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不二、仏教用語らしいです。あまり、宗教用語は使いたくありませんが、考えさせられた言葉なのでそのまま使います。不二、言葉ぐらいは聞いた事があります。峰不二子の不二。(ルパ〜ン)不二家の不二(ミルキーはママの味)等など。不二にはいくつかの意味があります。二つと無いこと。二つに見えるが、実は一つであること。等です。峰不二子は、二人といない素晴らしい女性と言えますし、不二家も、二つとない素晴らしいお菓子屋さんと言えます。実は富士山も、不二山と言われるこ
目標を達成する、目標にまっしぐら、いいと思います。でも目標を達成したらどうしますか。燃え尽きでいいですか?以外に、大切な事を見落としているのではないでしょうか。過程です。料理好きの人が言います。料理を作るのが好きなの。料理を作れば料理は完成します。美味しく、美しい料理は作った本人も、周りも喜ばせます。しかし、その前に料理好きの人は、料理を作ることが好きなのです。私は以前、山登りによく行ってました。当然、頂上を目指します。しかし、頂上にたどり着けなく
好き頭でも狂ったかと思った皆さん、元からまともではないです。(偏差ではないです)花びらも一枚一枚好き嫌い好き・・・なんてやってません。むしっているのは犬の抜け毛ぐらいなので、安心してください。好き、とても大切な要素だと思います。まがりなりにも、仏教系の瞑想を嗜んでいて、こんな煩悩臭い事言っていて良いのかお叱りを行けそうですが・・・好きとか、嫌いとか、拘りを生むような心の状態は、良いとは言えないのではないのか?個人的には、いいんじゃないかと思っています。好
ラーマ(マーガリン)じゃないよラーハだよ。先日テレビを見ていてラーハと言う時間が、イスラム圏にはあることを知りました。イスラム圏ではラーハと言う時間を持つことが非常に大切とされ、幸せとされるそうです。このラーハと言う言葉は、厳密に日本語に訳す事は出来ないそうです。一応解釈としては「労働」「遊ぶ」このふたつの時間に収まらない第三の時間であったり身体を休めるだけでなく、心もリラックスさせる時間とされています。具体的には仲間でお茶を飲んだりおしゃべりしたり
築基功は読んで字のとおり、基礎を築く功法です。一般に思われるのは、基礎を築けば次の段階に進めると言う考え方です。家の基礎などはまさにこの考え方で、基礎があるからこそ、その上に家を建てることができます。個人的にはこの考え方は半分は正解で、半分は間違いだと思います。それは基礎のレベルにより、その上に立つ建物は制約を受けるからです。二階建ての木造住宅を建てるのと、15階建てのビルを建てるのでは、そもそも基礎構造自体が全く異なります。どのような建築物を建てたいのかで、どのような基
瞑想に興味があると、どうしても身体的な感覚や、身体に起こる現実は見逃しがちになる。しかし、身体と心は繋がっており、相互に関係しあっている、とても繊細な関係である。いくら、心が静寂で安定しても、首を絞められて静かに瞑想できる人はいない。人間は苦しさや、痛みには強烈に反応する。心地よさがあっても、苦しさ、痛みがあると、たちどころに心地よさは吹っ飛ぶ。瞑想をしていると、どうしてもこういった身体の事が無関心になりがちだが、とても大切な事に思えてならない。どうしてそのような事を言う
「丹田」と聞いて知ってる方は多いか、少ないか?私は知らない方が多いのに驚いた記憶があります。気功をやりだして、自分では知ったと認識してますが、実は記憶違いかも知れません。丹田に力入れて歩くと言われてたのかもしれません。背中に物差しを入れられたりしてました。言葉自体は知ってたので、気功をやりだして、すんなり違和感なく入れたのかと。まず、名称が「禅密気功」と言います。くにゅくにゅと、気持ちが良いのです。基本の本です。基本の動作が3つです。
