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明日も勝つと信じてハナサクハナサクと入力しておきます。こんばんは、津末です。さてリーグ戦も終盤に差し掛かってきました。僕はSBOに慣れてきました。ただ反応が悪くてカウント間違えてた時は萎えます。芝工の掲示板は時間差攻撃もしてくるので尚更大変です。ボールボーイは芝工の天井に当たった打球は取れないし、ボール交換にも気づかないので注意欠陥型の僕には向いてないようです。明日もバックネット裏の特等席から4年生の投球技術を盗みまくりたいと思います。テーマ【知っておくべき福岡のこと】1.なんと言ってもラー
千葉県立美術館で開催中の「没後50年高島野十郎展」を鑑賞に出かけてくれた福岡県立筑紫丘高校の同級生のSさんがフェスブックに写真を載せていた。『没後50年高島野十郎展開幕』福岡県久留米市出身の孤高の画家として名高い高島野十郎の没後50年の展覧会が千葉県立美術館で始まった。https://search.app/jpi7ixXVSd…ameblo.jp「寧楽(なら)の春」という題目の絵この絵にS君の感想が書かれていた。「薬師寺の東塔。昭和30年頃の作だが、東塔の周囲にこんな花がたくさんあったの
福岡県朝倉市美奈冝の杜の福岡県立筑紫丘高校の同級生のTさんのお宅で展示されている芸術家の高校同級生の石井香久子さんの作品を鑑賞しに出かけて来た。石井さんのプロフィールである。水引を使い作品とする。今回、展示されたものをいくつか紹介する。パンフレットからいくつか!同級生のTさんのお宅はこれらの作品を展示するのに正しく最適である。家のアクセサリーとして欲しいなあ!という人が現れそうだ。「麦の秋一本の糸変容す」ハイジャン男
本日、福岡県朝倉市の美奈冝の杜に別荘を持つ福岡県立筑紫丘高校の同級生のTさんの別荘に招かれた。後で紹介するが、やはり高校の同級生のIさんの作品を別荘に展示していろんな方々に紹介しようという趣向である。昼ご飯は、Tさんが自ら打った蕎麦であった。プロの蕎麦では?というくらい素晴らしい蕎麦だった。天ぷらは、同じ同級生のNさんの奥さんの作である。こちらは、お店を出されているので、プロと云ってよいだろう。美味しい素敵な昼食だった。美奈冝の杜の別荘の広いウインドウの向こうには、実は、ハイジャン
5月7日の23時に第22回令和丘ふみ句会の選句結果が発表された。ハイジャン男は「丘ふみ游俳倶楽部」にこれまでほぼ20年間所属してきた。句会を主宰していたのは福岡県立筑紫丘高校の同級生の中島葱男さんである。その葱男さんより句会の世話人をハイジャン男がバトンタッチして早くも2年を経過しようとしている。その句会の名称が「令和丘ふみ句会」なのである。写真のように、野良古さんの開発された「夏雲システム」で毎月一回句会を催している。本当は句会の詳しい内容をお伝えしたいのだが、参加の皆さんの中には、こ
最後に福岡市南区野間の福岡県立筑紫丘高校を訪れた。時間は17時を回っていた。正門である。校訓は、創造、叡智、剛健とある。旧制中学校の頃の名残か?運動場に近い方の車の入れる門講堂である。講堂と校舎の遠景である。校舎は令和になって立派になった。「後光差す令和の校舎昭和の日」ハイジャン男
昨日、福岡市中央区の小笹北公園を訪れた。大寒桜の大木2本がある公園だ。その北側のマンションに大寒桜よりも早咲きの桜の幼木がある。オカメザクラという。『オカメザクラ』昨日、福岡市中央区の小笹北公園に大寒桜を見物に出かけた。すぐ近くの街路脇に、紅の濃い花が咲いていた。最初は、桃かもしれないと思ったが、、。よく見ると、桜のよう…ameblo.jp昨年、この存在を知った。これは、どう見てもサクラである。ハイジャン男が福岡県立筑紫丘高校の出身であることは何度も紹介してきた。『筑紫丘高校に立
ハイジャン男の出身の高校は福岡県立筑紫丘高校である。ホーム|筑紫丘高等学校福岡県立筑紫丘高等学校の公式HPです。chikushigaoka.fku.ed.jp福岡県立筑紫丘高等学校-Wikipediaja.m.wikipedia.orgそのホームページとWikipediaである。ホームページの沿革を見ると、旧制の筑紫中学校が出来たのは昭和2年という。今年は昭和百年であるから、創立98年目となる。その筑紫中学校の校歌を紹介しよう。-YouTubeYouTubeでお気に入り
