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【問題】≪難問≫福岡城の石垣普請奉行を野口一成とともに務めたのは、次のうち誰か?【選択肢】益田正親衣笠景延村田吉次久野重勝【正解】益田正親【解説】益田正親は農家出身で、黒田孝高に取り立てられて士分となった。戦場での働きが認められて筑前入国後3,000石を領し、野口一成とともに福岡城の石垣普請奉行を務めた。
5月から8月に行ったところ✈️振り返ると、よく行ったもんだなぁ…と自分で思う5月大牟田神社・対馬・志賀島6月宮島大願寺・大聖院6月玉置神社・和歌山最南端7月ソウル7月福岡城・大牟田神社8月由加神社・蓮台寺
最終日、西鉄ホテルクルーム博多駅前からチェックアウト後、市内観光することにしました。先ずは初日の夜に中洲の橋から見えた赤いタワー(博多ポートタワー)を目指します(2.8km)…とここで博多にやたらとお寺が多いことに気づきます。京都と張り合えるほど多いです。博多お寺巡りなんてしてみるのも趣きがありますね。そして北へ北へと向かい到着した博多ポートタワー↑左下は櫛田神社浜宮ポートタワーの次は大濠公園へ下の写真の赤の矢印から黄色の矢印まで歩いて大濠公園を通り抜け国体通りに辿り着きまし
市町村の名前由来名前の由来に興味をもち調べてみると福岡市福岡県福岡市岡山県の福岡が由来黒田藩の殿様がもともと住んでいた場所が備前(岡山県)の福岡という地域だったので黒田藩のお城を福岡城と名付けたそして、この地域を福岡と呼んだことから今の福岡ですその岡山県には福岡神社もあります(現・岡山市東区)その福岡地区は現在の岡山県瀬戸内市です昔に埼玉県には福岡町が有って市制施行で福岡市だと福岡県福岡市とかぶるので上福岡駅名から上福岡市になったそうです現在は
記事増えてるので一つにまとめたものを…10月3日福岡城太宰府天満宮10月4日日帰りバスツアー阿蘇山、高千穂日帰りバスツアー天岩戸神社、天安河原10月5日夏目友人帳×くまモンラッピングバスツアー山江SA、松谷棚田夏目友人帳×くまモンラッピングバスツアーさんがうら、菅原天満宮、大畑駅、一武八幡宮夏目友人帳×くまモンラッピングバスツアーおかどめ幸福地蔵菩薩10月6日熊本城(5日目)くまモンスクエア→水前寺成趣園→熊本庁舎→熊本市下水道局(5日目)サクラマチクマモト
福岡城に来て散歩したよ。江戸時代の福岡は、武士の住む福岡地域と商人が住む博多地域の2つの都市が、分離・隣接した全国的にも珍しい双子の都市だった。●黒田長政が関ヶ原の戦い後に、家康から52万石を与えられ、新たに築いた城。●日本有数の巨大な城郭だったが、明治維新後に殆どの建造物が取壊された。城跡には野球場(平和台球場)や多くの運動施設が作られていたが、令和の時代になって積極的に史跡整備が進められている。●一部の堀が埋め立てられたが、本丸〜二の丸〜三の丸の敷地が大都会に
先日の土曜日に唐津街道を歩いてきましたが、街道歩きだけではちょっともったいないので、街道から2回離脱をして少し寄り道。大阪人が福岡の昔と今のランドマークだと独断と偏見で勝手に決めつけた場所へ足を運んでみました。福岡市民の方がどう思ってるのかは知らんけど!まずは古き時代のランドマーク、福岡城へ向かいます。地下鉄の赤坂と大濠公園の間から街道を外れ、南側の通り(明治通り)に入ったら東方向へ逆戻りします。ここは福岡城の堀、一面にハスが枯れた状態で水面を覆ってます。花が咲き誇ってる姿、
ぶれたなぁ~😢気になったからサクッとチャリで行ってダッシュで見て来ました✨めっちゃ人少なっ・・・福岡市・鴻臚館エリアで12月14日までしてるよ~✨無料やからまあ・・・
