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一流と聞くとなんとなく有名大学や華々しい学歴または代々続く家柄などを想像する方も多いと思いますが、今どきの一流はそういった幻想的なエリート階級の話ではなくて、もっと誰もが直感的に「いいな」と感じる人だったりまたは物やサービスの中に存在しています。資本主義的な一流の定義は努力を人一倍し続けた人や、誰もが認めるような業績を納めた実業家などを迎合するための言葉として今まで持て囃されてきましたが、今はとにかく無名でもフォロワー数が少なくても知名度がそ
TVコマーシャルで好きな声の俳優さんが「コレがイエで食えたなら…」と言って美味しそうに頬張る…その"味の素の冷凍シュウマイ"を食べてみた。レンチンで食べられるようだがせっかくなので野菜と蒸籠で蒸して。蒸し上がる間にキャロットラペと大学芋(生協)で白ワインを一杯。ご機嫌で本命にかかる。件のシュウマイはうなるほど旨くはないが一緒に蒸した白菜は甘くカボチャはねっとり美味だった。シュウマイに関しては期待値が大き過ぎたかもしれない。予告編ほど面白くない映画のようなものか。
https://ameblo.jp/soichiro-kitamura/entry-12909697590.html北村総一朗『さらば「昴」』1963年。福田恒存氏、芥川比呂志氏を擁立し文学座から分裂して、現代演劇協会「劇団雲」が設立されました。その創立メンバーに研究生として入団して以来、62年間…ameblo.jp敬愛する俳優北村総一朗氏のブログをリブログさせて頂きます(*^^*)劇団昴が誕生した背景には、人間関係の亀裂があったそうです。その真相は闇の中のまま、真の確執は、北
80年代の東京私は東京都生まれで今ではとても珍しい三世帯同居の家庭で育ちました。子供の頃は母の代わりに祖母が幼稚園のお迎えに来てくれたり年明けの三が日のどこかで必ず祖父と明治神宮へ参拝する恒例行事も子供ながらに楽しみの一つでした。父が長男だったということもあり家族の集まりは決まって我が家に集合で、祖父母の兄弟姉妹からお年玉をもらったり、「大人の集まり」がどんな空気感でどんな関係性があるのか実は小さな頃からよく観察していました。今思えば大正生
駄本とはまず内容に価値がなく持っていても無意味な本のことです。本屋さんに売られているファッション系雑誌や現代本の多くはこの駄本にカテゴライズされると思います。(一気に読み終わるような簡単な本でなおかつ心に何も引っかからない本)一方で秀作な書籍とは持っていれば一生物の宝になる本です。もっと詳しく言うと、秀作は私達が何らかの知識を求めた時教養のハシゴをそっと目の前に用意してくれるような存在。そしてこのハシゴを登って2階に行くと配架された本棚から自分
女が男との関係に終止符を打つときそれは「譲歩」を諦めたときではないでしょうか。これを私達は「長年に続く我慢」と表現していますが、それは我慢ではなく正しくは「譲歩」です。夫に対してまたは妻に対して本音を一部捻じ曲げてでも守りたい何かがある場合、夫婦のパワーバランスにもよりますが大抵はどちらかが「譲歩」というカードをいくつも相手に差し出しています。思考が未熟な大人同士だと譲歩されている側は相手の本音が見えないと騒ぎ出し、隠し事ではないものに対して
生きる喜びとは主役を演じることを意味はしない福田恒存●パパのひとりごと主役にやけに憧れた、人生前半。もう主役では無く、そんな人達を支える人にほんの少し憧れたり。
安っぽい文章やそれっぽい事を語るライト文化人の中に、「お互いの理解と尊重」を掲げる人がいます。リベラルよりの教育者の中にもこの言葉を「平等」と並行して使う傾向があります。私が愛読する福田恒存の「私の幸福論」の文章中で、結婚についての章がありますがそこで福田は、オスカー・ワイルドの芝居のセリフを引用しこう語っています。”恋愛中の二人の若い男女が、得々として、「自分たちは理解しあっているからこそ結婚するのだ」といったのに対し、「理解
事実かどうかはさておき、世の中で起こっている現象について自分なりの考えを持とうとした時、政治家や学者の発言にまずは関心を抱くと思うのですが最近この思想の2本柱に加えて”最終的なまとめの部分”では、文芸家および文芸評論家の社会に対する見解が極めて重要であることに改めて気付かされました。私が愛読する著者福田恒存が半世紀ほど前に世に送り出した「私の幸福論」という著書がありますがこの本は誰もが一生に一度は読むべきまさに珠玉の一冊です。その理由は、人間の幸福
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)評論家、翻訳家、劇作家でもある福田恆存(ふくだつねあり)さんの著作、人間・この劇的なるものを読んでみて、私の印象に残ったところを、紹介・解説しています。この本の冒頭で、愛もまた創造である。意識してつくられるものである。という印象深い文章があります。今回は、この「愛もまた創造である」という言葉を掘り下げていきたいと思います(^^;「神との対話」シリー