福岡市南区の住人、ハイジャン男のブログ寒の内、天気が良いと放射冷却で外は寒い。霜が降りているに違いない。アメブロ友の芳根杏子さんの「芳根杏子日記」の俳句のお題が「霜」だった。以下の俳句とコメントを送った。『おはようございます。福岡市は曇り時々晴れ、気温3℃です。本日のお題は「霜」。私もダジャレ入りの俳句にしたいと思います。霜の朝もしもゆつくりしていれば1995年1月17日に阪神淡路大震災が起きました。あれから30年経ちました。西日本新聞に福岡県立筑紫丘高校卒業の神戸大学経済学部の学
本日、西鉄大橋駅に徒歩で出かけた。そのあと、九州大学大橋キャンパスに立ち寄ってみた。このキャンパスは本来ならば、福岡県立筑紫丘高校の卒業生ならば、ずっと馴染みある思い出の地であったはずた。ところが、これから話す福岡学芸大学の誘致の争いの犠牲になることとなり、キャンパスを福岡学芸大学の誘致のために接収されてしまったのである。実は、このキャンパスは、元々は、旧制筑紫中学校(現在、福岡県立筑紫丘高等学校)だったのが、福岡学芸大学になり、その移転に伴い、九州芸術工科大学(現在、九州大学芸術工学部
先日、福岡県立筑紫丘高校の新制23回生の同窓会が行われた。470人居た同級生のうち60名近くが参加した。筑紫丘高校のことを「丘」と略することもある。23は日本語での数え方では「ふみ」となる。それを合体させると、「丘ふみ」となり、「丘踏み」と掛け言葉になっている。語呂も響きも良く、この光栄に浴して有難いことだ。さて、アメブロ友の芳根杏子さんの「芳根杏子日記」の俳句の本日のお題が「木の葉髪」だった。「木の葉髪」は初冬の季語である。夏の紫外線にやられた髪が抜け落ちる様を丁度木の葉が落ち
昨日、福岡市南区野間の福岡県立筑紫丘高校を訪れた。右側は講堂で、左側は武道館らしい。道に沿って桜紅葉が赤く染まっている。桜紅葉で感動することは稀である。今年のように、夏秋が猛暑の時こそ、桜紅葉には宜しいということか?「遅れても妖艶なるや冬紅葉」ハイジャン男
ハイジャン男が福岡市南区の自宅から歩いて福岡県立筑紫丘高校に正式に登校した最後の日は、1971年3月1日だった。卒業式の日であった。徒歩で20分くらいかかる。坂が多いので、自転車で行くのは難儀である。右が講堂であり、左は武道場である。武道場にはプールもある。講堂も武道場も新しくなったので、53年前の面影はない。手前はため池だったが、無用の長物と化している。車が自由に入れる門である。全国大会のスポーツの部では、登山部が男女ともに全国大会に出場している。ハイジャン男が3年生の
本日、福岡市南区野間の福岡県立筑紫丘高校の下、いわゆる学校下にある焼芋屋さんに出かけて来た。種子島産の安納芋で出来た焼芋である。これで、228円だった。何故、焼芋が出てきたのか?アメブロ友の芳根杏子さんの「芳根杏子日記」の俳句の本日のお題が「焼芋」だったからである。焼芋のお題はこの冬2回目である。『焼芋は種子島の安納芋だった!』福岡市の焼芋屋さんをネットで検索すると、「あまいもや」というお店が歩いて20分くらいの福岡市南区野間にあった。種子島の安納いもを材料にしている。何故、この店に
福岡市南区の住人、ハイジャン男のブログ属しているブログのグループが「九州の暮らし」なので、甲子園のことを話題にする時はこう断らないといけないようだ。ところで、甲子園もいよいよ佳境に入り、明日がベスト4の対決だ。東北から、青森山田、関東から、関東一高、近畿から、京都国際、九州から、神村学園。このうち、どのチームが優勝しても、初優勝になる。ところで、島根県立大社高校は、ベスト8まで進出した。大社、準々決勝敗退も見せた甲子園沸かす戦い石飛監督「歴史が動いた瞬間」「ここからが今後100年の
昨日、iPhoneの写真収納のアプリにこんなものが現れた。おすすめの写真で福岡市-野間とある。福岡市南区野間で撮った写真だろう。Googleレンズに尋ねると、、。ナツツバキだと分かった。ナツツバキ-Wikipediaja.m.wikipedia.orgナツツバキのWikipediaである。角川俳句大歳時記では、沙羅の花か主季語になっており、夏椿は傍題季語である。「夏椿高校時代振り返る」ハイジャン男ハイジャン男の通っていた高校は、福岡県立筑紫丘高校であるが、福岡市南区野間にあ
