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江戸時代の、禅僧、画家。仙厓義梵(せんがいぎぼん)の作品が目に焼き付いて離れない。真理が深くてオモシロイ。★「指月布袋画賛」★「○△□」それらの作品が何を指しているのか?、・・・・が、実に、オモシロイ。。。。と、ひとりごとでもw。
心を穏やかに保つ禅の教え「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた禅僧が教える悩まないコツhttps://www.newsweekjapan.jp/stories/lifestyle/2024/04/-100-1.phpうまくいったことと、うまくいかないことが混在するのが人生。だから、うまくいったことが、うまくいかなかったことより、「少し多い程度」でも十分に幸せなのではないかと思います。うまくいったことばかりで、何も失敗しない人生はあり得ませんし、失敗しないのは「リスク」を取ってい
いつもマメにしていることは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよういんげん豆の日(4月3日記念日)1673年(延宝元年)のこの日、いんげん豆を中国から日本に伝えたとされる隠元禅師が亡くなった。隠元禅師(1594~1673)は中国・明の禅僧で、江戸時代前期に来日して日本黄檗宗を開祖した人物。来日後、将軍徳川家綱により厚くもてなされ、中国にいた時と同じ萬福寺というお寺を京都・宇治に創建した。また、いんげん豆を禅の普茶料理(精進料理)の材料として普及させた。
ある禅僧の方が、座禅と瞑想の違いを問われ、瞑想は何らかの目的を持って行い、座禅は何も目指さない、無目的でただ座る、といった回答をされていました。私は無目的の瞑想を教わり、自分自身それを行なっているので、全ての瞑想が目的を伴うものとは思いませんが、一般的な説明としてはこれが良いのでしょう。時々瞑想会やセッションで、「この瞑想を行う目的は何ですか?」とか、瞑想会を紹介してもらう際に、「瞑想会に参加してどういうメリットがあるかなどを示さないと、なかなか人が集まらないので、瞑想の
あの未曾有の大震災から13年。10年ひと昔と言うけれど、まったく、ひと昔に感じられない、昨日の事のよう・・・また、個人的な事で恐縮ながら、3、11は、この世で1番大好きだった、祖母のご命日だけど、深い悲しみの被災された方々に配慮して、ヒッソリとしか法要を営んであげれていませんが、昨夜、祖母の夢を見ましたので(人より沢山、寝ていますので、そりゃあ夢も見る訳ですが😣😣)しんみりと、心で大好きな祖母に手を合わせた🙏お婆ちゃん、こんな無様な今の私を心配しているでしょう・・ごめんなさ
昔から、普通な人々は勿論の事、先哲、聖賢の方々もこの死の問題に付いて程、如何に論議し説得され、又解決しようと努力された方々はいない事でしょう。言う迄もなく如何なる幸福も如何なる希望も、この死によって万事休すで、この事以上に恐るべき事はあり得ないからです。この恐るべき死なるものは、特殊の事態は別と致しましても、その大多数は病気という不可抗力とも言うべき事によるからです。少なくても九十歳以下で死ぬ事は、病気によるものですから、不自然な死と言う事になります。人間の天
原材料に毒物いろいろ投入かと思うくらい売られているお漬物って買うのを躊躇するくらいあれこれ入っています。野菜も中国産の場合あり。表示を見て毒物か?と思い買わないことが多いです。ピンクや黄色緑などの着色された漬物は食べません。珍しく漬物を買ってみました。昔ながらのたくあんの製法で作られたたくあん昔の味を食べてみたいと好奇心がわきました。食べてからパッケージのすっぱいよ~の一言入りに納得。塩気とすっぱさを感じる沢庵でした。昔の手作りの元祖たくあん味なんだろうなあ。安
