうする家康」の中でも取り上げられていたので記憶に新しいです。ちなみに旧暦の3月15日なので現在の暦になおすと、4月20