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千葉県で神社に落書きした犯人が逮捕されました。落書きは絶対してはダメです。特に「神様はいない」とかは絶対に書かないで下さい。とんでもないバチがあたります!下手したら死にます。マジで!大物主様は祟り神です。絶対しないで下さい。以上
✨千歳車塚古墳✨前方後円墳古墳の周りぐるっと一周を、綺麗に草刈りをしてくださってあるお陰様で、見つけることができ参拝できました。他は、さとうきび畑状態で、私の背丈より大きく、草が伸び放題のジャングル。隠れていたらわからなかっただろうな…空には、カラスが、たくさん飛んでいました。見守り続けてくださっているのだろう。千歳車塚古墳(ちとせくるまづかこふん)は、京都府亀岡市千歳町千歳車塚にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。千歳車塚古墳墳丘全景(手前
奈良県にご鎮座する大神(おおみわ)神社のご神体は三輪山です。三輪明神大神神社(おおみわじんじゃ)奈良県桜井市、大和国一之宮三輪明神大神神社(おおみわじんじゃ)は、本殿は設けずに三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社のひとつです。oomiwa.or.jp大神神社には多くの摂社末社があり、各々、由来や説話が伝わっています。神御前(かみのごぜん)神社神御前(かみのごぜん)神社は、大神神社の境外摂社です。ご祭神
宇太水分神社は祟神天皇の七年に勅命により祀られたと伝えられていて、大和朝廷が飛鳥に置かれていたころ、東西南北に祀られた大和四水分(宇太葛城都祁吉野)のひとつで東のになる。
奈良県にある志貴御県坐(しきのみあがたにます)神社は、第10代:祟神天皇の宮殿跡と伝えられている磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)伝承地です。崇神天皇3年から同68年までの皇居と伝えられています。志貴御県坐神社のご朱印は、三輪恵比寿神社(JR三輪駅徒歩2分)で拝受できます。山の辺(やまのべ)の道神社の側には、「山の辺(やまのべ)の道」という三輪から奈良へ通じる古道が近くを通っています。最古の古道と呼ばれ、現在その道をはっきりと跡づけることは難
ようこそお立ち寄り下さいましたいつもありがとうございますm(__)m下野國一宮宇都宮二荒山神社の続きになります(^^)(__)神門は四脚門でしょうか流造の屋根の前後に唐破風付き七五三参りの晴れ姿で拝殿前は大変賑わっていましたので内側から撮りました(^^)v手水舎宇都宮も水が綺麗ですねd(^_^o)わびさびの神楽殿拝殿です御祭神豊城入彦命第10代祟神天皇の第一皇子で天皇の命により東国を鎮め毛野国(後の上野、下野)を開く豊城入彦命の曾孫にあたる奈良
お墓まいりの後いつものぶらり旅です能登半島の先端にある須須神社に行った事がないのでお詣りです鳥居のすぐ目の前が海に面していて鳥居をくぐると拝殿へと続く参道は海の明るさとは異なり大きな樹木があり静寂で身震いしてしまう様なパワーを感じました創建は第10代祟神天皇の時代(紀元前97ー29年)天平勝宝年間(749ー756年)現地に移転されたらしい2100年も続くとても由緒ある須須神社日本海側一帯の守護神とされ
西塔から最終バスにて東塔バス停で下車京阪バスさんとお別れ、安全走行と運転士さんの山道運転テクニックお見事でしたありがとうございました坂本ケーブルのケーブル延暦寺駅へ向かいます半キロ程、名残り惜しく比叡山を歩きましたその時に、東塔方面から聞こえる音楽と歌声、そして琵琶湖一望の景色なんて、心地よい余韻を与えてくれる事でしょう坂本ケーブルのケーブル坂本駅舎ケーブル駅ならではの琵琶湖一望の大パノラマ坂本ケーブルは坂本駅から延暦寺駅までのケーブル最長2025メートル営業