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)前回から、評論家、翻訳家、劇作家でもある福田恆存(ふくだつねあり)さんの著作、人間・この劇的なるものから、私の印象に残った箇所を、紹介・解説しています(^^)前回、人生を舞台、演劇に例えるとすれば、大事なのは、登場人物の「役割」であり、ストーリーの「必然性」である。そして、生きがいとは、必然性のうちに生きているという実感から生じる。という、興味深い文
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)ここ数日で、ぐっと冷え込んでまいりましたね。朝の着替えの時の寒さが、耐えがたく感じる今日この頃です(^^;私が通勤で使っている駅前では、まだ街の本屋さんが健在です。(天一書房さん感謝です!)仕事帰り、早く帰宅できる日には、そこでよく本を物色するのですが、先日、新潮文庫の棚を眺めていたら、この本の背表紙のタイトルが目を引きました。人間・この劇的なるもの著者は、
『老人と海』アーネスト・ヘミングウェイ(ErnestMillerHemingway)福田恒存訳キューバの老漁夫サンチャゴは、長い不漁にもめげず、小舟に乗り、たった一人で出漁する。残りわずかな餌に想像を絶する巨大なカジキマグロがかかった。4日にわたる死闘ののち老人は勝ったが、帰途サメに襲われ、舟にくくりつけた獲物はみるみる食いちぎられてゆく……。徹底した外面描写を用い、大魚を相手に雄々しく闘う老人の姿を通して自然の厳粛さと人間の勇気を謳う名作。アーネスト・ヘミングウェイ(Ern
僕が高校1年の時の10月4日に文芸評論家の保田與重郎先生がお亡くなりになった。亡くなって初めてそのような方が居ると知った。数日後の古文の授業で、保田與重郎先生が書かれた「松尾芭蕉論」が配られた。僕は優等生では全く無かった。それどころか今も昔も松尾芭蕉を読んで感銘を受けたことなど正直一度も無い。でもその保田與重郎先生が書かれた「松尾芭蕉論」の文章に僕は感動した。高校ではラグビーを好きになり、その後大学の4年間を過ごして、働き始めた。20代の前半はアメリカで働いていたが、車社会に馴
晴天冬の寒さ金星雑務……12月21日比較的穏やかに発熱外来12名,予約7名検査9名陽性1名A型インフルエンザ陽性4名A型インフルエンザみなし陽性1名COVID-19例は感染経路不明買い物新居用にこまごまとトマト,サラダチキン,厚切りトーストにオリーブオイルバーボン&ソーダ『源氏物語』シリーズものの短編小説を出版されるのを待ちわびて……って感じで読むものなのだろう口なおしに『ディケンズ短編集』岩波文庫をイ
当用漢字、漢字制限は、GHQによる日本文化や、民族精神を壊すものだった。福田恒存は次のように著した。戰後の國語「改革」の柱は、表音主義に基づく日本語の簡略化といふ事に盡きるけれども、さうした流れの中で。⁉️日本語を一氣に假名文字化、更にはローマ字化してしまはうとする動きもあつた。例へば、「漢字だの歴史的假名遣だのを使つてゐる限り、日本は國際競爭に勝てない。が、國語を表音文字化してタイプライターで打てるやうにすれば、歐米竝みに事務處理も能率的になる」などといふやうな意見まで出て來た。
今朝起きぬけにツイッターを開くと、元陸上選手の為末大さんのツイートが流れてきました。多くの人の共感を呼んだようで、いわゆるバズった状態にあった一連のツイートです。これらを読んで、自分が以前ブログに書いた、福田恒存さんが人間の自由について書いた文章と内容がとても似ているのに気が付きました。為末さんは一流のアスリートであり、体をコントロールし、技術を余すところなく発揮するためにも疎かに出来ない心の影響について、たぶん長い年月考えてこられたのだと想像します。自身の頭で考え、自身
主イエスの御名を賛美致します。今夜はどうやら聖霊なる神に満たされているらしい。いや酒か?では、「ももも、もう一発行くかい?」by忌野清志郎◆クソ名盤『ラプソディー・ネイキッド』より頭の2.5曲「頭にきたこととかなぁ、頭にきたこととかあるだろう。そんなお前らに、今夜はラブソングを云々」なる冒頭のMCはチャボさん。このアルバム、リリース後ただちに買いました。オリジナルの『ラプソディー』はむろん持ってはいたが、歴史的な久保講堂のライヴ、その全貌を知りたくて。※
現代人がラクに生きれるヒント~進歩が「絶対善」という考えを一度疑ってみよう~ウェブで読む(推奨):https://foomii.com/00243/20230408190218107698////////////////////////////////////////////////////////////////nfalaboMCまーさんの「ここだけ!言いたい放題!」https://foomii.com/00243////////…foomii.comよろしければ、↓のどちらでも
三島の歌舞伎好きは良く知られる処だが、『私の遍歴時代』に昭和13年10月彼が13歳、中学1年生の時に祖母、夏子さん(平岡なつ)に連れられて初めて歌舞伎座に行き、花道に近い席から『仮名手本忠臣蔵』見て完全に歌舞伎の虜になったと書いている。【三島が贔屓にしていた中村歌右衛門六世】実は、三島は歌舞伎のみならず演劇自体が好きなのだ、昭和38年3月に福田恒存の演劇集団『雲』の創立声明書にも賛意し『演劇のよろこびの復活』と云う短文を書いている。