重厚で充実感のある瞑想ができるようになり、日々の瞑想に張が出来ました。しかし、ここでまた問題が発生します。せっかく、手に入れた感覚が何だか薄い感覚へと変わっていきました。あれほど重厚感があった瞑想も、少しずつ薄まっていきます。感覚がなくなった訳ではありません、しかし物足りない感じがします。今までボロネーゼのパスタを食べていたのに、いきなり精進料理になった感覚です。濃い味に慣れた体は、濃い味を求めました。しかし、味は薄いままです。この身体の感覚が徐々に薄くなる現象は、以前、朱剛
2日目今日も、蠕動から始まる。ただ、慧功を経て行う蠕動は、周通空霊の蠕動になる。同じ蠕動でも、段階により中身が違う。単純な動きだが、動きを繰り返し、他の功法を経るごとに、中身は深まっていく。蠕動は動功だが、その動功が基礎となり、瞑想になっていく。しかし、間違えてはいけない。動功の動きが小さくなり、静功になるが、静功ばかりやっていれば良いと言う訳ではない。全てはバランスからなっている。動功だけ静功だけにならぬようにバランスを取りながら練習する!そうでなければ、心身の健康
1日目午前中は仕事だったので、急いで東京に向かう。昼食は新幹線の中で、PaoPaoの肉まん2個、思ったより大きく、中々侮れない美味さ。お腹は十分、満たされた。準備完了。14時、教室着、間髪入れず蠕動に入る。本日は慧功を重点的に。慧功・洗心法は禅密気功では中級功法になる。朱剛先生は築基功・双雲功さえ受講すれば、その後、初級、中級、上級の分けは、あまり区別をされていない。要するに築基功・双雲功を受講すれば気功師研究会、以外のコースには参加が可能になる。極端に言えば
本日は1日だけですが、道家の小周天瞑想に参加。気功と言えば小周天が頭に浮かぶほど有名な気功です。自分は周天と言うものが、何を意味するのか知りませんでしたが、天が入れ替ると言う事らしいです。何が入れ替わるかと言うと、昼と夜が、入れ替わることです。要は太陽が昇り、沈み、月が出て、沈む、昼夜の入れ替わりです。そんな日月(陰陽)の入れ替わりを、呼吸を基に体内で行います。息を吐くときに、陰面(腹側)伝いに、気を降ろし、息を吸うときに、陽面(背中)伝いに気を上げます。一般的には、任
瞑想は難しいか?それは何とも言えないのが、正直な感想です。マインドフルネスのような瞑想であれば、個人的には簡単だと答えます。瞑想入門には、持って来いだと思いますが、コクと深みが足りないと個人的には思います。ヴィパッサナーや、数息観のような単体の瞑想も、簡単だと思います。そしてこれらの瞑想は、徐々に深い部分を目指します。瞑想初期の段階では、身体にいろんな反応が出るので、それを以て満足しがちです。しかし、それでは瞑想の体系的には入門したとは、とても言えません。小学校に
秘伝、秘密、なんて心をくすぐる言葉であろう。脇の下、コチョコチョどころの騒ぎではありません。自分だけ特別、自分以外に誰も知らない。こんな事実があれば、優越感に浸れること間違いなしです。秘伝などはあるか、無いかと聞かれれば、あるかなとは思います。ただ、秘伝と言う名のチョットしたコツだと個人的には思っています。私は武術を嗜むので、特に秘伝と言う言葉にはよく出会います。秘伝と言って良いかは別にしてこれはうちの流派だけに伝わっている技術だよ、◯◯さんには特別に教えてあげる
6月1日吐納気法(1)(2)昨日は会員の方と一緒に帰った。短い道すがら、太極拳の老六路の話をしたり、気功を始め、物の感じ方が変化したり、考え方が変わったり等などの話をした。実生活を含め、良い方向に変わっていっている。感覚は繊細になり、性格はおおらかになった。蟻の思いも天に届くなんて話もしました。昨今、世の中、ギスギスしすぎなので皆、ちょっとは気功をやってほしいものだ。誰か一人がおおらかであれば、怒りの連鎖も多少は減るだろうに・・・午前の部開始昨日の納気法の復習、動作が難しい
5月31日吐納気法(1)(2)今イチ苦手な吐納気法、久々の参加。世の中は自分だけでは、成り立っていません。自分の世界を、内なる世界とすれば、それ以外は、外なる世界です。内なる世界と、外なる世界は、互いに干渉し合って、この世の中が成り立っています。内なる世界は、誰もが認識出来て、分かるか分からないかと言われれば、分かると思います。しかし、個人主義が際立ってきた今現在、外なる世界とうまく繋がっている人はどれくらいいるでしょう。外なる世界との繋がりが希薄な今、逆に本当に自分の事が、分か