第560話こんばんは菊水千鳳です前回の日記(=所澤神明社の拝殿前での体験)の続きとなります。拝殿の左脇を奥へ進むと、綺麗に建て替えられた摂社・末社が並んでいました。今回は3箇所めの参拝のためそろそろタイムリミットが近付いていたので、会釈にて失礼させていただきました。一番奥に進むと小さな社の前に、狐さんの像があるので、お稲荷さんかな…としかし看板をみると御祭神が《豊受大神》となっていました。とようけさま?!豊受大神と狐さんのコラボ?!なぜに?!こちらは会釈だけ
祟神天皇の時、疫病が大流行した天皇は歎いて、神床(カムトコ)で眠ったその夜、天皇の夢に大物主大神が出てきてこういった「意富多々泥古(オホタタネコ)に私を祀らせれば祟りはおこらず、国は平安になるだろう」神床(カムトコ):神のお告げを請うために、はらい清めた床天皇は神との仲立ちをしていますね。男巫女の役割です。大物主大神は祟り神として登場。そこで、色々人を使わして意富多々泥古を見つけ出した「私は大物主大神が陶津耳命(スエツミミノミコト)
ここは奈良県宇陀市にある宇太水分神社。今までいくつか出会った水分神社。馴染みあるのは建水分神社(大阪府千早赤阪村)なのだが、吉野水分神社も訪れた事があった。知らなかったのだが、この神社と吉野水分神社を含めて大和の四方に水分神社が配されていたらしい。みくまりみくまりみくまりみくまりかみまくり、、噛まないけどね。ちなみにこの神社の創建は10代目の崇神天皇。四道将軍を各地(北陸、東海、山陽、丹波)に派遣した天皇。もしかしたら「4」って数が好きだったのかも?狛犬「何で
今回から、新しいジャンルにもチャレンジしたいと思います。いつまで続くか分かりませんが、よろしくお願いします。なお、この「展望」は、旅行記ではありません。(行ったことがあるところは多いですが・・・)第一回はやはり、古道・山の辺の道(やまのべのみち)にしてみました。『古事記』で、やまとはくにのまほろばたたなづくあおがきやまごもれるやまとしうるわしとしるされている、大和盆地。その東麓に、飛鳥と奈良を結ぶ道が、奈良の春日大社から南方へ、桜井あたりまで伸びています。これが山の辺
おはようございます奈良県唯一の飾り巻き寿司マスターインストラクター&プロトコール講師わだみほですいつもご覧頂きありがとございますかれこれ一年?いや2年?行きたい!行きたい!と思いながら、そう遠くないのに、なかなか行けなかった信貴山朝護孫子寺http://www.sigisan.or.jp/素敵なお二人とご一緒しましたそして、奈良に住みながら、何度も近くを通ってるのに、あることすら知らなかった龍田大社http://tatsutataisha.jp/今から
お気楽ーカエル☆🐸でございます。ブログお立ち寄りありがとう😆💕✨ございます。朝は早く起きて食前の薬を飲みました。新聞配達さんが来る前に玄関先の椿の葉っぱを掃き清めて清々しい気持ち🍀😌🍀になりました。(😷マスクして咳き込みを避けながら静かに掃きました)さてさて今日は『檜原神社』様奈良県桜井市三輪山の西北の山裾にあります。御祭神は『天照大神』レンタカーで行ったのですが車一台ギリギリ通れる道です。駐車場はあります。(来た道を帰った方が良いです。ナビさん通りに帰り道行きましたがレンタカ
こんにちは。Eat&Life開運アドバイザー♡うさこママです。うさこママ…。最近は、あまりお出かけしておりませんで…。それはそれで、あまり苦にもならない人です。お盆は、一人だし〜考え始めた当初は、赤福氷を食べついでに、伊勢にでも行こうかな〜って感じ。娘が、「行ってあげてもいいよ…」みたいなことを言ったのです。休みとってあげるわさ‼️みたいな感じは…なんだかね。「別に、無理しなくてもいいんじゃない。」って思ううさこママ。あまりない「行きたいところリスト」を眺めていたら〜、「
【闇思想諸々】★卑弥呼から大化の改新時代の侵略?No.54崇神天皇陵はこれまで最古の天皇陵であったとされてきた。崇神は鹿児島県の天皇で、卑弥呼の死とともに政権を失った。天皇家で奈良に入った第一号が倭王・武であったことがわかってみると大古墳の造営は、それ以後でないとできるわけがない。だとすれば、崇神天皇陵は新しく、仁徳・応神より後だと言う事は確定的なのである。【黄金主義】―安東恭助天皇の系列はギリシャ系と仏教系が争って、覇権交代している事が多いようだ。