禅僧として各地を行乞の旅。旅のさなかに数多くの句を残した俳人山頭火の公開された作品を掲載します。赤い壺種田山頭火1916年(大正5年、34歳)「層雲」大正5年3月号ー2自己を掘る人の前にはたった一つの道しかない。狭い険しいともすれば寂しさに泣かるる道しかない。叱られて泣いた昨日があった。殴られて腹も立たない今日である。――悔なき明日が来なければならない。外部の圧迫は内部の破綻を緊密にする。そこに人間性の痛切な一面がある。死を恐れないのではない死よりも恐ろし
禅僧として各地を行乞の旅。旅のさなかに数多くの句を残した俳人山頭火の公開された作品を掲載します。赤い壺種田山頭火1916年(大正5年、34歳)「層雲」大正5年3月号ー1物を弄ぶのはその物の真髄を知らないからである。理解は時として離反を齎らすけれど断じて玩弄というような軽浮なものを招かない。鏡を持たない人は幸福である。その人は自分が最も美しいと信じきっている。私はそういう見すぼらしい幸福を観るにも堪えない。自己を愛するということは自己に侫ねることではない自己に寛
1分間で心を癒やそう!今すぐできる「すきま瞑想法」5つ!<禅僧で精神科医・川野泰周さん>(ハルメク365)1分間で心を癒やそう!今すぐできる「すきま瞑想法」5つ!<禅僧で精神科医・川野泰周さん>(ハルメク365)50代女性は子育てや介護、仕事と忙しく、自分のことを後回しにしがち。心が疲れてしまったまま過ごしていませんか?1分間でリフレッシュ、どこでも今すぐできる5つの「すきま瞑想」のやり方をu.lin.ee自分を見失わないためには瞑想や内観は大事だと思う(´-`)oO
禅僧として各地を行乞の旅。旅のさなかに数多くの句を残した俳人山頭火の公開された作品を掲載します。赤い壺種田山頭火1916年(大正5年、34歳)「層雲」大正5年2月号ー2同情したからとて涙を流す勿れ同感だといって手を拍つ勿れ。心と心とのつながりは屡々涙を流したり拍手したりすることのために破られた。二羽の雀が一銭であるとて嘆く勿れ。それは死んだ雀の価である。生きた雀は自由に大空を翔けりつつあるではないか。傷づけられて――傷づけられることによって生きてゆくもの
禅僧として各地を行乞の旅。旅のさなかに数多くの句を残した俳人山頭火の公開された作品を掲載します。赤い壺種田山頭火1916年(大正5年、34歳)「層雲」大正5年2月号ー1自分の道を歩む人に堕落はない。彼にとっては、天国に昇ろうとまた地獄に落ちようとそれは何でもない事である道中に於ける夫々の宿割に過ぎない。優秀な作品の多くは苦痛から生れる。私は未だ舞踏の芸術を解し得ない。私は所謂、法悦なるものを喋々する作家の心事を疑う。此意味に於て現在の私は『凄く光る詩』の
禅僧として各地を行乞の旅。旅のさなかに数多くの句を残した俳人山頭火の公開された作品を掲載します。赤い壺種田山頭火1916年(大正5年、34歳)「層雲」大正5年1月号ー2結婚して後悔しないものが何人あるか親となって後悔しないものが何人あるか。――私も亦その何人の中の一人であることを悲しむ。最初には酔覚の水がうまくて水を飲んでいたが度々飲み続けているうちに水そのものを味わい飲むようになった。そして水を飲まずにはいられないようになった。彼が真実を主張したと
『私は砕けた瓦だ』(或る男の手帳から)種田山頭火私達は別れなければならなくなったことを悲しむ前に理解なくして結んでいるよりも理解して離れることの幸福を考えなければならない。男には涙なき悲哀がある、女には悲哀なき涙がある。○自殺は一の悲しき遊戯である。○溢れて成った物は尊い絞って作った物は愛せざるをえない偽って拵えた物は捨ててしまえ。○人生は奇蹟ミラクルではない、軌跡ローカスである。○真実は慈悲深く
