尼子氏再興の旗を掲げて空しく散った尼子勝久と山中鹿之介が最後に立て籠もっていた上月城から直線距離で3.5kmしか離れていないところに福原城(佐用城)がありました。赤松氏一族の佐用氏が築城したとされ、後に同じ赤松氏一族の福原氏が拠ったために佐用城とも福原城とも称されるこのお城は、上月城に山中鹿之介たちが立て籠もった天正6(1578)年より1年早い天正5年、羽柴軍による激しい攻防戦の末に落城したという歴史を持つお城です。播磨国における織田勢(羽柴勢)の状況をやたらと大雑把に説明すると、天正5年には羽