阿紀(あき)神社宇陀市大宇陀区迫間さくらさん…ここじゃないですよねいよいよ今回の宇陀シリーズ最後の目的地に到着だ。この神社近くには天孫降臨の伝承地もあり、雰囲気はありありだ御祭神天照皇大神(あまてらすおおみかみ)天手力男命(あめのたぢからのおのみこと)秋姫命八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)アマテラス…ここは天津神系になるんだ創祀については、倭姫命(やまとひめのみこと)の神幸の伝承によるとの説がある。その伝承とは延喜式内社で「大和志」には神戸明神と称すとある。創
墨坂神社奈良県宇陀市榛原区萩原この日は、まだ縁を頂いていない神社が多い宇陀地区に行った。梅雨入りしたものの、晴れ男ココロパワーでどうにか雨は降らなかった。墨坂神社は旧県社。祟神天皇の時代、悪病流行、人民死に絶えようとした時「日本書紀」では神人が「古事記」では大物主神が天皇の夢に現れて、墨坂の神に赤色の盾矛を、大坂の神に黒色の盾矛をもって祀れとの教えに従ったところ、悪病止んで多平穏となった。周囲を山並みに囲まれた宇陀地区は古代の空気が満載だ。日本神話の「神武東征神話」にも墨坂は最初に
Aloha!☆彡守山市幸津川町の下新川(しもにいかわ)神社へお参りしました。神使が鴛鴦(おしどり)なので、こちらも鳥の神社ですね。神社に隣接する足湯「ほっこりおしどりの湯」♨覗いてみたけど、お湯が入ってませんでした。閉まっていたのかな?鳥居をくぐって参道を歩いていると、一番始めに牛神社がありました。祭神は大己貴命。医薬・病気技芸上達の神と立て看板に書いてありました。拝殿本殿豊城入彦命が、西江州からおしどりに案内されて西のほうの浜から上がって来られ、その時に民が鮒の塩切りしたの
本日、車検に行ってきました。今年は早めに雪が降るみたいで、ついでにタイヤ交換もしてもらいます。紅葉ピークは過ぎてますが……この前行ったところがまだキレイだったのでアップします。↑これらの紅葉ですが、金剱宮という神社の紅葉でして、神社は創建が祟神天皇3年(10代目天皇の時代)という由緒正しき石川県白山市鶴来にある神社です。金剱宮の『剱』が“つるぎ”とも読めるため、“鶴来(つるぎ)”の由来になったんだとか。かの九郎判官義経(源義経)も、奥州に落ちのびる際に一晩神楽を奉納し太刀も献上したとい
2016.7.25(月)夫は、愛知のAさんの所へ出張お祓いに・・・行ってらっしゃ〜い👋😃私は狭井神社さま迄、お詫び参りへ・・・こちらは、「天皇社」御祭神は祟神天皇です。祈祷殿の前で、「裸足で」三輪山登拜を終えた先生と一徳さんにお会いしました。私も以前一度「裸足で」三輪山登拜をさせて頂きましたが👣先生のブログに「足の裏から大地の力を頂いて・・・👣」などと悠長な事など言ってられません!とありましたが、本当にそのとおり、「痛さ」との戦いでした「裸足で」登拜される方は、凄いです
Aloha!☆彡伊賀の社寺めぐりの続きです。伊賀の国の一宮、敢国神社を参拝しました。主神大彦命配神少彦名命配神金山比めの命大彦命は第八代孝元天皇の皇子で、祟神天皇の御代四道将軍のお一人として北陸未開の地を教化した後、伊賀の国に永住され国家繁栄の礎を築かれました。最近、祟神天皇もよく出てきます。神社から北方1kmの佐那具町に、県下最大の(全長188m)の前方後円墳があり、5世紀初頭に築造されたと見られる大彦命の御陵墓(御墓山古墳)があります。あえくにの「あえ」とは「あべ」
今日は、妹の妙心と歩きに行って来ました。素盞鳴神社さまでご挨拶し、坂を上がって行き、山野辺の道を歩き磯城端籬宮跡伝承地(しきみずがきのみやあとでんしょうち)でゆっくり瞑想しお参りさせて頂きました。三輪山の山麓に、三輪王朝と呼ばれる古代王権が発祥され、その王権の始祖が祟神天皇と伝えられています。祟神天皇の皇居磯城端籬宮(しきみずがきのみや)跡は、大和平野を見渡せる場所にあります。拝殿前で、ゆっくり瞑想している時左側(大和平野)から吹き上げてくる風が、宮跡を囲む木々の隙間を通り過ぎ流