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グリークラブアルバムの研究号外「祝!初版入手!」この日本男声合唱史のブログは,日本の男声合唱について思いついたことを調べて書くという無節操なスタイルだけれど,一応は柱が2つあって,それは「東京コラリアーズの研究」と「グリークラブアルバム(赤本)の研究」。ともに福永陽一郎の仕事である。最初の「グリークラブアルバムの研究」は,2016年12月30日にアップした「「グリークラブアルバムの研究」(総論その1)」だった。それから「総論」「レパートリー編」と進み,個別の曲を取り上げる
MediaVita祈りの歌(旧)42(新)45ブルッフ作曲安田二郎作詩初版収録の「冬のセレナーデ」「DieBeidenSerge」は後に削除され,日本の歌4曲と同志社グリークラブの愛唱曲「詩篇98」と差し替えられた。このMediaVitaから3曲は初版のまま残っている。当初は「冬のセレナーデ」から「MediaVita」までの3曲を「演奏会用」として長く難しい曲を配置したと思われる。それゆえ,まずこの曲について書き,ついで差し替えられた5曲を取り上げ,その後で最後の2曲
2026/6/29(月)昨日(6/28)は元気を取り戻せた。実はその前日の27日には大事な予定(同志社グリークラブOB会総会)を当日キャンセルしたほど元気がなかった。天候の加減や友人との永遠の別れなど気持ちの滅入ることが重なったからかな?でも頑張って好きな物を食べて昼寝をしたことで、夕刻にはほぼ快復できた。そして28日のイベントに元気に参加でき、そのパーティで完全復調できた。そのイベントは福永陽一郎先生生誕100年記念パーティ
第一音の魅力先日いただいたラーメン年甲斐もなくラーメンが好き。脂も塩分も控えるべきなのに,外出時には付近のラーメン屋さんを検索し,好みに合いそうな店を探す。当たりだった時は本当に嬉しい。大抵のラーメンは一口目が一番美味しい。麺の茹でぐあい,スープの温度,香味油の香り,全体のバランス。ラーメン屋さんも「一番美味しいと思う」形に整えて出してくるのだから当然とも言える。ダチョウ倶楽部のギャグで言えば「つかみはOK!」。しかし食べ進めると,次第に麺は伸び,スープの温度は下がり,
2026年6月6日に開催された「なにわコラリアーズ第32回演奏会」を聴いてきました。詳細は下記を参照ください。https://naniwachoraliers.web.fc2.com/img/20260606.jpg今回は「福永陽一郎生誕百周年」ということで,5ステージ中に福永の編曲による3つのステージがおかれた。福永が亡くなって36年,編曲は半世紀以上前のものであるけれど,新しい曲たちと並置されても古びた感じはない。ほんとうに男声合唱を愛した人だったんだなあと思う。オンステメ
2026/2/24(火)二日続きの至福の時昨夜は二日続きの外食で酔いも回って遅くなったのでブログが今日になった。その上、帰宅すると連休中にスキーに行っていた孫たちが庭で焼肉をするというので、すでに大学同期の友人と居酒屋で出来上がっていたが、孫のスキー上達の動画を見ながらタンや肩ロースなど美味しくいただいた。私にとっての至福の時というのは美味しいものを食べている時美しい音楽を聴いている時である。前者は、一昨日の22日には、ご近所付き合いで「ステーキハウス
グリークラブアルバムの研究旧(40)冬のセレナーデ作曲サンサーンス作詩安田二郎ここから2曲は,初期のグリークラブアルバムに「演奏会用」として収録された6曲の
福永陽一郎生誕100年記念コンサート「陽ちゃんといっしょ」2026年1月10日に藤沢市民会館で開催されたコンサートに行ってきた。このコンサートについて知ったのは,昨年9月の東西四大学OB合唱連盟の演奏会パンフレットに挟まれていたチラシによる。何度か書いてるけど,私は先生の指揮で歌ったことはなく,同志社グリークラブの演奏会,合唱のLP/CD,そしてなにより膨大な日本の合唱についての文章を通じての一方的な知り合い。合唱史に関しては,勝手に「師」と仰いでる。早速チケット入手のため