昨日、福岡南郵便局に郵便を出しに行った帰りに、ハイジャン男の母校の福岡県立筑紫丘高校に寄ってみた。校舎がこの一年で新築されて見違えるように立派になった。ハイジャン男が筑紫丘高校に入学したのは、昭和43年である。今から56年前になる。この学年の卒業生が新制の23回生なので、昭和20年に敗戦と共に新制度が始まったということか?ハイジャン男の同窓生のことを筑紫丘23回生という。略して、丘23回生である。この23を「ふみ」と読むと、丘ふみで「踏み」と懸けて楽しいネーミングなのである。20
ハイジャン男は福岡県立筑紫丘高校の新制の23回生である。先ほど、ブラタモリにタモリさんが出演されていた。タモリさんは、ハイジャン男よりも7つ学年が上の16回生である。本日、花畑園芸公園に行くために、野間四角まで歩くことにした。途中に、福岡市南区野間にある母校の筑紫丘高校を見て行こうというわけだ。何故ならば、昨年の12月14日に通りかかった時に、校舎の新築工事をしていた。それが、どうなっているのか?知りたいと思った。遠く離れている同級生に見せてあげたいという訳だ。ところで、2016
ハイジャン男は、昨日、筥崎宮という日本三大八幡宮の一つにお参り出来た。今年は、何とか三八幡宮の三社参りを完成させたい。そこで向かったのが、西鉄大牟田天神線の高宮駅と大橋駅の間の福岡市南区野間にある野間八幡宮にしてみた。この野間八幡宮は、ハイジャン男の母校である福岡県立筑紫丘高校の傍にある。ハイジャン男が高校生の頃は、この境内を通り抜けして通学する生徒も多かった。野間四角バス停から歩いて五分くらいで到着した。お参りする人は一組だけという静かな八幡宮であった。八幡宮の南口。ここから、筑紫
12月13日の福岡タワーからの福岡市近郊の山々の展望右端の山が宝満山(830m)である。二つピークがある右側がよく登られている宝満山である。左側の山を旧宝満山と云う。高さは868mである。宝満山-Wikipediaja.m.wikipedia.org宝満山のWikipediaである。宝満山は福岡近郊で一番人気の山である。昔から、修験者の山として名を馳せた。福岡県には、英彦山という修験者のメッカのような山があるが、英彦山との交流もあったようだ。次に脊振山(1055m)である。福岡
福岡市南区の住人、ハイジャン男は、1971年3月に福岡県立筑紫丘高校を卒業した。この年の卒業生は新制の23回卒になる。それで、この年の同窓生のことを「丘23会」なので、「丘ふみ会」と称して、丘を踏む会にしている。筑紫丘高校と云うのは長いので略して、「ヶ丘」と言ったりする関係から「丘」=筑紫丘高校のようになっている。前置きが長くなったが、タレントのタモリは、ハイジャン男の7つ上になる。ハイジャン男のそばにお住まいだった化学のM先生の次男さんと仲良しで、私の家のそばで遭遇したことがあったかもしれ
10月27日午後2時から、4年ぶりとなる丘ふみ会が博多駅のすぐそばの博多Nビル内のIRISHPUB«CELTS≫で開かれた。丘ふみ会とは、福岡県立筑紫丘高校の新制23回生の同窓会のことを云う。通称「丘23回生」の「23」を「ふみ」と読み、「おかふみ」と読み、「丘踏み」と「丘23」を懸けている。今回の出席者は、62名とか、学年に470名在籍していたので、その出席率は、13.2%となる。我々の年代の生存率は88%であるので、生存者の出席率は15%となる。つまり、生存者の100人中1
昨日、ハイジャン男は、博多駅近くの博多Nビルのお店で開かれる丘23会(おかふみかい)の同窓会に参加して来た。4年ぶりに開かれた。丘23会とは、福岡県立筑紫丘高校の新制23回生の同窓会のことだ。この話は、また、違う投稿で詳しく。地禄神社からバスを乗るつもりで、神社の境内を抜けた。大きなイヌマキの木があり、その実を踏みながら行かなければならない。イヌマキの実は季語ではないようだ。どう詠むか?「産土を通り抜け行く木の実落つ」ハイジャン男