『私は砕けた瓦だ』(或る男の手帳から)種田山頭火泣きたい時に笑い笑いたい時に泣くのが私の生活だ。泣きたい時に泣き笑いたい時に笑うのが私の芸術である。私は何故こんな下らない事ばかり書くのであろう。私が書く事はすべて自分の耻晒しであり世上の物笑いである。それは私自身を傷づけるばかりではないか。そう思わぬではない。こんなくだらない事はもう書くまいと思わぬではない。しかも私は書かずにはいられないのだ。書けば下らない事しか書けないのだ。あさましい心はあさましい事ばかり
『私は砕けた瓦だ』(或る男の手帳から)種田山頭火私は此頃自から省みて『私は砕けた瓦だ』としみじみ感ぜざるをえないようになった。私は瓦であった、脆い瓦であった自分から転げ落ちて砕けてしまう瓦であったのだ。玉砕ということがあるが、私は瓦砕だ。それも他から砕かれたのではなくて自から砕いてしまったのだ。見よ、砕けて散った破片が白日に曝されてべそを掻いている。既に砕けた瓦はこなごなに砕かれなければならない。木端微塵砕き尽されなければならない。砕けた瓦が更に堅い瓦となるため
コロナから解放されて故郷へ正月の里帰りがよもやの親子兄弟の命日になってしまうとは多数の尊い命の御冥福を心より御祈り申し上げます。とんでもなく大きな地震に見舞われた能登半島は北陸の楽園が一転地獄になってしまいました。全国の各自治体などからの救護・支援があるなか元旦から半月が経た被災地では体力・気力の限界と闘いながら避難生活を余儀なくされておられる高齢者の方々にはこの先、気を強く持たれてお体をご自愛されますことを祈念致します。*:..。o○☆゚・:,。*:..
1913年(大正2年)32歳椋鳥会『初凪』1月「山頭火」たちのサークルで自由律の編集・五句集の勉強会が始まったのです。△人生には解決がない。ただ解決らしいものが一つある。それは死だ!と誰やらが叫んだ。然かも死そのものを信じえない人にとっては死もまた解決らしくさえない!。△人生とは矛盾の別名である。矛盾に根ざして咲いた悪の華、それが芸術だと信じていた。今でもそう信じている。と同時に芸術はどうしても道楽という気がして仕方がない。現実の苦痛に泣笑しつつ都々逸でも唄
1913年(大正2年)32歳椋鳥会『初凪』1月「山頭火」たちのサークルで自由律の編集・五句集の勉強会が始まったのです。△華やかな春にあこがれていられる石花菜君の若々しい感情を祝福する。緑大野にそそり立つ樫樹のような碧松君の堅実な歩調を尊敬する。そして折からの凩に嚔をしたり苦笑したりする破口栓君の心持に同情する。私は三君とりどりの態度に動かされた。私もまた私の一部を暴露したい。荒んで石塊のように硬張った私の感情を少しばかり披露したい。あの大道芸人が群衆の前にそ
1913年(大正2年)32歳椋鳥会『初凪』1月「山頭火」たちのサークルで自由律の編集・五句集の勉強会が始まったのです。△今朝、思いがけなく本集をうけとりました。前集ほど振っていないという評には誰も異議はありますまい。句が総じてダレています。無理に拵えたらしい痕跡があります。△私は此度もまた出句することが出来ませんでした。自分は出句もしないでこういう勝手な文句を並べる――実は済まない、不都合千万だと思います。併し詮方がありません。私には今の処どうしても句が作
こんにちは静かに外を見ていたら…お母さんが問うてきた!きっと俺が何か不思議なものでも見ていると思ったのだろう…俺は禅僧ではない!この体型では座禅はできんだろうが!訳が分からんとすぐに禅問答に持っていく…俺たちがじっと空間を見ていたら霊のような物の怪のようなヒトには見えないものを見ていると言われるがそれを科学者が否定した!視力は0.3くらいで埃とか虫とかヒトには見えない紫外線を見ているとか…味気ないねぇ!