5月6日光の瞑想四日目瞑想会には、三日目の壁がある。普段座り慣れていない人は、三日間座ると精神的にも、肉体的にもエネルギーを想像以上に消費する。しかし、三日目を超えると、峠を越えた状態となり、心が晴れ渡り、これぞ瞑想と言う世界が待っている。自分も昔は三日目の壁で相当、体力、気力とも削られたが、今はそういった類いの辛さとは無縁になった。四日目の始まり四日目ともなると、安定感が増してくる。文章にするのは難しいが、感覚的に確実に認識出来る。非常に静かで、穏やかな世界の中に、いること
5月5日光の瞑想三日目朝、地下鉄で瞑想していたら乗り過ごす。よって、本日も神楽坂で下車、教室まで歩く。ケヤキ並木が心地よい。三日目開始始まった時点で、気感が強く身体中に充満している、充満感があると気が入り込む隙間がなく、気が動きにくい。これは良い状態なので、そのまま光の瞑想に入る。心は非常に安定している、雑念もほぼない。しかし、光の瞑想が目指す、段階には到達しておらず、まだまだ、練習が足りていない。今後も地道に練習を続けるしか道はない。昼食時は、哲学的な話になることが多い
5月4日光の瞑想二日目朝から武友2号のLINE攻めにあう。昨日、武友1号と池袋で、ガチ中華を食した。その時、武友2号に武友1号と飯を食っていますとLINEした。〇〇さん、東京まで何しに行っててるんですかと言うメッセージが届き、気功を習いに来ていると答えた。すると、どんな気功で、どんな事習っているのと返信がきた。昨晩は、ここまでで寝たが、日が変わりLINEのメッセージが、矢継ぎ早に届き、返信していると飯田橋を乗り越し、神楽坂で降りるハメになった。だが、質問は止まらず、次々にLI
5月3日光の瞑想一日目教室には、だいたい30分位前に到着する。集中コースが始まるまでは、身体を動かし各部をほぐす。手のひらが、真っ赤になっている。準備完了である。本日から4日間光の瞑想に参加。どちらかと言うと、苦手意識のある光の瞑想自分にも、馴染み深いものにしていきたい。性格がガサツなので、繊細な感覚を身に着けていきたいものだ。光の瞑想は氣の瞑想とは違い、意識の置きどころ、持つべきイメージが違う。氣の瞑想が極まって来ると、自ずと光の瞑想に移行していくが、
太極拳の歴史と言えば楊式太極拳で終わりと思っているあなた・・・確かに楊式系の太極拳は、大衆化し世界に広まった。しかし、広まる事で、太極拳の本質は薄まってしまった。楊無敵、こんな言葉すらほとんどの人が知らない。今日はMr.太極拳この人抜きにして太極拳は語れない。私は太極拳を20年やっていますのよ、今日は白鶴亮翅(バイフーリャンチ)と倒巻肱(ダオジェンゴン)を少し嗜みましてよ、オホホなどと能天気にお話しているあなた。この人の名をご存じか?。もしこの人の名前も知
前回、外気の施術が良かった為、短期集中講座の翌日、再度、外気施術を受けた。外気の施術なので、そもそも論、気とは何ぞや?と言う話になってしまうが、その様に思う人は受けなければ良い。自分は前回、外気を受けて一定の効果があって、もう一度受けてみたい!。ただ、そう思っただけである。受け手の状態もあるが、今回は前回よりも相当に濃厚だった。あっさり喜多方ラーメンと、豚骨白濁グツグツ博多ラーメンぐらいの違いはあった。外気を受けたのは主に、頭と胃になる。これは前回と同じである。胃に外気を受けたとき
コツコツ、骨の話ではありません。仕事などではコツコツタイプの人が、地道に努力し、年月を経て驚くような実力を身に付ける事実を、目の当たりにすることがあります。このコツコツ力は、地味ですが、確実に効果が表れる、魔法のような力だと思います。禅密気功は、他の気功に比べ、とても地味だと思います。それは、体系上、深堀して深みを目指していく事を、目指しているからでは無いかと思っています。禅密気功の動功の基本は、僅か3つです。その3つすら最終的に纏めますので1つになります
信じること、疑うこと難しい問題です。信じる事、疑う事、誰もが持っている心の動きではないでしょうか。疑う事は簡単ですが、信じる事は以外に難しいです。人間という生き物は、基本的に相手を信じる生き物だそうです。それは、進化の中で会得した能力だそうです。人は相手を信じる事で、効率的な狩りが出来るようになり、他の動物に比べ多くの食料を獲得出来るようになりました。相手を信じる事が人類に発展に大きく関わりました。しかし、騙す人が多くいるのも周知の事実です。男に騙され、女に騙され