街角イルミネーションウォッチング「光の城郭まつり」。年末につき、天神や博多駅や大名や中洲の喧噪と、ケバケバしいイルミネーションの競演も決して悪くはないけれど、繁華街からちょっと離れてみるのもいい。「光の城郭まつり」は、福岡城・舞鶴公園の「過去と未来」がコンセプトのデジタルナイトイベント。夜の福岡に、「光の城郭」が誕生している。道路わきには灯篭が静かに立ち並び、「潮見櫓」の光と音のシンクロショーからスタート、「梅園」ではお神籤を引いて提灯を渡され、光のゲートくぐる。その先の「表御門」では
黒田斉清福岡市博物館福岡藩黒田家の血脈は一般的には6代黒田継高で途絶えたとされます。後を継ぐ7代黒田治之は一橋徳川家、福岡藩は7代目藩主を決めるとき藩祖黒田官兵衛や初代長政公の血をひいた女系の縁戚も候補にありましたが、お家の安泰を考えると一橋家の縁組案をのまざるを得なかったのでしょう。8代黒田治高は多度津藩京極家から迎えますが福岡にきて半年もたたず福岡城で亡くなります。福岡では領内の巡見や山笠見物をなどをしました。短い間でしたが今も博多の東長寺に大きな五輪の塔のお墓が現存しています。9代目
今日は福岡出張でした。福岡に出張なんて人生二度目。出張で福岡に来ることはもう二度とないでしょう。10時前に博多に入り、呉服町で業務。3時間ほどで仕事を終えて、後はフリータイムです。今回の福岡はYUI処巡りを断念して、ハマっている城巡りをしました。福岡城跡ざっくり外から見たことはありましたが、がっつり見たことなかったのでこの機に。呉服町から地下鉄で大濠公園まで行き、福岡城の堀に到着。潮見櫓福岡城跡北西の隅櫓です。お堀越の下之橋と下之橋
初日の続きです。ここが西新商店街です。平日の午前中にもかかわらず結構な人混みです。福岡市天神が東京の銀座に例えると、この西新は吉祥寺かな。東京とは規模は違うけど。修猷館高校、西南学院高校・大学があり、若者が多く活気があります。元々は江戸時代初期に福岡藩三代目当主、黒田何某がこの地に紅葉八幡宮を開くと門前に人々が住み始め、それから発展したそうです。室見駅からここまで2.3㎞。博多駅はまだまだ遠い。西新から天神に向けて一枚西新の先は唐人町唐人町商店街ペイペ
1年に2回も九州に行く予定はなかったのですが、夏目友人帳のラッピングバスが出るということで今行かないと乗れない!と無理に2回も九州旅行に行くことに前回の時にはそんな情報出ていなかったので、もう九州はしばらく来ないだろうなと思っていたのに、半年もたたないうちにまた来るとは…って感じでした今回も1泊は前回と同じホテルで予約をとりました。前回大濠公園のライトアップを見たので、今回はライトアップはみることなくホテルへ…着いたら20時過ぎていたので、そのままホテルで過ごしたので特に何も書くことない
福岡城築城から間もなく黒田長政は信頼のおける家臣を集めて釈迦の間で忌憚のない意見交換会を行いました。それについては貝原益軒の編纂した。黒田家譜に記載があります。黒田家譜は1688年に完成した福岡藩の正史ですが、三代藩主黒田光之の時代に編纂されていて長政が、亡くなって65年は経ってますので不確かな記事もあります。黒田家譜巻之十五長政遺事より抜粋長政平生異見会として、毎月一度づつ本丸釈迦の間(此書院今に在り、釈迦の像は禅月大師筆、圓鏡国師の賛この一幅も今にあり)に釈迦の像をかけ、夜ばな
二日目の朝食は大濠公園北側の池のほとりにある「ロイヤルガーデンカフェ大濠公園」で。9時の開店と同時に入り、窓際のカウンター席に座ります。英国式のカリカリのベーコン、目玉焼き、焼きトマト、ビーンズとトーストのセットを選びました。天気も良く、なかなか良い眺めです。続いて、大濠公園の南岸に向かって歩いていきます。池の南側にある福岡市美術館の入口付近に草間彌生のかぼちゃのオブジェがあり、入館しなくても見学することができます。3年ほど前に瀬戸内海にある直島のベネッセハウスミュージアムに宿泊したので