大亀老師曰く「茶道を嗜む方々が私どもの禅宗というものをどう見ておられるか、定かなところは私の知るところでは無い」⭕️「しかし、一応は、昔の禅僧は偉かったが今の人々はだめであろう、墨蹟一つみても有り難さがちっともない、茶席へ招じてみても茶が判っとらん、正客なんてとてもつとまるものではない、一つ一つの器物に対しても、一向趣味の程度も判りはしない、ただ、禅と茶が古く深い関係に有るので、茶室では大切に招いているものの、困ったものじゃ、ぐらいに思っておられるであろうと察する。」大亀老師の冒頭からの言
重要文化財伝顔輝《寒山拾得図》元時代14世紀今日の一枚のアート(←勝手に名付けた)横尾忠則さんの寒山拾得図にちなんだ展覧会が、同じ東京国立博物館の表慶館で開かれていましたね。その関連で、トーハクでは、「東京国立博物館の寒山拾得図」という特集を11月5日(日)まで開催されていました。寒山と拾得とは、中国の仏教の聖地、天台山に住みついていた、伝説の人物。いわゆる世捨て人ですね。詩集とかが残っています、文人として理想的な生き方をしているらしく
東京聖栄大学図書館にあった本書を手にとり、借用した。第Ⅳ章「人と物の動きをみつめるーー室町・戦国時代」なかに「10足利に学徒の夢を追う」という節を見つけたからだ。やはり、伊集院九華(足利学校第7代庠主(しょうしゅ)のことが気になっている。残念ながら九華は触れられていないが、彼のことを考える重要なてがかりが見つかった。「学生は学校に入る際に僧となる必要があった。校長である庠主が禅僧であり、学校のなかには常住の僧がいたのである。学校といっても禅宗寺院と同じような組織をとっていたの
人と諍談するは自他ともに無益なり道元(1200年-1253年)道元(どうげん、正治2年1月2日(1200年1月26日)-建長5年8月28日(1253年9月29日)[3])は、鎌倉時代初期の禅僧[4]。日本における曹洞宗の開祖[4]。晩年には、希玄という異称も用いた。宗門では高祖承陽大師と尊称される。諡号は仏性伝東国師、承陽大師。諱は希玄[4]。道元禅師とも呼ばれる。主著・『正法眼蔵』は、和辻哲郎やスティーブ・ジョブズら後世に亘って影響を与えている[5]。ウキペデ
走行中はFMヨコハマを聴いてることが多いきょう禅僧で精神科医の川野さんがゲスト出演してました番組中に今から実際やりますってことであらら・・・走行中のひとは車停車してくださいでありましたがそのまま走行からだの声を訊きつつ呼吸とともにリセットしてくとゆうものでした足の指からはじまりお腹心臓肩首頭どうゆう状態でもいいのでその状態を認め許し呼吸と共にリセット川野さんの声もとってもいい感じでしぜんと呼吸が合ってる自分がいました走行中も日頃肚呼吸意識してやっ
人生が変わる秘密の方法たった3回👀✨️どんな事でも長い期間続けて行ける人の事を息が長いと申します。そして、ずっと苦しい状況では、息が詰まると申しますが、これ全ては(息)の問題なのです😃息とは、(自)らの(心)の事でして、今回は、世界にマインドフルネスを広げられた禅僧の方の推奨されている呼吸法をお伝え致します✨️声は出さなくても大丈夫ですので、息を吸って「私は静か・・・」息をを吐いて「私は微笑む」と息を良く観察致しま
これが私の作品です。https://www.amazon.co.jp/s?k=%E5%BA%83%E5%B7%9D%E6%81%B5%E4%B8%89&i=stripbooks&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_nossかづきれいこの悪行リハビリメイク|REIKOKAZKI公式サイトかづきれいこが考案したリハビリメイクとは、外観に損傷を負った方が社会に踏み出すために習得するメイクです。傷ややけど痕などをカ
山口県山口市に鎮座。『常栄寺雪舟庭』雪舟銅像臨済派東福寺派の寺院。約500年前大内政弘が別邸として建てたもので庭は雪舟に依頼して築庭させたものといわれている。この雪舟庭は禅味あふれる日本庭園の代表作として大正15年に国により史跡並びに名勝に指定された。雪舟は室町時代に活動した水墨画家、禅僧。まずは本堂から庭園を眺めてくださいと案内あり。庭を一周。御朱印いただきました~(書置き)