R7.2.24気の瞑想瞑想の基本について、朱剛先生から話がありました。気功の真髄は瞑想です。道教、仏教系ともに、伝統的な瞑想方法があります。要するに手段です。手段さえ分かっていれば、古い伝統と、知恵に基づいた瞑想ができます。私は、手段が知りたいのです。しかし、目的は自分で設定します。そして、私の世界感、価値観は、やはり宗教の世界観とは、異なっていると感じます。しかし、瞑想を行うことにより、たどり着く心の状態は、ほぼ同じです。ほぼと書いたのは、仏教、道教の世界観と、現代に生き
R7.2.23気の瞑想朱剛先生から、朝イチで、瞑想に対する考え方の話がありました。気功の瞑想は、大雑把に言うと、道教由来と仏教由来です。しかし、瞑想をするために、仏教や道教に入信する必要はないです。マインドフルネスなども、仏教由来の瞑想ですが、マインドフルネスを嗜むために、仏教に入信する人はいません。そして瞑想を楽しむための資格ですが、そんな物はありません。金持ち、貧乏人、男、女、賢い人、残念ながらそうで無い人、全く関係は無いと思います。朝イチで瞑想に関して、道教、仏教の話があり
相変わらず、朝は瞑想をしていました。特段変わった事はありません。しかし、徐々に変わっていった事があります。あれほど悩まされた雑念が、少しずつ減っていきました。自分の心の中に、雑念が無くなった訳ではありません。煩悩の数は108あると言われていますが、私は友人から〇〇は煩悩が200あると言われてますが、言い返せない自分がいます。早朝に少し座ったくらいで煩悩が無くなる訳はありませんし、そもそも私は煩悩を無くそうなんて、これっぽちも考えていません。できるなら、煩悩をエネルギ
2日目神通法昨晩は、ブログを書いたあと30分瞑想した。本日は、朝食後、1時間瞑想した。身体感覚、時間感覚が喪失する瞑想だった。なかなか好い。まだまだ捨てたもんじゃない。本日も蠕動から始まり、気の瞑想、神通法の儀規に移る。神通法は、直感力を磨く功法だが、基本的に瞑想となんら変わらない。結局のところ、直感力も瞑想の一部であり、瞑想の延長上にある訳なので、当然と言えば当然である。儀規についても、特に目新しい動作なく、今までの功法に含まれる動作と、酷似している。違うのは手印ぐ
1日目神通法本日は、午前中仕事だった。終了後、速攻で東京に向かう。教室に到着したのは、14時20分過ぎであった。神通法は、初参加である。神通法は直感力を磨く功法である。何事も複雑に絡み合い、色々な事を考えてからしか判断出来ない現代においては、大切な要素を含んでいると思う。人間、サッパリと生きたいものだ。教室に到着した時は、皆さん蠕動中であった。途中からいきなり参加したので、詳しい説明を聞いていないが、それはそれでよい。その後、瞑想に入り、神通法の功法、儀規に入る。動作
外気施術人間生きていると、好む好まないに関係なく色々な事が起こる。昨年4月、5月に体調を崩した。まさか、自分がと思ったが、体調が悪くなったのは事実だ。体調が崩れたのには原因があり、原因事体、自分でも分かっている。しかし、分かっていても逃げられない、避けられない、一般的にそれをストレスと言う。もともと、健康な人ではあったので、外気には興味があったが、健康体で面白半分で施術を受けるのも申し訳ないと思い、控えていた。しかし、望まない形で、外気施術を受けても良いのではないかという状態になっ
第一夜、第二夜では身体と心について語りました。第三夜は、遊び編です。遊び編?と思われる方も多いのではないでしょうか。気功が遊び?もうちょっと、真面目な内容にしてくれよ!しかし、私は、大真面目です。遊びと言う表現を使わないとすれば、楽しい、面白い、が当てはまるかなと思います。気功は、心身共に整えていく文化です。気功は短期間でも効果がでます。しかし、長く続けて行うことにより、効果が継続的に得られ、本当の意味での恩恵にあやかれます。大切なのはコツコツ続け