す電話占いフルゴラスピリチュアルカウンセラー上品凜々子【ウエシナリリコ】です福岡城跡を訪ねてみました福岡に住んでいながら離れたところからこの場所をみていながらここに足を運ぶのは久しぶりです天下統一ここは江戸時代黒田長政が新しい城と城下町を築き「福岡」となずけました都市「福岡」の始まりここは天下を取るエネルギーが満ち溢れていて成功運・出世運を受け取ることができる場所です「癒やし処アンジェロル
福岡城光の城郭まつり11月7日〜12月14日福岡城松の木坂御門三の丸から二の丸に上がれる、一般の藩士の通用門【提灯おみくじ】受付で提灯を貸し出しています(無料)提灯はおみくじにもなっていて、灯りをつけたらピンクになり、恋愛運が上がる提灯だそうです。紫は対人関係がよくなるなど色によって運勢が違います。梅園【光のゲートとおみくじ】本丸表御門【巨大暖簾とプロジェクションマッピング】藤巴の幔幕はプロジェクションマッピングになります。お見逃し無く。表御門は藩主や重臣しか通用できませ
天神地下街8番出口かつて福岡城のお堀だった部分をオマージュし復元された石垣が見れます🏯カメラを翳しても通行人は誰1人気付かず薄暗い地下道を右往左往のpassenger🚶♂️お堀は現在の新川〜天神中央公園〜市役所〜地下街〜バスタ〜岩田屋本館〜大名地区〜鴻臚館までありました。古地図と合わせると「な〜るほどね〜」🥷江戸時代の博多を炙り出す🗺️歴史探訪🔍洒落とんしゃ〜〜✨JunJism
ノリスケです!YouTubeで朗読配信をしています。朗読を始めて、11月で3年になりました。さて今回の朗読は、坂口安吾(1906-1955)の『黒田如水』という作品です。黒田如水とは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、軍師との異名をもつ黒田孝高(官兵衛)の隠居後の名です。わが町、九州・福岡という地名の由来は、如水の子、長政が関ヶ原の戦いの功績により、筑前国五十二万石を与えられ、新しい本拠城の名称を黒田氏ゆかりの地、備前国(現在の岡山県)の福岡より名を取って、「福岡城」と命名、城下町を
カメムシとアブ福岡城天守台クサギカメムシハナアブ福岡県福岡市中央区🔼福岡城天守台の前でカメムシ発見。🔼クサギカメムシです。🔼マダラカメムシかも。まぁどっちにしても嫌われ者のカメムシです。個人的には可愛いと思います♥️全国政令指定都市にある巨大城郭の中でダントツで整備されてない福岡城!!福岡市ヤル気全く無し!!カネ持ってるやろうもん!!🔼トゲカメムシもいましたよ!!🔼ハチに擬態しているハナアブも発見!!🔼夏の忘れ物がありました!!久
福岡城跡へ博多駅から電車で。天気がいい人が少なくてよき。近くの公園のカフェでランチ鯖のお茶漬け&ローカルズ大濠公園店&ローカルズ大濠公園店(六本松/カフェ)★★★☆☆3.51■予算(夜):¥1,000~¥1,999tabelog.com次!もう一箇所再度電車移動水城跡よくわからないからGPTで調べたふむふむとりあえずスタンプゲットホテルに戻り休憩夜は予約してたもつ鍋へ一人もつ鍋ができるところを予約店の前にはすごい人が待ってて予約して良かっ
イルミネーションが準備中で気になる物を発見しました。ロケット発射台か電波塔のような器具が設置されていて、電線を設置の作業をされている方にあれは何かを聞きました。【天守台から見た御神木松】「すみません、あれ何ですか?」「7日からあるイルミネーションで、かって本丸にあった御神木をイメージしています。」「ああ!本丸中央にあった松の木ですね。」かってあった福岡城の御神木松は本丸全体のほぼ中央にありました。ですので本来の位置はもっと南側のはずですが通行のじゃまにならない場所にした