グリークラブアルバムの研究38Shenandoah(シェナンドア)アメリカ民謡福永陽一郎編曲曲の説明は「最もよく知られているシーシャンティー」。シーシャンティーは,最近はあまり演奏されないようだが,1970年代後半頃は多くの男声合唱団がレパートリーにしており,定期演奏会シーズンともなれば複数の団がステージに乗せていることも珍しくなかった。シーシャンティーとは,荒っぽく言えば「船乗りたちの歌」のこと。2021年に世界中で話題になったNathanEvansが歌う「Welle
2024/9/23(月、振替休日)まず昨日の事から復興途上にある能登半島地震被災地に非情な集中豪雨(9/21)という何とも心を痛める事態になっている。政府の力強い災害復興支援策をスピーディーに実行されることを願う。大気の不安定さはここ京都でも同様でこの日(9/23)は朝に一時強い雨が降った。でも昼には小降りとなり、家を出る時には傘は不要であった。この雨は秋の空気を連れてきてくれたようで、ようやく厳しい残暑から抜け出せそうである。だから久し
新月会90周年演奏会で演奏された多田武彦作曲の男声合唱組曲「富士山」について,指揮された広瀬先生はこう書かれた。「演奏にあたっては当然ながら楽譜に忠実に,を毎回心掛けますが,唯一の例外として4曲目『作品第拾捌』の冒頭だけは『福永陽一郎解釈』に依ることをご了承いただかなければなりません。初めてこの組曲がレコードに刻まれたとき,福永先生はなんとこの部分で楽譜のテンポ指定とかけ離れた演奏をし,それが非常に説得力のある解釈だったので,それ以降の指揮者に多大な影響を与えることになったのです。我が師
す今日YouTubeで、福永陽一郎指揮日本アカデミー合唱団による、混声合唱組曲「心の四季」が目に入り、つい聴き入ってしまいました。つい数日前に女声合唱組曲「心の四季」について記事投稿したばかりでなんなのですが、この録音はやはり懐かしく、他にどれだけ良い演奏があってもやはり私にとっての「心の四季」はこの演奏、という気がします。私が高校の合唱部に入ってすぐに触れた曲が、「心の四季」の「みずすまし」と「雪の日に」でした。私の入った高校の合唱部は前年のNHK学校音楽コンクールの全国大会で自由
2024/5/31(金)昨日(5/30)のことです。とにかく昨日は朝から夜まで全身の体力を使い切ったような一日であった。だからブログアップは今日になってしまった。まず、29日に近所のY岡さんからお誘いを受けたゴルフへ。ゴルフ場は近くの日清都カントリークラブで、Y岡さんに送迎までしていただいた。その上、ワンポイントレッスンまで受けた。なにしろY岡さんはシングルハンディで、月半分はゴルフ三昧のような方で、歳はひと回り程お若く飛距離も私の5割増しほ
グリークラブアルバムの研究新(30)Dixieアメリカ民謡編曲福永陽一郎「アメリカ民謡」とされているが,作曲家DanielDecaturEmmettが所属していたブライアントズ・ミンストレルズ*のために作った曲で,1859年4月4日にニューヨーク市のメカニクスホールで初演されたとされる。作曲自体は1943年だという説もある。*いわゆるミンストレル・ショーを演じるグループ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%
混声合唱曲の男声合唱編曲-福永陽一郎のいくつかの編曲を中心にて-同志社グリークラブの定期演奏会で福永陽一郎編曲の男声合唱曲「島よ」を聴き,改めて混声合唱曲を男声合唱曲に編曲することの難しさを感じた。作曲者が構想した和声感や,男声と女声の音色を考慮した混声の曲を,その構想のままに男声に移し替えるのは簡単ではない。組曲「水のいのち」のように,作曲者が編曲する場合もあり,組曲「月光とピエロ」のように男声合唱曲から混声編曲版が作られる場合もあるが,あまり風呂敷を広げると収拾がつかないので,