自由とは大変に面倒なものであり、人によってはかえって辛いものである。ウェブで読む(推奨):https://foomii.com/00243/20230330201041107319////////////////////////////////////////////////////////////////nfalaboMCまーさんの「ここだけ!言いたい放題!」https://foomii.com/00243////////…foomii.com昭和31年時点の若い女性向けの連載エッセ
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社会科学(政治経済・社会問題解決)脳だけの方々に問う福田恒存の叡智~昭和31年で自己受容を説く卓見性~ウェブで読む(推奨):https://foomii.com/00243/20230328185048107222////////////////////////////////////////////////////////////////日本富民安全研究所おっさん所長の「ここだけ!言いたい放題!」https://foomii.com/00243//////…foomii.com政
私の心眼流の師匠はインチキだった。いい師匠についていいものを習ったのに稽古をさぼり続けた。「あんなつまらんもん、やりとうない」それが唯一の理由だったか。嘘のかたまりみたいな人間だから、自分の周りに自分の嘘を信じてくれる人間を集めていた。彼に習った流儀の形を毎日2時間以上の時間をかけて繰り返すことで彼の嘘を暴き立てた私は、彼にとってもっとも許し難い人間だった。私は自分の努力を正当に評価してくれる人間を持てなかった。ただひとり稽古によって我が身に起きる変化の意味を問い続けていた。そん
世田谷パブリックシアターの公演「ハムレット」を観てきた。3階のA席、5,500円。中央やや右だが舞台は全部欠けずに見え問題ない。今日は2階、3階席の脇の席に空きが目立った。当日券も販売していた。客層は圧倒的に40才くらいまでの若い女性であった。人気俳優が出ているためかシェークスピアが好きなためか。私はシェークスピアの戯曲は好きだが、ハムレットは必ずしも好きではない、なぜかあまり面白みを感じないのだ。先王の弟グローディアスに対する怒り、先王の死後その弟とすぐに再婚した母への怒り、というの
BSテレビで放映された「リチャード三世」を録画して観た。この放送は再放送で自分も2度目の鑑賞である。2017年の池袋芸術劇場での公演。作:ウィリアム・シェイクスピア翻訳:木下順二(2006年、92才没)演出・上演台本:シルヴィウ・プルカレーテ(ルーマニア、72)演出家のプルカレーテは演劇界を代表する演出家だそうだが、演劇初心者の自分は知らなかった、日本でも佐々木蔵之介の出演する劇などの演出を多く手がけているようだ。この作品では斬新な演出と音楽、美術、衣装に新たなアイディアが盛り込
(承前)増補「醒めて踊れー近代化とは何か」では、日本の近代化、個人としての近代化、演劇の近代化という問題について自説を展開している、難しいのであるが、自分なりに要点を書いてみると自分と言葉との距離が測定できぬ人間は近代人ではない、特に言葉にすべてをかける演劇人・役者は身につけていなければならないシェイクスピアのハムレットは近代的な性格を有している、根底に一貫した性格、人格があり、彼の前に現れる敵、味方に対して自らの手で鮮やかに場の転換をはかる、その場に応じて複雑な自己の異なった面を転換
(承前)「演出論」では、氏は、演出=交通整理、だと考えている、演出家中心の演劇は常につまらない、潔癖な人は舞台芸術に対して完璧で統一ある作品を生み出そうと考える、全体主義国の演劇は必然的に演出家中心主義にる、演出家=全能者という考えに惹かれた演出家は劇の隅々まで自分の爪痕が残らないと承知しなくなる、演劇は「妥協の芸術」だ、役者は台本に、劇作家は役者に妥協しなければならない、妥協の余地のないものはもはや芸術でない、目に見える生きた肉体(役者)が、眼に見えないもの(演出家)に操られているのを眺める
最近、演劇に興味があり、たまにプレミアムステージ(BS放送)や劇場に見に行くことがある。戯曲(シェイクスピアやイプセン、ゴーゴリなど)や、原作となっている小説を知っている場合もあることも興味を持ったきっかけになっている。たまたまこの本(「演劇入門」)があるのを知って、かつ、著者の福田恆存氏がシェイクスピア戯曲翻訳家であることもあり、演劇のことを少し勉強しようと思い読んでみることにした。少々古い本だが本質的なところは現代でも同じだろうと思う。読んでみたところ、氏の演劇に対する深い考察を感
タイプ6:信者に囲まれ、教祖様になりたい書生気質⑦~その矛盾を指摘します!~ウェブで読む(推奨):https://foomii.com/00243/20230303210636106276////////////////////////////////////////////////////////////////nfalaboMCまーさんの「ここだけ!言いたい放題!」https://foomii.com/00243////////…foomii.com「ん?俺、ロックフェラーから