10月17日の昼過ぎ、福岡空港に降り立ち、その足で地下鉄空港線を用いて福岡城に向かいました。案内図大濠公園駅(上の案内図の左上部)で降りて東へ進むと、①外堀と②潮見櫓が見えてきます。①外堀と②潮見櫓②潮見櫓は、舞鶴公園の北西の隅にあった櫓で、1908年に「崇福寺」(博多区千代)に移築され、仏殿として使用されていました。1991年の福岡市の調査で小屋裏から見つかった棟札により、この崇福寺に移築された建物が「潮見櫓」だということがわかり、本来の場所に移築復元されました。①外堀に沿ってさらに
令和七年神無月廿三日此度も日々皆様へ心より感謝し、我が黒田武士録を書き留めて参る。本日は細川殿らと共に福岡城下のNHK福岡放送局へ出陣。絡繰受像機(テレビ)、電波戦(ラジオ)にて、熊本の旬な情報をご視聴下さった皆様、心より感謝申し上げる。はっけんTVの鹿野殿、松井殿、はっけんラジオの藤澤殿、篠﨑殿、そして両番組関係者皆様、熊本の情報を最大限に発信して下さり、心よりお礼申し上げる。我等武将隊に対しても、自由に動けるよう采配を振るって下さった。深く感謝。九州沖縄に住まいの
皆様方。此度は儂の“直往邁進記”を御覧頂き、誠に感謝致しまする。本日、筑前福岡に出陣。NHK福岡放送局にて放送の『はっけんTV』と『はっけんラジオ』に官兵衛殿と共に出演してきたぞ!「秋のくまもとお城まつり」をはじめ今後熊本城城下で展開される催しの告知を致した。是非多くの方々に来てもらいたい限りじゃ。また、会場(スタジオ)に駆けつけてくれた者たち。誠に有難う御座った!援軍感謝致すぞ!そして、間の時間にて福岡城にも足を運んで参った。天守台や福岡の城下町を見たり、福岡城・鴻臚館案内処
高速バスは…夜明け前の早朝、壇ノ浦のサービスエリアで本州で最後の休憩をとり、トイレの天井にぶら下がってた。関門橋と対岸の門司朝8時頃博多天神でバスを降りました。卵かけ朝定食を食べ、時間があったので、福岡城公園へお散歩。天守閣跡は発掘中だったので入れませんでしたが、咲いてない枝垂れ桜、咲いても実ってもいない梅園、紅葉してないイチョウ、などなど楽しみながらお散歩。今回は友達と2人だったので、またその友達がしっかりしているので、いつも以上にスムーズにあちこち楽しく行けました。何でも、そ
九州城巡りの旅、4泊5日の予定で、10月12日にスタートしました。先ず、新幹線で博多に行き、タクシーで福岡城に行く。福岡城は、大濠公園の隣にあり、大きな縄張りになている。大手門を入ったところ。本丸は、工事中で見学できず。天守台は閉鎖中。多門櫓が唯一の建物。あまり見るところは少なかった。天気が良くて人手も多かった今回の夕食は、すべてホテルの夕食付でとった。この方が、面倒くさくないので良かった。
※加藤司書の周辺(成松正隆著)及び筑紫史談・加藤司書入牢三日間の記事より加藤司書(AIによるイメージ画)1830年-1865年加藤家11代加藤家の初代の加藤又左衛門重徳は有岡城城主荒木村重の家臣でした。主君の村重が織田信長を裏切り、黒田官兵衛が今のJR伊丹駅付近の有岡城に村重を説得に行きましたが、土牢に幽閉されました。官兵衛が幽囚されてる間に何くれと世話をしたのが初代の加藤重徳です。有岡城落城の折には官兵衛をその家臣と共に協力して救出しました。この初代の加藤重徳の11代目が加藤司
福岡城潮見櫓は今年(令和7年)春に復元が完成しました。かって福岡城内の北西にあった櫓です。この潮見櫓は明治時代に黒田家の菩提寺の一つの崇福寺に移築され仏殿として使用されていました。調査の結果、明治時代に移築した際の棟札が発見され、それには「福岡城潮見櫓」と明記されていてこの櫓が潮見櫓と確定しました。かって潮見櫓と思われていた下之橋御門の側の伝潮見櫓はなぜ潮見櫓と思われていたのかと言うと、明治以降に福岡藩の重臣3軒分(浦上、吉田、野村)の下屋敷跡の敷地を黒田家の別邸として使いまし