グリークラブアルバムの研究各曲編26.水夫のセレナーデ作曲エマーソン編曲オリオンコール約3年前の2019年8月27日にアップして以来の「グリークラブアルバムの研究各曲編」。後継の「グリークラブアルバムCLASSIC」が出版されて6年,もう高校・大学の男声合唱団メンバーは「赤本」と言っても何のことか分からないでしょう。とはいえ,昭和20年代半ばまで日本の男声合唱団がどんな曲を歌っていたか(愛唱していたか)の「集大成」として,このシリーズは続けていきます。「水夫
「グリークラブアルバムの研究各曲編」今後の曲順について「グリークラブアルバムの研究」の記事は,2019年8月27日に「グリークラブアルバムの研究各曲編(25)柳河その3」*をアップして以来,約3年間休止していた。「グリークラブアルバムの研究各曲編」を再開するに当たり,今後取り上げる曲の順番について整理しておきたい。*https://ameblo.jp/tonotono-57-oboegaki/entry-12512807574.htmlなお,グリークラブアルバムの
東京コラリアーズ縁起-東京コラリアーズの研究特別編3その(4)「とにかく音楽が好き,唱うことが好き,気違いのような連中である。宗教曲でも芸術歌曲でも民謡でも,はたまたヒットソングでも,平気な顔でのみこんでしまう。ブラームスとヒットソングを並べて叱られたときも,理屈を云ったのはぼくぐらいのもので,誰も耳をかさなかった。何でも唱えてさえいればよいのである。この歌好きのアマチュア精神が身上である。テクニックの上では職業的技術を持たなければならないけれど,この楽しい気分はいつまでも失いたくな
東京コラリアーズ縁起-東京コラリアーズの研究特別編3その(3)「散々だった第一回の演奏会(注:昭和27年11月12日)のあとでは,第二回なんてあるものか,と云われたりした。第二回(注:昭和28年10月4日)までに一年かかってようやく合唱らしくしたものの,まだプロフェッショナルに活動出来るとは思えなかった。そのころ東京コラリアーズの名前で放送に出演していたのは,佐々木,手島,喜早,遠山という顔ぶれの四重唱団で,ニックネームをダークダックスといったグループである。このグループで出かけるつ
前回の図を再掲「東京コラリアーズ縁起」の冒頭を紹介したのは2020年12月30日のこと。それから2年半経ってしまった。言い訳になるけれど,サボっていたわけではなく,声楽家畑中良輔はなぜ合唱に入れ込んでくれたのか,そして畑中がうけた戦前の合唱教育についてを調べ,畑中が絶対音感教室に通ったことに触発され戦前の絶対音感教育について調べ,畑中とならぶ木下保を調べ,と次々と派生する興味の対象を調べていった。さらに「東京コラリアーズ縁起」の後半にあるダークダックスについての記述に興味を惹かれ,ダーク
髙田三郎作曲の名作中の名作、合唱組曲「水のいのち」については、男声合唱版のYouTubeのコンサートライブ動画について、前回までに3つの演奏を紹介しましたが、いずれも素晴らしい演奏でした。今回は、HIROちゃんの手元にあるLP、CDから混声合唱版、女声合唱版、男声合唱版、それに作曲者自身による編曲ではありませんが、オーケストラ伴奏版について、9種類の演奏を簡単に紹介していきます。■指揮:福永陽一郎/日本アカデミー合唱団/ピアノ:三浦洋一カップリング曲:髙田三郎/混声合唱組曲「心の
2022/6/5(日)同志社グリークラブOB会の2022年度総会に出席このOB総会もコロナ禍の影響で3年振りのリアル総会で、先輩・後輩の懐かしい方々にお目にかかれた。出席確認では、出席返信した卒業学年の古い順に呼ばれたが、昭和31年のS氏が最古参で昭和38年卒の私は4番目であった。(総会出席者総数は52名)質問や意見を出す人も平成年号卒業者が多くなってきた。それらはすべて現役の存続・発展を願っての前向きなもので、頼もしく思った。先日の京
コンポジションの演奏間宮は3番の解説で「はじめの第一声から,これまでの洋楽の発声でうたったのでは,どうにもならないようなことを要求しているわけで*」と,民族発声を使えとは言ってないにせよベルカント(西洋式発声)で歌ったのでは作曲家の要求を表現できないとしている。「野のうた氷の音楽」所載の「巧拙のない世界」では,西洋式発声は邪魔でさえあるとまで記している。「この作品(注:コンポジション,狭義には執筆時点で作曲済みだった1-6番)の演奏には,いわゆる洋楽の声楽技術がそのまま有効とはゆ
