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大相撲の夏場所は、大の里が綱取りに挑んでいますね。序盤からの取りこぼし無しで勝ち進み、単独首位を守っています。このままの調子を千秋楽まで維持し、八角理事長の願い通り、秋のロンドン場所で、東西両横綱揃っての土俵入りを実現して欲しいものですwwwさて、GWに訪れた「おもちゃと人形自動車博物館」は、個人の方が蒐集したコレクションを展示する施設です。いわゆる絵画や彫刻などの美術品では、事業で成功したオーナー経営者が、会社の資産として収集し公開していますね。こちらの美術館は、横田正弘さんとい
ひとつ前の当ブログで、1969年2月12日に事故死したレーサー、福沢幸雄さんのことを書いた中に、当時、恋人だった小川知子さんが歌謡番組(たぶん『夜のヒットスタジオ』)の中で号泣していたことにも触れました。その1969年の『第20回紅白歌合戦』が一昨日、NHKで一挙放送されました。昨年末に1971年の『第22回紅白歌合戦』が2回に分けて放送されたので「第2弾」というわけです。僕は放送予定が出てから、楽しみにしていました。というのは、1969年(昭和44年)というのは、僕にとって重要な年なのです
今日2月12日は、福沢幸雄さんの命日です。1969年、25歳の若さでなくなった福沢幸雄さんはレーサーにしてファッション・モデル、そして当時の若者文化をリードする人物でした。福沢幸雄さんについて書いた、当ブログ2021年7月3日「かまやつひろしさんと福沢幸雄さん」を以下に再録します。***ひとつ前の当ブログで、「キャンティ」のことを書きました。内田裕也さんに連れられ「どんどん好きなものを食え」と言われた「ファニーズ」の面々も「タイガース」になって
1960年創業の、いつまでも僕の憧れの店であり、もはや伝説のイタリアンレストラン『CHIANTI飯倉片町本店』...。古くは作家の三島由紀夫や映画監督の黒澤明、画家の今井俊満、岡本太郎、演出家の浅利慶太などなどの大人たちの混ざって、現在のオーナーである川添隆太郎氏の父、故川添光郎とその兄の象郎の仲間たちとも言える、巨匠堺正章をはじめとする、井上順、かまやつひろし、萩原健一、加橋かつみらのグループサウンズチームから、俳優の勝新太郎、伊丹十三、石坂浩二、岡田眞澄、女優の
おとといの土曜日、福沢幸雄さんに関する記事を10時間ぐらいかけて書き上げたあと、少し「虚脱状態」のような感じになって、ボーッとしてしまいました。何も手につかない…というと大げさですけど、とにかく「何か、大きなことをやり終えた!」という達成感と、同時にかすかなさみしさ、そんな気持ちが湧いてきたのでした。「本懐を遂げた」と言うと変ですが、とにかくそんな、不思議な、フワフワした感覚がしばらく続きました。今は、もう大丈夫(^^)でも、まだ書き足りなかったので、少し余談を。サチオのお葬
53年前の今日、1969(昭和44)年2月12日、自動車レーサーの福沢幸雄(ふくざわさちお)さんが、レーシングカーのテスト中の事故で亡くなりました。25歳の若さでした。この新聞記事は、当時小学6年生だった私が、生まれて初めて「新聞の切り抜き」というものをして保存しておいたものです。「新聞を切り抜く」なんて、誰かに教わった記憶はないのですが、どうしてそういう気持ちになったのか、もう分かりません。ただ、学校で校舎の窓から外を見ながら「サチオ、死んじゃったんだ…」と思ったことは覚えています。私は
ひとつ前の当ブログで、「キャンティ」のことを書きました。内田裕也さんに連れられ「どんどん好きなものを食え」と言われた「ファニーズ」の面々も「タイガース」になってからもよく通いました。特に、ヨーロッパ志向の強かった加橋かつみさんはタイガースを脱退、初ソロ・アルバム『パリ1969』をパリで録音、さらにミュージカル『ヘアー』に出演と独自のアーティスティックな活動を始めます。その『ヘアー』にはマーク(堀内護さん)も出ていて、のちに結成したGAROに元「スパイダース」のかまやつひろしさんは「四つ葉の
きょうも古いレコードです。スミマセン(笑)。1969年発売のLP「スパイダース’69」です。ザ・スパイダースは、ラジオで「越天楽ゴー、ゴー」を聞いたのが最初です。「スパイダース’69」には13曲が収録されていますが、気になったのが「ソー・ロング・サチオ」という歌です。サチオといえば・・・伊丹幸男?(笑)。調べてみたらあ~っ、あの幸雄!!「キャンティ」と「トヨタ7」がキーワードでした。数多くの文化人御用達、イタリアンレストランの「キャンティ」トヨタ
福澤幸雄(ふくざわさちお、1943年(昭和18年)6月18日-1969年(昭和44年)2月12日)、フランスのパリ生まれのレーサー兼ファッションモデル。新字体で福沢幸雄とも表記される。身長170cm。福沢諭吉の曽孫。※以下、抜粋しました。第1回日本グランプリの翌年、1964年には第2回日本グランプリが同じ鈴鹿サーキットでさらに華々しく開催された。以下記憶は曖昧だとしても、忘れちゃいけないレーサー。各メーカーチームは、二輪経験者を中心にドライバー陣を強化。その内容は、トヨタは田村三
きょうもまたこのレコードを引っぱり出しました。熟々のお二人!奥村チヨさんと小川知子さんの「女・恋・涙」であります。一枚で二枚分美味しいレコードです(*^^)v奥村チヨさんの「恋の三部作」も好きなんですがきょうは、小川知子さんをチョイス(*^^)v1969年に発売された「初恋のひと」です。御存知の方も多いと思いますが、「夜のヒットスタジオ」収録中に「初恋のひと」を歌唱中の小川知子は泣き崩れてしまいました。私は、母と一緒に見ていたので覚えています。当時、