初期のダークダックスについて-東京コラリアーズの研究特別編-その13ポイント③について「初期のメンバーは高見沢(パクさん)ではなく手島洋一」は福永の記述だけど,雑誌「それいゆ」昭和32年8月号に「ダークダックスパレード」と題された写真でつづるダークダックスの特集があり,その中に2枚「東京コラリアーズ・カルテット」の写真がある。この男性が誰なのか検証する。まず手島洋一の写真を探す。写真1は福永の「演奏ひとすじの道」のグラビアで「第一次ダークダックスと福永と畑中」とされ
初期のダークダックスについて-東京コラリアーズの研究特別編-その10「東京コラリアーズの研究」は自分でも直ぐには分からないぐらい分岐しており,いい加減「東京コラリアーズ縁起」の本筋に戻らないといけない。しかし,ダークダックスについていくつか資料を発掘したので*,以前述べたことに対し検討する。*コロナ感染が少し落ち着いた2021年7月始め,短期の東京調査ツアーを行った。これまで結論付けた下記3点を再検討する。①プロになることを決めたのは昭和29年秋ごろ②「
開催中止のお知らせ,東西四大学合唱連盟のTwitterより①第70回東西四大学合唱演奏会の中止について残念ながら新型コロナが収まることはなく,東西四大学合唱演奏会は2年連続で中止となった。開催する予定だったが開けなくなったということで,昨年の第69回に引き続き欠番扱いに。四大学が所在する東京も京都も兵庫も緊急事態宣言発令下にあり(中止が発表された5月28日時点),練習ができないとのこと,メンバーは無念であろう。大学は4年間しかないのだから,その時期にしか体験できない基調な経験の数々を奪
先日,全日本合唱コンクール優勝団体のダイジェスト版をYoutubeで聴いた。私は女声合唱はあまり聴かないのだけれど,ほんの短い間に涙が出る演奏にいくつも出会い,こんな感動的な演奏に点数を付けなければならない審査員の先生方に深く同情した。私が大学生の頃は,「大学はだめだが高校の部はすごい」などと言われたのだけど,いまは中学の部の凄さに驚く。今の子は発育が早いのか,先生の指導が良いのか,中学男子でも重厚なバスを鳴らすんですね。音がもう大人の混声合唱になっている。さて,その中のひとつが三善
東京コラリアーズがどのように創立されたのか,約1年前に「東京コラリアーズの研究第一章誕生編」で考察した。多分に想像を含むが,藤原歌劇団合唱部の「内紛」と関係するという仮説はそれなりの自信がある。その後,福永が書いた「東京コラリアーズ縁起」を2020年10月に入手できたのは僥倖だった。これは昭和30年12月の大阪労音PM演奏会「東京コラリアーズとダークダックスによるポピュラーソングアルバム」のパンフレットに掲載された,3枚の写真を含む4ページの解説記事。一部は既に「初期のダークダ
ゲタさんとソーさんは確認できる。「パクさんが入学する前」なら昭和27年1-4月だが,ゲタさんは腕をまくっているので4月頃か。または,もうすこしあとの時期でパクさんがメンバーになる前という意味かもしれない。(再掲)ややこししくなるので書かなかったが,福永による「東京コラリアーズ縁起」が,昭和30年12月の大阪労音コンサート「東京コラリアーズとダークダックスによるポピュラーソングアルバム」に載っており,創成期のダークダックスについても記述がある。それはゲタさんの書いたことを少し詳しく説明して
②藤原歌劇団(福永陽一郎)とのかかわり「東京コラリアーズの研究I章誕生編」で述べたように,当時の藤原歌劇団は大作では合唱団にエキストラを入れることがあった。ダークダックスのメンバーと福永はそこで出会ったが,福永の「ひとすじの道」ではそれは昭和26年5月の「アイーダ」のこととされ,ゲタさんの「歌の旅路」では昭和27年5月の「タンホイザー」とされている。昭和大学のオペラデータベースを用いて整理する。慶應ワグネルにエキストラの声がかかったのは,昭和26年5月31日-6月6日の「藤原歌劇團第